内閣法制局長官の答弁禁止と「知る権利」
法制局長官の口を封じる鳩山政権 天下り根絶を謳(うた)いながら平気で官僚を㈱日本郵政のトップに据える鳩山政権の勝手主義と国民無視のご都合主義に呆れるが、初めての国会運営に当たって官僚の国会答弁や記者会見まで禁じ(国家公務員法にいう「秘密保持」が根拠と思われる)、民主党議員からも議員立法権を剥奪し、更に内閣法制局長官も官僚だとして答弁や会見を禁止しようとしている。これによって国民は立法府が作成した法律(特に議員立法)について憲法や他の関連法律に照らして是とすべきか否とすべきかを判断し修正する法制局の見解を知る術を失うことになる。賢い先人は、数年で入れ替わる代議士たちの中には政治を私する悪人もいないとも限らず、そのような悪事を防止する意味からも行政府の中の安全弁として法の番人(法制局)を置いたのである。もしこの機能が停止されれば、国民は国会の不正をタイムリーに知ることも見破ることも出来なくなる。国民の「知る権利」というものは出来るだけオープンに二重三重に担保されて然るべきもので、それが政治が誤った方向に向かうのを矯正する機能として働く。その機能が失われるということは、誤った政治・政策を矯正するには最高裁に上告するしか方法がないことを意味し、国民の大切な「知る術」の一つが封じられることになる。これらの言論統制とも取れる政策を見る限り、「友愛」精神とは程遠い。民主党政権は「開かれた政権」という印象を受けていたが、彼らがやっている実態が次第に明らかになって来るにつれ、民主党というのはむしろ極めて秘密主義の強い閉鎖的隠蔽的性格の政党であることが分かった。政権交代がなければ分からなかった訳で、それだけでも意味があった。これを覚って、由々しき事態だと感じ始めている国民は多いのではないだろうか。法制局長官の発言(国民向けの発信でもある)を封じる意味はその延長上に憲法第9条の解釈変更を目論んでいるのだろうと思うが、多分、誰かの差し金であろう。しかし、それを鵜呑みして実行する鳩山総理の本心とも言え、同罪である。自分たちの目的達成の為なら法制局長官の発言をも封じる、邪魔になるものは全て排除してしまえ、という根性は腐っている。鳩山総理は事ある毎に祖父一郎から承継した「友愛」精神を披瀝しているが、国民は鳩山氏の「友愛(鳩山一郎はフランス革命のスローガン「自由・平等・博愛」の博愛fraternityを「友愛」と訳したらしい)」を「博愛」と同義に解しているようだが、それが誤りであることに気付かなければならない。’fraternity’とは「極めて近い関係の間の情」を意味しており、多く「博愛」と訳されているが、むしろ「兄弟愛」や「同胞愛」と訳した方が正確である。即ち「気に入った仲間の間だけに通じれば良い思い遣りや労り」というものである。しかし、民主党が「友愛」精神で結束し団結しているようには到底見えない。国会初日の小沢チルドレンたちのヤンヤの喝采を見て、谷垣氏は「まるでヒットラー・ユーゲントのようだ」と評したが、言い得て妙である。小泉チルドレンたちに感じた不快感と同じものを感じた。今、鳩山新政権が「脱・官僚依存、政治主導」と称して行なっている「官僚の口封じ」作戦は、正しくファッショの兆しそのものではないか。民主党が言うように内閣法制局も行政機関の一つである以上広い意味では官僚であることに間違いはない。しかし、法律の審査をする法制局の専門性は他の行政省庁とは格段に性格を異にすることを考慮すべきだろう。昔は官僚と言えば大蔵省や通産省の上級職公務員(所謂キャリア官僚)を指したが、近年、国家公務員全体を官僚と言い始め、場面に応じて官僚と言ったり国家公務員と言ったり使い分けている感がある。そもそも、民主党の目的は小沢氏や鳩山氏が目論んでいる憲法改正(9条改正)と内閣法制局の示している政府解釈の改定にあることは論を俟たない。鳩山政権は「政治主導」という耳障りの良い言葉で官僚機構の悪い面ばかりを強調し、国民をミスリードしようとしているとしか思えない。官僚からの発信が途絶えると、国民は判断するための情報あるいは考え方が制約されることになる。特に、国会議員から議員立法権を取り上げる決定をしたことは憲法違反であることは明白で小沢氏・鳩山氏の罪は大きい。
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