カテゴリー「は行」の49件の記事

普天間基地移設と憲法改正

沖縄米軍基地移設と憲法改正   [2009.11.9] オバマ大統領の初来日を目前にして普天間米軍基地の辺野古への移設が混沌として来た。鳩山首相以下民主党は選挙前や選挙中「国外移転」あるいは「悪くとも県外移転」を唱えていたらしい(マニフェストには明記していない)。ところが政権党となって米国との協議が進むにつれて岡田外相や北沢防衛相の発言のブレの幅が大きくなっている。岡田外相は「嘉手納基地への併合・統合」案を唱え、北沢防衛相は「やはり日米合意どおり辺野古しかない」と前言を翻し態度を米側へ軟化させた。それでも鳩山総理は「最後は私が決定する」と涼しい顔をしているが、独裁政権ではないのだからその発言は乱暴過ぎる。選挙のとき沖縄で声を大にして唱えた国外移設や県外移設について一言の説明もないというのは問題である。党の最高責任者として国民に対してきちんとした説明をする責任がある。さもないと、何の根拠もない単なる「思い付き」の、選挙目的だけの発言だったと見做されても仕方ないだろう。岡田外相発言についても、いくらかでも沖縄を知っている者であれば、沖縄本島の中心部に位置し更に那覇市街地区に接している嘉手納基地への移設統合が適さないことぐらい、誰にでも分かる。むしろ普天間同様、嘉手納も移転すべき基地である。それにしても鳩山総理は、何故に自分自身の方針を表明しないのか?何故に笑みを浮かべて黙していられるのか?何とも解せない態度であるが、つらつら考えるに、その裏には「憲法改正」問題が絡んでいるのではないか、と想像している。鳩山氏も小沢氏も強硬な憲法改正論者である。結論から言えば、沖縄の米軍基地問題は、憲法9条を改正して早急に自衛隊を「軍」にすることで一挙に解決できる、と考えているのではないか。即ち、自衛隊が軍になれば、日米安保も韓国と同じような積極的な形で構築することが期待でき、日米地位協定問題や集団的自衛権問題も自ずと消滅し、オバマ大統領も、米軍をグアムに集結して人員も減らし経費も安く出来るというメリットが生まれるので時間を貸して欲しい、といった提案でも考えているのではないか?(しかし、これは米軍再編成戦略に時間的に間に合わないため、オバマ大統領が納得する筈はない。)そうなれば当然日本としては、米軍が撤退した分、軍隊・軍備の増強が必要となる。そのためには今から公務員の削減を図り、無駄な経費を削減して備えることが必須となる。当然、憲法改正には国会の「3分の2」の議決と国民投票による決議が必要となる。そのためには民主党への国民の支持が絶対要件となる。民主党は一般国民受けのするマニフェストを掲げて大勝したが、最近のブレ振りを見ると、この前の選挙は国民を騙して票を集めた、まるで詐欺のような選挙だったのかと勘繰りたくなる。改憲派議員は自民党、国民新党、民主党に大勢いるが、これら全ての党が統べて改憲で一致している訳ではない。殊に民主党については一回、二回当選議員が大半で、護憲派と改憲派の呉越同舟の状態にある。この様な状態で改憲を表に出せば如何な小沢民主党と雖(いえど)も、分裂・離脱が起こるだろう。改憲を狙う小沢氏・鳩山氏としては、折角、多数を占めたにも拘わらず、民主党が分断したのでは意味をなさない訳で、党としては何としてでも彼らを改憲派議員、即ち「右向け右」議員に育てる必要がある。ちょっと穿(うが)ち過ぎた見方かも知れないが、案外、鳩山総理と小沢幹事長は「教育」と称して、今、秘かにその目論見を実行に移しているのかも知れない。

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羽田空港のハブ化は実現可能か?

羽田のハブ空港化より新設を   前原国交大臣が突然、羽田のハブ空港化を言い始めたが、本当に実現性はあるのだろうか?彼の発想は根拠のない思い付きのように思えて、極めて疑問である。ハブ空港とは、広大な用地を有していること、24時間発着が出来ること、国際線から国内線への乗換えが手軽であること、近くに貨物の物流基地や高速道路があること、国内や近隣国に24時間かそれに近く稼働している傘下空港を抱えていること…等々の立地条件をクリアーしなければならない。これらから見ても成田はハブ空港としての条件を満たしていないと断言できるが、羽田はどうだろうか?羽田をハブ空港化するということは、世界各国から飛来する航空機が常時着陸できることが必須の要件であり、また到着した航空機が一定時間内に羽田を離陸する態勢が常時取られなければならない。即ち、ハブ空港としての絶対条件は大型航空機の速やかな離発着が24時間可能であることである。しかし、日本の空港は住民への騒音対策から深夜の稼動が出来ない。ということは、広大な航空機の駐機・待機スペースを用意しなければならないということになる。深夜の発着が出来ないということは必然的に滑走路の生産性が落ちる訳で、当然その分は空港使用料や空港ビルの坪単価に諸に影響する。また、住宅地に近い空港は近隣住民への騒音補償などにも大きな経費が掛かる。その結果、近隣ハブ空港との競争力が低下し、経営上の最大のネックとなる。住宅地の直ぐ傍にある羽田をハブ空港に転換すると直ちにこの難問にぶち当たる訳で、近隣住民が24時間稼動をすんなりと認めて呉れるだろうか?各地で起きた空港建設時の激しい反対運動から見ても解決は物理的にも時間的にも容易ではない筈だ。何が何でも本格的なハブ空港を作ってアジアの拠点になりたいのであれば、富士山の乱気流が問題だが、一層のこと富士山麓の青木ヶ原原生林を開拓して作るくらいのことを考えたらどうだろう。ここなら人間も住んでおらず、空港と首都圏や中京圏を時速500kmの超高速鉄道(JR式リニアモーターカー)で結べば30分圏となり東西の拠点ともなり得るし、東名高速(第1、第2)を使った物流網も構築しやすい。更に、沼津辺りに海のハブ港も作れる。

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鳩山大臣VS西川社長、行方と影響&続編

後任は何と!「渡り」官僚

     [2009.10.21追記] 西川氏の後任は現在73歳で元大蔵事務次官、現在東京金融取引所社長の、小沢氏と極めて近い斎藤次郎氏とのこと。何でまた年寄りを!?。もっと清新溌溂な人物はいなかったのか~。「天下り」や「渡り」が社会問題化している世相の中で、鳩山氏らは選りによって若くもない官僚上がりを選んだようだが、この選択は鳩山氏の政治センスに「?」が付くことになるだろう。人気をバックに押し切れると踏んでのこととすれば、遂に「驕り」が顕われて来たと言わざるを得ない。権力が目を眩ませることを知っている筈の賢い鳩山氏が、自分の人気の源が「見た目の謙虚さ」にあることに気付いていない筈はないと思うのだが…。今の状況から見ると、国会が始まれば支持率は見る見る低下するのではないだろうか。

西川社長、辞任表明

   [2009.10.20追記] 今日、やっとのことで西川社長が辞任を表明し、社長人事に決着がついた。取り敢えずは郵政利権が特定の企業や少数の個人に私される寸前で国民の財産が守られたことは喜ばしい。次は残った経営陣、少なくとも常務以上は全員入れ替えるくらいの荒療治が必要だろう。その上で、過疎化と限界集落化が進行している地方・地域住民への金融サービスと郵便サービスを柱にした「国民のための郵便局」事業を推進することが肝要である。旧郵便局ネットワークが重要な社会資本の一つとなっていた地方は多く、再構築が望まれる。そのような地区で郵便局の存在価値を効率という物指しで判断すれば、治世を誤まること火を見るより明らかである。都市部については考慮の余地があるが、必要なら地方の郵政事業については切り離して公営事業にすることも検討の余地があるのではないか。しかし、郵政民営化問題が無かったら、政権交代は無かったかもしれない。西川社長に対する鳩山邦夫元総務大臣の「正義」対決によって国民は目を覚まされ、日本の政界・政治の汚れを赤裸々に見ることとなり、真剣に「洗濯」の必要性を感じることとなった。その結果が前の総選挙での政権交代であった。郵政民営化は、国民に「デタラメ政治の功罪」を知らしめ、政治参加の重要さを教えたという効果をもたらした。後任社長には人格・識見の高邁な正義漢的人物を期待する。

鳩山大臣VS西川社長、麻生氏の支持率は?

   [2009.6.12追記] 今日午後、思い掛けなくも鳩山総務大臣が麻生総理に辞表を提出した。提出後の会見で鳩山邦夫氏は「汚れたことを許してはならない。それを通すのは政治ではない」というのが私の信念だから「潔さ」を大事にしたと述べ、西郷隆盛が「今般政府に訊問の筋あり」と質した言葉を借りて「(征韓論の)意見の違いから、岩倉具視に『岩倉公、あやまてり』と言って潔く政府を去った西郷隆盛翁の心境だ。いずれ(一年以内に)歴史が私の正しさを証明してくれるだろう」と述べて内閣を去った。まさに、悪が正義を駆逐する妙な格好になって、わが国の政治のレベルの低さを象徴した事件である。彼に期待していた多くの国民が失望した以上に、麻生総理を担いで来た鳩山氏自身が一番失望し無念だったのではないか。これで麻生総理の支持率も暴落し自民党支持者も大激減するだろう。「一年以内に歴史が証明して呉れる」という最後の言葉が何を示唆しているのか、鳩山邦夫氏の今後の動きから目が離せなくなった。新党結成か?それとも、某党との合併構想か?

   [2009.6.10記] 今日9日の参院総務委員会で鳩山総務大臣と西川日本郵政社長の直接対決があった。鳩山氏の眼光鋭く堂々たる姿に対してやや前屈みでいじけて見える西川氏の姿は、見る者に「正の鳩山、邪の西川」という印象を抱かせただろう。かんぽの宿払い下げ問題、障害者郵便の料金不正問題、簡易保険金不払い問題等々、数々の出鱈目を見逃して来た統治力不在の経営姿勢は「引責辞任」を問われて然るべきである。むしろ自らの無力さを恥じ、自ら率先して進退伺いを表明すべきである。それを「民営化をやり遂げる責任がある」と「居座り宣言」をするなど、以ての外である。このような状況下、監督官庁の責任として「正義」を通そうとする方が毅然として恰好良いことは言を俟(ま)たないにしても、今日の西川氏の表情には以前のような挑戦的言動が消え、大臣の「再任拒否」に対しても「法律に従う」と、暗に「辞任も已む無し」とも取れる発言だったのは意外だった。思わぬ展開が起こるかも知れぬ。この問題が発生した途端、政界から引退を表明している小泉元首相やとっくに引退している竹中元総務大臣がノコノコ、度々、メディアに登場して声を荒げて鳩山総務大臣を批判し、麻生降ろし発言をしているのは異常な光景である。彼らは一体何を目論んでいるのか?何か不味いことでもあるのか?小泉・竹中の息の掛かった者で構成されている取締役会や第三者委員会ばかりでなく、更にもっと深い暗い闇を勘繰りたくなる。西川問題は麻生総理支持率や自民党支持率に少なからぬ影響を及ぼすだろう。勿論、鳩山氏を辞めさせて西川氏続投という判断をすれば支持率は一桁台へ急降下し、逆に鳩山氏はそのままで西川氏を辞めさせればかなり上昇することは間違いない。中川、石原、町村、森ら、郵政民営化派や旧森派の面々が麻生降ろしに動いているようだが、彼らの言動が自民支持率を旧降下させている因であることに気付いていないようである。その点、公明党は国民の顔色を窺って西川不支持を匂わせ利巧である。麻生総理は、この際麻生、鳩山、河村を核にして、小泉・竹中コンビがぶっ壊した自民党と国民生活をもう一度ぶっ壊すくらいの威勢を持って、小泉・竹中政策に「NO!」を突き付けたらどうだろう。自民、民主がそれぞれ内部崩壊するかも知れないが、恐らく国民からは大喝采を得、国民の大きな支持を得ることになるだろう。

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橋下知事は、独裁者願望?弱者の心意を汲まず

橋下氏は女子職員が嫌い?

   [2009.10.9追記] またまた府庁の女子職員とトラブル勃発。TV報道によれば、知事メールに反論した女子職員のメールが「礼を失している」ことが原因のようである。だとすれば、他愛の無い話の一言で片付けられる筈だが、橋本知事には丁度一年前に府庁の女子職員との口論バトルが記憶に残っている。不満不平を表明する男子職員はいつの間にか消えて見えなくなったが、大阪の女性は意気軒昂でなかなか良い。しかし、橋下氏は府政を民間企業に模し自らを社長に譬(たと)えるのが好きなようで、今度も「社長を『お前』と呼ぶ社員がいるか」とか「(上司に対する)物言いが非常識だ」などと怒って処分までするらしい。大人気無い話だと思うが、何で女性にばかり当たるのだろうか?彼の過去の過激な言動から推測すると、案外、男子職員の口封じを意図してのことではないのか?公務員に隷従義務が無いことは勿論だが、橋本知事は、府政に従事する公務員は上司に絶対服従する義務があるとでも考えているのだろうか?弁護士とも思えぬ偏向発言が多すぎる。そもそも公務員法というのは、たとえ暴君知事が出現しても、行政が歪まない様に公務員の身分を保証し、不正の告発を義務付けていることを忘れてはならない。「お前」と呼ばれたくなければもっと人間を磨く努力をする謙虚さが必要だろう。行政とは「弱者の目線、弱者の歩調」に合わせて行なうべきものである。ということは行政には効率やコスト意識で計れない分野が存在する。効率とコスト削減を求めて何でもかんでもやたら民間に移転すれば良いというものではない。

橋下府知事、園児の「芋畑」に代執行 

  [2008.10.17追記] 橋下府知事には「人の心」が無いようである。16日、大阪府(代執行者は橋下知事)は、第二京阪道用地の門真市の保育園の収穫目前の芋畑に対して行政代執行を実行して破壊し、今度は幼気(いたいけ)な園児たちの楽しみを奪った。あと二週間経てば自分たちが植え水を与えて育てて来た夢が現実となって芋が収穫できると、園児と保護者たちがその日を指を折って数えていた楽しみと、焼き芋を作って収穫祭を開き園児たちを喜ばそうと企画していた保育園の先生方の優しく暖かい心をも踏みにじったのである。何とも大人気無く、情けない。義務教育でないために教育基本法に触れることではないが、幼児教育の一環であることは間違いない。橋下知事は、この行為が保育園児の心の深層にどれほどの重大な影響(「原体験」教育)を与えたか、気付いていないようだが、幼児期の心身健全成長教育の面から見ると看過できない重要な事件である。彼は、物事の重要度を、何かと言えば直ぐ「金額に評価替え」して説明しようとする癖がある。この一事から見ても「お金」のためには「人の心」も踏みにじっても良い、という考えの主であるようだ。弁護士は人の心を正しく理解出来ない人間でも務まるが、政治家は人の心と共感出来なければ務まらない。橋下氏は、二週間遅れることは7億とか25億円の損だと言っていたが、府民一人当たりにすれば100円か300円足らずの負担にしかならない。人を思いやる優しく暖かい心の人間を育てるためにはむしろ「安い」投資であろう。「たったの二週間」も待てない橋下氏は資質的に知事資格がない人のようである。

橋下府知事の「隠し撮り」 

  [2008.9.9追記] 橋下府知事は余程「脅迫」、「強迫」がお好きと見える。それとも、府民の目を意識する余りの単なるパフォーマンスだろうか?依然として、子供図書館職員の働き振りを私設秘書にビデオの隠し撮りをさせたり、教育委員会を「クソ教育委員会」と詰ったり、手を変え品を変え、橋下府知事の専横振りが止まないようである。働き振りやあり方について不満や疑心を抱くこと自体は悪いとは言わないが、もう少し民主的な言い方や方法があることぐらい、弁護士なら百も承知の筈であるが、どうも稚拙極まりない。マスコミ報道で知る限り、現時点で評価しても評論家かコメンテーターの域を出ることは出来ないだろう。やはり、最終目標である府政や府庁の大改造のためには、府庁の中に多くの味方を作ることを考えるべきで、そのためには民主的に共感を得る方法を思考すべきである。残念ながら、今の姿はタレント弁護士のパフォーマンスにしか映らない。もっと賢くなれ、と言いたい。

橋下府知事の「自分勝手主義」

[2008.7.16追記] またまた橋下知事の我儘(わがまま)振りが露見した。知事日程では「庁内執務」となっていたが、人件費や私学助成の削減を盛り込んだ08年度予算案の重要審議が府議会委員会で始まった14日午後、橋下知事はあろうことか、公用車で府庁から北区のフィットネスクラブに行っていたらしい。府庁内からは「公私混同」との批判が出ているようだが、橋下知事は事実関係を認めながらも、自分に不利と見るや得意の論法で、「府民の判断に任せる」と開き直っているようである。自分の行為の善悪ぐらい自分で判断したらどうか?甘チャン根性も甚だしい。知事には残業手当が無いとか、休みが無いとか、居直り発言癖は未だ直らず、喫煙や私語時間分の給与をカットするだの、何だのと府庁職員をイビるような今までのパワハラ的言動から察すると、身体の芯から「公私のケジメ」が身に付いていない人物のようである。府民との約束である公約もどんどんトーンダウンし実行は程遠くなっているようだが、それでも大阪府民は支持しているというのだから訳が分からぬ。

橋下府知事のパワハラ 

  [2008.6.19] 府知事就任後、橋下知事は、府庁職員や市長や外郭団体の長などと何かと物議を醸している。今度は府庁職員との間で「自分のやり方に不満があるなら、職を変えろ」と発言したことが橋本府知事のパワハラとしてまたまた物議を醸している。就任当初の頃は、弁護士にしては不用意で稚拙な発言が多いなという印象を受けていたが、それでも百戦錬磨の弁護士ならではの橋下知事一流の戦術だろう、と善意に解する努力をしていた。しかし、この「職を変えろ」発言はどこから見てもまともな弁護士の言う言葉ではない。「私が嫌なら、辞めろ」と言わんばかりの発言は、橋下知事が独裁者と恐怖政治そのものを目指しているという印象を与える。職員たちから「パワハラ」と指摘されても仕方あるまい。去る17日の府内43市町村長との意見交換会席での橋下知事の泣きべそ顔の下に彼の幼い素顔が見え、やっぱり、という思いと、彼を買い被っていたことを覚ったが、弁護士たる者としてこれ以上の恥はあるまい。こんな激情型(劇場型?)の人間が公平無私かつ高邁なる冷徹さを要求される裁判官になっていなくて良かった。ところが、大阪府民たちは橋下氏を熱烈に支持しているというから、橋下知事も分からんが、大阪府民も分からない。知事は府庁職員たちを「やる気が見えない」と言っているようだが、府庁の職員を敵に廻して改革が出来るとも思えない。知事に求められるものは、むしろ彼らにやる気を出させるマネージメント力であろう。それから、橋下知事が何でもかんでも民間企業と比較するのは如何なものか?仕事の権限と範囲が法律で定められて勝手な行動が許されない一般公務員の勤務態様と、民間会社の勤務態様とには自ずから違いがある。それを、「自分のやり方に不満のある者は去れ」と言わんばかりの発言は、民間企業であれば「不当労働行為に当たる」と言える。定年まで働こうという気で公務員になっている一般公務員に対し、行政特別職公務員である知事はもっと発言に気を付けるべきであろう。未だに芸能プロダクションに籍を置いているのも良くないし、自分に甘い(と言うより手前勝手な)発言も良くない。

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鳩山総理、官僚の記者会見禁止を緩和

立法府と行政府の権限   鳩山政権が胎動し始めた。初めての政権運営にしては60点くらいの合格評価点を上げてもよさそうである。ただ、政治主導に拘る余り、官僚の記者会見まで禁止したのは行き過ぎで、「見える政治」を標榜した民主党らしからぬ方針だと思っていたが、「過ちを改むるに憚ること勿れ」の言葉通り、速やかに大臣の指示・同席ならOKと改めたのは謙虚で良い。しかし十分とは言えぬ。納税者である国民は三権に対して「知る権利」を持っている。即ち、立法府も行政府も司法府も国民の「知る権利」に対して「答える義務」「説明する義務」を負っているのである。これが国民主権であり民主主義を意味する。行政(官僚)から発言の機会を奪うことは「立法権の行政権侵害」、即ちファシズムの胎動と危惧されても仕方が無いだろう。そもそも、憲法65条は「行政権は内閣に属する」、同41条は「国会は国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と明記しているように、国会(立法府)と内閣(行政府)の独立権を謳(うた)っている。国会を構成する者が国会議員であり、内閣を構成する者も国会議員であるために、時として国会議員は立法権と行政権の両方を握っているような錯覚に陥ることがある。政治とは、国家、国民の姿を意図しそれを国会において意思決定(立法化)し、内閣と省庁(官僚機構)それを実行するというものである。即ち、立法府(国会)の役割は意思決定までで、意思決定されたものを実行に移すのが行政府(内閣)の役割となる。立法府=国会議員、行政府=大臣・官僚・国家公務員という訳だが、それぞれに発信の機会を与えるのが民主主義で、国民の「知る権利」にも応えるものでなければならない。この15年~20年くらい、自民党政権は立法も行政も何も彼も官僚に「おんぶに抱っこ」の有様で、立法権を自ら放棄していたような観があった。当選回数順に何もせず何も知らない国会議員が大臣になるのであるから、行政官である官僚が国会議員に代わって立法業務にも携わるという慣例が出来るのは当然である。日々、大臣や政務官が野党や国民からバカにされているのを見ていれば、官僚が横柄になるのも致し方あるまい。その点、昔の自民党内閣は優秀で事務次官(行政の事務方トップ)よりも力を持っていたが、いつの頃からか事務次官や官僚が内閣(行政のトップである大臣)を軽んずるようになったのも必然だったように思う。そんな体たらくであったから、野党に「官僚主権」と揶揄されて来たのである。これは見方を換えれば、自民党は、何事も官僚に頼らざるを得ないほど無能力なあるいは能力の低い候補者を公認し、彼らを国民が選んだ結果だと言うことも言える。こうして徐々に官僚の力が増し官僚主権と言われるまでに横暴を許すことになったとも言える。鳩山新政権がこの点を改めるべく官僚に劣らぬ学歴(東大等)の議員で内閣を構成して、事務次官会議のあり方にメスを入れたことは勇気ある決断であった。鳩山氏がいい意味で怖いもの知らずのお坊ちゃん育ちだから出来たと言えるかも知れない。ただ、新政権の目玉である国家戦略局()や行政刷新会議などは、その内容がまだ明らかになっていないので断言は出来ないが、立法府と行政府の境界が微妙なだけに、お互いが主権の侵害を犯しかねないという懸念があるが、真の国民主権の政治を確立するためには情報も議事も全てがオープンになることが最も重要である。オープンな所には、変化の陰に必ず生まれる茸のような族議員も育ちにくいだろう。自民党には是非再興して貰いたいが、そのためにはこれらのことが大いに参考になるだろう。さもないと、4年後、国民の信頼は戻らないかも知れない。

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鳩山民主党内閣誕生

鳩山新内閣の顔触れ   16日、「官僚主導から政治主導へ」を唱えて第93代内閣総理大臣鳩山由紀夫民主党政権が誕生した。歴史に残る日である。民主党政権を誕生させた最大の功績者は他ならぬ小泉元総理である、と言って過言ではない。小泉元総理が自分の意見に反対する自民党議員を抵抗勢力と名指しで弾劾し排除する選択をしたことが、これまで派閥の理念の相違には目を瞑り呉越同舟の懐の深さが魅力であった自民党を薄っぺらな党に印象させてしまい魅力無きものにした。また、「郵政民営化はYESかNOか」だけを問うた解散は鉄の結束を誇って来た自民党を呆気なく分裂させ、結果として自民党を弱体化させた。更に、格差拡大をもたらし貧困階層を増大させたことが、政策の内容に然(さ)程の違いがあるとも思えないにも拘らず、地殻変動を思わせるような自民党の否定に向かった。今、国民は民主党を選択したことが正しかったのかどうか、不安と期待を持って見つめている。新内閣の特徴は、私学出身者が6名と、田中角栄内閣以来続いた私学出身者が激減し、東大を筆頭とする官学出身者が12名と官学出身者重用内閣となった。特に、政権中枢に理工系が4人、残り14名中法律系が9人もいることは特筆に価する。理工系、法律系の思考は他の文系に比べればやや情緒や機微に欠ける傾向があるので「友愛」精神との融和が出来れば結果は良いだろう。女性が少ないのが残念だが、二世議員も少なく実力派が多いように見える。個々人の人柄を存じ上げていないので論評し難いが、印象的には「理屈屋内閣」のように感じる。15日、政権交代によって一世紀を超えて官僚政治の中枢幕僚機構であった事務次官会議が幕を閉じたが、官僚の静かなる戦いが始まったことは間違いない。国民は日本を駄目にした族議員の大掃除を期待しているが、族議員は民主党の中にも多勢いる。内にいる族議員を掃除出来るかどうかで国民の支持は大きく変わるだろう。衆議院で308人という圧倒的勝利を手にした民主党が途中解散をすることは考え難いので、この政権は4年続くという前提で、日本がどのように変わるのかを直視していく必要がある。

   内閣総理大臣 鳩山由紀夫。見掛けは若いが意外の62歳。東大工。

   副総理兼国家戦略室担当大臣 菅直人、62歳。東工大。お遍路笠がよく似合う。事務次官会議を廃止させたのは良いが、自民党政権になったら復活するのだろうか?政権党の都合によって予算査定、行政方針を担当する部署が消滅したり出現するようでは問題がある。財務省、外務省、防衛省などとの業務重複を解決した上で、正式な省庁として設置すべきであろう。

   官房長官 平野博文、60歳。中央大理工。労組出身。

   財務大臣 藤井裕久、77歳。東大法、大蔵省。数少ない官僚出身者。高齢により引退を表明していたが、民主党には弁護士出身が多く、経済通の駒が不足しているため、選挙直前に引き戻されて比例当選、入閣。

   郵政・金融大臣 亀井静香、72歳。東大経、警察庁。亀井氏のために郵政・金融大臣というポストを誕生させた。郵政を「一丁目一番地」として戦った国民新党にとっては申し分のない役。早速西川社長に「自ら辞任せよ」と強烈なエールを送っていたが、西川社長が辞任するとも思えないので、日本郵政㈱の臨時株主総会を開催することになるのだろう。西川社長を退任させれば、それだけで鳩山新政権の実行力に喝采が起こるだろう。

   防衛大臣 北沢俊美、71歳、参院。早大法。15日昼過ぎ「亀井静香で内定」と出ていたものが数時間後急に変更になった理由に興味がある。憲法9条についてどう考えているのだろうか?

   国家公安・拉致問題担当大臣 中井洽67歳。慶大経、二世。

   文科大臣 川端達夫64歳。京大工。

   行政刷新担当大臣 仙谷由人63歳。東大法。「官僚主導から政治主導へ」を実現するポストだろうと想像しているが、立法府は三権分立の理念を尊重して行政権に立ち入るべく、心すべし。リベラルな発想の仙谷氏なら出来るだろう。

   経済産業大臣 直嶋正行、参63歳。神戸大経営。労組出身の経済産業大臣というのは意外。現在の難しい経済界の舵取りを誤らないよう願う。

   農水大臣 赤松広隆61歳。早大政経、二世。

   法務大臣 千葉景子、参61歳。中央大法。凶悪犯罪についての「時効」を廃止すべきと考えるが、如何?

外務大臣 岡田克也56歳。東大法、通産省。今度の人事を「岡田外し」と評する者もいるが、初めての政権奪取という中でそのような生臭い発想は現実的ではない。長期政権を狙い、将来の代表としての英才教育が始まったと見るべきだろう。

環境大臣 小沢鋭仁55歳。東大法。

消費者・少子化担当大臣 福島みずほ、53歳、参院。東大法。国民を守る、生活を守ると唱えて来た福島氏にはピッタリ。福島市の喜び様は些か欣喜雀躍の観あり。出来たばかりの消費者庁をどのような活動をする役所に育てるか、責任重大。

総務大臣 原口一博50歳。東大文。タレント並みのテレビ登場だが、官僚を納得させるだけの勉強をしているのか、不安あり。省庁の無駄もさることながら、都道府県・市・町等の無駄も同時に洗い出し大掃除する必要がある。さもないと、如何に国レベルの無駄を排除しても、底の抜けたバケツのようなものである。それまでは地方分権や道州制は行なうべきではない。

厚労大臣 長妻昭49歳。慶大法。今のような年金問題が未解決の中で「日本年金機構」の設立を認めるのか?日本年金機構の分離独立は郵政民営化の「二の舞い」になる危険が大きい。不良公務員問題と日本年金機構分離独立を同次元で検討すべきではない。

国交大臣 前原誠司、最年少の47歳。京大法。ダム、高速道路、石油税等々難問多し。

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鳩山人事始まる

   岡田外務、菅副総理兼国家戦略相&小沢氏人事権を掌握 [2009.9.5追記] 昨夜、官房長官に平野博文氏の内定を発表し、今日、岡田氏を外務大臣、菅氏を副総理兼国家戦略質担当大臣、に内定したと発表した。鳩山代表は8/31「人事は16日に発表する」と秘密厳守を強調していた筈だが、日を追う毎に人事の漏れが酷くなっているように感じているのは私だけではあるまい。しかも権利の二重構造が懸念されている中で、小沢氏は「国会や党のことについては、人事も含めて幹事長に任せるからしっかりやってくれ、という結論だ」と会見した。「結論だ」という発言に小沢氏の傲慢な人間性だけでなく鳩山・小沢会談の様子さえもが垣間見えるが、何故にこのような重大なことを鳩山氏は小沢氏に発表させたのだろうか?この発表は総理大臣に指名される鳩山氏が先に行なうべきではなかったのか?人事漏洩が意図的なのかどうかは分からないが、意図的でないとすれば党内に「為にする」人間がいると見てよいだろう。それが誰であるかの犯人探しよりも、民主党は衆参420名にも達しようかという大所帯になってまとまり切れていないのかも知れない。国会が始まれば自民党は鳩山氏の故人献金問題と小沢氏の西松建設問題を徹底的に突いて民主党の混乱と連合政権の分離を画策して来ることは間違いない。それにしても金庫に加え人事権まで小沢氏に渡して総理大臣が務まるのだろうか?政権発足前にしてこんな統制の利かぬ有り様では鳩山政権は大丈夫なのか、と懸念する。

  鳩山人事、小沢幹事長 民主308:自民119という民主大勝利の立役者、小沢氏が再び表舞台へ登場  [2009.9.4記]した。小沢氏がいなければ鳩山総理誕生は無かったことは火を見るより明らかで、そういう意味では最大の功労者である小沢氏が幹事長に就任することは、普通に考えれば至極当然な人事であると言える。しかし、秘書が西松建設問題(政治資金規正法違反容疑)で法廷闘争となっている身である小沢氏であるだけに何や彼やと姦しくなるのは已むを得ない。そういう情勢下で鳩山氏は小沢氏を、党内の「重し役」として遇するのか、自公に対する「睨み役」として遇するのか、単に名誉を以って遇するのか、処遇について非常に興味を持って見ていた。小沢氏の遇し方一つで政権に対する鳩山氏の考え方が見えて来る。来年の参議院議員選挙の目標が単独過半数である以上、鳩山氏としては名誉職よりも対内対外的に実質的な権力を付与することを選択し、直裁的に幹事長職を以って遇する決心をしたのだろう。友愛を唱える鳩山氏が、いつの時代にも両刃の剣であり続けて来た小沢氏を如何に使いこなすのか、見守りたい。

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「人の死」と臓器移植医療

「人の死」   6/18、臓器移植法改正案が衆議院を通過した。「脳死」を「人の死」とする法律である。臓器移植を巡る国際環境が厳しくなりつつある中で、臓器移植だけに「生きる」ことへの望みを託している患者と家族の心証を思うと心が痛むが、人間の尊厳の究みである「人の死」を多数決で決めてよいのか、という疑問が湧くのも否めない。それだけに、「人の死」については十分に審議され国民全体のコンセンサスが得られなければならない。だが、今回の衆議院は単に「多数決」で決めた感が強く審議を尽くしたとは到底言い難い。良識の参議院はどのような判断をするのだろうか?母親は子供が幼ければ幼いほど本能的に自分の「分身」として感じている。意識が無くとも、呼吸していることが確認できれば本能的に「生」を感じ取っている。意識が無いなのではなく「長い眠りについている」と考える。奇跡を待つのは、人間としての偽らざる気持ちであるし、また臓器機能の不十分ささえ解決できれば長生きできることが判明している場合、臓器移植を願うのも偽らざる親心である。臓器移植医療は、交通事故等の不慮の死によって突如失われる健全な臓器を何とか生かすことは出来ないか、という医学的医療的発想と健全な臓器を求める患者の願いによって生まれ発展して来た。その根底には「人は死んでも暫くは臓器は生きている」という観念があるのだが、何を以って「人の死」とするか、非常に難しい問題である。昔は心臓が停止後、「通夜」を挟んで24時間、遺族らが見守ってから葬儀が行なわれた。肉体の死亡を確認するための儀式のようなものだが、イギリスには心臓停止後4日目に生き返ったという事例もあるらしい。日本でも葬儀の最中に棺桶の内側から「コツコツ」と叩く音を聞いて生き返った例を聞いたこともある。まだ、理屈で解明されていない霊魂の世界が残っているのかも知れない。臓器移植というのは医療行為である。医療とは人間の機能の低下あるいは失われた機能を回復することである。臓器の機能低下に対しては医薬品の使用や患部摘出や治療の外科手術が行なわれる。失われた機能を回復するために「臓器移植」が行なわれるのであるが、本来、医療行為のための代償として他人の命が利用されることには多くの問題があり、医療のために「人の死」が論じられることはあってはならない。本来であれば、病んだ臓器の交換はES細胞等による「再生臓器」や「人工臓器」によってなされるのが本当の医療であろう。政府は早期実現に向けて大規模予算を投入すべきである。近い将来、再生医学が発達し脳細胞の再生さえも可能となるかもしれない。そう考えると、「人の死」を代償にして行なわれる臓器移植医療は本当に医療と言えるのか?という原点に戻る。脳死という脳機能の障害あるいは喪失がどの範囲に起きているのかも、重要な意味を持つ。脳は、大脳、中脳、小脳、視床(意識・感覚・脳波)、視床下部(情動・行動)、扁桃体(価値判断)、海馬(認知・記憶)等に別れ、更に前頭葉、後頭葉、側頭葉、脳梁、延髄、脳幹(睡眠・覚醒)等の部位があり、それぞれに役回りを持っていることが判明している。これだけの機能を有する脳の「死」とは何を以って言うのか?「脳死」を定義することは極めて難しい。狭く限定的に解すれば、いずれ近い将来、脳の一部の機能を移植することも認めざるを得ないことになるだろう。そうなれば、極限まで拡大し大袈裟に表現すれば、人間が入れ替わるような、まるでサイボーグ人間の世界が現われることになる。「脳死」を認めることは、肉体と脳が合法的に分離して存在し得るようなことさえも予想される。本人の意志に基づく臓器提供は肯定できるが、「死者からの臓器移植」については、本当にこれで良いのだろうか?国会議員の判断レベルを遥かに超えているようにも思えるが、それだけに慎重熟慮が求められる。

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正義を語った鳩山邦夫氏

政治家と正義

  [2009.6.16追記] 昨15日、「正義の鳩」が一声鳴いて総務庁から元気に飛び去った。一部数名の政治家が、「政治は民間会社のトップ人事に口を挟むべきではない」と如何にも正当らしそうなことを言って鳩山氏を公然と批判していたが、そんなことはない。一年ほど前、日本銀行総裁人事を巡って散々揉めたことは記憶に新しい筈だが、実は日本銀行も株式会社である。一応独立した民間企業であるが、株主が政府(財務大臣)であり特別法によって運営されている点において日本郵政も同じである。一方には散々口を出しながら、一方には口出しをすべきではないという論法は政治家特有の詭弁、屁理屈である。そしてこのような問題が発生すると必ず登場するのが「公平」「無私」をうたい文句にする「第三者委員会」(名称は「郵政民営化委員会」等様々)であるが、この委員会というのが曲者である。大抵、と言うより殆どが煮ても焼いても喰えない。有識者という名の下にメンバーの過半数が体制側委員で構成されているという偏向した組織である。例えば、郵政民営化委員会議長の田中直毅は財界が小泉純一郎元総理のために(と言われている)退任の際に創設したシンクタンク「国際公共政策研究センター(小泉氏は顧問)」の理事長である。このような濃い色の着いた委員会に公平・無私な結論(諮問案)を期待する方が無理だろう。従って、半官半民である日本郵政㈱の公正・不正のチェックを総務大臣が行なうのは所管内のことで、不正があれば経営トップの責任を質すことは当たり前である。それを、所管の総務大臣からチェック権を奪い取るような無茶苦茶な論法によって鳩山氏を更迭したことは、鳩山氏が口にしたように、裏に「巨悪」が隠されているような後味の悪さが残る。鳩山氏が言う「巨悪」とは何か?

  [2009.6.4記] 鳩山大臣は、日本郵政の西川社長を再任することは「正義」に反する、と強く言い切った。その通りである。郵政会社を適正に健全に民営化するためには西川社長は替えた方が良い。再任することは、折角、白紙撤回させた「かんぽの宿」払い下げ、即ちオリックスとの出来レースを復活させることになるし、利に群がる郵政族議員の息を吹き返させることにもなりかねない。国民の財産である郵政資産を政局の材料にする政治家に「正義」を期待する方が無理かも知れない。政局を政治と思い違いしているような人間に投票した有権者の責任でもある。古来、正義を語った政治家は極めて少ない。しかし、ごく最近の短い間に東西で「正義」が語られた。ブッシュ政治の大きなツケを背負い込まされたオバマ氏、小泉政治の重大なツケを背負い込まされた鳩山氏、二人が大きく吼えたのである。政権を勝ち取ったオバマと政権が転げ込んで来た麻生・鳩山という違いはあるが、共に前政権の過ちを正そうとする強い思いが伝わって来る。過ちを改めるには、「どうしてもこれだけは国民に訴えて、政治と国民の価値観を正さなければならない」という信念が「正義」という発言になったのだろう。「正義」という名前の政治家は大勢いるが、正義を語る政治家が鳩山総務大臣一人しかいないことが、わが国の政治に利権を蔓延らせ駄目にして来たそもそもの原因である。選挙とは、「正義」の候補者に投票することが、有権者の子々孫々へ伝える責任である。

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WBC優勝、9回裏の原采配は疑問

侍ジャパン、WBC優勝   幸いにも優勝出来たから良いようなものの、9回裏の原采配は間違いだった。9回表の段階では3対2で日本が勝っていた。このまま9回裏に入る訳だが、誰もが8回途中で登板した杉内投手(防御率0.00)が投げるものとばかり思っていた筈だが、原監督は何を思ったか、杉内を引っ込めダルビッシュと交代した。あの場面で走者を塁に出すことは引き分けか逆転を意味する。ダルビッシュは時々崩れるが、大丈夫だろうか?一瞬、一抹の不安が過ぎったが、悪い予感が当たってしまった。ダルビッシュはあろうことか、一番バッターと二番バッターをフォアボールで塁に出した。一瞬の内にノーアウト一塁、二塁という最悪の事態を招き、結果として二塁走者が帰って延長戦となった。幸いにも延長10回表にイチローのヒットによって2点が追加され優勝出来たが、やはり9回裏のあの場面では防御率0.00の杉内に任せるべきだった。それで万一延長戦になれば、10回裏からダルビッシュに賭けざるを得ない、という流れであろう。ダルビッシュが凄い投手であることは認めるが、一点差で迎えた9回裏のプレッシャーに負けたのはダルビッシュの若さ、未熟さ以外の何物でもない。杉内が9回裏を0点に抑えていればイチローの鼻高々の奇跡も起きなかった。9回の采配を見ていて、原監督は優勝投手の栄冠を杉内にではなくダルビッシュに与えたかったのではないか、と思わざるを得ない。原監督は「監督として絶対やってはならない」ミスを犯したとしか見えなかった。原監督には一段の精進を期待したい。

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組閣後見えたものは、暴言?妄言?失言?…辞任。

組閣後見えたものは、暴言?妄言?失言?…辞任  

  中川財務大臣辞任

    [2009.2.17追記] ローマで開かれた先進7ヵ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)終了後の記者会見の中川大臣の無様な有様は、まるで晩年のロシアの初代大統領エリツィンの泥酔い振りを見るようであった。晩年のエリツィンはウォッカ中毒だったようで、のべつ幕なく呑み耽っていたようである。会見をドタキャンしたり、しどろもどろの会談をしたり、滅茶苦茶だった。今回の中川大臣の会見はそのエリツィンに勝るとも劣らない言動である。帰国後も、辞めないと言ったり、予算成立後に辞めると言ったり、思考錯乱状態が続いていたようだが、今夕になって「体調不良により」と辞任した。「風邪薬の所為」と言っているが、ロシア財務相との会談の際のあの赤ら顔は酒の所為としか見えない。「北海の羆(ひぐま)」と呼ばれた大酒呑みの親父中川一郎の血を受け継いで酒好きのようだが、ローマG7の一件は国の恥曝しである。世界大不況の中の最も重要な政策決定に真摯であらねばならぬのに、この無責任さ、自堕落さは庇うに足りぬ。これで居座りを許したら、「日本には人が居ないのか?」と嘲笑われるだろう。鳩山総務大臣のような三代目議員もいるので、この理由を二世世襲に求めたくはないが、触れずにはいられない。大体、二世議員というのは「政治を家業」と思いこんでいるのではないか?家業なれば、少々真剣味が足りなくても、少々自堕落な姿を見せても、少々横柄傲慢であっても、地元の支持者たちは大目に見て許して呉れるし、さして恥ずかしいとではない、とでも勘違いしているのだろう。先代が営々と築き上げた地盤を何の苦労も無く承継して得た安定票が任務と責任に淡白な「二代目政治屋」を誕生させているのである。更に悪いのは一体に不勉強であり、善悪正義の哲学が無い。こんなことで日本は大丈夫なのか?今度の選挙では国民は「政治家」に投票しなければならない。

  中山国交大臣辞任

    [2008.10.5追記] 10/4、中山元大臣は引退を表明した。議員引退は当然だと思うが、中山氏はそれなら「何故、大臣就任を受けたのか?」その理由を聞いてみたい。同時に麻生総理には、政策実行のリーダーシップを執らなければならない大臣職に、次の選挙には立候補しないという人を「何故、据えたのか?」と聞いてみたい。「辞めるのが判らなかった」では済まされない問題である。安倍・福田政権そのものが政治空白のようなものであったために国民の正常な感覚が麻痺し、大臣職の辞任空白くらいは大したことでないような錯覚に陥っている気がする。事務方現場の混乱を惹起するという点では、大臣の突然辞任の方が遥かに大きな政治空白を生む。任命責任とは重大なものである。  

    [2008.9.28追記] 中山大臣、9/28辞任。彼は辞任を覚悟した上での発言だったようである。であれば、暴言でも失言でもない。もっと性質(たち)が悪い確信犯ということになる。日教組は議員辞職を求めているようだが、正論である。折角、支持率が上がってもう一息、という思いだったと推測される麻生総理の顔面にクシャーッと苦みが走った表情が目に浮かぶ。それにしても、就任5日目での辞任には何故?という疑問が湧く。多分、本人は日教組を潰すために文科大臣になりたかったのが、畑違いの国交大臣で不満だったのではないだろうか?こんな人が文科大臣でなくて良かった。5日で人物が判って、むしろ麻生政権にとっては不幸中の幸いだったと言えそうである。それにしても料簡(りょうけん)の狭い人だ。

  官僚としても政治家としても失格 、でも大臣

   [2008.9.27追記] 中山国交大臣とはどういう人なのか?今日は宮崎で、「日教組をぶっ壊す」とあたかも日教組を「親の仇」かの如く感情的に罵っていた。無論、憲法が保障している思想・信条・結社・団結等の自由は承知の上での発言だろうが、GHQ支配下の戦後教育を受けた人の中に、これほどの偏向・頑迷固陋の人がいたことに驚いた。かって文科大臣(2004)の頃に余程痛みつけられたのか、あるいは鬱々と屈折した感情の持ち主なのか、積もる恨みが突然暴発したように見えたが、いずれにしてもこのような資質の人がキャリア官僚として政策立案に深く関与していたことは大問題である。早急にキャリア制度の抜本的見直しが必要である。流石の鳩山総務大臣も「解散が出来なくなる」と焦燥に駆られている模様である。麻生総理も腹の中では「トンデモナイ人を任命させられたものだ」と悔やんでいることだろう。それにしても選挙民は、こんな偏狭・偏屈な人間をよくぞ当選させたものである。只々、呆れる。今度の選挙では、人物・識見の優れた人に投票するよう、心すべし。

  妄言大臣と二枚舌大臣

  [2008.9.26] 組閣翌日の9/25、あろうことか二人の大臣からトンデモナイ発言が飛び出した。一人は中山国交大臣、もう一人は舛添厚労大臣。中山大臣は、アイヌ民族を無視した「単一民族」発言、成田空港建設反対者に対する「ゴネ得」発言、日教組大分に対する誹謗発言の三つ。東大法卒の旧大蔵省キャリア官僚から代議士になった頭脳明晰な人の筈だが、一度の会見で三つの失言をやらかすとは!奥さんの中山恭子拉致担当首相補佐官の方は安心して見ていられるが、旦那の方は何という不見識・非常識な人だろう!当選6回、文部大臣の経歴もあるベテランであり、数少ない非世襲議員ということで期待していたが、これでは真面目に議員を務めていたとは思えぬ。大臣は無論のこと、議員としての資質があるとは思えない。即刻辞任すべきである。舛添大臣も非道い。後期高齢者医療制度について組閣前日に麻生総理共々「75歳で切る合理的理由がないから全面的に見直す」ような発言をしていたが、公明党と自民党議員からの批判を受けて前言を翻してしまった。一体、あの発言は何だったのか?身勝手な猟官運動だったのか?それとも総選挙向けのアドバルーンのつもりだったのか?「舛添の二枚舌」と言われても仕方あるまい。こんな体たらくでは、どうも麻生内閣も期待出来そうにないようである。麻生総理大臣閣下、ボロが続かぬ内に、サッサと解散する方がよろしいようですぞ。

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被害者参加裁判制度に思う

被害者参加裁判制度   被害者参加裁判制度(2007313日閣議決定)2008121日に発効し、今日123、初めての被害者参加裁判が行なわれた。これまで、被害者本人が死亡している場合、加害者の人権ばかりが論じられ、被害者本人と遺族や周辺の人権が軽んじられる傾向があった。この制度によって、被害者の人権と遺族の権利に光が当たったことは評価できる。しかし、裁判員裁判制度同様、法律の専門家ではない人たちが裁判に同席し加わることによって被害者側の激しいい感情が罪刑の軽重判断を左右しかねない危険性もある。また、日弁連などが指摘しているように、

          被害者や遺族の負担が大きい

          法廷で犯人(被告)から逆に落ち度を追及される恐れがある

          参加しなかった場合に、処罰感情が薄いと受け取られかねない

          裁判終了後や服役後に犯人(被告)から報復される危険がある

    といった点が懸念される。名古屋市で起きた「裏サイト」殺人(磯谷利恵さん)事件の犯人たちを見ても分かるように、犯人の中には反省心が全く無い者もいる。彼らの威嚇的表情や目付きや言動等によって、参加した被害者や遺族の中にはPTSD(Post- traumatic stress disorder心的外傷後ストレス障害)に罹(かか)る人が出る恐れもある。また、これらを微に入り細に渡って不用意に報道するメディアのあり方も検討されなければならない。特に、執行猶予や短い年数を服役の後、犯罪者が社会に放出された場合、これらの犯罪者からの報復が最も懸念される。これらを解決するためには、これまで以上に警察の防犯機能(迷惑行為等に対する防犯出動等)を拡大して備える必要がある。同時に、被害者・遺族との接触禁止等の監視制度等の法的整備も必要となるだろう。これらはそっくり裁判員裁判制度の裁判員にも当てはまる問題点でもあるが、検事側に被害者・遺族の代理人として弁護士を付ける仕組みを考えてみてはどうだろうか。そうすれば、裁判が偏る懸念も解決されるし、被害者・遺族も別室で裁判状況を見ながら代理人と意思の疎通を図ることもできる。更に、犯罪者と直接向き合うことによって懸念される危険も減るだろう。いずれにしても早急に国民のコンセンサスを採る必要がありそうだ。

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派遣元会社と派遣先企業と派遣労働者

派遣元会社と派遣先企業と派遣労働者   最近の経営者の質は低下したものだ。私は昔、323年前の大不況の最中、当時は派遣業の会社というのは存在せず派遣社員なるものも存在しなかったが、東北のある工場の閉鎖業務に関わったことがある。経営者の考えは11月閉鎖というものだったが、地元の職安に求人状況を聞いたところでは求人率は「1.0」を切っていた。閉鎖工場の従業員の年代では「0.60.7」くらいしかなく、予定通り閉鎖すれば殆どの従業員は無職のまま正月を迎えることが懸念された。そこで経営者に掛け合って「社員を路頭に迷わせたまま正月を迎えさせるのは上場会社として如何なものか」と説得し、閉鎖の時期を数ヶ月延期して貰ったことがある。お陰で不安の中ながらもお正月だけは平穏に迎えさせることが出来た。昔の経営者には道義心があったが、最近の大企業の経営者には道義心が希薄であるように感じるのは私だけではあるまい。労働契約も「一年以上」の労働契約は無効で、連続して更新すれば「期間の定めなき労働契約」と看做されていた時代で、労働者を解雇することは極めて難しかった。現在は、労働基準法が改正され、労働契約の期間も「3年まで」認められ、殆どの企業が派遣会社を通じて派遣労働者を手配している。派遣労働者は派遣会社と「役務は派遣先企業に提供する」という雇用契約を結び、派遣会社が派遣先企業と「役務提供」の契約を結ぶという変形労働契約形態を採っている。従って、派遣労働者は役務提供先である派遣先企業との間には直接的雇用契約は存在せず、派遣期間内の契約の中途打ち切りは派遣元会社と派遣先企業との間の合意解約として処理される。当然、派遣先企業には派遣元会社への債務不履行が発生することになり、派遣先企業は、派遣元会社に対して損害賠償の責め(違約金の支払い)を負わなければならない。従って、派遣先企業は派遣元会社に対して「中途解約金」を支払っている筈だが、そこら辺りの報道が全くないのはどうしてだろうか?派遣労働者に対して労働基準法上の責任を負っている派遣元企業は派遣先企業から得た違約金を元に派遣労働者に対して補償を行なわなければならない筈だが、どうなっているのだろうか?労働基準法が定めている解雇予告手当や帰郷旅費、更に慰謝料的違約金などの損害金の支払いがあって然るべきだと思うが、支払われていないのだろうか?派遣労働者の所持金の異常な少なさが報道されるたびに疑問を感じている。

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パンダは中台問題の「大団円」か?

「団団」と「円円」   中国が台湾に雌雄のパンダを贈呈した。雄の名前が「団団(トゥワントゥワン)」、雌が「円円(ユアンユアン)」。如何にも思わせ振りな名前である。二匹を合わせると「団円」となる。「団円」とは「円満にまとまること」「終わり」「終結」という意味であるが、二匹のパンダの名前に「中台問題の終結」を示唆しているのだろう。5月に親中国派の馬英九国民党政権が誕生してから急速に台中融和が進行しているかのように見せかける政治的パフォーマンスであることだけは間違いない。台湾独立の歴史は古い。パンダ二匹で片が付くような話ではないので、独立派の動きが気になる。年明け早々、一波乱起きなければ良いが…。

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「ホワイトハウス」を「カラフルハウス」に

ホワイトハウス〖The White House〗   アメリカの首都ワシントンにある大統領公邸。大統領一家の居住区と政府中枢機能を有する建物からなる。正確には「The White House」というらしい。日本流に言えば永田町にある「首相官邸」のようなものだが、その実態は想像を超える。一般的には隣接したウエストウイング、イーストウイング、アイゼンハワー行政府ビルを含めた「大統領府」とその敷地を指すそうで、地上3階地下10階建て、核シェルター、公園も備えているというとてつもない行政府である。アメリカ合衆国政府」、「時の政権」、「ホワイトハウスのスタッフの総称」として使われることもある。白亜の宮殿であるところから「ホワイトハウス」と称しているようだが、「WhiteHouse というのはそのものずばり「白人」の家という意味にもなる。ほんの数十年前まで、街中に「white」とか「officer」とか「black」とか「Colored」という差別札が溢れていた国であることから考えても、命名に白人優位を知らしめる意図があったであろうことは想像に難くない。(当時は稀に日本人は「officer」待遇を受けることはあったが、他のアジア人同様「Colored」扱いで入場拒否の店も多かった。)要するに、有色人種が大統領官邸に住むことなど想像だにしていなかったのである。現在は差別の象徴というイメージを薄める意図か、館内には部屋名にルールーム(Blue Room)、レッドルーム(Red Room)、グリーンルーム(Green Room)、イエローオーバルルーム(Yellow Oval Room)、ゴールデンルーム(Golden Room)など、色を付けた名称があるようだが、それでもブラックルーム(Black Room)という部屋だけはない。そういう意味では、史上初の黒人大統領バラク・オバマ一家の入居を機に白亜の宮殿をカラー化したらどうだろう。ホワイトハウスという呼び名もエコ時代を象徴して「グリーンハウス」とでも変えたらどうだろう。世界へ向けて、これに優る強烈な「Change」発信はないだろう。

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よく似た二人、橋下と上祐

橋下知事は「ああ言えば…、上祐?」   大阪府知事の橋下徹という人は、何かと物議の多い人である。「ああ、言えば、こう」、「こう言えば、ああ」と、全く口が減らない。「クソ教育委員会野郎」と罵詈雑言、「気に入らないなら辞めろ」とパワハラ暴言、自分は言いたい放題の勝手し放題にも拘らず、他者の批判には耳を貸さず、むしろ目を剥き、口角泡を飛ばして倍返しの反論をする様を見ていて、「昔、同じような人がいたな」と思い出した人がいる。その人の名は、「ああ言えば、上祐」と捩(もじ)って呼ばれた、オーム真理教の広報トップだった上祐史浩である。彼も32,3歳だった。年恰好も似たようなものだし、パワフルな脅し口調かと思えば、突然、涙っぽく萎れ、かと思えば、再び髪を振り乱して怒鳴り始める。若い人は知らないかも知れないが、話し振りといい、身振り動作といい、目を据わらせて一人を睨み付け、吠えるような大声でマシンガンのように捲くし立てる橋下氏の姿は、彼にダブって見えて来る。まるで錯乱状態に陥っている狂者を演じる名役者である。「口八丁」を活かせる弁護士稼業を選択したのは流石だが、説得することも重要な役務である弁護士には見識や論理性は必要ではないのか?それとも、そういうものが必要でない弁護士だったのか?彼はよく自らを企業の「社長」に例え部下を「社員」に例えて喋るが、行政の首長と「社長」を、公務員と「社員」を比較しても意味がないことを百も承知でおりながら、敢えて強弁するということは大阪府民に対する詭弁あるいは詐言としか言い得ない。府民討論会をテレビで見たが、あれを「討論会」と言うのか?討論会に名を借りて、自らの暴言を正当化しようとしているだけではないか!

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プライオリティーは「合理性」か?

プライオリティー〖priority〗  優先順位、優先権、優先事項と訳されている。「○○が××に優先する」ということだが、意味を取り違えると、目先の小手先的処置、所謂「パッチワーク」処置を良しとし、本質を見失ってしまう危険性がある。要は、「何」を優先の基準とするかということが重要なのである。一般的には「緊急性」に最大のプライオリティーを置くことが多く、応急性と恒久性が問われることになるが、緊急性の中身は「生命」や「安全」で、それらを基準に優先順位を決めることになる。しかし、基準が所謂「人間」に置かれている限りにおいては良いが、企業とか組織とか権限者の「恣意的利害」、即ち「利害」や「保身」に置かれた場合には致命的悲劇を招きかねない。住においては、居住者の生命や健康や資産保持に「安全」と「安心」が最優先されなければならない。食においては、消費者の生命や健康に「安全」であることが最優先されなければならない。企業とはその存在が社会によって容認され歓迎されるものでなければならない。そのための企業活動の最優先事項は「社会正義」であり、「企業の存続」であり、「雇傭の保証」でなければならない。同じことは行政組織・機構にも言え、最優先事項は「国家の安泰」と「国民の生命・生活・福祉」でなければならない。ここ数年、次々と明らかになる企業や官僚の「偽」行為は正しくそれに違背して発生したものである。先ず何よりも人間の「安全・安心」を最優先することが、行政・企業の公器としての良識であり責任でありながら、企業経営者はプライオリティーを「利益」に置き、官僚組織はプライオリティーを「国民」に置かず、天下り先を含めた官僚組織の温存に置いているところに因がある。それによって滅ぶこともある企業は自浄化作用が働いて復活することもあるが、滅ぶことのない行政組織には自浄化作用も働かず微動だにしない。自然界は滅亡を目前にすると、生き残るために「自立的変化(自浄化作用)」を起こして環境に適合して行く能力を持っているが、官僚機構・組織に自浄化作用が働き難いのは「滅亡」がない所為だろうか。同じ人間が官に属すか民に属すかだけでこうも変わるのである。官僚機構に正しいプライオリティー思想を期待したいものだが…。

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学術誌「PTP」(理論物理学の進歩)が廃刊寸前らしい

学術誌「Progress of Theoretical Physics」が廃刊寸前   10/9付け読売新聞によると、ノーベル物理学賞を受賞した小林誠氏や増川敏英氏が論文を発表した学術誌「Progress of Theoretical Physics(PTP:理論物理学の進歩)」が廃刊の危機に瀕しているらしい。この学術誌は1946年、敗戦後の紙不足の中、「日本の研究成果を海外に発信するため英文の学術誌を出そう」という湯川博士の呼び掛けで創刊されたものだそうで、HPを見ると、現在は基礎物理学研究所と日本物理学会の刊行事業として運営され、「素粒子物理、場の理論、原子核物理、固体物理、統計物理、天体物理、宇宙論など理論物理の全ての分野および実験物理のオリジナルな投稿論文を審査し掲載している」そうである。発行部数は800部と少ないが、日本発の学術月刊誌として理論物理学者の貴重な論文発表の場となっているようである。購読者は欧米など世界中におり、論文は世界中の研究者に引用されているとのこと。だが、発行経費が6000万も掛かり、年間100万ほどの赤字らしい。赤字の原因は数年前までは3000万ほどあった助成金が年々削減され、現在は1600万まで減らされたことが最大の要因であるらしい。「居酒屋タクシー」代一ヶ月分もあればお釣りが来るくらいの、微々たる予算を削るとは、わが国の政治のレベルの低さと政治家たちの意識の貧しさを象徴するような話ではないか。しかも、廃刊寸前という事実は、一度に4人ものノーベル賞受賞者を出した日本の恥でもある。益川敏英氏は受賞決定後の記者会見で、「研究成果が海外で客観的な評価を受けるため、日本人が主となって運営し、世界に通用する学術誌を持つことは非常に重要だ」と強調し、安定して発行できる助成制度の必要性を訴えていたそうだが、正論である。頭脳流出組ではない受賞者の発言だけに一層切実さが伝わって来る。今回の受賞を機に、運営を京都大学の一機関に委ねるのではなく、文部省直轄の独立行政法人として、物理学・理化学・医学等、分野を拡げた「日本最高の学術誌」として強化することを考えてはどうか。わが国は大学の研究機関だけでなく産総研や原研など世界に冠たる研究機関も有している。それらとともに、頭脳流入を企図することが頭脳流出を止め、将来の日本の活力の基を築くことになるのではないか。

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福田総理、あなたもか!突然の辞任会見

福田総理もサプライズ辞任   91日午後9時半、僅か1年足らずの政権であったが、福田総理が突然の辞任会見を開いた。辞任の決断は830日にしたということだが、派閥の親分である森総理が26日の「モンゴル場所」の大統領晩餐会に顔を出していたことから推測すると、その頃には既に腹を固めていたのではないだろうか。しかし、7月下旬に自前の内閣を組閣したばかりにもかかわらず、一度も国会を開かないうちに総辞職するというのは、国民の目から見れば安倍総理に続いて余りにも国民をバカにした無責任過ぎる政権であると言わざるを得ない。政局的に見れば、公明党の反対により新テロ特措法の延長が難しくなったこと、依然として解決の芽が見えない年金問題、混迷を続ける後期高齢者医療制度、進展しない北朝鮮問題、燻り続ける中韓の領土問題、新たに発生した太田農水大臣の事務所費問題、等々によって福田総理自身が解散の時期が早まったと判断せざるを得なくなったことが、自分の手で解散をしたくない福田総理に辞任決断を早めたという見方も出来る。しかし、自公の、と言うより国民審判をノラリクラリと避け続けて来た森派閥の政権への執着心の強さが、国民の意識との乖離を促し、徒に砂上の楼閣か「砂の彫刻」のような危うい政権をギリギリまで引っ張り続けたとも言える。国民の信任を得ていない、砂上の楼閣というより「砂の彫刻」みたいな地盤も骨組みもしっかりしていない政権がいつまでも崩壊しない方が奇怪しい。見方を変えれば、ここで崩壊したということは却ってわが国が健全であることを証明しているとも言えそうである。されど、国会開会直後の安倍総理に続いて、国会開会直前に福田総理までも突然の辞任とは…。いみじくも幹事長がいずれも麻生氏であるのは偶然か?皮肉か?はたまた必然か?総理総裁に意欲を燃やしている麻生氏にしてみれば、何の仕事もしない内に、幹事長としての責任を問われることだけは避けたいだろう。小泉郵政解散後、国民の審判を経ていない政権が安倍、福田、?(多分、麻生氏)と三代続くことになるが、国民に対し無責任どころか、国民無視も甚だしく、本来であれば総辞職ではなく、解散でなければならない。それが憲政の王道である。解散をしたくない人が総理大臣に居座ることが出来るところに、言葉を変えれば自公の専横政権を認めて来たところに、この国の政治の不健全さあるいは貧困さ・未熟さがあることを知らねばならない。

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北京五輪閉幕

北京オリンピック閉幕   88日、中国らしい壮大な華麗さで始まった北京五輪が24日、何事もなく無事に閉幕した。何はともあれ、メデタシ、メデタシである。日本は金9610の成績、男子よりも女子の頑張りが目立った五輪だったが、この成績を良しとするかしないか、選手、国民夫々に夫々の思いがあるだろう。メディアが煽った「力以上」の選手にとっては苦しい大会であっただろうし、メディアが無視した「力のある」選手にとっては楽しく競技に専念出来た良い大会であった筈である。個々の競技の内容については開催国中国の躍進に驚かされた。オリンピックになると、水泳競技には必ず毎回フェルプスのような怪物が現われるが、今回の最大の怪物は「SPEEDO社」であろう。同社の水着によって新しい時代の幕が開き新しい記録のスタートとなった。次回のロンドン五輪には「産業の祭典」が加わるだろう。そもそもオリンピックというのは、古代オリンピックにおいては「走る、投げる、飛ぶ、闘う、耐える」という個人の能力や技を競う大会に発しており、個々のアマチュア・アスリートたちにとって最高の祭典であった。従って、金メダルは到達点であり、ボクシングのように金メダルを獲得してプロに転向する者も多かった。しかし、多くの団体競技が加えられて種目も増えてからはプロとアマの境界も微妙になり、「連覇」を目指す選手が増えプロ化した。団体競技はどうしても「国の代表」という面が強調され、オリンピックは「民族の祭典」という一面も持って来る。民族対民族、国家対国家、という思想はアマチュアリズムを希薄にし、サッカーや野球のように最初からプロを選出するという流れを造る。プロであるから一定レベルにあることは間違いないが、監督やコーチの個人的感覚で選手が選ばれるという制度には問題があるし、それ以上にアマチュアに対しオリンピックの門戸を閉ざしたことになる。次回のロンドン五輪から野球はオリンピック競技種目から外れたが、将来、再び採用されないとも限らない。そのときは、プロアマの線引きは難しいが、少なくともサッカー、バスケットボール、野球のプロ選手くらいは除くようにしないと駄目だろう。最近のオリンピックは、クーベルタン男爵が「参加することに意義がある」と唱えた思想からは隔たり選手のプロ化を促進させたばかりでなく、「政治の祭典」か「興行の祭典」のような観をも呈して来ている。特に北京五輪はまるで胡錦濤国家主席主催の「北京五輪サミット」か「中華多民族国家の祭典」のような観だった。にも拘らず、平和の祭典である筈の北京五輪の開幕と同時に、その陰ではロシアのグルジア攻撃が始まり、チベットやウィグル地区の民族内紛が明らかになった。しかし、それも報道管制が敷かれ耳目を封じられてしまった。テレビでは「オリンピックを東京へ」というキャンペーン広告が流れているが、こんなオリンピックを呼ぶ意義はあるのだろうか?

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「安心実現」ではなく福田「ふよう」内閣

「安心・失言」内閣?

  [2008.8.11追記] 麻生幹事長の失言から日も置かず、早くも懸念していた通りのことが起こった。暴言前科のある太田農水大臣が北京五輪真っ最中の10日、NHKの番組で食の安全についての質問に「消費者はやかましいから…」と業界を擁護するような発言をしたことが党内外で物議を醸している。国民の耳目もメディアもオリンピックに向かい、新内閣の動向に向いていないのが幸いしているようであるが、消費者庁を創って「消費者のための行政」を目指そうとしている福田総理にしてみれば、何とお粗末な大臣を任命したものか、と自虐・落胆していることだろう。次の失言・暴言大臣は誰か?

  [2008.8.7追記] 麻生幹事長の舌が滑らかだ。「一遍、民主党に政権を任せたら良い」という人がいるが、「任せたばかりにナチスが生まれた」歴史を学ばなければイカン。民主党が政権を獲ったら国民は不幸になる、と言いたいのだろう。これでは鳩山幹事長が怒るのも無理はない。かと思えば、7日、「800兆円の借金があって大変だと言うが、あれは総負債だ。純資産(=総資産-総負債)は十分あるだろう」と喋ったらしい。ならば清算して、金利をヨーロッパ並みに引き上げたらよい。超低金利政策はバブル処理のための策だった筈である。どうも今度の内閣は失言前科者など舌の軽い面々が目に付いていたが、早くも「安心実現」と言うより「安心・失言」内閣と呼んだ方が良さそうである。失言が解散を導く可能性は大のようである。

福田「ふよう」内閣

  [2008.8.3記] 福田総理が、8/1、電光石火大輪の「芙蓉」の花を添えて内閣改造を行なったこと自体は評価できる。しかし、この内閣を「安心実現」内閣と福田総理は名付けたが、何が「安心」なのか客体が茫としている点は相変わらずである。この曖昧さが福田総理の持ち味だと言う人もいないではないが、やはり国民に対してはもっと分かり易い発信をすべきであろう。山ほどの難問を内外に抱え、現在ほど政治に大きな期待が求められている時代はない。国民が政治に求めているものは、景気浮揚、生活浮揚、所得・賃金浮揚、福祉浮揚、地方浮揚、国力浮揚等多くの「浮揚」であろう。そんな中での改造だとは思うが、選挙色は窺えるものの政策色は褪せており、支持率の浮揚は見込めそうにもない。となれば、国民が福田総理に切に望むのは「福田政権は不用」あるいは「不要」ということになるだろう。自民党にとっては党員を「扶養」して呉れる内閣であって呉ればよいが、国民にとっては国民に望まれていない無為な政権なぞ最悪の政治空白を意味する。「安心実現」内閣どころか、「ふよう」内閣と言うべきである。自前政権が誕生し、やっと自分らしさを表明できる環境が整った今、政治の空白を作らないために福田総理が潔く速やかに決断すべきは「解散総選挙」であろう。

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労基法の外にある派遣労働者

派遣労働者を保護していない労基法   ワーキングプア問題が顕在化してから大分経つが、政府内に派遣業法の見直し気運が出て来たことは良いことである。政治が企業にばかり向いていたことが、経営者にとって都合の良い派遣業法を成立させ、年収300万以下のワーキングプア階層を生み増大させた原因である。その結果、購買力を弱め、将来に夢を抱かない若者や未婚者を増やし、所得税収を減らし国力を低下させている。そもそもの原因は2004年の派遣業法改正によって派遣職種の範囲が一般製造職にまで拡げられたことにある。これによって、派遣労働者という労働基準法によって保護されていない労働者階層が生まれた。即ち、労基法上の矛盾点を挙げると、

    ① 派遣業という、労基法第6条が禁止している「中間搾取」会社を例外的に認めたこと

    ② 労基法第2条が「労働者と使用者が対等の立場で労働条件を定めるべき」と定めているにも拘わらず、派遣労働者に労務提供先である使用者との労働契約締結の当事者能力を認めていないこと

    ③ 派遣労働者は、労務提供先の使用者との関係においては「労働者」として位置付けられていないこと

    ④ 従って、基準法に言う「賃金」条項の適用も除外されることになること

    ⑤ 多くの派遣労働者には労基法第7条の「公民権行使」も保障されていないこと

    ⑥ 契約期間満了とか契約打ち切りという形で労務の提供を拒否される(実質的には「解雇」と同等)派遣社員にとっては、使用者に解雇権の濫用を禁止した労基法第18条の2や解雇予告を定めた労基法第20条は全く用を成していないこと

    ⑦ 殆どの派遣労働者の場合、労基法第8章に定める災害補償を受ける権利が付与されていないこと

    ⑧ 女性については更に産前産後の休暇、育児休暇等の保障がなされていないこと

    ⑨ 正社員と同じ職場で同じ労働をしていながら派遣労働者には異なった労働条件が適用されていること

    等々、「派遣契約」という契約の違いによって、正社員と同じ労働をしていながら、ボーナスも退職金も無く、無論、厚生費や福利費も殆ど無いに等しい、労働基準法の枠外に置かれ、何の保護も保障も受けていない労働者階層(ワーキングプア)が生まれているのである。報道によると、悪徳業者のグッドウィルが日雇い派遣業から撤退するらしいが、これで解決する訳ではない。日雇い派遣業法や労働者派遣業法を廃止するか、あるいは全面改正して法整備をしない限り、ワーキングプア問題は解決できないし、また必ずグッドウィルの二代目、三代目が現われる。しかし、如何せん、遅きに失した感は否めない。

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橋下府知事、泣いたら会議にならんぜよ

泣いたら会議にならんぜよ、橋下府知事   今日17日、府内43市町村長との意見交換会の席で首長たちからの激しい反論を受けて、橋下府知事が目に涙を溜め泣き声で言葉を詰まらせながら協力を求めた映像をTVで見たが、会議の場で泣いたらイカン。味方がいないが故の腹立たしさが口惜し涙となったのだろうが、知事たる者、言動はもっと冷静に自制しなけれゃイカン。府財政建て直しのために1100億円の歳出削減という「比類無き歴史的改革」を唱えれば、殆どの首長たちから猛反発が起こることぐらい、当然、想定して置かなければならぬ。多勢に無勢であることは当選当初から判っていたことだし、彼らとどう対決するかという戦略・戦術も予め想定していなければならぬ。それを、感情で応えていては会議にならぬ。負け戦である。戦術としては、多勢には多勢で対抗するのが最良である。如何に有能優秀であっても、独りでは多勢には勝てぬ。改革を旗印に掲げて190万票もの支持を得て大阪府民を味方に付けた知事なれば、「大阪府民の声である」ことを前面に押し出して対決しリードするのが最良策であろう。橋下知事は、知事就任当初から「俺が、オレが」というパフォーマンス意識が強過ぎるようで、会議の席やTVインタビューで強圧的・感情的言動が目立つ。府職員との意見交換会で女性職員に噛み付かれたり、朝礼に対してサービス残業を強要したり、職員を「倒産会社の社員」呼ばわりしたり、給料が高過ぎるだの、人間が多過ぎるなど、怒り肩で肘を張り、対決姿勢が強過ぎた。改革の第一線実行者である職員たちを敵に廻すようでは、成るものも成らなくなる。最近、自らは「24時間私人」と称してTV出演と出演料を正当化してみたり、言動が支離滅裂になって来ている。弁護士らしい冷静さを失った開き直りはイカン。どうも橋下氏は知事職と首長と府組織を軽く見ているようだが、行政の組織はピラミッド型ではなく、逆三角形であることを肝に銘ずべし。

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シビリアン・コントロール:文民統制

文民統制〖ぶんみんとうせい:ビリアン・コントロール(civilian control of the military)

 [2008.02.28追記]イージス艦「あたご」漁船衝突事故直後の裏側が少しづつ見えて来たが、とてもシビリアン・コントロ-ルが機能していると言えるものではない。何よりも先ず、行方不明者捜索に使われるべき艦載ヘリコプターを海上自衛隊幹部や防衛省官僚との「?」打ち合わせのために、海上保安庁の了解を得ずに事故当事者を無断で呼び付けて数時間も「?」打ち合わせをするとは、人命を何だと思っているのだろうか?呼び付けたのが誰であるか公開されていないが、どうせ事務次官か防衛大臣か幕僚長辺りのことだろうと思う。事故後の現場保存が原則であることを知らない筈がないにも拘わらず、平気で現場放棄命令を出す防衛省官僚や防衛大臣の意識も「?」である。少なくとも大臣か次官のどちらかから、せめて、国交省の事故審査官や海上保安庁の人間を同席させろ、というくらいの指示があって然るべきであったと思うが、如何。こんな有様では、シビリアン・コントロールなど、夢のまた夢であろう。石破大臣も、増田事務次官も、各幕僚長も全て失格である。彼らが辞任しそうにもないなら、福田総理は早々に解任すべし。

 

 [2007.10.18記]軍の行動、活動、予算、人事等の「最終的」な命令権を議会あるいは政府に置いて軍の行動や活動を制御統制する制度を「文民統制(シビリアン・コントロール)」と言う。憲法に平和条項や戦争放棄を掲げている国は100ヶ国以上あるが、殆どの国が陸海空の軍隊を有しており、全てシビリアン・コントロール(文民統制)を制度化している。日本国憲法は第66条第2項で「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と定め、第41条で「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」と定めている。これが文民統制の根拠とされるが、補給艦の航海日誌が「誤って破棄」されたという石破発言を聞いた時、「何故、そのような証拠書類が文民管理下になく、制服組の管理下に置かれているのか」とその統制の杜撰(ずさん)さには呆れた。要するに、現在は文民統制機能は殆ど働いていないということだろう。17日閣議決定された「補給支援特措法案」は朝日新聞によると、テロ特措法以上に「ザル」のようである。特に旧法にはあった「国会の事後承認条項」が削除されていることは重大である。文民統制機能が働いている国家を敢えて文民国家と呼ぶことにするが、文民国家としては軍隊の活動に関する法律には、念には念を入れて、全てに「シビリアン・コントロール条項」を入れるべきであろう。「文民(civilian)」とは、一般的には、国民による選挙で選ばれた国会議員のことを言うので、「制服組(陸海軍の事務方も入る)」がいきなり防衛大臣になることはあり得ない。しかし過去に、自衛官あがりの中谷元防衛庁長官の例もあるように、現実には、今後も自衛官上がりの「文民」が大臣になる可能性は大いにある。中谷元衆院議員(防衛大卒陸上自衛隊二等陸尉)や、サマワ第一次派遣隊長あがりの「口ヒゲ隊長」こと佐藤正久参院議員(防衛大卒陸上自衛隊一等陸佐)も選挙で選ばれたことによって現在は「文民」ということになるが、彼らの発言・発想はとても「文民」と言えるようなものではない。中谷議員は「国民と国家は一体です」とか「テロ特措法に反対するものはテロリストだ」と発言しているし、佐藤議員は「サマワに派遣されていたとき、援護して呉れているオランダの軍隊が攻撃されたら、駆けつけて応援するつもりだった。この行為は集団的自衛権の行使にあたり、憲法違反行為になるが、攻撃に巻き込まれた自衛の戦争にするつもりだった」と発言している。双方とも、憲法を遵守すべき立場にある国会議員としてあるまじき発言で、議員資格が問われて然るべきものである。防衛大学校はどんな憲法講義を行なっているのだろうか?極めて偏向しているのではないか?と疑いたくなる。彼らの過激な発言を聞いていると、「トンビが鷹を生む筈はなく、やはり蛙の子は蛙」を髣髴とさせ、とても「文民」と言えるような発想ではない。憲法条が改正されたら、いの一番に「徴兵制度」を導入しようとするのではないだろうか。文民そのものの石破防衛大臣なども制服組に負けず劣らずであり、自衛官上がりだからとは一概には言えないが、制服組上がりを防衛大臣に据えるに当たっては慎重に願いたい。言葉だけの文民統制となってからでは遅い。

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鳩山法相発言「冤罪ではない」

冤罪〖えんざい〗   「冤」という字自体が「無実の罪。陥(おとしい)れられた罪。理由なく押し付けられた無実の罪」という意味を持っている。鳩山法務大臣が警察・検察の幹部が集まった会議の席上、鹿児島地裁の判決で12人の被告全員が無罪となった鹿児島・志布志の選挙違反事件について「(裁判が確定していないものは)冤罪ではない」という発言をした。確かに、刑罰が未確定のものに「冤罪」と言うのは「言葉」として不正確であるというのは一理あるように聞こえるが、所詮は鳩山理屈と言わざるを得ないだろう。厳密には「冤罪事件」と言うべきかも知れないが、志布志事件は、警察と検察が共同して「無実の者に罪を押し付け」、罪に「陥(おとしい)れよう」と起訴した「仕掛けられた事件」という事実は否定できない。これを「冤罪ではない」と言うのは独りよがりの「言葉遊び」以外の何物でもなく、罪を被(かぶ)されようとした人たちの気持ちを踏みにじる発言である。法務大臣としての資質が問われても仕方ないだろう。法務大臣が警察・検察トップの会議で発言するのなら、むしろ、真実を明らかにするのが警察と検察の役目であるにもかかわらず、何故、「警察と検察がツルんでデッチ上げたのか?」という事件の事実背景を詳らかにするよう求めなければならなかった。法治国家であれば、国家権力が真実と事実を故意に捻じ曲げた言動の責任はもっと大きく問われなければならない。

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防衛省大掃除

防衛省大掃除   今日12日の夕刊に「守屋色一掃を狙う更迭人事」という見出しが出ていた。「防衛省の天皇」とまで呼ばれた守屋次官ほどの実力者であれば、人事が行なえないくらいの強大な傘(派閥)になっていたのではあるまいか。しかし、守屋次官の息の掛かった一派を粛清しての組織刷新のつもりのようだが、守屋色一色を消しても、いずれ、時が過ぎ、時が来れば、必ず再び新しい色が現われて来る。大体、組織に「一色しかない」事はあり得ず、一色消したくらいでは大掃除にならないことぐらい石破大臣が知らない筈はない。少なくとも、額賀色、石破色、久間色の三色はあると見るべきであろう。一色消してもその下から次の色が滲み出て来るだけのことと見るべきである。従って、抜本的な大掃除は「色付き」を外し、無色で(いずれの派閥にも属しない)清真な人物を登用・重用することから始めなければならない。概して、強大な傘の下にいる人物というのは声も大きく、力強くも見え、やり手にも見えるものだが、多くは立ち回りが一寸ばかり秀でているくらいのものである。その点、いずれの派閥にも属さない清真な人物というのは、傘組織の下では、概してひ弱く無力に見え目立たないものである。しかし、そういう人間は然るべきポストと然るべき権限を与えられたとき、思いがけない力量を発揮することがある。防衛省内部の大掃除も重要だが、先ず手を付けるべきは「美鳩会」なる防衛省幹部の夫人の会を解散させることであろう。美鳩会なるものを存在させなければならない理由も価値も見当たらない。「害あって益無し」と思うが、如何?

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飲酒運転福岡幼児三人死亡事件判決

福岡市役所職員の飲酒運転による幼児三人死亡事故判決

危険運転致死傷罪は適用せず    8日、「訴因変更」命令を出した福岡地裁の川口宰護裁判長が出した判決は、「やっぱり!」と言うか、危険運転致死傷罪ではなく業務上過失致死罪であったが、被害者大上氏の大型RV車を歩道に乗り上げさせ、数m先の橋の手摺りを突き破って海へ転落させるほどの勢いで追突している事実認識に問題があったのではないか、と思わざるを得ない。「それ程の猛スピードで走っていたこと」「急ブレーキのタイミングが遅かったこと」という事実が明らかに今林被告が「正常に運転できない酩酊状態にあったこと」を物語っているにも拘わらず、川口裁判長は、危険運転致死傷罪の成立要件である「酒の影響で正常な運転が困難な状態」について「正常な運転が出来ない可能性がある状態では足りず、現実に道路・交通状況に応じた運転操作が困難な心身状態にあることが必要」と判示した。ということは、「現実に道路・交通状況に応じた運転操作が困難な心身状態でなければ、少々の飲酒ぐらいなら危険運転致死傷罪の適用は無い」という判示になりはしないか?これはチトおかしい。そもそも危険運転致死傷罪というのは、飲酒運転による事故の重大さに比べ、加害者の刑罰が余りに軽過ぎるという国民の声を受けて誕生した法律であるが、この法律制定時から「四つの成立要件」について矛盾点が指摘されていたことが現実となった。川口裁判長はこの法律の立法趣旨をないがしろにしたと言わざるを得ず、立法趣旨を無視して「四つの成立要件」に拘った裁判官の判断は如何にも「法律家は悪しき隣人」という言葉を思い出させることとなったことは残念である。また、被告の飲酒量については検察側の主張通り、自宅や居酒屋、スナックで缶ビール1本と焼酎のロック8~9杯、ブランデーの水割り数杯を飲んだと認定しているが、事故直後救助活動もせず「友人にペットボトルを持って来させ、水をがぶ飲みした」という事実はどう認定したのか?事故後の飲酒検知は「呼気1リットルあたり0.25mg」で酒気帯び程度だったことなどから検察側主張の「泥酔状態」を退けたらしいが、これも事故後「水をがぶ飲みし一時間程度休憩した後の検査数値」であることはどのように認定しているのだろうか?また、「被告はスナックから現場まで約8分間、普通に右左折やカーブ走行を繰り返し、蛇行運転などの事実は認められない。事故直前も衝突回避措置(急ブレーキ)を講じており、正常な運転が困難な状態にはなかったと強く推認される」と述べ、故意犯である危険運転致死傷罪の成立を否定しているが、「急ブレーキ自体が異常な運転状態にある証拠」である筈であろう。事故直前、「接触事故を起こしていないことが正常な状態にあったことを示す」という判示は論外。事故原因を「脇見運転と認定」したうえで、飲酒運転罪としたようであるが、「気違いに刃物」ならぬ「酔っ払いに走る凶器」であることからしても、飲酒者が脇見運転するということほど恐ろしいことはない。「12秒間もの脇見」そのものが正常状態の人間には考えられないことで酩酊状態を証明している。川口裁判長にはここら辺りの感性が欠如しているように思えるのは私だけではあるまい。薬物常習者の犯罪に「業務上過失致死傷罪」を認める論理を成り立たせないためにも、飲酒運転という行為そのものが「未必の故意」あるいは「不作為犯罪」として「故意犯罪」に位置付けられるべきである。当然、検察は控訴すると思うが、福岡高裁には飲酒運転を撲滅するような適正な判定を期待する。

 

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福田総理は「偽政者」か?

福田政治の「偽」   福田氏は自分の政治姿勢を「信」としている。一見誠実そうな容貌と言葉遣いが「信」をバックアップしているように見えるが、その「信」が何に基づいた「信」であるかが重要である。為政者の「信」とは「国民との無言の契約」のようなもので、為政者の一部分しか知る手立ての無い国民は政治家の言動と結果から全人格的に「信」を置くか否かを決める。そういう見方をすると、福田総理というのは実は為政者ならぬ「偽政者」ではないのか?福田氏や舛添氏が肝炎被害者救済の和解の場面で最初、司法判断(官僚の判断)に囚われ、被害者救済の立場に立とうとしなかったことは、口先はあたかも被害者側に立っているかのように見せ掛けながら、両足揃えて厚生官僚の側に置いていることを暴露した。国民の敏感な反応による支持率の急降下で「やや半歩」踏み出したかには見えるが、まだまだ油断はならない。「大連立」という最も安易な政治手法を選んだことも「偽」である。もともと、福田政治の最大の弱点は、安倍政治の承継(小泉政権以降共に国民の審判を経ていない政権という意味で)という形を採らざるを得なかったために福田政治の独自色が出し切れていないところにある。このような状況下、福田政治は、郵政民営化で役回りを終えた所謂「小泉チルドレン」を温存したまま、小泉・竹中政治に異を唱えて「先祖返り」を進めようとし、新テロ法の「3分の2議決」をしようとしているが、「小泉チルドレン」の数に依存する政権姿勢の安易さは危うい。それでも構わないということは、次の選挙では、今の自民党も民主党も国民新党も新党日本も再編成した姿で現われることを暗示しているのだろうか?再び「大連立」を指向するのであれば国民の審判を経なければなるまい。

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新テロ特措法「補給支援特措法」衆院通過

「新テロ法(補給支援特措法)」衆院通過   13日、自公案の新テロ法が衆院を通過した。当初の自民党案は期限立法の特措法ではなく恒久法として提案され公明党の修正によって一年間の時限立法となったが、そもそも旧テロ特措法自体が憲法違反の法律であることを忘れてはならない。「イラク支援の給油活動(キティーホーク80万ガロン→20万ガロン隠蔽問題)」論議が強く印象付けられ、多くの国民がいつのまにかアフガン戦争支援は合法かのような錯覚に陥っており、直近の世論調査では給油支援活動の支持率が50%を超えている始末である。自民党の思う壺に嵌()まった観があるが、「国際貢献」について原点に戻って考える必要があろう。国際貢献とは、アメリカへの軍事支援活動なのか?、アフガン国民への平和支援活動か?ということである。当然、アフガン国民の「平和」のためである筈だが、そうであるなら紛争の一方の当事者への支援が恒久平和をもたらさないことは自明の理である。アメリカ大統領選挙も間近になり、趨勢はブッシュの政策が大きく転回されそうな情勢になって来ているにも拘らず、日本がいつまでもブッシュ隷従政策に拘り続けることは世界から評価されないツケを背負い込まされる恐れが出て来た。如何であろうか?人道支援活動にもっとお金と機械や設備を投入してアフガン経済の再建活動に重点を絞るべきであろう。この「新テロ特措法」は活動範囲も内容も期間も縮小されたので、参院で「シビリアン・コントロール権能」条項が付加されて成立するだろうと見ている。憲法改正派は、防衛庁を防衛省に格上げした次には、国際貢献という大義名分の下に海上自衛隊や航空自衛隊の海外支援を恒久的な活動として認識させ、憲法改正容認世論を形成しようという思惑であろう。その後に「自衛の軍」から「本来の軍」への昇格、そして「徴兵制」が見えている。皆さんには「アメリカ軍への貢献」を国際貢献と勘違いしないで頂きたいと願っている。

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防衛大疑惑、宮崎元専務逮捕で幕引きか?

防衛大疑惑、幕引きか?   油補給疑惑、沖縄普天間基地移転疑惑、山田洋行・日本ミライズ贈収賄疑惑と「疑惑の総合商社」か「疑惑の百貨店」めいて来た防衛省。これまで防衛という機密の壁に阻まれて秘匿されて来た防衛省関係の数々の疑惑が、守屋前事務次官と山田洋行の宮崎元専務とのゴルフ接待発覚によって明らかになりそうな可能性を期待させたが、何のことはない、8日、山田洋行の宮崎元専務(現日本ミライズ社長)と元役員が手際よく逮捕されてしまった。これによって、参議院で15日に予定されていた守屋氏と宮崎日本ミライズ社長の証人喚問は守屋氏だけしか出来なくなった訳である。宮崎容疑者の逮捕というのは余りにタイミングがよすぎないか?巨大な氷山のほんの一角に過ぎない事件にして終いたいのだろうが、釈然としない。この事件は「蟻の一穴」「蜂の一刺し」にもなり得る。証人喚問が守屋氏だけなら、せいぜい、公務員倫理規定違反と偽証罪だけで疑惑が拡がることなく終わりだろう。先に挙げた疑惑には早々と入院してしまった久間元防衛大臣や額賀元防衛庁長官など多くの自民党議員が関わっているだけでなく、複数の民主党議員も絡んでいるような噂もあり、これらが全て白日の下に曝されれば、人数が人数だけに大疑惑に発展する恐れがある。本気で防衛関係疑惑を解明する意思があるのであれば宮崎容疑者の逮捕は16日にすべきであるが、そうなれば、福田総理は場合によっては指揮権を発動して捜査を中止させることも考慮しなければならず、福田内閣は確実に崩壊し解散総選挙となる。従って、福田政権は守屋氏の公務員倫理規定違反と偽証罪だけでお茶を濁し、防衛省関係疑惑に幕を引こうとしているとしか思えない。米国政府要人の突然の来日も曰くあり気に見えて来る。わが国の財源不足が深刻な現況下では、巨大な防衛予算なだけに、組織・制度・購買・天下り等について徹底した「0ベース」的見直しを掛けて癒着や無駄を省く必要がある。

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鳩山法相の「友人の友人」とは何人か?

「友人の友人」の人数   鳩山法相の「友人の友人がアルカイダ」発言が国際的に物議を醸し出している。果たして、「友人の友人…」とは一体何人ぐらいになるのだろうか?人数が予想できれば、日本に入国していると思われるアルカイダの人数を想定出来る筈だ。鳩山氏の考える「友人」の定義が不明だが、一般的には「年賀状やクリスマス・カードを交換している人」程度が想定されるだろう。50歳~60歳くらいであれば、200300人くらいではなかろうか。だとすれば、「友人の友人」というのは「300×30090,000」ということになる。つまり、鳩山氏は「少なくとも10万人に一人ぐらいはテロリストが知らない内に入国している可能性がある」から気を付けなければならない、と自分を例に出して言っていることになる。鳩山氏の交友関係が国内外に広いことは理解できるが、幾ら何でも1/100,000というのは少し多過ぎるように思う。「友人の友人の友人」となれば、「300×300×30027,000,000人」となり、1/2700万人という率であれば十分考えられる数値となる。ただ、テロリスト一人に複数の人が絡むことを考えれば、この数値は更に小さくなる。しかし、「乱数表式死刑執行制」発言や「田中角栄総理の秘書をしていたとき、毎月のようにペンタゴン(国防総省)の接待を受けていた。お金は一回も払っていない」等の発言にしても、頭脳明晰な人の割には「例の挙げ方」が下手であると言わざるを得ない。国会議員、それも大臣ともなれば尚更であるが、自分の言いたいことを国民にキチンと説明出来ることが最低条件である。一連の発言を聞いていると、大臣職は些か荷が重いのではないか?それとも、外に何か思惑でもあるのだろうか?

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内藤・亀田戦:12ラウンドの反則の「if」

ボクシングの反則行為   スポーツにはルールがある以上、必ず反則がある。別項で、サッカーの反則について「警告のイエローカード、即時退場処分のレッドカード、一見、これらはフェアーなスポーツを思い描かせるが、レッド・カードの前にイエロー・カードというルールは、ルール違反一回は無条件に認めていることを意味しており、最もスポーツ精神の低いスポーツである」と述べたが、内藤・亀田戦を見ていてボクシング・ルールについても不審に思ったことがある。12ラウンドにおける亀田大毅挑戦者の三つの確信犯的反則を「減点3」として試合を続行させたレフリーの判断は正しかったのだろうか?あの反則で内藤挑戦者が致命的なダメージを受けながら試合が続行され、もしもノックアウトされていたら、判定はどうなっていたのだろうか?恐らく、挑戦者亀田大毅の勝利となっていたのではないだろうか?内藤選手が防衛したから良いものの、もしもそんな事態になっていたら、大ブーイングが起きてプロ・ボクシングは存続の危機を迎えていたかも知れない。私は、12ラウンドの3回目の反則をした時点で、レフリーは、亀田大毅挑戦者に即刻「敗北」を宣言すべきではなかったか、と思っている。想像だが、セコンド役の史郎氏と興毅氏は「判定負け必至」のあの場面で、それを狙って最後の起死回生策として言語道断の「反則指示」を出したのではないだろうか。参考までに記すが、「JBCルールブック」の第1部総則には「ボクシングはスポーツであるが故にあらゆるボクシング試合はスポーツマンライクの態度を持つて行われるべきである。また、プロフェッショナル・ボクシングはビジネスの要素を持つことを認めるが、あくまでも正直なビジネスの倫理法則に合致すべき方法で行われることをもって方針とする。従って、JBCは不正破壊の行為に対しては、たとえ法規において合法と解釈されることがあっても、フェアプレーと誠実の精神を侵す場合は之を排訴する」と、ボクシングがスポーツであること、及びフェアープレー精神であることを宣言しており、89条には「ローブロー」「ホールド行為」「レスリング行為」「サミング行為」等、具体的に反則の内容を列記している。

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いわき市の過疎化を救った「フラ・ガール」

映画「フラ・ガール」と「スパ・リゾート・ハワイアンズ」   常磐ハワイアンセンター(現スパ・リゾート・ハワイアンズ)が立ち上がるまでの苦労をドキュメンタリ-風に描いた「フラガール」という映画をTVで見た。昭和40年企画構想~41年常磐ハワイアンセンター・オープンまでの苦労話とその当時の社会状況が簡明によく描かれている。企画決定した中村豊(常磐興産:旧常磐炭鉱㈱)社長を演じた岸部一徳、フラダンスを教えたカレイナニ早川(常磐舞踊学院最高顧問)役の松雪泰子、フラダンサー役の蒼井優の演技、それぞれが真に迫った好演で光った。三角錐型のボタ山、ずらりと並んだ四軒長屋の炭住住宅、荒くれ男のような「さまちゃん(採炭夫)」たちの激しい気性と人間らしい優しさが実にリアルに表現されており、昔を思い出すような気分で画面に吸い込まれ見てしまった。昭和40年ごろというのは、丁度、通産省のエネルギー政策が石炭から石油へ代わりかけていた頃で、福岡県の筑豊では既に炭鉱(やま)の閉山が始まっていた。全国的規模で個々の炭鉱に盛衰が顕著に現われ陰りが見え始めるのは数年後である。「フラ・ガール(HULA Girl)」は、福島県いわき市にあった常磐炭鉱が閉山する10年前の実話で、2000人の人員整理直後の常磐炭鉱㈱が再興を模索している話である。整理された人の中には「フラダンス」を蔑んで今問題になっている北海道の夕張炭鉱へ転職して行った人も多かったそうである。当時、ハワイ旅行は外資規制もありツアー料金も50万弱もして、一部の芸能人が行けるくらいで、今のように気軽に誰でもが行ける所ではなかった(昭和42年ごろの大卒年収が45万~50)。広い土地と温泉はあったが、今のように自家用車も普及しておらず、勿論高速道路もなく、特急列車も殆んど走っていない場所にHAWAIIをテーマにしたリゾートを企画し決定した中村社長の信念の強さと何ものにもめげなかった実行力には頭が下がるし、その苦労は察するに余りある。筑豊の炭鉱の町には最盛期10万人以上いた人口が閉山で1万人以下に激減したという町もある。いわき市と夕張市の現在の姿を見ると、常磐炭鉱という民間会社が逸早く危機感を抱いて従業員の再雇用を計画し民間主導で再生したいわき市と、バブルとハコモノ行政のツケを廻され赤字を隠して野垂れ死にした夕張市の明暗がくっきりと見えて来る。地方自治体が再生するには、「夢を描く」プランナーと、「夢に向かって強力に推進協力する」コラボレーターと、「夢プランに沿って率先実行する」リーダーの三役の存在が如何に重要かということがよく分かるお薦めの良い映画である。労働争議全盛時代の前夜である。監督は李相日という若干33歳の在日3。(参考までに主な炭鉱閉山状況を記すと、39三井田川炭鉱閉山、40宇部興産の炭鉱が閉山、44筑豊の麻生産業、明治炭鉱、杵島炭鉱閉山、45筑豊の古河下山田炭鉱、日鉄嘉穂炭鉱閉山、48三菱大夕張炭鉱閉山、51常磐炭鉱閉山、筑豊の露天掘りの優良炭鉱貝島炭鉱が最後の閉山、52北炭夕張炭鉱閉山、57北炭夕張新炭鉱閉山)

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福田新政権の組閣人事を分析すると?

福田新政権の組閣人事の?   925日夜組閣終了し、26日福田新政権・新内閣が発足した。選挙期間中、施政方針を明確に表明せぬままに福田総理が誕生したので、どのような国家を建設しようとしているのかは10月1日の所信表明演説まで待つしかない。また、安倍総理が国会開会直後に辞任したために突如誕生した政権であり、人事に十分な時間が割けなかったという点も考慮しなければならない。しかし福田総理の人事には「解せない」点が見られる。安倍政権が「政治と金」問題で崩壊したことが明らかであるにも拘らず、安倍政権当時から問題のある閣僚(伊吹氏、鴨下氏、若林氏)がそのまま再任されていること、国民や公明党などが「一円から領収証添付」を求めているにも拘らず、それには反対の、しかも事務費疑惑について説明していない伊吹氏を幹事長に据えたこと、小泉・竹中改革を修正すると言いながら、竹中理論の承継者太田弘子担当大臣を再任していること、「靖国には参拝しない」と明言しながら日本遺族会会長である古賀氏を選挙対策委員長に格上げして処遇していること、総裁選で全国的人気があることが判明した麻生氏を総選挙のために重用しようとする意思が見えないこと等、どうも理解に苦しむ。また、どうして「政治と金」絡みの恰好の攻撃材料を再任したのだろうか?小沢民主党にわざわざ攻撃してくださいと身柄を差し出しているようにしか見えない。メディアの誰かが「テロ特措法に代わる新法を成立させて内閣総辞職か解散でもするのでしょうかね?」と言っていたが、それが出来るかどうかは福田内閣の支持率に掛かっている。しかし、50%以上いる「テロ特措法に反対」という国民が福田政権に替わっただけで反転するとは考え難く、手堅いと言われる福田氏が、そんな自民党の浮沈を賭けるような博打を打つだろうか?やはり、福田総理の所信表明を聞かなければ分からない。 

伊吹幹事長   この人事には「?」という感じがするだけで、福田氏の意図が分からない。自らの事務所費問題についての説明責任はどうなっているのだろうか?故松岡農水大臣の「ナントカ還元水」の陰に隠れて逃れ遂(おお)せたつもりでいるのだろうか?「一円以上の領収証添付」についても否定的だし、「政治活動には秘密にしなければならない部分がある」「福田氏とは同じ考えだ」と公然と政治資金規正法の改正に反対意見を述べていた人である。政治の公明性・公開性を求める民意から最も遠い人と思うのだが、「陰」から強い力が働いての就任だろう。多分、多くの国民もそう思っているのではなかろうか? 

谷垣政調会長   聡明そうなお坊ちゃん顔からは想像できないが、見掛けによらぬ苦労人。山登りに凝って東大に8年通ったものの、職が無く、已む無く弁護士稼業へ。リベラル思考は職業柄か?安倍政権時代の冷や飯待遇に焦りがあったのでは?

二階総務会長   民主党コネクションを期待されてか?それにしても、年金資金投入の大型保養施設「グリーンピア南紀」の売却に絡んだ「香港ボアオ疑惑」の渦中の人をわざわざ総務会長に据えるのは解せない。福田氏は、再任登用で「火中の栗」を拾ったように見える。疑惑がそろそろ火を噴きそうな状況になって来たが、果たして年金国会を乗り切ることが出来るか?

古賀選挙対策委員長   自分からこのポストを要求したらしいが、総選挙を控えて「人事権と金庫」を手中にしたようなもので、流石は一時代前の派閥政治家を躍如させるものがある。

町村官房長官   能吏という印象が強く、政治家という印象は弱い。幹事長か官房長官と予想していたが、現場職の大臣職よりも適役だろう。

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福田新総裁誕生と総選挙

新総裁誕生と解散総選挙   今日の午後、予想通り福田新総裁が330(議員票254/387地方票76/141)の得票で誕生した。麻生派を除く全ての派閥の領袖たちの推薦支持を受けた福田康夫氏が当初から優勢のまま、殆ど無風状態下での新総裁誕生である。麻生氏はそれなりに自分の施政方針を明確に表明していたが、福田氏は施策・政策等について明確な表明もせず、そのために麻生氏との政策論争も対立場面も殆ど無いという妙な総裁選であったのは残念。福田氏は立候補当初から一貫して自分の施政方針を明確にせず曖昧のままで投票日を迎え新総裁になったことに違和感を覚えている国民も多いのではないだろうか。昔は、熾烈な政権争いが自民党の主義主張、総理総裁候補の「人と為()り」を詳らかに国民に理解させるという効果を生んでいたものだが、今回の総裁選にはそのような効果を期待することは出来ない。今回の総裁選は、安倍総理が参院選の場で自ら国民へ「信任」を問いながら、自ら国民との「信」を破ったことに端を発しており、福田氏がこの点に焦点を当て「信の国」を信条に掲げたことは当を得ているが、選挙戦での福田氏の施政演説には国民に自民党の信を問うにしては具体的な内容に乏しく、早く言えば「国民に理解されない自民党」のままのように思える。総裁選の地方票が伸びなかった理由はこの辺りにあるように思われる。総裁選において福田氏にはもっと「自分」を主張して欲しかったが、圧倒的優位がむしろ失言を恐れる余り、国民の目には歯切れの悪さとなって映っているのではないだろうか。今後、福田氏が自ら失言等のヘマをするとは考え難いので、福田政権を危うくするとすればやはりこの「信の国」表現と閣僚問題だろう。小沢民主党にすれば、福田新総理が国民に受け入れられることが最も懸念されるところだろう。そうなれば、如何な策を弄しようとも、そう簡単に解散総選挙に追い込むことは難しい。逆に「国民の信」が得られなければ、意外と脆いと言えよう。福田新政権に脆さがあるとすれば、この二点しかないように思う。それに特筆すべきは、一夜にして8派閥が結集した(せざるを得なかった?)「一夜の政変」の怪である。その結果、旧森派による「森→小泉→安倍→福田」と一貫した総理総裁が成立した。福田氏のバランス感覚の良さと一方に偏らぬリベラルさと「ブレ」の無い信念(意志の強さ)が評価されて擁立され、幅広い派閥からの支持が得られたことになっているが、四代に亘って一派閥で総理総裁が成立している事実を見ると、「一夜の政変」の裏に麻生派一派を結集させなかった何らかの「力」が働いたのだろうと推測せざるを得ない。恐らくこの「ツケ」は解散総選挙の際に表面化するだろう。それにしても、自派以外に推薦派閥がなく四面楚歌であった麻生太郎氏が197(議員票132/387地方票65/141)と大善戦したのには驚いた。麻生氏が街頭演説を行った東京、秋葉原、大阪、高松、仙台、新宿の各県で圧倒的な支持を受け地方票を獲得したことからも分かるように、麻生派に近い派閥が一つか二つが同調していれば流れが変わっていただろう。

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福田氏の街頭演説から

福田氏の街頭演説   総裁選真っ只中である。選挙演説が東京、大阪、高松と終了し、仙台を残すのみとなったが、依然として福田氏優勢、麻生氏劣勢という形勢に変化はないようである。街頭演説を聞いていると、手馴れた麻生氏の聴衆を沸かすテクニックは見事なものだが、訥々(とつとつ)と話し掛けるような口調の福田氏の演説も福田氏らしさが出ており捨てたものではない。内容も言葉も明瞭であり、それなりに受け入れられ信頼を得ているように見える。只、演説の内容が日に日に「安倍総理の政策」を踏襲する方向に傾いて来ているのは気になる。国民は新政権の「変わり映え」に期待しているのに「安倍踏襲」では「やはり、福田氏にも多くは期待できないな」という失望感を抱かせているのではなかろうか。総裁選で自民党員の審判を受ける総裁であるからには、福田氏独自の政策を掲げてもよいと思うが、福田氏は国会開会中のことでもあり、また厳密には国民の審判を受けていないこともあり、そのことを意識して政策の大幅な変更を避けたのだろうと解しているが、この辺りが如何にも「リベラルでバランス」の福田氏らしい。しかし、参院選で安倍政権に「NO !」という意思表示をした国民は、福田氏から新たなる「答え」を求めていることを忘れてはならない。福田氏の人間性が安倍氏の人間性の所為で失った分くらいの支持率は回復できても、自民党の信頼回復までには至らないのではないか、という気がする。強いて福田氏の難点を挙げれば、「明るさ不足」であろう。71歳の老体に「明るく」と言っても仕方のないことかも知れないが、いずれ近々ある衆院選挙を考えると、民主党の小沢氏が「明るい」方とは言えないことからも、サラリとした「明るさ」の演出は心掛けた方が良いのでは。その点、麻生氏は喋り方といい、服装といい、実に見事なパフォーマンスである。

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「反省すべき点は反省して…」

安倍語反省すべき点〖はんせいすべきてん〗   今回の参院選挙の結果を受けて安倍総理は事ある度にしきりに「反省すべき点は反省して…」と口にしている。聞く方には安倍総理が反省しているように見え、まことに耳障りよく聞こえるが、実際にはその表情からは反省の「は」の字も窺えない。「反省すべき点は反省すべきであるが、反省すべき点は無いので反省する必要は無い」と言っているようにしか聞こえず、安倍総理の不誠実さと曖昧さが益々増幅されている。大体、「反省すべき点は反省して…」というのは政治家の好きな演説用フレーズ(常套の建前文句)である。誠実な政治家の口から発せられると「反省して呉れそうだ」という好意的期待感を抱かせるが、信用出来ない政治家の口から発せられると「また誤魔化そうとしている」とか「また騙しやがって…」と反発と怒りを増幅させる。そして更に支持者を失うことになる。そういう逆効果を招かないためには、信用度・信頼度が低ければ低いほど「反省すべき点」と「どう改めるか」を具体的に明示して相手の目を見て丁寧に説明することが大事である。焦点の定まらないような「あっちの方角」を見ながら喋ってはならない。口でどんなに綺麗事を言っても、目は逆な事を語っていることを知らねばならない。

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赤城農水大臣、絆創膏で登場。そしてその後

絆創膏〖ばんそうこう〗

  絆創膏後日談  719日、赤城大臣が吹っ切れたような明るい表情でニコヤカに会見。絆創膏に隠されたものは「吹き出物」だったらしい。しかし当初の会見振りは「鉄面皮」そのもので、とても「肌が弱い」なんてものではなかったが…。それにしても、お騒がせな人である。17日のあの態度は何だったのだろうか?これもまた闇か?[7/20追記]

  絆創膏 三連休明けの717日、事務所費疑惑の渦中にある赤城農水大臣が顔面に絆創膏を派手に貼って閣議に現われ、閣僚や国民を驚かした。閣僚や記者の「何故?絆創膏?」という問いには、「大丈夫です」「何でも無い」「大したことは無い」を繰り返すだけで理由は答えずじまいだった。転んだとか、吹き出物ができたとか、何かにぶつけたといったようなことであれば、無理に隠す必要は無く素直に答えられる筈である。しかし、意地になって明かさぬがために、「誰かに殴られたのだろう」といった憶測まで呼んでいるようである。それにしても、顔面で一番目立つ額と頬っぺたに純白の巨大なガーゼを、さも曰くあり気に貼って現われたのは何故だろうか?つらつら考えるに、赤城農水大臣はブラックジョークのつもりでこの行為に及んだのかもしれない。前掲の三つの回答の頭に「事務所費問題は」を付け加えると、「(事務所費問題は)大丈夫です」、「(事務所費問題は)何でも無い」、「(事務所費問題は)大したことは無い」となり、真っ白い派手な絆創膏に「私は白だ。事務所費問題は封印した」という無言の強い意思を感じる。公人である大臣が疑惑に対して公私の別も理由も明かさずに口を噤(つぐ)むという行為は公人にあるまじき振る舞いである。事務所費問題は「政治と金」という真っ黒い氷山の一角である。白い絆創膏を貼ったくらいで収まらしてはならない。[7/17記]

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「裁判官の良心」、袴田死刑囚は冤罪か?

袴田事件〖はかまだじけん〗   袴田事件で死刑判決を言い渡した熊本典道元裁判官(70)自分には無罪の心証があったが、他の二人の裁判官が有罪(死刑)という判断であったため、已むを得ず死刑を宣告した。しかし、やはりあの判決は間違いであった」と再審請求を要望する上申書を最高裁に提出された。彼は裁判官の良心というBLOGを開設され、その中で袴田事件判決について次のように触れられている。

私のした事について反響が大きいとのことで、一言話しておきます。あの事は別に特別に変わった事だとは思ってません。過ちを改めるにはばかる事なかれという先人の言葉があります。別に判決だけではなく、誤らないようにすることも大事ですけれども、誤ったと気がついた時にすぐ直すということは何事にも通用することでしょう。最近は、誤ったと気がついても改めない人々が多くなりすぎているのではないでしょうか。昔、私が会社更生の事件をやっていた頃、「会社更正の神様」といわれた早川種三氏から"プロのマンネリ、素人のひらめき"という貴重な言葉をもらい、私は今でも何事にも、この精神で望んでいます」(同氏のHPから引用)

と。「評議の秘密」を暴露したことについては異論も多いと思うが、人権派である熊本元裁判官の勇気ある行動は賞賛に値すると思う。近年の冤罪の多さ(検察や警察による自白強要や自白誘導の多さ)は「誤った判断」を下した裁判官が少なからずいることを示している。この原因は、昔の裁判は自白至上主義のきらいがあり、そのために検察や警察が自白を優先するあまり、証拠固めを徹底しなかったことによるものが大半であると思われる。しかし、プロの裁判官でさえ判断を過つのに、最近の判決が被害者の心情寄りに偏向傾向が窺われる状況の中では裁判員制度が実施になれば益々冤罪が増えるのではないだろうか。実施を前に懸念している。素人裁判官に冤罪判断をさせないためにも、原点に立ち戻って「証拠が無ければ罰せず(疑わしきは罰せず)」という証拠主義に徹しなければならない。 


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69代横綱白鵬、誕生

横綱白鵬〖よこづなはくほう〗  白鵬が全勝優勝で目出度く69代横綱に昇進した。両親以上に喜んでいるのは育ての親熊ヶ谷親方と旭鷲山関ではないだろうか。兎角、親方の娘に入婿して承継した部屋は何かとゴタゴタが多いが、白鵬の属する宮城野部屋(11代目金親親方)も例に漏れず本場所前から渦中の真っ只中にあった。そのような中で文句無しに横綱を勝ち取るには全勝して優勝するしかなかったと思うが、二番か三番、無気力な相手が目に付いた。真の評価は来場所で下されるだろう。口上の「精神一到を貫いて」を肝に銘じて頑張って欲しい。先場所あたりから威嚇的態度が目立つが、横綱らしく妙な威嚇態度はやめたがよい。この数場所、人気が低下しているのにはこれも原因している。大関昇進の頃の謙虚な気持ちを思い出して真摯な真剣相撲を取れば必ず人気は戻る。それにしても日本人関取衆はどうして皆が皆「どんぐり」になってしまうのか。外国横綱初代の曙(1993)から15年間に横綱に昇進したのは、曙(1993)、貴乃花(1994)、若乃花(1998)、武蔵丸(1999)、朝青龍(2003)、白鵬(2007)6人、日本2人、ハワイ2人、モンゴル2人。圧倒的に外国勢が優勢で、日本人は若貴兄弟のみという寂しさである。もっと貪欲なる奮起を望みたい。

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「ふるさと納税制度」は早急に!

故郷交付金〖ふるさとこうふきん〗   中川昭一政調会長が、突然、「ふるさと納税制度」なるものをぶち上げている。夕張市が財政破綻都市となった日、「町や村を裕福にしよう(本ブログ4/1号「た」行)」で私が提案した「故郷(ふるさと)交付金制度」と余りに似ており、同じような発想をする人がいることに安心したが、故郷(ふるさと)への税金還元制度が地域間格差を是正し、衰退する「ふるさと」の活性化に役立つことは間違いない。現在、地方から大都市へ出て就職する若者を育てる教育投資は地方に住む親の収入の中から捻出されている。現制度下では、地方は乏しい財政の中から多くの教育費用や安全費用などを負担して大都市の生産予備軍を育て、多くの子供たちはそのまま大都会に留まって生産に従事することになる。今の制度では当然、稼いだ給料の税金は国と住所地にしか落ちない訳で、大都市は、地方の費用と投資によって育成されて出来上がった青年を受け入れるだけで税収が増える。即ち、ファンダメンタルな部分は地方(田舎)が負担し果実は都市が受け取る、という図式になっているのである。地方の資金が大都市に集中する社会システムを改善しないと益々都市と地方の格差を拡大することになる。この問題を解消するには、再生産のために貢献した親と自治体に報いるために、税金の内の何%かを納付先(結婚すれば二箇所)を指定できるようにする訳である。こうすることで、地方の町村自治体は想像以上に潤い、「住み易い豊かな田舎」が誕生し、住民も増えて活性化するだろうと思う。地方の活性化は、如何にして「プラス」のサイクルを廻り始めさせるか、に尽きる。大賛成である

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長崎市長選と公選法の補充候補者制度

補充候補者制度〖ほじゅうこうほしゃせいど〗   今回の長崎市長選挙はテロ行為で現職候補が死亡するというあるまじき悲劇選挙となった。その結果、被害者伊藤一長氏の遺族候補者である横尾氏が、同じく補充候補で突如立候補した田上富久候補に953票差という僅差で負けたことに同情を呼んでいる。総務省は「補充受付期間」を問題点として採り挙げているが、それ以上に問題にすべきは「補充立候補」の対象者の資格ではないだろうか?候補者が選挙期間中に死亡した場合、立候補の受付は既に終了しているのであるから、「補充候補者となり得るのは遺族のみ」に限定すべきであろう。さもないと、再びテロ事件が起きる恐れがある。選挙に「現職の強み」が存在していることは厳然たる事実であり、そうなれば行政対象暴力が現職候補者を暗殺し、新たに候補者を立候補させるようなことは十分考えられるだろう。このような異例の場合には、併せて選挙活動の期間や投票日等についても検討の余地があるだろう。

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ホリエモン、実刑

堀江貴文に実刑判決〖ほりえたかふみ〗   今日316日、ライブドア事件の一審判決があった。ライブドア社長の堀江貴文に26ヶ月の実刑判決である。本来は3億円の赤字であった同社を、自社株売買を売上に上げて50億円もの架空黒字を計上した証券取引法違反の犯罪である。同じ証取法違反(粉飾)の日興コーディアルに対し無罪扱いの判断をし上場維持を決めた東証の甘さが目立つが、ライブドア事件の背景には、2001年の商法改正によって自社株(別名金庫株)保有が認められたことが大きい。一般的には、M&Aによって非上場企業を買収合併して増資し、時価発行すれば非上場株が上場株に化けコストの安い資金が多額に手に入る。しかしこれは企業の運営資金が潤沢になるだけで利益ではない。ところが、堀江以下の旧ライブドア経営陣が採ったカラクリは、合併会社の資産を過大に評価して株価を高く維持し、増資(株券を印刷)して自らが作った投資事業組合に売り渡し、これをあたかも投資有価証券(他社株)を売却したかのように偽って売却利益を得たという粉飾よりもむしろ詐欺にも等しい手法のようである。当然、コストは印刷代と紙代しか掛かっていないのだから「濡れ手で粟」の莫大な利益を掴むことが出来る。そして、一攫千金を狙った投資家たちに惹き付けられるように一般投資家も群がった。突然の破局で明らかになったものはライブドアグループ企業の過大に評価された見せかけの資産であり、当然、大部分は紙切れになってしまった。今回の判決は損害賠償訴訟には有利になるが、損害賠償額が旧経営陣の個人資産を全て吐き出させるような額になるかどうかは疑問で、結局、「やり得」ということになる恐れがある。経済犯であれ刑事犯であれ、最近、悪事や犯罪の裁判のたびに刑罰の軽些というのを感じる。

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新しい格差

ホワイトカラー・エグゼンプションの定義white collar exemptionのていぎ〗   塩崎恭久官房長官は、年収900万円以上の労働者を「ホワイトカラー(white collar worker)」にしたいらしい。一方、安倍総理は「家族揃って夕食が取れるようになっていいんじゃないか」と発言したらしい。とんでもない!成果ばかりを要求される社員をつくることは個人主義を進行させ、家庭サービスは今以上に難しくなるだろう。立法が役目である国会議員が、年収基準が定義付けの基準となり得ないことぐらい百も承知である筈だが、よくも白々と言えたものである。もしもそんな抜け穴基準が法制化された場合、年収基準を引き下げれば労働基準法適用除外のホワイトカラーばかりになり、労働者保護法である労働基準法は意義を持たなくなる。また、所得基準が低下したとき、被傭者の中に残業手当の受給資格者と受給無資格者とが混在する現象が起こり、現在の、「賃金のピンハネ」を禁じた労働基準法第6条の適用除外を目的に制定した労働者派遣法に因を発する「正社員と非正社員の問題」と同じ問題が発生することになる。更に、雇用契約にまで矛盾が起こることも懸念される。歴史を顧みれば、そもそも長時間強制労働の弊害が因で「工場法」が成立し、それが発展して労働基準法となったが、戦後62年にして戦前の「女工哀史」の時代へ70年ばかり逆行しようとしている現実を冷静に考えなければならない。しかし、目前の対症療法的発想しか出来ない低級議員ばかりになったことは情けない。

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防衛長官から防衛大臣へ

防衛省〖ぼうえいしょう〗   200719日は防衛庁が昇格して防衛省となった記念すべき日である。憲法第9条の「防衛」の枠を遥かに超えて活動していた「防衛超」が晴れて「防衛しよう!」となった。「防衛しよう!」に騙されてはならない。兵法には「攻撃は最大の防御なり」という言葉もある。皆々、ゆめゆめ、油断召さるな。

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ホワイトカラー・エグゼンプション

ホワイトカラー・エグゼンプションwhite collar exemption〗   「ホワイトカラーには超過勤務手当を支払わないでよい」とする労働基準法37条摘要除外の特例。男女雇用均等法が出来て賃金の性差別が禁止されたときに、職種や雇用態様の違いによって賃金に差を設けた「総合職・一般職」発想と酷似している。しかし、ホワイトカラーの定義は「総合職・一般職」の定義付けよりも難しい。本来、使用者と雇用者のパワーバランスのために存在している筈の労働基準法が、性等による差別を無くしているその一方で新しい差別を受け入れ、新たな格差社会の確立に手を貸していることになる。この原因は労働組合の弱体化が最も大きいが、強者・弱者思想の台頭に外ならない。果たしてこれは進化なのか?退化なのか?exemptionとは、「…から(義務や課税などを)免除する」という意味。

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反則活動?販促活動?

販促活動〖はんそくかつどう〗   販売促進を略して「販促」という。新興企業ほど、急成長を目論んで過激な販促活動を行なっている。それも、表では「コンプライアンス(法令遵守または法令順守)」を唱えて「真っ当」を演じ、如何にも善人らしい誠実さを見せながら、裏では傲然と「反則活動」を行なって販促に精を出している経営者が増えている。村上世彰にしても、ホリエモンにしても然り。

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不運の確率

不運〖ふうん〗   「俺は不運な人間だ」と嘆く勿れ。人間とは勝手なもので同じ確率でも、宝くじは「ひょっとしたら、当たるかもしれない」と期待し、交通事故には「まさか遭う筈がない」と否定する。10万分の1の確率とは、10万回のうちに必ず1回起こるという意味である。初っ端の第一回目に起こるかも知れないし、最後の10万回目に起こるかも知れない。

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箱物政治

「ハコモノ」行政〖はこものぎょうせい〗   「ハコモノ」とは箱物を意味する。高度成長時代に生まれた行政用語。実態的には、箱物行政と言うより箱物財政の方が適切表現。国や県からの補助金を得て行なう公共建設工事。「町民や老人などの豊かな生活に資するための施設を作る」というのが大義名分だが、真の目的はゼネコンや建設会社等の特定業界へのバラマキ行政。多くの市町村がこの補助金目当ての工事によって破綻寸前に追い込まれている。夕張市の財政破綻で改めてクローズアップされているが、所詮、箱は箱、壊れもするし修理も要る。

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