カテゴリー「た行」の54件の記事

特別会計と一般会計を一つの財布に

 概算要求95兆円超[2009.10.17追記] 事項要求を加えると97兆円にもなるらしい。最終予算がいくらに落ち着くのか判然としないが、査定予算にしてはいくらなんでも膨大過ぎる。官僚の反撃が始まったと見るべきだろう。鳩山内閣の「脱・官僚依存」に異論を唱えることをせずに真っ向から数字で反論して来た。政治家との喧嘩は予算で決着付けようという姿勢ありありで、流石は油断ならぬ官僚である。今後、鳩山政権が国民を納得させる為には、一次査定で無条件に10~15%カットするしかないのではないか?そして復活折衝を通してより適正な予算を作るしかあるまい。これまで自民党政権下で旨味を吸って来た族議員(民主党内にも大勢いる)との腐れ縁や省益を断ち切るためにも蛮勇を奮って貰いたい。

 鳩山内閣、財源難で赤字国債依存か?[2009.10.16記] やがて新政権成立一ヶ月を迎えるが、「脱・官僚依存」という公約は想像していた以上に巧く果たしているように見える。しかし、補正予算と概算要求の査定についてはもう一つである。概算要求の減額を見る限り、本来なら大臣側に身を置くべき政務官や副大臣の中には既に官僚に取り込まれているような発言をしている者も散見され、「査定大臣」の力が発揮されているようには見えない。官僚の、目に見えぬ強力な抵抗に遭っているのが査定の実態のようである。ここが、官僚を牛耳る内閣になれるかどうかの正念場だろう。もう一点気になるのは、「脱・赤字国債依存」という公約が反故にされそうな気配である。鳩山総理は選挙戦の中で赤字国債に依存する麻生元総理を声高に批判していたが、概算要求が麻生内閣の88.5兆円を超えそうになった途端、いとも簡単に赤字国債に依存する可能性を表明している。理由はマニフェストを守るためらしいが、聊(いささ)か、安易に過ぎないか?総理就任後、鳩山氏のこの「強情と妥協」姿勢が時折り顔を見せる。これを「ブレる」と言う人もいるが、私には危うい性格に見える。参院選を前に鳩山総理がマニフェストの実行を全てに優先したいという気持ちは理解出来るが、国民の気持ちは「赤字国債は最小に」「何も赤字国債を増額してまで…」というのが本音だろう。会計検査院によって特別会計や独法の中に1兆円超の剰余金があることが指摘されていることからしても、赤字財政の中、一般会計と特別会計を別財布で会計するのではなく、一つの財布に統合して一括して会計すべきである。そうでなければ本当の無駄は排除できない。複数の財布を持つというのは黒字経営には許されても、赤字経営には許されるものではない。特別会計や公益法人の中には過大な剰余金を保持しているところもあると聞くので、この際、剰余金を国家予算へ組み入れる方策も検討してはどうか?少なくとも「天下り団体」については不可能ではない筈だ。

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谷垣禎一自民党新総裁誕生

谷垣新総裁も東大卒   28日、谷垣禎一氏が圧倒的多数の推薦を受けて自民党の新総裁に選ばれた。氏を知る山男の話によると、頭脳明晰で人柄も良く、気配りも出来て面倒見も良いタフなジェントルマンだそうである。汚れまくっている自民党議員の中では珍しいくらいのリベラル派らしい。なるべくして総裁になったという感があるが、個人的には遅過ぎたという思いがある。安倍総理の後(福田総理の前)あたりに総裁になっていれば、流れはまた違っていただろう。しかし、今年の政界の流れはどうなっているのだろうか?またしても官学出身である。民主党の鳩山氏と日本共産党の志位委員長が東大工学部卒で、公明党代表の山口那津男氏と谷垣氏と社会民主党の福島みずほ党首は東大法卒の弁護士、国民新党の亀井静香代表は東大経卒という東大一色となった。1972年の田中角栄首相誕生以後私大卒の総理・総裁が増えていたのが、小泉純一郎氏の引退を境にいつの間にか再び東大の時代がやって来た感がある。難局の時代は「守りの時代」とも言え、「行け行けドンドン」の私学派人間よりも手堅い官学派の人間の方が向いているのか知らん、と思ったりする。いずれにしろ、流れが変わっていることだけは間違いなさそうだ。私大卒の河野太郎氏には気の毒だが、時の流れと諦めるしかあるまい。河野氏は北海道で町村氏に過激発言をたしなめられていた様だが、過激発言も自民党内に留まることによってこそ、意味を成す。敗れた河野太郎の今後の動きが気になるところだが、自民党内で新たな花を咲かせて欲しいものである。

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黄昏解散、そしてこの国の形

解散、そしてこの国はどこへ向かうのか?   721日、やっとのことで、「郵政民営化に賛成か反対か」を問うた「郵政解散」からほぼ4年、という長きに渡る政権が終焉を迎えた。解散閣議決定後の衆参議員懇談会を公開にしたことは麻生降ろし派の口封じの効果を生んだようで、麻生総理の表情もこれまでのどの場面よりも引き締まっており好印象であった。やはり、都議選で「麻生の面を初めて見た人(は手を挙げて)!」と軽妙に応援していた姿よりもずっと良い。軽妙さは概して人間の浮薄さをイメージさせ、信頼感を疎外する。同じ世襲議員である先々代安倍氏や先代福田氏とは一味の違いを見せて呉れたように思う。この解散に名前を付けるなら、「したくても出来なくて追い込まれての解散」であり、また多くの小泉チルドレンらには「夜明けの無い闇夜のような解散」という意味では、黄昏の後に漆黒の闇が控えている「黄昏(たそがれ)解散」と言ったところか。それにしても、過去に例の無い投票日まで40日間(8/30)もあるという設定もミソである。支持率が落ちるところまで落ちた麻生氏にして初めて出来る策である。「一寸先は闇」という政局、3週間で、果たしてどう動くか?これまでの地方選挙の結果を見ると、「郵政民営化」選挙に踊らされて「3分の2」権力を小泉政権に与えた国民が、今度は「政権交代」に大挙しそうなムードで、自民党の大敗が見えている。自民党はその原因を自党内の混乱と官僚機構に転嫁しているようだが、その実は永過ぎる政権与党に溜まった「退廃」以外の何物でもない。官僚機構自身、政権与党の自民党に染まり過ぎたようにも見える。今のままの自民党では一致団結しても、民主党を押す大きな流れに棹を差すことは難しいだろう。そんな自民党にも勝つ方法が一つだけある。それは、自民党が変幻自在のアメーバの如く「自民党1」「自民党2」「自民党3」にように分裂・分割することによって「新生」自民党をイメージさせる策である。そして選挙後、合従連衡するのである。これが出来れば多分大敗は免れる。しかし、これを実現できる戦略的リーダーがいるだろうか?風に押され流れに乗って民主党は、多分、今度の総選挙で「政権交代」するだろう。しかし、民主党の圧勝だけは避けたいものである。圧勝させれば、民主党は必ず袈裟衣の下に隠した「憲法9条改正」と「消費税率アップ」という鎧を顕わす。そして「郵政政権」の二の舞のような政治が始まる。即ち、目的を達成するまでは、「3分の2」の魔力が3代の総理に解散を踏み切らせなかったように、民主党政権も民意を聞こうとしなくなるのは目に見えている。程々に勝たせることが大事なのだ。膨大な赤字国債を抱えるわが国の財政健全化を図るには防衛費(9条が改正されれば軍備費)の増大だけは避けなければならない。そのためには健全な御目付役として護憲派政党を躍進させなければならないのだが、小選挙区制の下ではこれが中々難しい。比例代表制の改革(比例と小選挙区の並立禁止等)が望まれる。

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都議選、自民惨敗、民主躍進

「ゲキジョウ」化した民意が「エキジョウ」化した   7/12東京都議選は予想を超えた自民惨敗、民主圧勝で終わったが、選挙の争点が霞んでいるという妙な選挙であった。石原慎太郎都政を問うというより石原伸晃自民党都連会長が問われたような選挙であった。にも拘らず、投票率10%アップというのは、今まで投票に行かなかった多くの都民が投票所に雪崩のように足を運んだことを示している。何が、都民の心理に「激情」を起こさせたのか?という意味では、「何が何でも政権交代」という国政の「劇場」化現象がもたらしたものが今回の都議選であろう。「劇場」化には主役的ヒーローが必須であるが、自民党は事もあろうに政権の私物化傾向が強い東国原知事を抜擢してしまった。ヒーローであるべき主役が最悪の叩かれ役、悪役を選んでしまったという事実は「劇場」型選挙としては最悪の選択となった。勿論、自民惨敗の原因はそれだけではないが、自民離れの流れを加速させたことだけは間違いない(更に解散し難くなった)。選挙区別の得票数を見ると、目に見えるような民意の「液状化」現象が各選挙区の民主党候補者に起きたことが歴然と現われている。民主党にしてみれば、国政を意識して「政権交代」に絞った選挙戦略が「劇場」化しズバリ成功した、と拍手喝采しているだろう。その結果、またまた政治実績を持たない多くのアマチュア政治家を誕生させた。矢張り、「アマチュアに政治を任せてよいのか?」「もっと議員個人の良識・見識や政治資質が問われなければならないのではないのか?」という疑問が湧く。どうしても、小泉「郵政劇場」選挙で雨後の筍の如く誕生した杉村太蔵に象徴される「小泉チルドレン」が思い浮かび、政治の貧困化が加速することを憂いつつ、一抹の不安が過ぎるのを否めない。そう思うのは私だけではあるまい。多くの都民が、冷静に見識を持って民主党以外の野党にも投票することを期待していたが、劇場化は激情化に通じる。多くの都民は、今は野党に投票したつもりでいると思うが、今日からは民主党は与党となる。社会のあちこちに様々な弊害をもたらす因となった小泉「郵政劇場」選挙の学習効果が見られないのは残念である。やがて行なわれる総選挙では、冷静に見識を持って少数政党の主張にも耳を傾けて欲しいものである。劇場化政治ほど必要なものは健全野党の育成である。

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「地方分権」の東国原と橋下

知事会は政党の支援団体たり得るか?   陽の東国原、陰の橋下といった観はあるが、「地方分権」を錦の御旗かの如く高々と掲げて東国原知事と橋下知事が国政参加へ異常なくらい意気軒昂である。知事会のマニフェストを「一言一句違えることなく」党のマニフェストに載せた政党を知事会あるいは首長会は「支援する」と述べた。これに先ず引っ掛かったのが自民党の古賀選対委員長(あるいはシナリオライター?)であるが、今では民主党まで巻き込まれている。弱り目にタタリ目の自民党と、何が何でも政権を取りたい民主党の足元を見透かした行動は如何にも政治屋タレントらしく、テーマの採り上げ方もバラエティー的で見事なパフォーマンスと言える。大体、「知事が公に支援政党を決める」という発想はどこから出て来るのだろうか?様々な政党支持者によって成り立っている企業に特定政党に対する政治献金を認めているものと同質の体質を感じる。如何にも隠れ自民党らしい独善的暴言と言わざるを得ない。東国原知事や橋下知事が「知事会として支援政党を決める」という発言が「マヤカシ」であることに気が付かなければならない。しかし、それに踊らされ煽らされているメディアの姿も哀れである。初期の頃は両者とも「県民のため、府民のための地方分権」という大義名分を掲げて声高に唱え、多くの首長たちの賛同を得られたようであるが、ここに来て大分冷め分散し始めているようである。その原因は、地方行政の首長が一政党に操を売るような行為が許されるのかという点と、橋下東国原両知事の個人的目論見に利用されているだけではないのかという危惧心にあるように見える。彼らの弁は、地方行政は知事の政治的色によって大きな影響を受けているかのように聞こえるが、これは彼らの思い過ごしか意図的過大表現(詐言)であろう。自民党政権下、同じ自民党員の知事でありながら大分県や宮崎県の道路建設が遅れていたことを見ても歴然としている。道路建設は中央集権か地方分権かという問題ではなく、単に派閥や族議員の力の強弱によるものと考えるべきである。道州制を強行したい橋下知事と自らが国政(自民党)に参加したい東国原知事との間にはその思いに若干の違いがあるようだが、彼らの言い分を聞いていると、地方分権のみで国政を牛耳ることができるかのような錯覚に陥りそうな気持ちになる。それだけ彼らの弁が巧いのだろうが、ここはムードに流されることなく冷静に判断する必要がある。二人の「ゴリ押し」的強行姿勢の裏には県民・府民による高い支持率がある(と言うより、高い支持率さえあれば何でも出来るという傲慢心がある。高過ぎることは反って危険)。地方行政というものは中央政権が替わっても県民・府民への行政に極端な変化があってはならない。それが地方自治の原則で、分権制というのは民主主義の上にしか存在し得ない。政権交代によって地方行政が大きく変わるようであれば、それは民主主義と言うより独裁政権的な集権体質そのものであって、「地方自治」以前の問題である。過去に滅茶苦茶な知事が誕生したこともあるが、その知事によって地方行政が一方に偏ったり目茶目茶になったかというと、そんなことはない。行政を裏で支える事務方(いわゆる霞ヶ関型官僚機構)の中立公平の思想が暴走政治屋のブレーキ役を務めていることも忘れてはならない。そのために法律は公務員の政治活動(政治的活動も含む)を禁じているのである。総選挙が近いが、くれぐれも政治は政治屋にだけは任せてはならない。

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「第6次産業」とは?

6次産業

 [2009.6.3追記] 最近、「第6次産業」という言葉を新聞やTV等で頻繁に見聞きするようになった。食料の自給率低下が農業や水産業などの活性化と復活に目を向けさせ、政経のあらゆる舞台で「第6次産業」という言葉が話題に上るようになったことは、遅まきな感は免れないが喜ばしいことである。農業も水産業も65歳以上の従事者が半分以上を占めており、このままでは「限界産業」へと向かうことは間違いない。これまで産業の形態(生産・加工製造・販売)と産業の種類(業種)で分類するのが当たり前であったところへ、一事業者のみで行なう形態と地域が一体となって行なう形態とがあるが、「第6次産業」という言葉の登場は農業や林業や水産業という低生産性(年回転率一回以下)事業分野に「生産(一次)-加工・製造(二次)-販売・サービス(三次)」を一貫化するヒントを与えた。低効率の第一次産業分野にトヨタ方式や大手流通方式の合理的経営方法が導入されたのである。しかし、農林水産業は殆どが消費地から遠く離れた限界集落化しつつある地区においてしか成り立たないという弱点を持っている。如何に優れた経営方式と言えども、その効果を発揮するためにはその地区にコミュニティー機能(再生産機能)が存在していることが必須となる。新政権には、そういう意味からも限界集落化をストップさせ得る政策、金融・郵便は勿論のこと物流コストコストの逓減策等強力な支援展開をして地域と産業の活性化を図って欲しいものである。

 [2007.11.26記] 今日11/26の朝日新聞朝刊に「第6次産業」という聞き慣れない言葉が載っていた。第1次産業が農業や漁業や林業で、第2次産業が工業や加工業で、第3次産業がサービス業や販売業を意味することを知らない人はいない。では、第4次産業は何?第5次産業は何?ということになるが、実は4、5は無くて突然6となる。即ちここで第6次産業の登場となる訳である。誰の発想か知らないが、「第6」の意味は、「第1次」、「第2次」、「第3次」を足しても「6」、掛けても「6」ということから、最近、「第6次産業」という造語が生まれたものらしい。他愛無いと言えば他愛無いが、不思議な語感を持っている言葉である。世界の先進国というのは、アメリカもイギリスもフランスもドイツも、全て第1次産業から第3次産業までの健全な発展で成り立っている国である。日本のように第1次産業どころか第2次産業まで滅びようとしている国はない。そういう意味で「第1次産業から第3次産業まで」を一言で言い表せる「第6次産業」という言葉は素晴らしい。感性の鋭さには感心する。日本はGDP世界第2位と悠長なことを言っているが、第1次・第2次産業を見捨てて第3次産業ばかりに力を入れ過ぎた結果に過ぎない。即ち貿易立国を標榜し過ぎたのである。この政策が日本の第6次産業を歪(いびつ)なものと化し、各地に限界集落を創り出す一因となったことは疑いない。そういう点から見れば、バラマキと非難を受けている民主党の農業救済策などはもっと第2次産業くらいまで広げた政策とすべきで、日本の健全な発展のためには第6次産業の強化推進を指向すべきである。第6次産業の活性化が、過疎化と切っても切れない「限界集落」を活性化させるヒントになりそうである。(IT産業を第4次産業に当てる説もあるが、ソフト産業という意味では第3次産業のままでよいと考える。)

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山本一太の敵基地攻撃論と憲法9条

敵基地攻撃論と憲法9   北朝鮮がミサイルを発射し核実験を実行した後、例によって北朝鮮の瀬戸際外交が過激化しそうな様相を呈している。この北朝鮮の動きに、突然、山本一太参議院議員らが過激に反応し、メディアの前で公然と声高に「敵基地攻撃」論を展開したことは無益だった。憲法9条の精神(専守防衛・武器放棄・交戦権放棄)に適っていないことは歴然としているにも拘わらず、安倍元総理の意を受けての発言か山本一太特有のパフォーマンスかどうかは不明だが、軽率浅薄な彼の発言が、北朝鮮に「日本の反動らは、如何なる方法であれ海外侵略戦争の火を付けようと企てている。我々のミサイル発射基地を空襲しようとしている。我々の打撃力は大変強力で限界を知らず、地上には地上、海上には海上、空中には空中で、日本軍国主義の侵略者を無慈悲な報復打撃で一掃する。反撃が加えられれば、日本は修羅場になるだろう」と言わしめ、アメリカに向いていた攻撃の矛先を日本にも向けさせてしまったことは間違いない。アメリカを孤立させ、日本も孤立させて6ヵ国会議を無力化しようとする北朝鮮の外交戦略にウマウマと乗ってしまったようなものである。山本一太議員の「敵基地攻撃」メディア発言は「これが明日の日本を担う国会議員か」と失望させる何とも軽率、軽薄、浅薄極まりないもので呆れるばかりだが、更に5/26、麻生総理が「一定の枠組みを決めた上(自衛権の範囲内)で法理上は(敵基地攻撃は)出来る。攻撃出来ることは、昭和30年代からそういった話だと承知をしている」と発言したことは愚の上塗りであった。この論自体は1956年の鳩山一郎内閣の「相手が攻撃することが分かっている場合に敵基地を叩くことは憲法9条に反しない」という憲法解釈に拠っているが、もともと「攻撃されても反撃出来ないということは座して死を待てと言うことか」という極論の上に成り立っているもので健全なる憲法解釈とは言い難い。しかし、この論を支持する者は、現時点ではまだ多数までには到っていないが、自民、民主の憲法9条改正派議員に多く無視出来ないくらいの人数がいる。山本一太議員や安倍元総理以外に、額賀元防衛長官、中川前財務大臣(彼の核保有論議は論外)武部元幹事長、土屋正忠議員、鈴木馨祐議員、民主党では浅尾議員(民主党「次の内閣」防衛大臣)、前原元代表、枝野議員等の大勢の与野党タカ派に引き継がれているが、むしろ古参タカ派の山崎拓議員や加藤紘一議員らの冷静な発言に安堵している。ただ、MD網防衛構想に見られるように、この問題は更に防衛族が喜ぶ過剰防衛構想に発展する懸念がある。

憲法9 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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毒舌と毒舌家

毒舌と毒舌家   最近、関西系のTV番組から降板した芸人がいる。彼は「毒舌」を売り物にしていた芸人コメンテーターのようであるが、降板の理由は彼が得意としていた「毒舌」にあるらしい。彼は「毒舌」を芸の一つと思い込んでいたのだろうか?彼の毒舌なるものを何度か耳にしたが、機知や皮肉を遥かに通り越して正に「毒口」そのもので、聞くに堪えないような不謹慎、不愉快極まる発言が多かった。「口は災いの元」、自らの口で自らの首を絞めたようなものであろう。広辞苑には、「毒舌」とは「極めて辛辣な皮肉や批判の言葉。毒言」とあり、類語辞典には「悪口」とある。毒言とは「他人の名誉を損なう言葉。また、極めて悪し様に言う言葉。毒口」とある。毒口とは「毒々しく言う言葉つき。悪たれ口」とある。悪たれとは「性質が悪い」という意味である。また、悪口を言い換えれば「憎まれ口」「悪罵(あくば)」「悪言」「悪口雑言(あっこうぞうごん)」「嘲罵(ちょうば)」「罵詈雑言(ばりぞうごん)」「罵詈讒謗(ばりざんぼう)」「誹謗」「中傷」等となる。何とも汚い言葉ばかりで不快な気分になるが、世間では毒舌と毒舌家ではややニュアンスが異なる。一般的に「毒舌家」と言えば、直截な物言いの「痛烈な皮肉屋、批判家」といったニュアンスがあり、「言いたくても言えないことをグサリと代弁して呉れる人」と、好意的に受け入れられている面もある。ハッキリと意思表示することが不得手な日本人には、「相手に遠慮せず、思っていることを包み隠さず、へつらわずに率直」に口にする「歯に衣着せぬ」物言いに対して羨望的快感を抱く人が多いのである。出来るものなら、辛辣に直裁に発言したいと思っている人たちは意外と多いのだろう。先の芸人コメンテーターは機知と毒舌の意味を取り違えていたのかも知れぬ。麻生総理の漢字の「読み間違い」などは可愛いもので、言葉の意味を取り違えて発言するコメンテーターが及ぼす害の方が余程重大である。テレビ局はもう少しコメンテーターのレベルに意を注いだ方がよい。さもないと、日本語は乱れるばかりである。

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人工衛星とテポドン2と飛翔体

人工衛星とテポドン2と飛翔体

   [2009.4.10追記] 政府は今日になって「飛翔体」という表現を「ミサイル」に改めると河村官房長官が発表していたが、ロケットの残骸が発見されたようでもないのに、呼称が「飛翔体」から「ミサイル」に突然変わった理由は何だろう?多分、北朝鮮への制裁を決定するのに、正体不明のような印象を与える「飛翔体」という表現では具合が悪かったのだと推測しているが、こんな簡単なことが一週間近くも経たなければ分からないというのは政治家としてお粗末極まる。

   [2009.4.5記] 今日11:30、北朝鮮が「人工衛星」を発射した。日本政府や防衛省は「飛翔体」と曖昧に表現し、オバマ大統領は「テポドン2」とストレートに表現した。弾道ミサイルにしても人工衛星にしても、2006年の安保理決議に違反しており、安保理に挙げて新決議を求める、というのであれば、日本政府もオバマ氏同様「テポドン2」あるいは「弾道ミサイル(大陸間弾道弾)」と明確に表現するのが毅然たる姿勢だろう。日本国土の上空をUFOのような「何か分からぬ物体(飛翔体)」が飛び越えたので安保理に「新たな決議の採択」を求めるというのでは説得力に欠けお粗末過ぎる。2006年安保理決議のどの部分に違反しているかが分かるような明確な表現をしなければならないのではないか。表現に毅然さがないために、川村官房長官や防衛大臣や中曽根外務大臣らの会見を見ていても、弱腰姿勢だけが目立つばかりで、本当の怒りが伝わって来ない。これでは金正日に舐められても仕方あるまい。しかし、北朝鮮の暴挙によって、防衛省の危機管理レベルや額賀、中谷、石破ら防衛族が数兆円を掛けてアメリカから導入した構築中のMD防衛網の能力の悪さというものが明らかになったのは良かった(?)。特に、レーダーやPACK3の能力の悪さにはゲンナリした。案外、北朝鮮のミサイル発射を最も喜んでいるのは日米の防衛族かも知れない。

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「Qチャン」こと高橋尚子さん、引退

ラストラン

  「2009.3.9追記」 昨8日のラストラン、名古屋国際女子マラソンをTV観戦した。日本人二人の新人の頑張りも新鮮で初々しく溌溂として良かったが、今回はQちゃんを見るつもりでチャンネルを切り替えた。やはり高橋さんの手を振り笑みを湛えたランニング姿には爽やかな感激と一抹の寂寥感が湧いた。やはり、Qチャンの人柄だろう、遥々海を越えて友情参加したリニア・シモンさんの静かに黙々と走る姿にも心地よい感動があった。お疲れ様でした。

高橋尚子氏、引退

  [2008.10.29記] 昨日1028日、「Qチャン」こと高橋尚子さんが爽やかな笑顔で現役を引退した。早いもので、36歳だという。26歳デビュー、36歳引退というのは余りにも呆気ないような気がするが、世界のトップまで登り詰めたアスリートの宿命であり、致し方ない。世界の女子マラソン界をリードし、わが国の女子陸上界の輝ける星だっただけに、突然の引退には残念さが残るが、お疲れ様、ありがとう、と言いたい。芸術家であれば100歳になっても現役でいられるが、トップ・アスリートの選手生命というのは「優勝を維持できる期間」というのが宿命であり、突然の引退決断は「Qチャンの美学」なのだろう。厳しいものである。頂点アスリートとしての競技生活には大変なプレッシャーがあった筈だが、彼女のマラソンは見る者に心地良い安らぎを与えて呉れる不思議な走りであっただけに、澄み切った秋空のように天真爛漫な彼女の笑顔が見られなくなるのは寂しい。現役時代の好きな言葉は、高校時代の恩師中沢正仁氏から贈られた「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」という言葉と、「丸い月も一夜だけ」という言葉であったらしい。不断の努力を積み上げて世界の頂点に立った謙虚な女性らしい含蓄深い言葉であるが、マラソン6連勝の絶頂期にあった時の座右の銘であったことに驚く。引退しても、彼女の精神性の高さは必ずやまた新しい頂点を極めるだろうと期待している。1997年初マラソン、982度目の名古屋マラソンで日本新、2000年のシドニー五輪・陸上で日本人女子初の金メダル、2001年ベルリン・マラソンでは世界新で優勝、2003年東京国際女子マラソン2位。2005年小出監督から独立後、「チームQ」を結成し、東京国際女子マラソン優勝。その後、故障が続き思うような成績を残せず、20081028日引退表明。

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