カテゴリー「か行」の76件の記事

検察審査会

検察審査会   検察審査会とは、検察官が判断した不起訴処分についての「是非を審査する」機関で、その処分に不服ある者からの申し立てを受けて開かれる。有権者の中から無作為に選ばれた11人の検察審査員によって構成され、県に一箇所もしくは複数個所、全国の地裁または地裁支部の中に全部で165ヶ所置かれている。制度の始まりは昭和23年と古いが、審査結果に拘束力が無く殆ど無意味のものであったが、2004年の司法制度改革を機に「審査結果が拘束力を持つ」ように改正され、今年の521日より施行された。起訴権限は検察官の専決事項となっているために、被疑者を処罰する必要があるかどうかを判断するのは検察官である。従って、様々な事情(指揮権発動等)から起訴しない(不起訴処分)ということもあり得、恣意的な不起訴や起訴猶予といったことも起こりかねない(政治家に対しては概ね甘い)。従って、これを不服とする事態が起こってもこれまでは手の打ちようが無かったが、改正によって審査結果が「起訴相当」とされた場合、裁判官の権限において必ず起訴されることに改められた。一般市民の声が司法に届くようになったことは大歓迎である。審査会における賛成が5/11人以下の場合は「不起訴相当」、67/11人の場合は「不起訴不当」、8/11人以上の場合は「起訴相当」となる。裁判員制度や被害者参加裁判制度など一般市民が強制的に司法権に介入させられることに手放しで賛成は出来ないが、検察審査会法については大歓迎である。これによって警察や検察の初動捜査が厳密になり徹底されることが期待出来、結果として冤罪が減ることも期待できる。今後は逮捕率の向上が課題である。ついでに言えば、「告発審査会」を設けて市民からの告発は捜査を義務付ける制度も欲しい。

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加害者の人権

加害者の人権

  [2009.6.12追記] 「誰でもよかった」無差別殺人事件や犯人の欲望を満たすためだけの残虐非道の凶悪犯罪、特に何の落ち度もない被害者が殺害された事件の裁判が開かれる度に思うことがある。加害者は事件後、必ずと言ってよい程被害者の家族に対して謝罪の手紙を認める。裁判官の心証を良くするために弁護士が採る弁護の常套手法の一つだろうと思うが、裁判官はこれらの謝罪行為によって判決が左右されることはあるのだろうか?裁判官も人の子である以上個人差があり、冷静かつ客観にして平等であるべき裁判官の心に感情が忍び込み罪刑判定に情状が影響することも無いとは言えないだろう。本来、罪刑の判定基準は事件事実と事件当日の時点において裁かれるべきもので、事件後の事情が判定に加味されてはならない。裁判開始日が遅れれば、如何な重罪犯と言えども何がしかの反省をしないとも限らない。これでは、亡くなって怒りや憤りを発することの出来ない被害者はもとより被害者の家族の気持ちが治まらないのは当然で、凶悪犯罪には「罪を憎み、人を憎まず」と言うような綺麗事は通用しないと考えるべきであろう。このような情状弊害を減らすには事件発生から短期日の内に裁判を開始し、事件当日の犯罪に対して罪刑を判定することが重要である。凶悪犯罪の事例を見る度に、被害者の人権よりも加害者の人権の方が優位に扱われているように思えてならない。裁判官は「もの言えぬ被害者の憤りの声」にもっと耳を傾けるべきで、それで初めて感情的平等に到達したと言えるのではないだろうか。

  [2006.12.8記] 2006828日、周南市の徳山工業高専で中谷歩さん殺害事件が起きた。翌日には警察の素早い動きで、同じ学校の同じ学年の19歳の少年が逮捕状を取り指名手配されたが、何故か、名前も写真も公開されなかった。その為に、殺人犯が顔を知られずに一般人の中に紛れ込むこととなった。その理由は容疑者が未成年者であるからだと言う。加害者の人権保護である。しかし、これはおかしいのではないか?容疑者は殺人容疑により指名手配されているのである。国と警察は国民が犯罪に巻き込まれないよう生活権と生存権を保障保護する重要な役目を担っているにも拘らず、被害者になりかねない事態を警察自身が作っていることについて警察は何を考えているのだろうか?

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危険運転致死傷罪と飲酒運転罪-福岡高裁判決

危険運転致死傷罪

   [2009.5.15追記] 今日15日、福岡高裁は、業務上過失致死傷罪とし7年の刑とした一審判決(福岡地裁)を誤まりとして破棄し、危険運転致死傷罪を適用し20年の刑を申し渡した。一審において今林被告の酔っ払い状態を「危険運転」に当たらない程度の状態としたものを、陶山裁判長が「危険運転」に当たると法解釈を改めたことによるものである。福岡地裁の判決に納得が行かなかっただけに、心情的には拍手喝采の気持ちである。しかし裁判員制度の施行を直前に控えて、何ら新しい証拠が提出された訳でもないのに、裁判官の法解釈如何あるいは匙加減によって量刑が大きく左右されるというのは困ったものである。恐らく最高裁へ上告されると思われるので、「危険運転」状態とは何をもって判断するのか、最高裁の判決を待たなければならなくなる。最高裁は速やかに何らかの対策を執らないと、裁判員裁判制度そのものが混乱することが目に見えている。「飲酒」運転による事故には全て「危険運転致死傷罪」を適用するように解釈を統一すべきである。

[2007.12.18] 2006825日、酩酊した今林大被告が被害者大上さん一家の乗っていたRV車に追突して海中に突き落とし、幼児3人を死亡させた衝撃的な飲酒運転による事故の判決を前に今日、福岡地裁が「訴因変更」の命令を出した。危険運転致死傷罪の適用が微妙であるので、飲酒運転罪(具体的には業務上過失致死傷罪)の適用が出来るようにしておかないと、争点が「危険運転致死傷罪」に絞られ裁判所は「無罪」を出さざるを得ないこともあり得る、ということが理由のようである。今林被告は被害者を救助することなく現場から逃走し、さらに友人に水を持って来させてそれをガブ飲みし、アルコール濃度を下げる行動をとった。結果としてこの行為が危険運転致死傷罪の「四ツの構成要件(成立要件:下記太字)」該当を曖昧にし、この法律の適用を難しくしたようである。しかし、飲酒量や酩酊度は店や友人の証言も得られているようだし、「水を飲んだ後のアルコール濃度が構成要件に該当しない」と決め付ける必要も無いように思う。このような悪質な大事故というのは滅多にあることではない。この法律自体、このような極めて悪質な飲酒運転を罰するために多くの国民の要請を受けて出来た法律であることを鑑みれば、「四ツの構成要件」の判定方法に問題があるのであって、むしろ構成要件の方を見直すべきであろう。にもかかわらず、この危険運転致死傷罪が適用できないと言うのでは、この法律を作った意味が無い。飽くまで、この法律は「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させて人を死傷させた場合」という法理に立脚すべきである。

刑法第208条の2

     アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。

2        人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。

      飲酒運転を「故意犯」と位置付けしたこの法律が出来たとき、飲酒運転が原因である犯罪の中に業務上過失罪となる「過失犯」と危険運転罪となる「故意犯」とが混在し、その判断の分かれ目がアルコール濃度や速度や脇見運転などに依ることに一抹の危惧を抱いていた。やはり、「飲酒」運転そのものは、飲酒量の多少等で云々するのではなく、「飲んだら乗るな」の原則に則って無条件に「未必の故意」である「故意犯」として法制化すべきであった。そうすれば、今回のようなことが起こる余地は無かった。この法律が立法化された社会背景からすれば、現状の法律のままでも立法趣旨に沿った「判例」を作れるのではないか。

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高速道路、1000円とETC

高速道路一律1000円という政策   麻生政権の定額給付金に次ぐ目玉政策、「土日祭日の高速道路一律1000円」という制度が今日328()から実施された。一般国民の喜びようは定額給付金に優るだろう。数ヶ月前までは高速道路料金の引き下げやガソリン税の撤廃策は徒に石油消費を増大させ、CO2削減、エコ推進を定めた京都議定書に反すると声高に反対していた自民党が、「1000円料金(差額は税金で補填)」政策については炭酸ガスの「炭」もエコの「エ」の字も語らない。知らん振りの半兵衛を決め込んでいる。どうしてこうも見識の欠落した人間ばかりが自民党には揃っているのだろう。票に結び付くという思いがあるからだろうが、多くの国民は忘れてはいない筈だ。高速道路料金を決定し徴収しているのは、小泉・竹中政治が道路公団を民営化して作った民間会社、高速道路である。これより2年間「正規料金と1000円との差額分」は税金で補充するそうなので、高速道路は棚からボタ餅どころか濡れ手で粟を掴むようなボロモウケである。更に、ETCの普及が伸び悩む中で、この「乗り放題1000円」という政策は機器の「品切れ状態」が続くほどの目論見以上の効果をもたらしている。ETCを普及推進させる役割というのは()道路システム高度化推進機構という国土交通省の「天下り」先の外郭団体で、民間会社である高速道路と手を携えて進めている事業である。政府は、ETC車載器への補助金(税金投入)ばかりでなく広告宣伝マンの役まで担って呉れているのであるから、不況の中、ETC車載器製造企業(10数社)は特需でウハウハの筈である。そもそも、ETC車載器製造メーカーだけが潤うような政策というのも不審だが、対象をETCの普及が遅れている個人乗用車と自動二輪車に限定しているのも実に「アヤシゲ」な意趣を感じる。高速道路は、利用客が増えた分補填金(税金)がそっくり注ぎ込まれて不当利得にも等しい増収増益となる訳で、冷静に考えれば腑に落ちぬ。景気対策の一環とすれば、直接消費者である国民に対しては内需振興策としての効果は見込めるが、今の国内経済にとって最も重要な景気振興策は産業の活性化である。内需振興を支える国内産業の活性化を企図するのであれば、「1000円料金」政策は川下だけでなく川上にも行き渡るものでなくてはならない。今からでも遅くないから、不当利得相当分の増収分を産業用車両料金の引き下げに当てさせて料金体系を見直し、川上から川下まで一貫して活性化する「高速料金」政策を実行すべきである。税金を投入し続けるくらいなら一層のこと無料か年額一万円くらいに設定した方が国内産業や限界集落の活性化に多大の効果がある。

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強い株価と円安基調

株価と外為   期末を控えて株価は強く円は安い。期末に特有の現象ではあるが、3月初旬には日経平均株価は今にも7000円を切りそうな険悪ムードで、円は80円台に突入しそうな円高ムードであったが、二週間足らずの間にいつの間にか、ドルは98-99円という円安基調に落ち着き、日経平均株価は殆ど一本調子に900円ほど上げて8000円に近づき株高ムードに一変している。何が原因だろう、一変させるような何かが起こったのだろうか?アメリカでは依然としてBIG3の不安感は解消されていないし、AIGグループも燻(くすぶ)っている。国内を見ても、株式市場から外資は引き揚げているし、実業面においても生産状況に変化があったとも思えない。要するに、殆ど何一つ経済環境を好転させるような要因はないのである。と言うことはやはり、財務省他の積極的な「買い」が入っているのではないだろうか?即ち、大多数の企業が決算期末を迎える3月末の株価を出来るだけ高くすることによって、また円安基調にすることで為替差損を出来るだけ小さくすることによって、企業に出来るだけ好決算をさせ、低迷している法人税の落ち込みを防止したいという意図が働いているのではないだろうか?為替差損を小さくし、日経平均を高くすることは企業の信用力を増し、銀行の資金力にも余裕が生まれ、法人税の落ち込みも最小限に食い止めることが出来る。となれば、これから3月末までは株価と外為に大きな変化はないだろうと予想出来る。更に、7月くらいまでは定額給付金効果がある程度期待出来るが、それだけに8月ぐらいからの厳しい反動が予想されるので、ここ1、2年は切れ目ない景気対策が求められるだろう。解散する状況は生じないのではないか?

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カルデロン・のり子さん親子の滞在許可問題

カルデロン・のり子さん家族への滞在許可の是非

  [2009.3.14追記] 法務大臣の人道的決断はとうとう最後までなされず、遂にのり子さん親子が、「のり子さんは日本に残り両親は帰国する」という最後の決断をした、というよりさせられた。両親とのり子さんに二者択一的結論を選択せざるを得ないように導いた法務省の、如何にもお役所的やり口には憤りを覚える。児童福祉法を外国人には拡大適用する気もないようである。中学生の育児を放棄させるようなやり口そのものが法務省自ら児童福祉法を否定しているに等しい。日本の政治家は人道主義というものを理解していないのでないか。しかも、「子供の人権を保護する条約」を批准していながらの決定である。法務省は自分自身が行なったことの重大さが分かっているのだろうか?更に、両親から職を奪って放り出し親子の生存基盤まで奪った。果たしてこの世界不況の折り、両親は祖国フィリピンで正業に就けるのだろうか?人道国家にあるまじきもの、と言わざるを得ない。ここまで来れば、法務大臣に残された最後の人道的策は、フィリピン政府に「就労ビザ」を交付させて日本の現在の職場に復帰させることだけしかあるまい。英断すべし。

  [2009.3.9追記] 滞在期限許可を小刻みに延長するだけで結論を出そうとしない森法務大臣の醜態姿は自らの決断力の無さを証明するようなものである。この人の歯切れの悪さも麻生政権支持率低下の片棒を担いでいるのだろうと思うが、小刻みに延長せざるを得ない理由は何なのか?人道的理由なのか?単なる法律的バランスなのか?それとも政治的理由なのか?いずれにしても、何らかの強い理由があるから強制送還処置に逡巡があることだけは間違いないが、殺人を犯した凶悪犯でさえ15年間逃げ延びれば時効によって無罪放免になることに比べれば、不法滞在とは言え、同じ15年間を一市民として誠実に過ごして来た親子に対して人道的特例策を講じても良いのではないだろうか。不法入国、不法滞在という範疇での法的バランスを考えているようであるが、「人道的バランス」を考慮すべきで、バランスの対象を取り違えているように思う。時効によって凶悪殺人犯に社会生活権が授与され、カルデロン・のり子さん親子については家族の絆を切り裂くような命令を出すこの国の人道主義はどこかが奇怪(おか)しいと言わざるを得ない。「日本国籍が無い」という法的な理由もあるかもしれないが、人道主義に国籍の有無は関係がない。

  [2009.2.15記] カルデロン・のり子さん家族への特別滞在許可がなかなか下りない。依然として法務省や外務省の方針は「13歳ののり子さんには滞在を許可するが、両親には退去命令」という方針を変えようとはしていないようである。どうして親子の間を何としてでも引き剥がすような残酷なことをするのだろうか?麻生総理に指示を仰いでみればよいものを。正直麻生さんなら「入国方法に問題はあるが、親御さんたちは入国してからは善良真面目に社会生活を送ってきた人達のようであり、日本で生まれた子供に責任は無い。13歳の子供には扶養保護者が必要なことぐらい、法務省も外務省も分かっている筈だ。両親と子供が滞在できる方法を考えろ」と、ワケなくブレさせるだろう。確かに17年前に偽の旅券で入国した両親が採った不法入国という手段は厳しく処断されるべき犯罪であるが、だからと言って杓子定規に法を適用すれば良いというものでもあるまい。時には凶悪犯にさえ情状酌量を認めるではないか。大麻を吸ったり犯罪を犯したりしながら未だに帰国命令も出ずに滞在している不良外人もいるではないか。むしろ不良の方には甘く、日本社会に溶け込んで真面目な生活を送って来た善良な外国人に厳しいというのでは、わが国の「人道主義」と「平和主義国家」が泣く。理屈一辺倒の原則論も大事だが、それ以上に熱い血の通った個別論も大切である。法治主義とは人道主義の上に立って初めて真の意義がある。どうしても退去命令を実行したいのであれば、のり子さんは国内に残し、一旦、両親だけをフィリピンに帰国させ、直ちに正式な手続きを踏んだ上で再入国させるという方法だって採れる筈だ。不良外人の入国とは意図も意義も全く異なるのだから、人道的処置に反対する国民はいないだろう。見方を変えれば、北朝鮮に拉致された人々のことを知っていながら、なかなか救出に動かなかった国家のやりそうなことである。麻生総理か、鳩山大臣の出番が来たようだ。

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言わずもがな、政府高官。国策捜査と言われても仕方ない

政府高官と地検特捜   小沢氏の第1秘書が逮捕された翌々日の5日、ある「政府高官」が非公式の場(早く言えば’リークの場’か?)で、「自民党議員に波及する可能性はないと思う。(自民議員の)あの金額で違法性の認識を出すのは難しい。請求書でもあれば傍証の一つになるが、それだけで立件はないと思う」という発言をしていたらしい。「国策捜査」を匂わせる発言は、事もあろうに政府中枢から出ていたようである(ネットで検索すると、リークした政府高官の名前も西松献金の内幕も元秘書で現在自民党議員のことなど詳しく出ている)。その翌日6日、鳩山幹事長や小沢代表が憤慨した険しい表情で、会見早々いきなり「国策捜査だ」と断定的発言をしたときには一瞬両氏とも「トチ狂ったのか?」と思ったが、やはりそれなりの理由があったのだ。当該政府高官には「何らか」の意図があってのリークだったのだろうが、それにしても「逮捕の翌々日」に捜査内容をペラペラ喋るとは!何ともKY政府高官」がいたものである。これで、西松献金問題は小沢代表までは及ばず、「秘書」で幕引きになるのではないか。それとも、そうなることを意図してのことだったのか?であれば何故か?新たな疑問が湧く。しかし、これでは「巨悪」に挑戦して来た東京地検特捜部の名誉と歴史に汚点を残すことになる。自民・民主には、巨悪とまでは行かなくても、日本を食い物にしている「大悪」「中悪」程度の悪はウジャウジャいる。地検特捜には、日本を良くする為に是非とも大掃除をし土壌改良を行なって貰いたいものである。

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亀井氏、かんぽの宿で竹中氏に噛みつく

亀井氏、「かんぽの宿」問題で竹中氏に噛みつく   郵政問題では、鳩山総務大臣の「郵政とオリックスのデキレースだ」発言直後から、小泉元首相がロシアから「麻生脅し」とも取れるような発言をしたり、竹中元総務大臣がノコノコテレビに出て来て「譲渡正当化」発言をしたり、小泉元総理の「偉大なるYESマン」である武部元幹事長が露骨な「麻生降ろし」発言をしたり、傍目には聊か異常なまでの過敏反応が目に付いていた。ところが、3/1(日)のサンデープロジェクトに至って、亀井国民新党代表代行と郵政民営化の実質推進者の竹中氏の二大対決までが実現した。対決いきなり亀井氏が竹中氏に「かんぽの宿」の譲渡問題は「犯罪だ」と言い切って噛み付いたのには驚いた。竹中氏の表情が一瞬凍りつき、声高に「何を以って犯罪と言うのか」と「証拠はあるのか」と言わんばかりの反論をしたが、後ろの席から評論家の財部氏までもが声を荒立てて竹中氏の肩を持っていたのには驚いた。冷静さが要求されるコメンテーターとしては失格だ。星氏も似たようなものだ。これでは、竹中氏を擁護するよう、「誰か」に頼まれたようだナ、と勘繰られるだろう。亀井氏は警察庁官僚出身であるだけに日頃から慎重な発言をする人だが、その彼が公衆の面前で「犯罪だ」とまで言い切るというのには、恐らく言い切れるだけの確信的材料を手にしているということだろう。政治生命を奪われかねない重大発言をそう簡単にする筈がない。この発言によって麻生総理の小泉離れや郵政見直し等の「小泉改革の見直し」ムードが国民の間に醸成され、麻生総理の一連の発言が少しばかり正当化されることは期待できるが、いずれにしても自民党の恥を晒していることには変わりなく、政局に大きく影響するほどのことはないだろう。しかし、多くの国民が小泉・竹中改革の真実と裏側を知りたがっていることだけは間違いない。ただ、高級官僚たちは間違いなく喜んでいる筈である。

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相撲が公益法人?で、郵政が営利法人?

ちょっと奇怪(おか)しいぞ!公益法人   25日、麻生総理は日本郵政の4分社化に見直しを掛けて来た。良いことである。「過ちを正す」ことは政治家として最も尊ばれるべき資質である。小泉・竹中コンビが健全社会の礎、即ち最も重要な社会資本である郵政事業を営利事業化した理由が分からない。この国の政治家は公益という意味を理解していないと見え、暴行事件は起こす大麻問題は起こす、ボロ儲けの挙句の果てにはこの不景気下で力士の給料まで上げたいという日本相撲協会が納税不要の公益法人で、損得を抜きに村落の人々の生活を守る役目を担わねばならぬ郵政公社が民間会社となって利潤を追求し法人税を納付し株式配当を義務付けられる営利法人というのをオカシイとも何とも思わないようである。国民の誰が考えてもチョットどこではない奇怪、と言える。オリックス向け「かんぽの宿」譲渡に対する鳩山総務大臣の毅然さは立派だ。見直したよ。久し振りに分かり易い政治を見せて頂いた。何で小泉・竹中コンビが「郵政民営化」に血眼になったのか、オリックス問題が表に出たお陰でかなり見えて来た。今日6日にはメリルリンチが絡んでいたことまで明らかになった。ちなみに、広辞苑には公益法人とは「民法上、慈善・学術・技芸その他の公益事業を目的とする社団や財団で、主務官庁の許可を得て法人となったもの」とある。利益獲得を目的とする営利法人に対して非営利法人とも言う。

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喝采、「かんぽの宿」譲渡に「待った!」

「かんぽの宿」譲渡を凍結   今日29日、日本郵政㈱の西川善文社長が「70箇所のかんぽの宿を一括109億円」でオリックスへ一括譲渡するという発言を撤回し、「凍結する」と表明した。「オリックスの宮内会長は規制改革会議の議長をやり、郵政民営化の議論もそこでされた。そこに一括譲渡となると、国民が出来レースではないかと受け取る可能性がある」という鳩山邦夫総務大臣の強烈な異議発言が功を奏したのである。日頃、問題発言の多い人だけに、今回はその、歯に衣着せぬ直截な発言が曲者西川社長をタジタジとさせたようである。国民の気持ちをストレートに反映させたことが鳩山氏を見直させたのではないだろうか。正に拍手喝采である。そもそも、2400億円もの国民のお金を注ぎ込んだ広大にして高級な設備の建物が、何で109億円なのか?郵政民営化直前に払い下げられた物の中には「1万円」という価格のものもあるらしいではないか!国民の財産であれば、「かんぽの宿」の資産・財務状況を国民に明らかにすることが、日本郵政の社長に賦課された責務であろう。特に宮内氏が、市場原理主義という名の下に小泉・竹中政権が設けた規制改革・民間開放推進会議の議長として座っていただけに、払い下げの時期と方法について西川氏は慎重でなければならない。国民の財産を預かる社長としては資質的に問題があると言わざるを得ない。本来、国民の財産は最も高い価格で払い下げられなければならない。そのためには、誰が考えても個々の施設ごとに一般入札にした方が高くなることは明白である。にも拘らず、小泉・竹中政権は何故に「一社に一括譲渡」という条件を付したのか?竹中氏はTV番組でニヤニヤしながら言い訳染みた発言をしていたが、あのニヤニヤの裏には何があるのだろうか?実に気分が悪かった。

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謹賀新年:2009年はどんな年か?

2009年も大懸念の年   2007年、2008年に明らかになったことは、総理、大臣、政治家、高級官僚、程々公務員、経営者、裁判官、警察官、裁判所事務官、自衛官、経済学者、教師、マスコミ、評論家、ファンド、薬品、エレベーター、トラック、マンション、食品、鰻、鶏牛肉、お菓子、料亭、詐欺師、……等々、浜の真砂にも劣らぬ「インチキ」の凄まじさ。麻薬売人が「日本は大丈夫か?」と心配して呉れたのがよく分かる。まことにオゾましく寒々しい日本になったものだが、今年は少しは良くなるのだろうか?期待したいが、まだまだ不祥事が発覚しそうな予感がする。特に注目すべきは次の事柄だろう。

  日本年金機構  いよいよ小泉・竹中によって画策された日本年金機構が生まれる。自公は「100年保つ」と大見得を切って年金制度を改革したが、2007年、2008年と、厚労省(旧厚生省)の年金行政のデタラメ振りが明らかになった。このインチキ行政・隠蔽体質を温存したまま年金行政を国家から切り離そうとしているが、これで本当にいいのか?

  消費税率アップ  麻生総理は「景気回復」を条件にしてはいるが、3年後に実施することを明言した。景気回復という条件は抽象的表現過ぎる。消費税率アップというのは全国一律に実施されるのであるから、日銀短観で「全支店長」が「↑」という判定をしたときを「消費税アップの景気回復の時期と看做す」といった明確具体的な条件を決めなければ、政治家の良い様に扱われることになる。景気回復の途上で消費税率をアップすれば回復の遅れている地域には大打撃となり、それによって更に地域経済格差が広がる因となるだろう。

  裁判員制度  これも小泉・竹中政権が生み出した悪政である。「裁判員制度は憲法違反」の項でも述べたように、私は反対であるが、実施場面になると更に様々な問題点が表面化するだろう。結果は司法の混乱と司法への不信が増大する。司法の崩壊を招く懸念さえある。

  衆議院議員選挙  自民党の議席が激減することは明白。自公選挙協力によって公明党は現状維持できると思うが、麻生総理に公明離れの兆しが感じられるので、そうなれば自公は揃って大敗する。では民主党は大勝するのか、というとそうとも言えない。国民の多くが民主党の政治理念と行政能力に一抹の不安を覚えていることは否定できない。社民党や共産党にとってはチャンスとなる筈だが、残念ながら投票所に曳きつけるだけの力はない。結果としては投票率が下がることになるだろう。そうなれば自公政権と民主党は五分五分の選挙戦となる。日本にとって今必要なのは自民党以外の政権政党を誕生させることではないのか?だったら、投票に行かねばならぬ。

  政界再編  YKKK」が政界再編の引き金になるという見方もあるが、再編が起こることは考え難い。今更、山崎氏、加藤氏でもあるまい。と思えるほど時代遅れの政治家連合にしか見えない。「YKKK」とは「力な去の士的ぶれ」の略ではないのか。菅氏はイメージダウン。

  派遣労働  これも小泉・竹中政権による法改正によって派生した悪政。もともとは日給56万円以上の特殊技能者を想定した労働形態だが、一般作業者まで広げたことが諸悪の根源である。竹中氏は「働き方の多様化」を掲げるが、低賃金労働を派遣対象とすれば労働条件が低きに流れることは自明の理。派遣法を原点に戻って見直す必要があるが、明確なビジョンを示さない自公民に期待できるのか?

  財政危機  33兆の赤字国債発行。不況で歳入減が頭痛の種。企業が赤字になれば法人税は入って来ないが、高給取りの給料は余程のことでもない限り下がることはない。歳入の安定には日々の消費に消費税を課税することは最も手軽な方法であるが、所得税も安定収入源である。昔のように高給取りの税率を70%くらいまで引き上げ、300万以下を無税にするくらいの政策を採って国内購買力を拡大することが重要だろう。

  限界集落  僻地を作る政策を改める必要がある。金融機関も郵便局も消え行き、雪面を転げ落ちる雪塊かの如き限界化進行を食い止めるには地元からの自活策が大事。その為には、ドイツのように国営の郵便局を再度作ることも考えなければなるまい。高度成長期に折角作ったインフラを破壊して限界集落化を促進させるような政策では日本の健全な回復は難しい。再度「一億総中流化」政策が望まれる。そのためには高速道路の無料化や国内産業育成のための障壁も已むを得ないだろう。

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与謝野氏、解散と民意を語る

解散と民意   30日の麻生総理記者会見後、与謝野氏のトーンに変化が現われた。突然、「衆議院は選挙によって4年の任期が負託されている。解散は総理大臣の専決権限であるが、法律上、どこにも解散についての条項はない」と言い始めた。暗に「憲法上、民意というものは4年に一度問えば良い」と言いたいらしい。麻生政権は解散をせず任期を全うすればよい、と言わんばかりだが、苦境に追い込まれると政界一の見識派と思っていた与謝野氏でさえトンチンカンなことを言い出すものと見える。トンデモナイ、憲法の中にも「解散」という言葉は見える。憲法第7天皇の国事行為3項に「衆議院を解散すること」とあり、第69衆議院の内閣不信任には「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない」とある。ただ、憲法に「解散」という「議員資格」と「議員権限」の終期を明示する言葉があるにも拘らず、国会法に「解散」の定義も要件等を決めた法律も無いというのは「法の未整備」と言われてもしょうがないだろう。また、与謝野さんは、「ある人が、参院選挙によって与党が負けたことによって衆議院の民意が問われなければならないと言っているが、参院選挙の結果を民意と解するのはおかしい」と、これまた「参院選挙は民意を問うたものではない」という妙な持論を展開している。それでは、憲法43両議院の組織1に言う「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」とはどういうことなのか、と問いたい。憲法上、衆議院も参議院も民意を代表しているという点においては双方に差はない。如何な与謝野さんでも明解な回答は出来ないだろう。詭弁である。「民意を問う」とは選挙を意味する。しかし、この「民意」という言葉は憲法にも国会法にも内閣法にも存在しない。にも拘らず、「民意を問え」という大合唱が起こる。そもそも、民意とは何ぞや?民意とは民の意思なのか民の意見なのか?実は、意味も定義も定かでない。勿論、法律用語でも政治用語でもない。「民」とは複数名詞であるが、「意思」や「意見」はどちらかと言えば単数名詞である。従って、民意は「民の声」あるいは「国民の声」と言い換えた方が正確だと言える。総理大臣は、国民に選挙で選ばれた国会議員が国会の首班指名選挙で投票することによって決まるということで、間接的ではあるが「民意を反映している」ことになっている。だから、4年の任期内であれば、内閣が総辞職して首班指名選挙の手続きさえ踏めば、政権与党内の誰が総理大臣をやっても構わない、ということになっている。例えば、トンデモナイ人間、この前辞任した「日教組を潰す」と暴言を吐いたような御仁が、政権禅譲で自民党の党首になり総理になったとしたら、どうだろう?国民は「総理大臣にはそんな人間は認めていないぞ」と怒る筈である。法的にこの理屈を否定することは難しいが、政権与党がこの理屈を恣意的に振り回して新しい総理大臣を誕生させ続ければ、「国民の過半数にも満たない支持しか得ていない政党の横暴だ」と、国民は「与党の傲慢」を怒る。今の状況が正しくそうで、心情的に納得できる。何故なら、現在の選挙制度においては衆院選挙も参院選挙も特定の政党代表者の下で行なわれ、国民は地方区議員の個人に投票しているばかりでなく、同時に政党にも投票している訳で、当然、勝利した政党の党首が総理大臣となることを承知している。そういう意味で、政党代表者が誰であるかというのは非常に重要な事項である。にも拘らず、いつの間にか支持していない人間が総理大臣になっているという事態が起これば、「民意を問え」という声が出るのは当然である。政党政治であるから尚のこと、総理大臣の禅譲には問題がある、と言える。解散事由が、唯一「衆議院においての内閣不信任決議(69)」しかないことが問題で、先に述べたように参議院も民意を代表しているのだから、参議院にも内閣不信任決議を認めるべきである。あるいは、民意から乖離した政権かどうかを判定する「基準」を設けるのも一案、民意との乖離時間を短くするために、国会議員の任期を衆議院3年、参議院4年程度に短縮するのも一案である。それにしても、麻生さんは総理の椅子が殊の外お気に召したようである。不毛な政治が来年9月まで続くのか!困ったものだ。

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原油価格値下がり還元は?円高還元だけ?

円高差益と原油価格値下がり差益の還元は?   円高も激しいが、150ドル以上まで暴騰した原油価格がここ12ヶ月の間に60ドル台まで急激に低下している。世界的景気失調の原因となった原油価格暴騰が60ドルくらいに落ち着いて来たことは喜ばしい。円高が幸いし、実質原油価格はピーク時に比べれば激安状態にある筈で、一時の暴騰から見れば暴落に等しいにも拘らず、ガソリン・スタンドの価格が140円近くまで下がっている以外には「値下げ」のニュースがない。勿論、原油価格高騰を理由に我も我もとばかりに製品値上げをして来たメーカーからも値下げの声は聞こえて来ない。中には「?」と思えるような便乗臭いメーカーもあったが、原油価格が60ドルくらいに落ち着いた今は値上げした全てのメーカーは自主的に値下げしなければならない筈である。さもないと、全て便乗値上げということになり、不当利得と看做されても仕方ないだろう。不当利得は返還義務が生じる。しかし、知らん振りを決め込むということは「赤信号、皆で渡れば怖くない」というつもりだろうか?これについて政府は何もコメントしないし、マスコミも報道しない。これでは政官財、国家挙げての便乗値上げのようなものではないか。政府や企業の言うままに原油価格高騰を受けての諸物価値上げを「已む無し」と受け入れた庶民がバカを見ただけになりそうである。特に、国産比率40%弱しかなく殆どを輸入に頼っている食品は最も円高メリットを享受している筈だが、食品業者から聞こえてくるのは未だに「偽」のニュースしかない。最近流行りの、大手スーパーや旅行業者などの「円高差益還元」セールというのは、売上の落ち込みをカバーするための「背に腹は変えられない」已む無き自衛策に過ぎない。メーカーは10%くらいの落ち込みは便乗値上げである程度カバー出来るが、スーパーと消費者の懐には諸に響く。経済産業省と消費者庁担当大臣は、何故、不当利得分を変換させるような政治を行なわないのか?一体、麻生総理は、何を、何処を見て政治をしているのだろうか?

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麻生総理は解散するのか?

解散はいつか?

  [2008.10.7追記] 170臨時国会予算委員会が始まった。NHKの国会中継を見ている限りでは、麻生総理及び各大臣の答弁は十分に準備が出来ているとは言えずお粗末過ぎる。各人、選挙が気掛かりで国会どころの騒ぎではないのだろうと推測しているが、小沢所信表明(マニフェスト)をベースに質問を行なっている民主党の方が数段も優っている。麻生総理の答弁も、日頃に似ず歯切れが悪い。曖昧で、逃げの姿勢も覗われ、今にして見ればやや買い被っていたような感がしている。今日は日経平均株価は一万円を割り、ドルも100円を切る寸前の大荒れで世界金融恐慌を思わせ、解散環境からドンドン遠ざかっているように見え、麻生総理は任期一杯(来年9月)続けるのではないかという話さえ語られ始めた。これでは福田前総理の辞任によって行なわれた「賑やかし」総裁選は「何だったのか?」「麻生で解散ではなかったのか?」ということになる。徒に時日を費やして国民の信を得ていない三人目の総理大臣を誕生させただけで、国会に意図的空白を作ったに過ぎない。麻生総理が任期一杯続くことを期待して麻生氏を支持した国民はいないだろう。むしろ、華々しく解散する麻生氏を期待して支持した国民の方が多かった筈である。麻生氏が高い人気を維持するには、「国会は、国民に信を得た政権によって開かれるべきである」という憲政の王道を進むしかないが、今の麻生総理からは輝きが徐々に曇りつつある。多分、解散のタイミングを失うのではないだろうか。

  [2008.10.3記] 10/2、麻生総理が「解散の『か』の字を私から聞いた人はいない」と記者団と国民を煙に巻いている。「か」の字も言ったことはない、とわざわざ言うところが如何にも「喧嘩太郎」の面目躍如である。しかし、福田総理では解散が出来ないから「麻生で」というのが麻生総理誕生の経緯(いきさつ)であって、「解散する」と明言こそしていないが、暗に「いつするか」というニュアンスの発言は何度もしている。しかし、「政治は何が起こるか分からない」と言われるように、正に誰一人予想していなかったリーマンブラザーズの破綻、AIGグループの政府救済等晴天の霹靂(へきれき)の大事件が起きた。途端に株価は大暴落し未だ底が見えない有り様となり、国内では汚染米事件による太田農水大臣の辞任、思想的偏向発言での中山国交大臣の辞任、未だに反省が見られない事務費疑惑の噴出、ホヤホヤ麻生内閣の低支持率等々、麻生氏にしてみれば内閣の基盤を揺るがしかねない選挙環境の急変によって、当然ながら解散どころの状況にはない。このような中で劣勢を反転させるには、政策論議の中でチャンスを見出すしかない、と麻生陣営は考えたに違いない。即ち、これが「政局よりも政策を優先する」という発言であろう。ということは、党首討論、補正予算、インド洋上給油法案、消費者庁設置法案等々の審議の中で解散タイミングを模索することになるだろう。期待するような場面が現われれば突然解散になるし、現われなければ解散はないということになり「国民の信を得ていない内閣」が三代続くことにもなりかねない。これも由々しき事態である。麻生氏個人としても、後世、「ねじれ解散総理」と言われるよりも「消費者庁を作った総理」ぐらいには言われたいと思っている筈で、そのためには解散したいのが本音だろう。とは言え、やはり自公支持が民主支持を相当に上回っていることが解散の絶対条件だろう。解散権というのは与党の「伝家の宝刀」で、一般的に野党は怖がるものであるが、抜くに抜けない宝刀を与けられた麻生氏としては自ら好んで火中に拾いに行った栗とは言え頭の痛いところだろう。

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小泉元総理、日本人の魂もぶっ壊して引退。後は世襲

小泉元総理、日本の心もぶっ壊して、息子に世襲  選りによって、麻生新総理が国連会議へ出発した925日、小泉元総理が地元横須賀市で引退を表明した。後は27歳の次男を後継者とするようだが、国税から1億円もの大金を投ずるだけの価値ある人材か?単なる世襲に過ぎないと思うが、はなはだ疑問。世襲禅譲行為は小泉氏と自民党の評価を下げる働きをするだろう。66歳の引退とは政治家としては如何にも若過ぎる感がするが、「機を見るに敏」な小泉氏は、今の政局あるいは今の時代に何を見たのだろうか?裏にどんな理由があるのだろうか?

       右腕、左腕として信頼していた経済の竹中平蔵氏、秘書の飯島勲氏らが去り、小泉時代が終わったことを覚ったのだろうか?

       かって小泉氏を圧倒的に支持した自民党員が、小泉政権が推進した政策路線を大きく迂回させた麻生氏を波濤の勢いで支持したことによって新総裁が誕生した現実の中で居場所を失いやる気を失ったのだろうか?

       息子に承継させるには、小泉氏の知名度と影響力が残っている今度の総選挙が潮時と判断した親心のためだろうか?

   首相退任時「首相としての経験を生かして、一国会議員として何ができるかを静かに考えてみたい。国会議員として活動して行くのが私の道ではないかなと思う」と語ったが、現実は何も出来ないことが分かった、ということだろうか?   

 

 しかし、「ぶっ壊す」で名を売り男を上げた総理であるが、彼と竹中平蔵氏が言い行なってきたことは本当に価値ある改革だったのだろうか?彼の発言を振り返ってみると、理屈にもならないような虚言、妄言、詐言、詭弁の類が余りにも多過ぎる。市場原理主義と自由競争原理に名を借りて、古来、先人が武士道と儒教によって築き上げて来た美しい「日本人の魂」、あるいは「日本の心」を根底から転覆しぶっ壊したという事実は否定できない。殊に、ライブドアの堀江貴文氏のような人物を「時代の変革期を痛感した。エールを送りたい」持ち上げて偶像化して若者の倫理観をミスリードし、挙句に社会に「勝てば官軍」的価値観を蔓延させる元凶となった責任は大きい。それらの言葉とは、

① 「この程度の約束を守らないのは大したことではない」と公約を反故にし約束を破ることを正当化した発言

② 「私の(内閣)方針に反対する勢力、これはすべて抵抗勢力だ」という、他人の意見に耳を傾けようとしない全体主義的専横性発言

③ 「自衛隊の活動しているところが非戦闘地域である」という、合理性・論理性から逸脱しながらも強引に正当化した発言

④ 「人生いろいろ、会社もいろいろ」という、個人の身勝手を容認させようとする正当化発言

⑤ 「格差が出ることが悪いとは思わない」と、暗に弱者切捨てを容認したような政治家としての失格発言

「政治家は使い捨てにされることを嫌がってはいけない。首相も使い捨て。甘えてはいけない」と、「政治家」と限定はしているが、人間として最も恥ずべく「使い捨て」行為を正当化し、相互信頼も義理も任侠もない社会価値を生み出した発言

 

等々である。察するに、小泉氏の美学とは実に怪しげであると言うべきであろう。

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「カタる」政治家と政治家の「語り」

「カタる」政治家と政治家の「語り」   12日のNHKの総裁選公開討論会番組で候補者たちの主張(語り)を聞いた。各候補者が何を「語る」のか、非常に興味があったが、麻生氏の「語り」に一番リアリティーを感じた。他の候補者には感じられない「次の総裁は俺だ」という自負めいたものが伝わって来、やはり出来レースだなと思わせるに十分だった。政治家の無責任なパフォーマンス「語り」ほど国民の生活を危うくするものはないが、「お上」意識の強い人ほど政治家の「語り」に騙されやすい。政治家というものは「語る」ことが職業みたいなもので、福田総理のような口下手な人は珍しい。大体、口達者な人間が政治家になっている。弁舌の巧みさによって大統領候補になったケネディーやオバマは象徴的だが、暴言や失言によって折角得た大臣職を失い自滅した議員も数多くいる。今また懸念していた通り太田農水大臣の口から、「事故米」とか「汚染米」の被害が日に日に拡大している中で、「ヤカマシー」消費者発言に続いて今度は毒入り汚染米発覚について「ジタバタしてもしょうがない」と消費者よりも業者を意識した不用意発言が飛び出した。橋下大阪府知事の発言もお粗末の極みだが、「何を語るか」という基礎が出来ていない政治家が多過ぎる。一口に「語る」と言っても、実際には「やりたいこと」を語る、「やらねばならぬこと」を語る、「如何にやるか」を語る、「やろうとしていること」を語る、「やっていること」を語る、という具合に微妙に異なる。語る内容や語り方によって暴論にもなり、正論にもなる。非常識発言や言わずもの発言は失言や暴論となる。実力のない発言は虚しく響き、実力のある発言は夢を描かせる。正論には、縦横斜め、裏表、正義、理想、原理、原則等々、どこから見ても「なるほど」と聞く者を納得させ夢を見させる力があるのである。因みに、「カタリ」とは詐欺師か大嘘つきのことで、漢字にすると「騙り」となる。動詞にすると「騙る」となる。政治家の「カタリ」は耳目を鋭くして聴かねばならない。無論、「タカリ(集り)」政治家はもっての外。

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北の湖親方、理事長辞任するも理事留任

北の湖親方、理事長辞任するも理事留任!

  [2008.9.8追記] 何のことはない、北の湖前理事長は理事(地方事業部長大阪場所担当)に降格しただけらしい。北の湖親方の「ノーコン」は前理事長時代に嫌というほど思い知らされた筈で能力的にも明らかになっていると思うが、そのような人に協会は何故に理事職を用意するのだろうか。理事残留の「引責辞任」なんて、理解できない。協会はやっぱり、これまでの様々な不祥事の責任も含めて一切問おうとしていないようである。これまでの責任や今回のマスコミ対応からしても、本人が辞任しないのであれば理事を解任するくらいの処分が相当でなかったのか?北の湖前理事長の処分に比較すれば、露鵬・白露山の解雇という処分は重過ぎる。若ノ鵬のような大麻所持は刑事犯罪人(不良外人)として国外退去処分となるので情状酌量の余地はないが、露鵬・白露山兄弟が仮にどこかの店で偶々たっぷり吸った結果の「陽性」だったとすれば、せいぜい「3場所休場」くらいの処分に相当するだろう。しかし、大相撲が公益法人、国技という性格から見れば解雇は已むを得ない。これを基準に北の湖前理事長に対する処分を考えれば、やはり「理事解任」が妥当であろう。こんなバランス感覚で国民の信頼が得られるだろうか?日本相撲協会の信頼回復・健全回復には多くの期待は持てそうにない。早いとこ、副理事長クラスの理事を外部から二、三人入れるべきである。さもないと、また何か不祥事が起きるのではないか。(20:25)

   [2008.9.8記] 今日の臨時理事会において白露山の属する北の湖親方がやっとのことで日本相撲協会の理事長を辞任した。理事長職に異常なまでの執着を見せる北の湖親方も弟子白露山の所業の悪さには勝てなかったようである。理事も辞任したのかと思っていたら、理事には留まるらしい。北の湖前理事長は、若ノ鵬大麻事件では「自ら理事を辞任した」ことで間垣親方には協会理事としての責任を不問に付したが、これが前例になったのであろうか?であれば、協会の不明朗不透明部分は依然として温存されたことになる。そもそも相撲を国技と称するということは「日本古来の伝統文化」、言い換えれば「日本古来の魂」が承け継がれていなければならない。これを一言で言い表せば「潔さの精神文化」である。「潔さの文化」とは武士道の「切腹精神」に象徴され、「潔さ」こそが美学であり美の泉源である。「潔さ」という点から言えば、大嶽親方が弁護士を代理人として「疑わしきは罰せず」の法理に自己を委ね保身に走ったことは情け無い。同じように北の湖前理事長は、これまでの時太山死亡事件、フライパン殴打事件、若ノ鵬大麻事件等々数多の不祥事について見ても、個々の親方に責任転嫁こそすれ、自らは責任から逃げ回って己が責任を負うという「潔さ」精神が欠如していた。大相撲の信頼回復と建て直しには「潔さ」の精神文化を取り戻し醸成し直すことから始まると言え、今後は武蔵川親方が新理事長としてその役を担うことになるが、「潔さ」精神を持ち合わせない理事を残留させるようでは、到底、「潔さ」文化が醸成されるとは思えない。武蔵川理事長には、今後、協会の公明公正な運営と、大相撲の健全な発展を期待したいが、北の湖親方の責任の取り方についての処置は甘過ぎたと思う。日本相撲協会理事長を降りて理事に残留(一ランク降格)するというのは間垣親方の例(二ランク降格)よりも甘い。「一ランク降格」というのは、協会は理事としての責任を問うていないことに等しくないか?露鵬・白露山の解雇処分は妥当であるが、北の湖親方と大嶽親方の処分は軽過ぎる。(16:01)

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「改革クラブ」は民主党切り崩し策略?

「改革クラブ」、新党結成   8月28日、渡辺英央民主党参議院議員(新潟:比例区)大江康弘民主党参議院議員(和歌山:比例区)姫井由美子民主党参議院議員(岡山選挙区)無所属荒井広幸参議院議員(自民系)、無所属松下新平参議院議員(民主系)の五人が記者会見を開き、新党「革新クラブ」を29日結成すると発表した。ところが翌29日、姫井議員が会見場に現われないというハプニングが起きた。夕方の姫井議員自身の会見によれば、「新党は、自民党による民主党切り崩しの受け皿らしいことがわかった。そのような新党への参加は、民主党を応援し私を支持してくれた有権者への裏切り行為になる」という理由で新党参加を撤回したらしいが、軽率の謗(そし)りは免れない。会見場には、鳩山幹事長、輿石参院議員会長、菅代表代行の三人が座っていたが、何と言って翻意させたのだろうか?姫井議員については行動に種々問題点はあるが、選挙区の支持者を敵に廻してまで新党結成に同調しなければならない程の理由は見当たらない。この「民主党切り崩し・新党結成」のシナリオは二階経産大臣(和歌山選挙区)によるものらしいが、もともと渡辺、大江、松下の三氏は小沢氏とは少なからぬ関係がある議員である。伊吹氏が幹事長の時に離党・切り崩しを臭わせる発言をしていたことから見ても、情報に強い小沢代表がこの動きを知らない筈は無く、小沢氏はこの離党シナリオを以前から察知し泳がせていたのではないだろうか。もともと渡辺議員と大江議員は小沢民主党代表と反りが合わず、造反投票ばかり行なっていた議員で、民主党トップの腹の中では、選挙を間近にして謂わば「目の上のタンこぶ」であった議員を労せずして整理出来た、と拍手喝采しているのでは…。しかし、渡辺、大江の両議員は「比例区」で当選した民主党議員であり、離党すれば必ずしも国民の信任を得ているとは言い難く、議員身分が一寸ややこしくなりそうだ(私自身は比例代表制を導入したときから一貫して比例代表制に反対である)2001年に非拘束名簿式として個人名投票と政党投票の両方式改正されたとは言うものの、比例選出議員が民主党を離党し議員資格を温存したまま新党結成に走れば、民主党を支持した国民の意思を踏みにじったことになりはしないか。厳密には、比例区の二人は一度議員辞職して補欠選挙に再立候補し、再度、国民の信任を得る必要があるのではないか。姫井議員の撤回によって政党助成金が得られるために必要な「5人の議員」が揃わず、詰めの甘さを露呈しただけで策略は大失敗だったと言える。

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北の湖理事長と日本相撲協会の「信用」

北の湖理事長の言う日本相撲協会の「信用」とは?

  大麻所持で若ノ鵬解雇

 [2008.8.23追記] 21日、日本相撲協会理事会は、大麻所持事件で現行犯逮捕された間垣部屋の若ノ鵬の解雇を決定した。若ノ鵬は自宅のみならず間垣部屋でも大麻吸引を行なっていたらしい。若ノ鵬の解雇は至極当然の決定であるが、間垣部屋の自室でも吸引していたという厳然たる事実は見逃せない。にも拘らず、北の湖理事長は間垣親方にも間垣部屋にも何の責任を問おうとしていないのは何故か?これまで連の不祥事の度に北の湖理事長は各親方に対して「原点に戻って指導する」ような発言を繰り返して来たが、不祥事後親方に対し一体何を指導して来たのか、指導の内容が具体的に示されたことは一切ない。間垣親方に対して何ら管理指導責任を問わないということは、発言はメディア向けで、実際はこれまで何も指導して来なかったということの証明であろう、と推測されても仕方あるまい。大相撲の発展のためには、文科省は協力に日本相撲協会の理事長以下の理事らを替えることから始めなければならないだろう。

  北の湖理事長の言う責任

  [2007.10.8記] 理事会は、時津風親方が日本相撲協会の信用を失墜したという理由で解雇処分を発表したが、北の湖理事長の発言を聞いていると、果たして今の日本相撲協会には「失墜する」ような「信用」があるのだろうか?時津風親方を弁護するつもりは毛頭無いが、頭を傾げざるを得ない。と言うのは、「各親方が自主的に報酬カットを申し出た」、「理事長は親方に対して部屋運営について指図はできない」、「責任は部屋の親方にあり、協会にはない」、「理事長には親方にどうこうせいと言う権限はない」、「理事会の決定がなければ理事長は何も言えない」等々、これらは時津風親方事件に関しての記者会見での、北の湖理事長の発言である。朝青龍事件では高砂親方に全責任を振って全くの沈黙を貫き通したが、さすがに17歳の新弟子(斉藤俊君)が亡くなっているだけに、文科大臣に呼びつけられてからというもの、沈黙を貫き通すことは出来なかったと見える。テレビによく出て喋った言葉がこれらである。しかし、これらの発言を聞いて「なるほど」と納得する人はいない筈だ。どこからどう見ても「言い訳」そのものだからである。「稽古」とか「かわいがり」という相撲部屋特有の暴力行為によって人が死んでいるのである。理事会や理事長としては事故後速やかに事情聴取するなり、実況見分するなりして、再発防止のために最低でも「公序良俗に反しないように」とか「行過ぎた稽古をしないように」といった程度のことぐらいは全親方衆に通達して事故防止の徹底は出来た筈である。その程度のことさえも出来ないという理事会ならば、監督官庁である文科省は、財団法人という法人格を取り消すくらいの気概を示して、理事を総入れ替えさせるべきであろう。子供さんを部屋に預けた親御さんたちは、日本相撲協会を信じて親方たちに預けた筈である。その日本相撲協会が与(あずか)り知らぬこととばかり、責任回避すれば、今後、子供を預けようという親はいないだろう。日本相撲協会の信用を支えているのが協会自身と部屋と親方であることを理解できない理事長や理事は早急に辞めて貰わなければ、部屋の将来は無論、親方制度の将来も、大相撲の将来も無いだろう。また、協会から部屋に対して弟子の教育費・養育費として年間200万~300万出ているそうだが、15歳や17歳の子供たちは「ちゃんこ番」や掃除・洗濯という労働が義務付けられているにも拘らず、労働者でもないし、無論未成年であるから一人親方でもない(幕下以下は力士養成員で場所手当てのみ有り月給与無し)、というあやふやな身分にある。このような曖昧模糊とした中で事故・事件が発生した時、管理責任・監督責任は協会には無く、部屋持ち親方だけにあるという論法になりはしないだろうか?即ち、日本相撲協会という「法人」には損害賠償義務はないという判断であるが、一般社会にこんな屁理屈が通じる訳はない。北の湖理事長の発言を聞いていると、この機会に、給料ではない僅かばかりの小遣い銭しか与えられない子供たちの法的身分を明確にする必要があると思う。また、公益法人としての「財団法人日本相撲協会」というものにも問題があるように思う。納税義務を免除されている公益法人でありながら、得体の知れない「親方株」が数千万とか数億円で取引されているということも、公益法人格に照らして見た場合、制度的に疑義があるように思う。理事資格が売買で決まる公益法人というのが適格と言えるだろうか、如何? 

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教育委員会は必要か?

教育委員会   教育委員会という行政組織は各市町村に置かれており、地域の教育行政に関わって存在していることになっているようである。しかし、実際にはその権能は県・市町村立の学校職員にしか及ばず、私立学校には及んでいない。そういう半端なものを「行政組織」とは言えないだろう。今では公立学校の校長職や教頭職のための天下り(と言うより天上がり?)組織になっているようにさえ見える。しかも、「行政組織」という名の下に国民の税金が投入されている。大体、教育委員会の職務は、県庁の教育担当部署が担うべき役割である。独立して存在させることは屋上屋を重ねるに等しく、行政コストの低減が叫ばれている折り、いの一番に廃止すべき組織である。もともと、教育委員会というものは、戦後、GHQによって軍国色を払拭するための教育監視機関として設置されたものである。その後は、日教祖が強かった時代には日教組系教員のフィルターの役割を担ったり、国旗・国歌に反対する教師への嫌がらせや待遇面での差別を行なったりして来た。安倍政権時に成立した改正教育基本法に「愛国心」を盛り込んだ政府とすれば、将来は教育委員会に「愛国心教育」を担わせるつもりだと思う。そういう意味では、時代毎に政治が教育委員会を利用して来たという歴史があり、国家公務員法や地方公務員法が「公務員に政治活動を認めていない」にも拘わらず、政治活動を強制する教育委員会を存続させて来たことの方が奇怪しいと言わざるを得ない。それが今の教育委員会の隠蔽・不透明体質を築き上げて来たと言える。これまでも、校内暴力、いじめ問題、問題教師、国旗・国歌問題、モンスター・ペアレント問題等々、問題が起きる度に教育委員会は加害者側の利益の保護者として存在して来たように見え、閉鎖性、閉塞性、不透明体質、隠蔽体質が大きな問題となった。教育委員会は何か解決して来たのか?どんな社会貢献をして来たのか?それにしても、大分県の贈収賄事件に見える教育委員会の汚れ方と乱脈さには呆れるばかりである。公平性も無く、また守るべき児童の側に立とうともしない教育委員会という組織は、この際、全国の全ての教育委員会そのものを廃絶すべきであろう。

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旭鷲山、トップでモンゴル政界へ

旭鷲山、モンゴル国会議員へ   630日、モンゴルの国会議員選挙で故郷ウランバートルから立候補した野党民主党の旭鷲山がトップ当選した。日本との懸け橋になりたい、ゴビ砂漠を緑化したい、数万人の若者を職業研修のために日本へ送り込みたい、という壮大な発想を掲げるところは如何にも利権に敏い実業家旭鷲山らしい。大相撲のお陰で議員になれたと喜んでいるらしいが、激励の拍手喝采を献じたい。大相撲現役の頃から実業家振りは際立ち、既に母国モンゴルで建設・通信・貿易業の「旭鷲グループ」を立ち上げ会長職にあることは有名で、いずれはモンゴルの大統領を目指すだろうと噂されていたが、早くもその第一歩を踏み出したことになる。ASAグループを立ち上げて実業家を目指している後輩の朝青龍は一歩先んじられ焦っているのではないだろうか(今後の去就が気になる)。旭鷲山の本名はダヴァー・バトバヤル、今年弱冠35歳。1991年、大島親方に見出され、モンゴルから初めて大相撲に入門。大島部屋に所属し小結が最高位、200611月に突然引退。横綱白鵬が入門先が決まらず帰国直前に旭鷲山に別れの電話をしたことが切っ掛けで、旭鷲山のお陰で10代熊ヶ谷親方の宮城野部屋に入門でき、今日の横綱白鵬が生まれた。モンゴルの若者を大勢大相撲に招き入れた功績は大きく、現在の大相撲はモンゴル勢無くしては無いと言ってもよいだろう。現役中は「技のモンゴル支店(技の本店は舞の海)」と称えられ、明るく面倒見の良い人柄からファンも多く、数々の愉快なエピソードを残している。強いときは向かうところ敵無しだが、弱いときは無気力そのもので、落差の大きさから何かと噂の多い関取であった。入幕後の相撲振りは決して誉められたものではなかったが、本当はかなり強かったのではないか。旭天鵬、旭天山(ドイツで実業家を目指しているという噂もある)は同期のモンゴル1期生。突然の引退は心臓病ということになっているが、本当は指定暴力団住吉会系組長らからの脅迫が原因と言われている。2004年、早稲田大の通信教育課程に入学している。今も籍があるかどうかは不明だが、勉強家、努力家で、モンゴル語、日本語に加え、ロシア語、朝鮮語にも精通している。モンゴルの子供の育英や貧しい人への援助を目的に「旭鷲山発展基金」を設立し、国民に援助し奉仕したことによりウランバートル市議会議長から「ウランバートル名誉市民」の称号を贈られ、母国では英雄として朝青龍を凌ぐ人気があるらしい。

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キレる:「切れる」と「裂れる」

キレる〖きれる〗   最近、「切れ者」という言葉を聞かなくなった。昔は、「切れる」と言えば、物事の本質を瞬時に鋭く把握し最適の対策が採れることを意味し、「切れ者」とか「頭の切れる人」と言えば、「カミソリのように鋭く頭が切れ、リーダーシップのある人」という意味で、実行力のある天才や秀才など頭脳明晰な人への誉め言葉であった。田中角栄総理の懐刀、後藤田正晴(内閣官房副長官:元副総理)が「カミソリ後藤田」と呼ばれたのは有名。ところが、最近は「切れる」ではなく「キレる」とカタカナで表記するようになった。「プッツンする」とも言われる。それとともに昔の「頭が良い」という意味で使われることは減り、「精神の緊張(の糸)がプツンと切れる」という意味で使われるようになった。今使われている「キレる」という言葉を漢字にすると「破裂」の「裂」、即ち「裂れる」とでもなろうか。昔、特に関東や九州や東北には「言わず、語らず」という価値観が存在していた。寡黙を尊び、饒舌を軽蔑する文化である。その裏に「言わなくても(見れば)分かる()」という文化があったからだろう。「言わず語らず」ということは、一面では「ア・ウン」の呼吸を意味し、一面では「ならぬ堪忍、するが堪忍」という言葉もあるように、「言い訳をしない」「余計な自己主張をしない」「相手を貶(けな)さない」という忍耐を要求したものである。昔は「男なら、黙ってろ」とたしなめられたもので、寡黙は理性の代替語であり男の美徳だった。それが人間としての美徳であり、人間教育の基礎にあった。ところが、1964年頃に起きた第一次漫才ブームを契機に、関西人特有の「言わなきゃ、分からん」「言わなきゃ損」という文化が関東に上陸し蔓延したように思う。それ以来、寡黙よりも饒舌を賞賛する風潮が続いている。必然的に「何故、言わぬ?」という、不言の理由を質す言葉も増えた。言いたいことをじっと腹に抑える寡黙は我慢や忍耐を伴うが、思ったことを直ぐに口にする饒舌はそれらを伴わない。それだけでなく、言葉で争う場面を増やし、キレ安い場面や状況が生まれ易くなる。必然的に言葉で負けて腕力や凶器に頼る機会も増える。昔は「キレ」る人が少なかったかと言えば、そんなこともないと思うが、今のように子供から老人に至るまで年代、性別を問わず、というようなことはなかったように思う。少なくとも男には少なかった。自己主張と自己顕示を同じものと勘違いしている人間が増えたのかも知れない。

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後期高齢者医療制度、見えて来た問題点

後期高齢者医療制度の混乱で見えて来た問題点

  [2008.6.3追記] 舛添厚労大臣は、「75歳以上と75歳未満」という年齢集団に別けて医療費を管理し保険料の再計算をすると言って置きながら、75歳以上の後期高齢者グループには「65歳以上で障害認定を受けた者(広域連合が認めた者)」が含まれると言う。その理由は単純で、単に「高額の医療費が掛かるから」ということらしい。「75歳」というのは目眩ましに過ぎず、要は「高額医療費が掛かるグループ」を集約しただけのことである。後期高齢者医療制度と言うより、正確には「末期老人医療制度」と言うべきだが、破綻が目に見えている。しかし、75歳以上でも「医者要らず」の元気な老人は大勢いる。こんなグループに入れられて保険料が二年毎に上げられたら、彼らは怒るだろう。こんな理屈の通らない制度を10年以上もかけて作る厚労省官僚にも腹が立つが、抜け抜けと「素晴らしい制度」と言う厚生族議員の頭の中も、見れるものなら是非見てみたいものだ。国民世論を代表する国会議員なら云々せず、即刻廃止するのが常識だろう。国民の声が聞こえぬ議員に投票してはならない。

  [2008.05.01追記] 後期高齢者医療制度の不備面が日を追う毎に明らかになりつつあるが、いつの間にか「長寿医療制度」という言葉は聞かれなくなった。それでも舛添厚労大臣や福田総理は依然として「制度はよく出来ているので、しっかり説明をしてご理解を頂きたい」などと「ノー天気」発言を繰り返している。KY(空気が読めない)振りやDK(鈍感さ)に呆れていたら今日になって、「6月には年金支給があるので、その前までに現場状況を調べたい」という訳の分からない発言まで飛び出した。一体、厚労省はどうなっているんだ?舛添さん。あなたのマネージメント能力も疑わざるを得ない。今頃になって実地調査しなければ分からないようないい加減な制度を強行採決した自民党の責任だぞ。何故、一旦凍結した上で調査しないのか?格好だけつけて誤魔化そうという魂胆なのか?年金は全国一律に支給されるのに、この制度は住む地区によって保険料が異なるというのも理解できぬ。大体、「75歳以上の集団だけで収支計算をする」こと自体が保険の考え方に容れられないことは自明にも拘らず、しかも当事者の意見も聞かず、弱者集団に自己責任理論や受益者負担思想を押し付けるのは、政治とは言えぬ。躊躇なく、速やかに凍結すべきである。

  [2008.04.16記] 小泉政治以来、政府が年金生活者に対して行なって来たことは彼らの日々の生活を苦しめる策ばかりである。年金支給額を下げ、課税限度を下げてささやかな年金からも所得税を徴し、昨年は介護保険料を負担させ、更に今度は後期高齢者医療保険料の負担を追加した。年金生活者にとっては「天引き」されるという点では税金も保険料も差はない。制度改悪の度、政府はその正当性の理由に常に財政・財源問題を挙げて来たが、政治家として能が無さ過ぎないか?財源が無ければ、作れば良い。田中角栄元総理に習って「福祉特定財源」でも考えたらどうか?長寿社会を迎えるこれからの日本にとって、道路などよりもっと重大事であろう。後期高齢者医療制度の実施によって様々な問題点が見えて来た。それは、

   ① 後期高齢者医療制度と医療内容の問題

   ② 後期高齢者医療制度と年金額の問題

   ③ 75歳以上というグループを設けて、その中で自己責任を要求する医療制度の制度的是非

   ④ 保険料が二年毎に見直されるという高齢者の将来設計を不安に陥れる制度的欠陥

   ⑤ 妻や子供については扶養家族として認めながら老齢の親については扶養家族として認めない、あるいは老齢者夫婦については配偶者扶養を否定するような倫理観を欠如させるような制度で良いのか?

   ⑥ 現在の自己拠出型年金制度を抜本的に見直す時に来ているのではないか?

   ⑦ 何故、今、後期高齢者医療制度なのか?何故、実施時期を延ばそうとしないのか?

    といったことである。混乱によって見えて来たことは、余りにも少ない年金、ということである。制度として、高齢者に保険料を負担させるには何よりも先ず負担できる年金額であることが必要条件であろう。受け取る年金額に比し、後期高齢者医療保険料の負担が重過ぎるということである。しかも、負担額が固定せず、政治の都合によって更に増大することさえ懸念されるのである。負担額が増えても年金額が増額改定されれば不安も大きくはならないと思うが、負担が増えるばかりであるために、高齢者の不安感を煽(あお)り混乱を増大させている。道路特定財源を騒々しく云々するよりも新たに福祉特定財源を設けることでも考えたらどうか。政府は、年金しか収入の当ての無い高齢者に受益者負担原理を押し付ける前に、省庁や特殊法人の埋蔵金を白日の下に曝け出し、その上で各省庁の天下りや特殊法人の存廃を含めた歳出の無駄について徹底的な見直しを行なうべきであろう。どう見ても、財政面だけからの後期高齢者医療制度のようにしか思えないが、如何にも現場知らずの厚労省官僚の考えそうなその場凌ぎの発想である。病院経営という面から見ると、「かかりつけ医師制度」などは必ずしも病院にとって利ある制度とは言えず、後期高齢者医療は粗略に扱われる懸念が大きい。政治・病院・高齢者の三者それぞれにメリットがなければ、制度そのものが破綻する恐れがあると言わざるを得ない。早急に実施を止めるべきである。

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「一億総中流」から「格差」時代へ

格差経済政策が生んだ「歪み」社会からの脱出   格差を拡大させた経済政策を「格差経済」と呼ぶことにする。2000年頃からの貧富の差を拡げる政策が格差を生み社会を歪めている。顧みれば、1960年代後半から1997年頃までは終身雇用制度による労働の安定によって日本経済は着実に発展し、国民の間に「一億総中流」意識が浸透した。「一億総中流」意識は強力な購買意欲を生み、マイホーム、自家用車、家電等の耐久消費財の大ブームが到来し経済が急膨張した。時のゴルバチョフ大統領が「日本は世界で一番成功した社会主義国」と賞賛したくらい、日本から貧しい階層が減少した時代である。大企業向けの法人税は全てを含めると70%近くあり(実際は大企業には種々の損金処理の出来る内部留保性引当金が認められているので実質税率は見掛けよりもかなり低い)、また個人富裕層に対する所得税も累進課税税率は最高で75%くらいあった(現在は減税され最高で45%くらい)。これは、経済の自由化度が低かったことが成功の因であると考えられている。消費税はなく、その代わりに贅沢品については物品税(数%~数10)が課されていた。竹下内閣で成立した消費税が1989年に導入されて、物品税が廃止され、1997年に金融危機が発生すると法人税大減税が始まった。そして、この年を境に平均所得は下降に転ずることになるが、所得格差拡大の切っ掛けとなった派遣業法は1986年に成立している。更に、経済の自由化が格差拡大に拍車を掛け、現在は年収1000万以上の富裕層と年収200万~300万以下の所謂ワーキングプア層が激増して所得格差を益々拡大させている。これは国内購買力を脆弱にしているだけでなく、消費税も労働者派遣法も存在せず、終身雇用思想による「一億総中流」の時代に比べると、現在の「消費税と派遣社員」時代は労働条件も福祉環境も大幅に悪化していると言える。財政難から再び消費税率の大幅アップが叫ばれ始めたが、消費税収入の拡大を企図するのであれば困窮者階層の引き上げ政策を採るべきであろう。そういう意味では、「一億総中流」哲学をもう一度冷静に学習し直す時期に来ているのではないだろうか。

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「悪魔の兵器」、クラスター爆弾の廃棄

クラスター爆弾禁止条約会議   クラスター爆弾というのは、「悪魔の兵器」と呼ばれている無差別殺傷を目的とした大型爆弾である。打ち上げ花火玉のように親爆弾の中に数10個~数千個の子爆弾を内臓搭載した爆弾で殺傷力も大きいが、子爆弾の10%以上が爆発せず不発弾として残留する。そのために戦争終了後も長期に亘って犠牲者が絶えず、「第2の対人地雷」とも呼ばれて、人道的面から使用禁止が求められていた。このクラスター爆弾を全面禁止しようという国際会議が、519日からアイルランドの首都ダブリンで開かれていたが、30日に出席110ヶ国全員一致で条約案が採決された。この会議には、クラスター爆弾を大量に保有する米・露・中は出席していないが、クラスター爆弾の保有国は70ヶ国以上に及んでおり、日本もその内の一国である。独国は会議出席前に廃棄を決定し、日本と英国は採決ギリギリまで態度を保留してい(多分、米国と相談していたのだろう)が、最終的には110ヶ国全ての出席国が賛成した。クラスター爆弾の全面廃棄(条件付)とまでは行かなかったが、大きな前進であることは間違いない。同日、条約案賛成を受けて町村官房長官と石破防衛大臣は、「日本は4種類のクラスター爆弾を有しているが、全て廃棄することになる。抑止力を保持するためにこの条約に抵触しない新型のクラスター爆弾の装備を検討している」と発言していた。何のことはない、彼らの頭には、財政難の中であるにも拘らず、莫大な税金を投入して旧型兵器を最新型兵器に更新することしかないようである。憲法9条で「武力の行使」と「戦力の不保持」を宣言している日本が、「攻撃兵器」であるクラスター爆弾を持っていること自体が奇怪しな話であるが、平然と「抑止力を保持するために(新たに装備する)」と発言する町村長官・石破大臣は、クラスター爆弾を「何処で」使用しようと想定しているのだろうか?「抑止力を保持するために」という発言は憲法9条改正を意図しない限り意味不明である。30日から横浜で開かれているアフリカ開発会議(TICAD)に出席しているアフリカの多くの首脳が、戦争放棄を宣言している「憲法9条」を高く評価していたことを銘記しなければならない。

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琴欧洲の「サプライズ」優勝!

琴欧洲優勝、「サプライズ」場所   今場所はサプライズ場所だった。大関昇進後、本名の「カロヤン(・ステファノフ・マハリャノフ)」をもじって巷の一部では「カドバン(角番)」と蔑まれながら、先場所、途中休場した琴欧洲が、今場所は「カドバン」から一転して、朝青龍、白鵬を破る見違えるような活躍で141敗という驚異的な星を挙げてHEROとなった。琴欧洲の優勝を予想した人は誰一人いないだろう。琴欧洲が連勝するのを見て、私自身、栃東の「8連勝7連敗」を思い浮かべていた。ところが勝ち越して、更に9勝し、10勝した時は「今場所はどうなっているんだ?」とビックリした。しかも、「来場所優勝すれば横綱か」という声さえ聞かれる。これも、善良真面目な人柄から滲み出た琴欧洲のオーラのなせるものだろう。「好事、魔多し」の諺通りで大関昇格後二場所目に膝関節を傷め、その後は何とか「87敗」で凌いで大関を維持出来たのも、大勢の「無気力相撲」に助けられた観が無きにしも非ずだが、日本相撲協会がそれを見て見ぬ振りしたのもモンゴル勢にない清爽なオーラにあるような気がする。「ダメ押し」が目に付く中で、そういう意味では、琴欧洲は「作られるべくして作られたHERO」であるようにも思える。図らずも、千秋楽結びの一番、朝青龍・白鵬戦で起こった「ダメ押し・睨み合い」が琴欧洲のオーラを際立たせる効果をもたらした。と言って、琴欧洲が年内に横綱になるようなことは間違ってもないだろうとは思うが、モンゴル勢上位陣のダーティーさに些か食傷しているだけに、来年の夏頃迄には横綱になって欲しいものである。腰高、脇甘、摺り足など、更に一層の精進を期待したい。

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「閣議決定」とは?

閣議決定   「かくぎけってい」。如何にも仰々しく重々しい響きだが、閣議決定なるものに騙されてはならない。閣議決定でもその決定内容が法律化されれば話は別だが、極論すれば、所詮は単に一内閣の閣議で決定されただけのことでしかない。これまでにも、内閣が変わった途端に、閣議決定されたものが反古(ほご)にされて来た事例は数多(あまた)あり、如何に信用出来ないものか、分かる筈である。閣議とは、内閣メンバーが案件を審議することで、一堂に会して行なう「閣議」と、議案を書面にして持ち回って行なう「持ち回り閣議」の二種類がある。更に、内閣官房副長官と内閣法制局長官が陪席する。閣議の意思決定には閣議決定と閣議了解の二つがあり、全員一致を原則とする。内閣としての意思決定を「閣議決定」と言い、案件の重要性から本来は主務大臣の管轄事項だが閣議に付され意思決定されたものを閣議了解と言うが、両者に差異はない。その効力についての明文法律は存在せず、内閣法第1条第2項「行政権の行使について、全国民を代表する議員からなる国会に対し連帯して責任を負う」に基づいて「法律と同等」という解釈が成り立っているようである。閣議決定された事項が速やかに法律化されれば、決定内容が国民にも明らかになるが、不思議なことに閣議には「書記記録は不要」とされており、国民にその詳細が解り難いようになっている。これが最も大きな問題点である。更に、閣議の席で閣僚が、予め開かれた事務次官等の会議で了承されていないようなことを発言すると、「不規則発言」として記録(書記記録は不要の筈だが?)され、閣僚が自由に意見を述べることが出来ない仕組みになっているようである。しかし、閣議の後の「閣僚懇談会」では、閣僚は自由に意見を開陳したり情報を交換しあうこともでき、時には閣議で取り上げられなかった議題が懇談会の席で了承されることもあるらしい。しかし、閣僚懇談会にも公式的な議事録はないらしい。閣僚と官僚が「秘密」を持ち合うことでお互いの間に「隠微な関係」を作ろうとしているのかも知れない。野党が政権を獲ったら、是非、改めて欲しい重要な事項である。これは文書最優先の官僚らしからぬ制度のように思えるが、何の事はない、言い換えれば、実際は閣僚と言えども官僚の監視下に置かれているということを示しているのである。即ち、立法府は行政府の監視管理下に置かれている訳で、議員内閣制ではなく官僚内閣制と言われる所以であろう。閣議決定の制度というのは、官僚が善人で、政治家が悪人であることを前提にしているようなものだが、今のように「ろくでもない」官僚や政治家が蔓延(はびこ)っている限り、政治はどんどん民意から遠ざかり乖離して行くのは当たり前だろう。「閣議」というのは内閣法に見える。関連条文を列記すると、次のようになる。

    4 内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。

       2     閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる。

       3    各大臣は、案件の如何を問わず、内閣総理大臣に提出して、閣議を求めることができる。

    5 内閣総理大臣は、内閣を代表して内閣提出の法律案、予算その他の議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告する。

  8 内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する。

  9 主任の大臣の間における権限についての疑義は、内閣総理大臣が、閣議にかけて、これを裁定する。

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解散総選挙、福田総理の腹の内は?

政局は動くのか?

 [2008.04.28追記] 昨27日の衆院広島2区補選は、後期高齢者医療制度・ガソリン税・道路特定財源の追い風が功を奏し、予想通り民主党平岡秀夫氏の圧勝で終了した。それでも、自公政権は30日には暫定税率法案(理論的には期限切れの法律であるから新たな「増税法案」と解すべき)を、5月12日には「特定財源10年延長」法案を衆議院で「3分の2」条項に従って復活可決するらしい。自公政権大団円を目前にした断末魔の最後のアガキにも見えるが、だからと言って解散総選挙となる訳ではない。むしろ、解散総選挙はやれない状況になったと見るべきで、福田総理は更に新たに政権を任期一杯まで引っ張り続ける決心をした筈で、政権は益々硬直の一途を辿るように見える。それにしても、舵も切れなくなってジワジワと沈没し続けるタイタニック号のような自民党にすがり続ける公明党も情け無い。どうも、政権与党という微温湯(ぬるまゆ)と甘い汁に身体が鈍(なま)ってしまったようである。浜四津代表時代にはあった切れ味が無くなった。

  [2008.04・14追記] ガソリン暫定税率、消えた年金、日銀総裁・副総裁人事、後期高齢者医療制度、道路特定財源の一般財源化、等々山積する諸問題が何一つ解決されることなく、党首討論において福田総理の口から出た言葉は感情的ボヤキだけであった。このボヤキを聞いて、小泉元総理は「何とかという風が吹き始めた」と、古賀選対委員長は「危険な状態になった」と政局を分析した。しかし、福田政権の支持率がジリジリ、ジリジリ逓減傾向にあるとは言っても、TV局によって若干の違いはあるが、20数%~30数%くらいはある。「何もしない」「何も出来ない」という福田総理の姿勢が現われているのだと思うが、この数字自体は政権が倒壊するような低い数値とは思えない。しかも、自公政権支持率と福田総理支持率とに大きな開きもなく、これは「出来ないのは福田総理の手腕ではなく、ねじれ現象がさせないのだ」という判官贔屓の福田支持者がかなりいて、微かながらもまだ期待していることを示している数値である、と見るべきであろう。小泉氏の「風」というのは、「解散風」ではなく「総辞職風」だろう。今後、自公政権支持率と福田総理支持率が開き始めたら、程なく、総辞職、総裁選というシナリオではないだろうか。ガソリン暫定税率、消えた年金、後期高齢者医療制度、道路特定財源の一般財源化等どれを採っても国民の総意に諮るべき問題であるが、どう考えても、狸の福田総理が絶対多数の衆議院を解散するという選択をするとは思えない。多分、二世・三世議員のたらい回し、即ち麻生太郎氏を総裁にすることで党内の再結束を図り、来年の任期満了まで時間を稼いだ後、再出発を狙うことになるだろう。それにしても、いい加減、民意を問うて欲しいものである。

  [2008.1.15追記] 18日より169回国会が始まる。「3分の2議決」によって新テロ特措法も決まり、福田総理の役割は終了した(でなければ、年金や肝炎訴訟に対するノーテンキ無責任発言はアリエナイ)。もともと、マニフェスト無しで誕生した内閣であるから、新テロ特措法が成立したら福田総理は自民党総裁を禅譲するのではないか、と思っていたが、案の定、政権支持利率が下がり始めた途端、キナ臭くなって来た。福田総理誕生時からのシナリオのようにも思えるが、「解散は出来ない」「340議席の力は温存したい」「内閣支持率は反転させたい」…これらの思いを実現するには、どうも自民党の腹の中は「自民党総裁の交替」で国民の目を眩まして新総裁のキャラによって政権支持率を回復するつもりのように見える。内閣改造は福田総理延命策と解され、返って支持率を下げ自民離れを起こす因となることが予想される。となれば、内閣改造は中止して総裁選(実際は麻生太郎氏への禅譲ではないか?)の時期を探ることになるだろう。と考えると、やはり解散総選挙があるとは考えにくい。

解散総選挙、福田総理の腹の内は?

    [2008.1.4記] 2008年を予測するのが難しかったのか、あるいは余程ニュースが無かったのか、元旦のある新聞には早々と衆議院選挙候補者一覧が載っていた。年末には公認を巡って党内反乱とも取れるような過激発言を繰り返した杉村太蔵議員の話題がワイドショーを賑わせたが、果たして本当に解散はあるのだろうか?私にはどうもそのようには思えない。政治評論家の中には政権支持率を解散根拠に挙げ、福田政権の支持率が30%を割り込んだら解散だろう、と言う人が多いようである。しかし、過去の例を見ても支持率が一桁台に落ち込んでも解散しなかった政権がある。それから見れば30%僅超という支持率は立派なもので、衆参の力関係がねじれている状況の中、今、解散しなければならない合理的理由は見付からない。解散総選挙をしても、参院同様、自公が過半数を割るか、あるいはたとえ過半数は勝ち得ても、今以上の勢力を確保出来るとは思えない。むしろ、「3分の2」勢力を失うことは確実である。そうなれば、たとえ政権を獲っても、今以上に国会運営は混乱することになることは火を見るより明らかである。誰が考えても自公にとって解散がプラス効果をもたらすことはない。福田総理は今日4日の年頭記者会見において内閣改造をしないことを表明し、「内閣ともども最後まで国政に尽くしたい」旨、挨拶した。内閣改造すれば「延命のための内閣改造」とか「解散含みの内閣改造」という勘繰りが波を荒立てる働きをする恐れがあるという判断から敢えて避けたのであろう。ただ、「最後まで」という表現が曖昧であったが、私には「任期満了まで解散はしないから閣僚は一所懸命仕事をして実績を残して欲しい」というメッセージに聞こえた。私は自公の支持者でも民主の支持者でもないが、福田氏は就任当初から「任期満了」を念頭に置いているようにしか見えない。

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「日本国憲法」前文

憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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「強行採決」が悪法を生む

強行採決〖きょうこうさいけつ〗   

  強行採決で生まれた後期高齢者医療制度[2008.04.12追記] 今月4月1日から施行され混乱を巻き起こしている「後期高齢者医療制度」は2006年6月、国会が「捩(ねじ)れる」前の小泉政権時代に強行採決され成立していたものであるらしい。こんな悪法が成立していたことを知っていた国民は皆無だろう。私自身、全く気が付かなかった。暫定税率法案について衆議院は他の法案と一括審議していたので、憲法が定める「(衆議院とは)異なった議決」という問題が起こったが、これなども国会が捩(ねじ)れているために見えて来たもので、国会の裏表が大分明瞭になって来た観がある。大体、自民党は幾つかの法案を束ねて一括審議し、一括して議決するというやり方をしているので、どういう法案が通ったのか、実に分かり辛い。一括審議というやり方が合理・効率的であることは否定しないが、一般議員がどれくらい理解して票決に参加しているか甚だ疑問である。社民党等の野党が大反対していた「障害者自立支援法」も障害者自身に悪評が高意が、同じようなやり方で決まったように思う。強行採決で決まった法律というのは、概して「審議が尽くされていない」ものが多いことは確かで、妙な法律が施行される前に、強行採決で成立した法律は一度洗い直してみる必要があるのではないか。小泉チルドレンや使命感の低い二世・三世議員が50%以上を占める「アマチュア国会」だけに徹底した審議をお願いしたいものである。それを放棄させる国会運営は由々しきことである。

  強行採決[2006.12.17記] 誰かが陰で糸を引いているとしか思えない採決方法。議長や総理は凧のようなもの。上がるも下がるも糸次第。陰の指図者は大抵財界かアメリカで、国民であった例(ためし)がない。最近は、操り易いことが総理の資質要件であるらしい。議案裁決のやり方を見ていると、安倍総理が誕生したときに危惧していたことが現実化して来た。国会では巨大与党の力を傘に少数野党の意見に耳を貸すこともなく無視し、国民に対してはヤラセのタウンミーティングで国民の意見を聞いたと称し、まるでファッショ政権さながらに世論の誘導を図りながら教育基本法を改正した。このような政治を招いたのは自民党に大量の議席を与えた有権者の投票意思だが、今更、「後悔、先に立たず」。このようなやり方で憲法まで改正されるのか!新教育基本法や新憲法で教育された子供たちが大人になった頃の日本が懸念される。

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「後期高齢者」という「姥捨て」思想を許すな!

長寿医療制度   [2008.04.01追記]後期高齢者医療制度施行日の今日になって、突然、厚労省は国民に何ら説明することなく、「後期高齢者医療制度」の名称を「長寿医療制度」という名称に改めた。制度の中身は何も変えず、名称だけを急遽変えたということは余程名称が不評だったのだろう。しかし、名称だけ変えても「姥捨て医療制度」思想が何一つ改まった訳ではない。あたかも「二つの制度」が共存しているように見え、国民を混乱させるだけで、厚労省の「その場凌ぎの付け焼刃」行政姿勢が更に明瞭になっただけのことである。厚労大臣は厚労省官僚から提言された時点で、施行日に名称を変えなければならないような、こんないい加減な制度は施行を延期する決断をするのが筋であろう。舛添功労大臣も焼きが廻って来たようである。

後期高齢者医療制度   [2008.03.15記]全く知らなかったが、2006年の164回国会において妙な制度が出来ていた。健康保険法等の一部を改正する法律(平成18年法律第83)が成立し、平成20年度から後期高齢者医療制度が創設されることとなっていたのである。一般的に、高齢者とは65歳以上の老人を言う。この高齢者を65歳~75歳未満と75歳以上の二つに分け、前者を前期高齢者、後者を後期高齢者と呼び分けている。その内75歳以上の高齢者に対する医療を後期高齢者医療制度と言うのだそうである。厚労省はいずれ、70歳~75歳未満の老人を前期高齢者医療の対象として老人医療制度を拡大して行くつもりだろう。厚生省は、後期高齢者に対し「生活の質QOL(Quality of Life)」を重視した手厚い医療サービスを提供する制度という説明をしているが、ある医者はハッキリと「制限医療制度だ」と断言していた。厚労省の説明は些か怪しいと言わざるを得ない。と言うのは、後期高齢者を扶養家族から切り離し、即ち夫や子供の扶養家族となっていた後期高齢者に一定の健康保険料を負担させ、その保険料は年金から自動的に天引きして徴収するという制度である。更に問題なのは、後期高齢者に対する診療報酬が一般人に比べて低額に設定されているらしい点である。早く言えば、医療機関に後期高齢者を治療するよりも一般人や乳幼児等を診療する方が実入りが良いという患者の選択が盛り込まれたことになる。医療行為に格差を設け商業イズムを盛り込んだ、高福祉国家が聞いて呆れるような内容だが、国家が国民の福祉に差別化を認めたことになりはしないか?(となれば、憲法違反の疑いが濃厚だが・・・)。高齢者切り捨て制度、即ち「姥捨て」思想もさることながら、年額幾らも無い国民年金を受給している高齢者一人一人に健康保険料を負担させることが現実的に可能であろうか?75歳以上の高齢者に「賦課金」を課す国が世界の何処にあるだろうか?家族の絆、人の絆、地域の絆、等々と人と人との交わりが求められ見直されている中で、ほのぼのと暖かい敬老の精神を奪い去り、寒々として荒涼たる不毛の「姥捨て山」思想を肯定し促進するような危険な臭いがする。家族の絆の原点である扶養関係を断ち切る制度には違和感を覚える。この制度は、一見、受益者負担思想に立脚しているかの如く合理的に聞こえるが、要は、終末期医療に無闇に健康保険料を費消するな、という立法趣旨であろう。「貧すれば鈍す」を絵に描いたような制度である。後期高齢者医療制度とは、HIV患者やC型肝炎患者に対する非人道的政治を平然と行なって来た厚生官僚が如何にも発想しそうな造語であり「姥捨て山」制度であると感じたのは私だけではあるまい。これも「ねじれ」国会以前の悪政であるが、段々おかしな国になりつつある。早急に見直して欲しいものであう。

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「デタラメ」と「イカサマ」の国交省

官僚組織と官僚機構   169回国会が開会中である。民主党が参議院の第一党になったことによって、衆参の予算委員会や各委員会において民主党の質疑が官僚組織と官僚機構の言語道断な「デタラメ振り」と「イカサマ」を日々次々と炙り出している。所謂「ねじれ」効果によるものであり、国会審議が遅れているという評価もあるが、国民の前に国民生活無視の政官財癒着の政治実態が赤裸々に曝け出されていることは、必ずやこの国の行く末にプラス効果をもたらす筈である。過去には外務省官僚のデタラメ振りが明らかになり外務省改革を期待させたことがあるが、結局は自民党政治の中でウヤムヤに揉み消されてしまった。みどり資源機構を巡る農水省問題は松岡大臣の自殺によって途絶えている。今回は社保庁の年金問題が社保庁厚労省の官僚組織のデタラメ振りを曝け出し、給油艦インド洋派遣問題は防衛省と防衛族のデタラメ振りを炙り出した。道路特定財源問題は国交省官僚の「デタラメ振り」と国交省と「天下り」機関との想像を絶する無茶苦茶な「イカサマ」を暴いた。「デタラメ振り」とは税金という砂糖の山に群がって自己の利益を確保しようとする政官財の責任を取ろうとしない姿であり、「イカサマ」とは国民の目を欺く行為である。この有様を見ると、健全公正な省庁は果たして実在しているのだろうか?と懸念せざるを得ない。官僚組織と与党や各大臣と財界の癒着関係、即ち所謂「政管財癒着」は今に始まったことではないが、そろそろこの政官財集金システムに「リセット」掛ける時期に来ているのではないか。社保庁の解体(私は反対)は決まったが、そのためには自民党政権を外して15年か20年野党政権に政治を任せ、天下り機関を含めた行政機構の再構築に手を付けて改革することが必要であろう。さもないと、こんな出鱈目な連中に国家運営を任せていたら1000兆円にもなろうとしている国の借金(国債)は減るどころか膨らむ一方で、この国をひたすら破綻へ導くことになるのではないのか。

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高が公約

公約〖こうやく〗

  [2008.2.14追記]選挙が近づくと、国会議員は錦の御旗をかざすように必ず「公約」を口にする。しかし、当選してしまうと、どこか片隅にでも置き忘れたかのように口にしようとしなくなる。「公約」とはそれほど触れられたくないものらしい。そこを突っ込まれれば、いつの間にか、単なる「口約」になったり、都合良く言い包(くる)める「巧約」へと姿を変える。安部政権時に登場した「膏薬」は「公約」の極みであった。次の選挙の「公約」は重要である。自民党も民主党も姿を変えるかもしれない。ゆめゆめ「コーヤク」に惑わされ召さるな!

  [2006.12.07記]小泉政権下でメジャーになった「国民との政治約束」。靖国参拝や国債30兆円枠の公約が有名。しかし、国債は翌年には「高が公約」と、いとも簡単に破ってしまった。小泉首相にとって、「公約とは高が公約(国債)、されど公約(靖国)」だったのである。国民より英霊の方が大事のようである。安倍首相には「美しい国」というだけで明確な公約が見当たらない。「美しい国を造る」ことが公約のつもりのようだが・・・。失政(再生)を繕う「膏薬」、その場凌ぎの「口約」、法律を自分の都合の良いように恣意的に解釈する「巧訳」などには注意を要する。

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「18歳以上に国民投票権」の本当の狙い?

「国民投票権は18歳から」に隠れているもの

    成人は20歳か?18歳か?   [2/14記]急に「成人は何歳か?」という議論が出て来た。国民投票法を強行採決で成立させた経緯(いきさつ)から見ても、そう遠くない時点で「成人は18歳か、20歳か」という問題が起こるだろうとは思っていたが、諮問委員会設置とは想像以上に早い。「政治上の権利を与えたのだから、応分の義務を負え」という理屈も働いているのだろう。少年法とか民法、刑法上の問題も多いが、やはり歳入不足、国民減少・老人増加に対応するためと見るのが正確だろう。それにしても、納税者が減少すると見るや、納税者を増やせば良い、と発想する自公の思想無き短絡発想には呆れる。今後、何が出て来るか?油断できない。

  国民投票法成立   [2007.4.15記]国民投票法案の「18歳以上に投票権を与える(3年後)」という真意は何か?普通に考えれば、国民投票法だけ18歳以上の者を一人前に扱い、外は従来通り20歳以上の者とするという訳にはいかないだろう。この問題について、中川昭一政調会長や塩崎官房長官らの談話は「世界の150カ国以上の国が18歳としているからわが国も…」と何とも主体性の無い曖昧な発言をしているが、20歳を成人としている現在の法体系を国民投票法だけ18歳成人とする明確な理由が明白に説明されていない。自民党や公明党は勿論のこと、民主党も真面目に説明しようともしていない。どうしてか? その真意をいろいろ推測してみたが、一つ以外にこれといった理由が見つからない。その唯一の理由は、破綻寸前の年金財源問題に到達する。昔と違って、高学歴社会である現代は専門学校や短大・大学への進学者が増大し、高卒18歳で就職する若者は激減している。18歳で就職した若者は勿論厚生年金保険か国民年金保険(20歳になったとき)のどちらかの保険料を負担しているが、現在は20歳以上の学生や浪人にも国民年金保険料を負担させている。政府はこれを「3年後には『18歳以上』に改定しよう」という魂胆ではないだろうか?人口減少下で年金財政を改善させるには消費税アップ(+5%らしい)ぐらいしか策がない中で、これは妙案と言えそうであるが、現実には「20歳以上の就学子弟の国民年金保険料」を負担しているのは扶養者である親であり、所得が低減傾向にある状況下で「18歳」から納付させることは親に更なる負担を強いることになる。これでは出生率は改善されないだろうし、不払い者や払いたくても払えない者が更に増大するだろう。また、高校出たてで批判力も判断力も未熟な「18歳」の投票は教科書の内容に大きく影響される可能性が大である。そうなれば、時の政権与党に有利な教科書検定がなされる危険性があり、教育基本法ほか教育三法の改正にも目が離せなくなる。「世界の趨勢は18歳」という政府説明に誤魔化されないよう慎重に考えなければならない。

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皇后陛下の体調不良と公務

天皇・皇后の公務   皇后陛下の体調が年初から優れないらしい。天皇・皇后両陛下の姿がTVに映し出される度に心が痛む。天皇・皇后両陛下は皇室典範・日本国憲法第1章の定めるところにより終生、皇室および国民の象徴として公式行事への出席が義務付けられている。これがお二人に目に見えない強烈なストレスを与えているのではないか。天皇陛下も皇后陛下も70歳を過ぎた辺りからポリープの発症など内臓系の病気を罹病されている。これらの病はストレスが原因であることが多いことから考えても、天皇・皇后陛下にも業務定年制みたいなものを導入して負担を軽減出来ないものだろうか(例えば「上皇」制を採り入れるとか…)。平均寿命がどんそん伸び長寿社会が進行している中で、終生、業務に縛られる現在の皇室・皇族制度について見直す時期に来ているように思う。殆どの一般国民は65歳前後には引退し、のんびり余生を送ろうという人生設計を立てるが、天皇陛下がかって「私的な旅行はしたことはない」と発言されたように、天皇・皇后両陛下には一般国民の余生に当たる悠揚たる余生が用意されていないようである。これは大変なプレッシャーでありストレスだろう。もっと自由に余生を楽しめるような制度には出来ないものか。勿論、皇室・皇族として余人を以って換えがたい役割があることは否定しないが、一般行事等には定年制を正式に導入して高齢天皇・皇后の健康を労わることが出来るよう、皇位継承権問題も含めて早急に日本国憲法・皇室典範等を改正すべきだろう。人権保護・福祉が叫ばれている現在、皇室一家にとって日本国憲法・皇室典範は大変な強制法律であると言える。

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2007年の漢字「偽」と年金「偽公約」

2007年は「偽」、福田政権の偽公約   今年の日本を象徴する漢字は「偽」となった。「偽」の絡んだ言葉は、偽装、偽詐、虚偽、偽言、偽証、偽善、偽朋、偽贋、偽造、偽称・・・と数多いが、これらの殆どが今年一年年初から年末まで政官財絶えることなく次々と暴かれ曝け出された。あと半月ほどで年の暮れを迎える土壇場になって締め括りは福田政権の「偽公約」となりそうである。自民党が先の参院選で国民に約束した「消えた年金5000万件を3月末までに最後の一人まで最後の1円まで照合し解決する」と断言した公約を「公約ではない」と開き直った。安倍元総理は赤城大臣の「膏薬」で支持率を下げたが、福田総理も「偽公約」発言で大きく支持率を下げるだろう。「最後の一人まで、最後の1円まで」と恰好良く「消えた年金」を訴えて参議院選挙を戦った安倍元総理、「難しいと思っていたが、選挙だから最後の一人まで、最後の1円までとなった」と平然と前言を翻した舛添大臣、「そんなこと言ったかなぁ」「大した事ではないよ」と惚(とぼ)ける福田総理、「言葉を縮めて喋ったのが誤解の元」と弁護する町村官房長官・・・。国民にとって信用の手立ては「言葉」しかない国会議員が「約束」という言葉を失って無責任を曝け出したとき、その姿のあまりな薄さと軽さには「駄目な日本」と「夢の無い将来」という失望感しか見えない。もっとも、福田氏はマニフェストらしいマニフェストも示さず総理になったが、総理就任時、自信無さそうに落ち着かない表情で「信」と書いた福田総理の姿が浮かんで来る。公約を偽物にするつもりは毛頭無かったとは思うが、政権公約を誤魔化しては話にならん。「信」とは「人が言う」と書く。代議士は「言葉」に責任を持たねばならぬ。「偽」とは「人の為」と書く。「誰の為」なのか?「国民の為」であったら「偽」とはならぬ。疑惑まみれの額賀大臣と言い訳を正論化しようとした舛添大臣を懐に抱いたままでは、福田政権の命運は長くないだろう。桝添大臣と事務次官の二人を挿げ替えれば、当面暫らくの時間稼ぎくらいは出来るだろう。しかし、新テロ法を衆院で「2/3可決」を強行すれば福田政権は完全「死に体」と化し、自公は衆院選で大敗北する。となれば、政界再編となる可能性が大となる。

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限界集落化防止と再生

限界集落の再生・活性化策   小泉政権の頃、限界集落の発生を危惧したが、正に原状はその通りの状況となって来ている。50年先には人口が6000万人台まで落ち込むとも予想されており、現在の500兆を超える国債発行残高を如何にして解消するかは至難のこととなった。今、政府が為すべきことは垂れ流しになっている歳費・冗費の徹底的な見直しと社会の再生産機能の再生であるにも拘らず、消費税率アップしか念頭にない。徒に手を拱(こまね)いて、経営的独創力の無さを露呈してしまっている。65歳以上の老齢者が半数以上いる限界集落とは、年金生活者が50%を越す構成となっていることを意味するが、これらの限界集落を再生産社会に変換する政策を早急に打ち出さなければならない。さもないと、弱者や弱い地域への福祉費用だけが嵩むことになる。高齢者社会という弱みを強みに転換する発想、即ち年金を費消するだけの高齢者を再生産者に組み込めるような施策を考えるべきであろう(年金受給年齢の引き上げは社会崩壊を促進させるだけ)。既に年金収入が保証されているということは、月10万~20万の収入を上乗せするだけで十分満足できる労働力が得られるということである(購買力増加という効果もある)一日時間労働制に拘泥する必要はなく、むしろ体力と嗜好に応じた働き方、いわゆるワークシェアリング思想を採り入れて、ボランティア活動的な労働生産社会の形成を指向することが大事である。そのためには、働き易い環境づくりが大事となる。役所機能、保健機能、購買機能、コミュニケーション機能、文化機能等を一箇所に集約し、人の集団をつくることや、町にお祭り機能を生み出すことも大事である。そのためには足の確保、交通の機能が必要となる。交通は一定の場所へ人を集合させ、それが町に商業を発生させ、文化を生み、一体感を形成する等の様々なメリットを生む。農林漁業の再生にもつながる。

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名門、関東学院大ラクビー部の大麻事件

関東学院大学ラクビー部大麻事件   11月に二人の部員が部員寮(マンション)で大麻を栽培し吸引ていた罪で逮捕されていたが、神奈川県警の発表によると、ラクビーの名門、関東学院大学のラクビー部の部員12名が部員寮マンションや合宿先で大麻を栽培したり、大麻吸引をしていたそうである。大麻種子はインターネットで手に入れていたらしい。アスリートと薬物の問題は絶えないが、12名という多さを見ると、どうも常態化していた疑いが濃い。にも拘らず、これに対して関東学院大学とラクビー部は最初は名だけの退部処分だけで済まそうとしたが、関東ラクビー協会の勧告を受けて渋々、「3月までの大会参加自粛」という謹慎を自ら課したようである。性質的には銃器携帯にも匹敵するような重大犯罪にも拘わらず、4~5ヶ月の活動自粛というのは余りにも甘過ぎる。最近、スポーツマンのモラル問題があちこちで起きているが、関東学院大学に限らず、概して処分が極めて甘い。麻薬が社会問題化している中での犯罪であり、しかもそれが学生の犯罪であるだけに、尚更、関東学院大学は深刻に捉えて対処すべきで、「完全廃部」にして自らに厳しい謹慎の責めを課すくらいの毅然さがあって然るべきである。関東ラクビー協会も、最低でも3年くらいの活動停止処分を勧告すべきである。

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金平・亀田会見:親亀転けて小亀は?&一夜明けて

金平会長と亀田家代表会見

   一夜明けて 金平会長が開いた一時間半弱の会見は「興毅再出発」会見が目的だったら大成功だったと見て良いが、「亀田家謝罪会見」と見れば釈然としないものが残る。興毅氏も、始めの肩肘張った態度にはやや疑問もあったが、終わりの方は20歳の若者らしい素直さも見えて来てまぁまぁ合格点を進呈してもよいだろうと思う。ただ、史郎氏欠席の理由が、金平氏の「引退する人間を引っ張り出しても…」という発言に対し、興毅氏の口から出た言葉は「俺(父)が出るとお前ら(息子たち)に迷惑を掛けるから…」であった。この亀田騒動が迷惑を掛けたのは亀田家の外の世界であるにも拘わらず、史郎氏の頭にはやはり亀田一家のことしか無いことがはっきりした。亀田一家は首謀者が史郎氏で共犯者が興毅・大毅兄弟である。であるのに「お前らに迷惑を掛ける・・・」から会見に出ないという論理は、史郎氏はこの会見を謝罪会見とは考えておらず、協栄ジムからの「ニュー興毅スタート会見」という考えである、と見られても仕方あるまい。心からの謝罪会見であるなら、何はさて置いても謝罪順位の第一は最も処分の重い史郎氏で、次に当事者であり処分も酷しい大毅氏、最後が最も軽い興毅氏とならなければならない。当然、史郎氏はカメラの前に出て来て自分の言葉でキチンと詫びなければならなかった。ところが、一夜にしてメディアは、騒動当事者ノ史郎氏のことは忘れたかのように「興毅氏ヨイショ」発言に変わっている。この変化の大きな要因は、タイムリーかつスピーディーに対応した金平会長の人柄と低姿勢によるものだが、メディアは情理を弁(わきま)え、事の本質から目を離さず、今後の成り行きを真摯に報道していただきたい。[27日追記]

   

   金平・興毅氏会見 269時定刻、渋滞で遅れていた興毅氏を待つことなく、金平会長が会見を開いた。これまで親亀史郎氏の甲羅の上で踊っていた小亀興毅氏が一匹降りてきて会見することに、大きな興趣を抱いた。程無く到着したが、会見を遅らせなかったのは、金平会長の見識を感じさせる一幕であった。会見を視聴していて感じたことは、興毅氏もまた史郎氏に似て丁寧語や謙譲語や敬語が使えない人間であるということである。記者たちが丁寧な言葉で質問しているのに、興毅氏は、目上の者が目下の者に話すような口調で答えていたのには違和感があった。そのような口調であるから、亀田家の「言い訳しない」会見ということだけは伝わって来たが、この会見はそれが目的ではなかった筈である。ために、謝罪会見なのか?単なる報告会見なのか?興毅氏の再出発会見なのか?という点が曖昧になった。厳然たる「反則指示」という事実についても、とうとう最後まで明確に認めることはなく(問い詰められて「はい」と答えてはいたが…)、「言い訳はしない」と発言するに留まったに過ぎない。これで納得した視聴者はいないだろう。更に、価値観の違いが明白となった。我々はスポーツに精神主義(スポーツマンシップ・爽やかさ・潔さetc)を求めたものだが、亀田家及び興毅氏はボクシング・スポーツに精神主義を求めるのではなく(だから明確な謝罪が無いのだろうか?)、興行主義(実利主議・自分主義?)を貫こうという考えに変わりはないようである。金平会長は、興毅・大毅兄弟に興行素材としての価値を見出して協栄ジムに温存を決めたようだが、彼らに指導して欲しいのはボクシング・テクニックよりも、彼らの言動が若者の価値観や言動に少なからぬ悪影響を及ぼしている事実を見据えて、先ず丁寧語・謙譲語・敬語の三つを徹底的に叩き込んで頂きたい、ということである。でなければ「紳士のスポーツ」と言えないし、ボクシング業界の健全な発展もないだろう。この騒動を振り返れば、半月前の10/11の内藤戦敗北を境に、親亀の上ではしゃいでいた(はしゃがされていた?)小亀二匹が一転して親子共々「親亀転けたら皆転けた」状況に陥っている。その原因が、亀田家が長い時間を掛けて営々と積み重ねて来た「不埒(ふらち)さ」にあることは言うまでもなく、20歳と18歳の若い子供たちには厳し過ぎる試練だとは思うが、これが世間の風であることを肝に銘じて学んで欲しいものである。ガッツ石松氏は大毅君のことを「あの位の者はどこにでもいる」と認めていないようだが、「大器晩成」という言葉もある。大毅は晩成である、と信じて精進し再起して欲しいものである。18歳大毅の保護者である史郎氏も、大毅再起のためには、首を出して「保護者からの一言」が必要であろう。甲羅の中に首を引っ込めたままでは、世の中も見えないし、声も聞こえない。何事も解決は、自分の目で見、自分の耳で聞くことから始まる。[26日記]

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腐敗官僚の犯罪:上下交々利を征れば国危うし

高級腐敗官僚の犯罪   高級官僚の不正・不祥事が続々と暴かれている。守屋前防衛事務次官の疑惑はかっての「ロッキード事件」に匹敵する犯罪になる気配になって来た。トンデモナイ高級官僚がいたものである。これも民主党が参議院の第一党となった効果だろうか?だとすれば、国会議員が国会議員や官僚の不正に目を光らし始めたことによって一党長期支配の弊害を正し、やっと政治に自浄化作用が働き始めたことを意味する。昔から「上司殺すに刃物は要らぬ。報告しなけりゃコロリだよ」という言葉があるように、コロコロ替わる大臣なんて、長期に渡って君臨する官僚トップから見れば子供か幼子を操るようなものだろう。閣僚の在任期間というものは国会議員という性格上已むを得ない面があるが、それなら官僚機構を見直さなければならないということになる。昨今、話題に上っている官僚の不祥事に接する度に、官僚の人間性と価値観に疑問を感じる。省庁という縦割り社会の長所は高度な専門性の習得であるが、その短所は、同時に高度な専門性と行政権力が閉鎖構造社会(秘密隠蔽体質)と癒着構造を生む原因となり、またそれらが国民的常識から懸け離れた歪(いびつ)な人間性と価値観を育んでいるところにある。この問題を解決するには、組織の閉鎖性と権力者の歪な人間性の排除にある。そのためには、高級官僚の人事システムについての見直しが必要であろう。例えば、「国家公務員試験に受かっても、再度、各省庁の面接を受けて採用されなければ公務員になれない」という情実採用の温床ともなりかねない採用制度や、採用後一定年限は各省庁や地方自治体間を水平異動させて幅広い実体験をさせる人事システムの構築等の改革が必要だろう。防衛省・厚労省・農水省・外務省・総務省社会保険庁等殆どの省庁で官僚の不正・不祥事が明らかになりつつあるが、孟子の言葉に「上下交々利を征()れば、国危うし」とあるように、上司がいかがわしい事をしていれば、組織はモラル・ハザードを起こし、下の者の中に不正を働く者が出て来るのは当たり前である。「総理の犯罪」と騒がれた田中角栄首相の事件以降、官僚・公務員のモラルハザードはかなり下まで広まって根が深いようだが、そろそろ高級官僚とその予備軍にメスを入れなければならない時期が来ているのではあるまいか? 組織を改めるには、先ず上からやらねばならぬ。腐敗官僚が官僚を腐敗させる。

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国益論か?憲法論か?新テロ法

国益論〖こくえきろん〗   「油・水補給法案(補給支援特措法案)」をめぐって以前は「国際貢献」の大合唱であったが、最近は憲法論では勝てないと見ているのか、石破大臣や伊吹幹事長を初め自民党議員の間から「国益」論議が湧き起こっている。何が何でも、国益論で国民世論の支持を得たいという自民党の気持ちも分からないではないが、コロコロ、コロコロ、彷徨(さまよ)うが如く「油・水補給活動」の主旨が変わることは問題である。国益のためなら憲法は無視しても良いのか?憲法9条に関わる憲法論を論ぜず、国益論にすり替えることは国民を欺くことになる。如何に国益と言えども、憲法に裏打ちされたものでなければならない。国益を基準にして政策を実行することは必ずしも間違いではないが、憲法そのものに関わる問題については慎重でなければならない。国民としては「国益とは何ぞや?」ということを思考する必要がある。第二次大戦以降、外国からの侵害も無く、外国の紛争に巻き込まれることも無く、平和そのものと平和による利益を余すところ無く享受して来た日本国民は、残念ながらと言うか、幸いにしてと言うか、「国家の理念」、即ち「国家と憲法」について真剣に考える機会に余り恵まれなかった。そういう意味では「平和呆け」と非難されても仕方ない部分があると言えるかもしれない。国家というのは抽象的概念であり、国家の体を顕わすものは憲法である。国家は憲法によって対外的な具体的概念となる。それを、国益のためなら憲法さえも無視するということは自己の「国家」を自己否定していることにもなりかねない危険な言動であろう。わが国は、第二次世界大戦後の「平和憲法」によって立憲民主主義、議会制民主主義国家を樹立した。その後60数年、経済政策によって見違えるような復興を成し遂げ、ODA (Official Development Assistance政府開発援助)活動等によって国際貢献を為して来た。しかし、国益論を優先し憲法論議を避ければ、海外の政治学者は「日本という国は表向きには立憲民主主義、議会制民主主義の国家という顔を見せているが、本質は立憲民主主義の体をなしていない、危険な国家である可能性がある」という評価をするようになるだろう。そして、外交面では、「日本という国は自己の利益のためなら憲法を無視しても利を追い求める国だ」と認識する国も出て来るだろう。これらは、国家として最も重大な国際信用を失墜させることになりはしないか?国内的には、何事もソロバンの上に乗せて是非を判断して来た政治手法が、市場原理主義、市場経済主義、経済最優先主義をのさばらせ、その行き過ぎの結果が国民の間に受益者負担思想、自己責任思想を蔓延らせて、格差を容認する社会を生んだことを忘れてはならない。

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亀田家謝罪会見と内藤champion

亀田家謝罪会見:内藤champ を見習え!   17日、「無期限停止」の亀田史郎氏、「一年間停止」の亀田大毅氏、「三ヶ月停止」の金平協栄ジム会長の三人が謝罪会見をした。夜になって、「厳重注意」の興毅氏が「大毅に代わって兄が謝罪する」というコメントをマスコミに送ったらしい。その前に、興毅氏も会見の場にいなければならぬ。会見は、金平会長の謝罪挨拶から始まったが、先ずは当事者の史郎氏か大毅氏が最初に口を開き頭を下げることから始まるのが筋である。しかも、史郎氏は「取り敢えず」謝罪すると発言しただけで、殆ど頭も下げなかった。態度もさることながら、「取り敢えず」という言葉も、「金平会長に言われたから」なのか、「JBCの顔を立てて」という意味なのか、それとも「亀田家の今後を考えれば」なのか、サッパリ真意が分からない。一体、誰に、何を、謝罪したつもりなのだろうか?更に、当のご本人(大毅氏)は頭を下げるでもなく謝罪の言葉を喋る訳でもなく、終始俯(うつむ)いたままで無言を貫き通し数分後には退席するという有様である。反則し放題の「本人」からの謝罪が全く無く、しかも途中から不在、これで謝罪会見と言えるのか?見ている人たちが釈然として初めて謝罪と言え、そのためには謝罪には必ず反省が伴うものだが、本人がいないのだから反省は聞けない訳で、これでは謝罪にはならない。多くの人たちは反対に気分を害されただけだろうと思う。その点、亀田家が沈めば沈むほど反比例するように人気が急上昇して、一夜にしてスターになった内藤大助world-champ の謙虚な言動は立派である。「最終ラウンド終了後の挨拶が終わってないので大毅君にお疲れさんと言葉を掛けたい」、「私が18歳の時に比べれば、大毅君は能力がある」、「私は反則の事実をJBCに説明した。処分はJBCがするもので、現役選手の私がするものではない」、「私も反則減点1を受けたが、あれは反省している」、「私も18歳頃は悪かった」etc、若い大毅氏に思いやりと激励を忘れないところは、さすが世界チャンピオンである。端々に見識が滲み出ている。亀田家は、世界戦の栄誉と誇りと品位を汚したことを世界のボクシングファンとボクシング協会に対し真摯に反省しなければならない。

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「10.11の快挙」、内藤champ vs 亀田Family

大毅、内藤champに敗退とTBS   今回の「10.11WBC世界フライ級タイトルマッチ」は、どうせ内藤大助チャンピオンと亀田大毅のインチキ・マッチだろうと思って時々チャネルを回して覗いたくらいで、残念ながら殆ど見ていないが、亀田一家のおびただしい暴言・反則にも屈せず、チャンピオンベルトを守った内藤大助氏は天晴れの一語に尽きる。善が悪を懲らしめた「10.11の快挙」である。瞬間最高視聴率が40%にもなったらしいが、この視聴率の高さは、一面には国民に暴力を歓迎する意識が潜在的に働いていることを示しているのだろうと懸念している。また一面では、発砲事件が絶えぬように、現代が「暴力に甘い」社会、「暴力を容認する」社会であることを暗示しているのではないだろうか。そんなことを考えながら見ると、まるで「イジメを受けた子供たちが目の前でイジメられている子供を見て自分の鬱憤を晴らしている光景のようにも見える。これを「異常」とも「病んでいる」とも感じない人はいない筈だ。その不正義に喝采を送ろうとする一般大衆の歪んだ行動の原因が何によるものか、についても検証する必要がある。徹底して悪役を演じ、何かと問題の多い亀田ファミリーであり擁護するつもりは毛頭無いが、この裏にはボクシング興行に群がる人たちの利に走るあり方もさることながら、視聴率で低迷するTBSの焦りも感じる。「怖いもの見たさ」の一般心理を逆利用し、TBSはその象徴として強面(こわもて)の「亀田ファミリー偶像」を作り出したが、視聴率アップを企図したもの以外の何物でもない。公序良俗を前提に公益電波を与えられているメディアとして如何なものだろうか?TBSに限らず、時の権力に迎合して放棄したジャーナリスト精神や、一時、問題になった「やらせ」番組を作ったテレビマンの商業意識ばかりが目に付く。この風潮が他の局に蔓延することを懸念する。

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国際貢献と憲法改正

国際貢献と憲法改正   テロ特措法の是非をめぐり、わが国としての国際貢献のあり方を考え直す機運が出てきている。政治家は、アメリカの強い要請により湾岸戦争のときはお金を選択し、イラク、アフガンの紛争に対しては自衛隊派遣を選択した。昔から南北問題(北半球の繁栄は南半球の地球資源を安く手に入れたことによるもので、そのために南北に大きな経済格差が発生したという説)が現実として発生していることは紛れもない事実であり、現在の日本の地域間格差問題を髣髴とさせるが、先進国発展の経緯から見ても先進国が後進国に対して援助の手を差し伸べなければならないことは当然の義務であり責務であろう。そのとき、第二次大戦の敗北を機に「不戦の誓い(戦争放棄)」と「戦力不所持(武力放棄)」を新憲法公布によって全世界に宣言したわが国が、戦後たったの60年にして、今、憲法9条の所為で国際貢献が出来ないから、現平和憲法を改正して武力によって世界に貢献できる国家にならなければならない、という妙な屁理屈を振り回している。彼らの頭には「国際貢献=武力による支援」というワンパターン思考しかないようで、単純かつ極めて危険な思想であると言わざるを得ない。武力支援というものは、要は喧嘩当事者の一方に手助けするようなもの。当事者には感謝されるが他方からは反感と恨みを買うだけで、本質的な解決にはならない。むしろ、他方に支援者が現れることによって喧嘩を益々エスカレートさせ、血生臭くし、複雑化させる因となる。それらの国情を見ると、直接権力闘争に参加している者の数に比べれば、双方のどちらにも属せず直接紛争に加担していない老若男女の数の方が遥かに多い。紛争の被害者であり犠牲者である彼らが望んでいるのは平和であり、最も必要としているのは民生支援である。武力支援よりも、紛争国全国民のための「民生支援(軍事や軍需用ではなく一般人民の生活や生計に資する物品や設備や金銭等の支援)という貢献活動の方を重視しなければならないのではないか。現在は細々ながらその殆どをNPO活動に依存しているが、NPO活動従事者とその地区の治安維持のために軍隊ではなく警察軍といったものを派遣する必要もあるかも知れない。紛争国に平和を根付かせるためになすべき貢献活動は何か?小沢代表や福田総理の言葉ではないが、世界の中で「共生と自立(自立と共生ではない)」理念に基づいた「国際貢献」は何か、を国民的レベルで真剣に討議すべきであろう。世界には「戦争放棄」「武力行使の禁止」等わが国の憲法に似た平和憲法を持っている国が沢山ある。日本の平和憲法を高く評価する国も多く、先般来日したモラレス・ボリビア大統領が「新憲法では戦争を放棄する」「人命は軍隊は持たずとも救える。武装を放棄しつつ社会的戦いを続ける」と日本国憲法を念頭において自国の憲法を改正する意思を表明されている。世界平和の範として行動すべきであって、アメリカ帝国主義の一翼を担うような憲法改正だけは避けなければならない。

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「Madamすし」の小池防衛大臣

小池百合子防衛大臣   12チャンネルのTVキャスターから細川日本新党の議員として初当選して以来、小沢新進党、保守党、小泉自民党、安倍自民党と渡り鳥の如き鋭い嗅覚で時の風に乗って舞い上がり、環境大臣、防衛大臣へと登り詰めて来た「いつもニコニコ」の兵庫県人である。媚びを振り撒くような目を細めての「ニコニコ」は戴けないが、時の権力に擦り寄り傘の下にもぐり込む能力は天才的である。しかし残念ながら、彼女の行動からはヒラリークリントンのような政治的迫力が伝わって来ないのは、政治家としての確固たる政治信念や哲学が欠如しているからだろう。と言うより、むしろ資質的に政治家に向いていないのではないか。特に、今次のアメリカ訪問から沖縄訪問、そして守屋防衛事務次官の交代人事発表そしてその後のゴタゴタ騒ぎ、これら一連の動きを見ると益々その思いは確信的に強くなった。「刺客」に快感を覚えるような資質の人間に防衛のトップを任せてよいのだろうか?同時に、「据えた」安倍総理のバランス感覚も危惧せざるを得ない。元来がパフォーマンス好きの「目立ちたがり屋さん」で独りよがりの自分勝手な人であるとは思っていたが、まさか国家と国民のために開会される国会を無視し欠席するほどの非常識な人間であるとまでは思いもよらなかった。突然のアメリカ訪問の最大の目的は、月末とも言われる内閣改造での「防衛大臣留任」援護依頼と、111日に切れる「テロ特措法」についてアメリカを喜ばせるための密約か取引をしに行ったのだろうと推測しているが、最悪はアメリカの記者会見での「マダムすし(madam japanese rice)と呼んで呉れ」という数分間にわたる悪ふざけであろう。小泉首相のブッシュ夫妻の前での「ラブミーテンダー」絶唱に匹敵する愚行愚言行為である。本人としてはウィットかユーモアのつもりだったと思うが、一国の大臣たる者には毅然とした振る舞いと言動を期待したい。防衛省人事問題は、沖縄基地移転問題について形だけでも沖縄寄りの姿勢を見せたい小池大臣のパフォーマンス流と、アメリカ寄りの強硬派の守屋次官との確執だと思われるが、「右向いてニコッ、左向いてニコッ」の二面外交が露わになれば「madam japanese lice」と蔑(さげす)まれることになるだろう。小池氏には議員当選直後から巷では「カイロ大学卒業」に「?」がつきまとっているし、防衛大臣就任に際しては「カイロ大学卒業」を「売り」にした節も見える。国際派政治家を自認したいのであれば世界を唸らせるくらいの「ワンフレーズ・ユーモア」を磨いて欲しいものである

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「がばいばぁちゃん」ならぬ「かばい総理」

かばい総理

   [8月4日追記] 選挙後は? 安倍総理は、「敗戦の責任は私にある」と明言しているが、「改革という国民との約束があるから、続投する」と自分を「かば()い始めた。国民との約束?聞いて呆れるねぇ。いつ、どこで、約束したのかね?首相就任後、信任されるような場面があったかなぁ?無かったから自ら、今回の参院選挙を初めての信任選挙と位置づけて「安倍をとるか、小沢をとるか」という発言になったんではないの、安倍さん?自分を庇っちゃ、見苦しいねぇ!日本人なら、自分の進退ぐらいは潔くしなくてはいけないね。

 [7月4日記] 人を信じることは「美しい」ことだが、一国の総理としては悪事を働いた大臣や虚言・暴言大臣を庇(かば)い立てすることには一定の節度を持つことが肝要である。さもないと単なる「かばい(庇い)総理」となる。特に安倍内閣はたった9ヶ月で、佐田玄一郎行革担当大臣(幽霊事務所問題で辞任)、本間正明政府税調会長(女性問題で辞任)、伊吹文明文科大臣(事務所費問題)、松岡利勝農水大臣(事務所費ナントカ還元水問題:自殺)、柳沢伯夫厚労大臣(産む機械発言)、久間章生防衛大臣(原爆投下是認発言で辞任)と問題閣僚が多い。このような問題大臣を起用した安倍総理の責任は大である。問題が起こるたびに絞り出すような声で「私は守る」と定まらぬ目を三角にして記者会見している安倍総理は「何が何でも閣僚を庇(かば)うのが総理の責任」と勘違いしているように見える。その姿はまるで佐賀の「がばいばぁちゃん」ならぬ「かばい総理」そのものに映る。庇うべき事と突き放すべき事の判断にけれん味があってはならない。「がばいばぁちゃん」はけれん味の無さが人気の源だが、「かばい総理」は閣僚を庇うたびに人気が下がる。この「庇う」という行為は「埋没」することに等しく、周りを見えなくし盲目にする。そして、盲目はリスク判断を誤らせる。

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「安倍を採るか、小沢を採るか」、結果は自民大敗

国民の声〖こくみんのこえ〗   参議院議員選挙において安倍自民党が小沢民主党に予想を超える大敗をした。安倍総理は選挙区を廻った応援演説で、国民のみならず自民党議員に対して自ら言質を与えていることに気付いていないのか、「安倍を採るか、小沢さんを採るか」と声を枯らして国民に問うていた。「総理大臣にもあるまじき無節操な発言だな。負けたら自民党総裁を辞任するつもりかな?それとも、単なる思い付き発言かな?」と思って聞いていた。ところが案の定、国民は安倍さんを採らず小沢さんを採った。にも拘らず、そのことはすっかり記憶に無いのか、敗北責任を問われて平然と「続投する」と発言している。自ら国民に言質を与えておきながら、自らその約束を反故にする政治姿勢が安倍総理の不人気の因(もと)となって大敗したことに、今になっても自覚が無いようである。また、多くの国会議員が「国民の皆様」という言い方をするのに対して、安倍総理は時々「国民」と呼び捨て調で言ったりする。このあたりに国民の声に耳を傾けようとしない見識不足や謙虚さ不足が垣間見えるが、松岡農水大臣や赤城農水大臣の「政治とカネ」問題事件の時も「国民の声」が耳に入らなかったように、元々から国民の声には耳を塞ぐ性格の人のようである。「『美しい国を唱えるのなら美しい責任を取れ」という声が自民党の若手議員の中から出ているようだが、全くその通りである。

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またまた久間の「爆弾」暴言

久間の「原子爆弾」容認発言  いずれまた失言か暴言問題を起こすだろうとは思っていたが、予想通りで半年も経たずに今度は柏の麗澤大学の講演で「アメリカが原爆を長崎と広島に投下したことは戦争を終結させるためにはしょうがなかった」と原爆投下を是認する発言をした。長崎が地盤の国会議員であるにもかかわらず、にである。しかも、北朝鮮の核兵器やノドン等のミサイルが国際的大問題となっている中で、何とも「後先の見えないノーテンキ(脳天気)」大臣であると言わざるを得ない。あってはならない仮定だが、北朝鮮が日本からの援助が得られぬままノドンを日本向けに発射した場合、過去の発言から推測すると、久間大臣はやはり「(日本であろうと北朝鮮であろうと)あの場合、しょうがなかったでしょう」とさらりと言うような気がする。何が許せて何が許せないか、自分なりの毅然たる基準をお持ちでないようである。以前、このブログの「久間発言」頁で苦言を呈したように、やはり彼には政治家に必要な表現能力・説明能力・時機理解能力に致命的欠陥があるようだ。自民党の安倍首班指名に貢献した功労者を大臣に据えた安倍総理の責任は大であろう。<追:この記事を公開した数時間後に久間防衛大臣が辞任した。安倍総理が故松岡農水大臣の時に「私は守る」と息巻いたのに比べれば「切り捨て」の観が強いように感じるが、如何。>

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安倍総理のダブル・トーク[double talk]

姑息〖こそく〗   アメリカの新聞が安倍総理の慰安婦問題発言について「Double Talk(二枚舌)だ」と批判した。言外に「姑息だ」「卑怯だ」といったニュアンスが感じられる。「姑息」について広辞苑には「一時の間に合わせ。その場逃れ。姑はしばらくの意」とある。実際の場面では、「卑劣」「狡(こす)っ辛い」「こ狡(ずる)い」「その場凌ぎ」「恥知らず」「卑しい」「騙(かた)り」「自分さえ良ければ(利己)」という無定見無節操・厚顔無恥等の全てを含んだ言葉。最も忌むべき人間性を一言で言い表す言葉である。「5000万件の消えた年金」を2月以前に既に知っておきながら、何食わぬ顔をして「美しい国」を連発していた安倍総理だが、今国会の6月中盤、民主党の長妻議員が国会質問において「消えた年金」を暴露し追求を始めるや、安倍総理がキレて「国民の不安を煽るな」と長妻議員を恫喝し年金問題を隠そうとしたことがあった。年金問題が自らの政権を危うくすることを懸念して思わず隠そうとしたもので、これこそ「姑息、極まれり」と言える。その後年金問題が大問題化して自民党支持率が大幅に低下するや、今度は「年金問題」を風化させるためにガス抜き期間を設けようと企て、審議時間が足りないという名目で参議院議員選挙日を強引に一週間ずらした。ところが審議するどころか、何のことはない629日深夜強行採決してしまった。国会延長の理由はやはり選挙のためだったのである。発足時から「政権維持のためなら何でもあり」が目に付いてはいたが、それにしても何ともコスト意識の欠如した呆れるような「姑息極まりない手段」と言わざるを得ない。歴代総理を見ても、こんな姑息な手段を弄した総理大臣は安倍総理の外にはいないのではないか。日本国民よりも海の彼方のアメリカ人の方が遥かに人を見る目が確かなようである。アメリカの新聞が「安倍総理は二枚舌(double talk)だ」と酷評していたのは鋭い。

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安全を偽装する社会

偽装社会〖ぎそうしゃかい〗   コロッケは子供の好物である。利益のためなら、将来のある子供に訳のわからぬものを食べさせてもよいとした、ミートホープ社の「牛肉偽装」事件は死罪に値する。マンションの耐震強度偽装事件、コムスンの介護保険料詐取事件、グッドウィルの日雇い労務者の給料からの不法天引き、エレベーター事故事件…等々産業界は偽装欺瞞(ぎまん)が満ち満ちているが、そのいずれもが人の生命や健康に関わるものだけに一層許し難い。ミートホープ社事件はそもそも数年前の法改正時に、加工食品には「原産地名等の表示をしなくてよい」と定めたJAS(日本農林規格)法改正に端を発している。法案は農水族議員と業界団体の強力な反対によって骨抜きにされ、改正当時からいずれこのような事件が起こるだろうと予見されていた。氷山の一角であろう、まだまだ露見する筈だ。チェック機能をきちんと整備しない政治も悪いし、抜け穴を作らせる族議員や業界団体も悪い。「良いものを安く」というスーパー業界や大安売りチェーン店の低価格戦略は安全にも格差を生じさせた。「安全」と「安全チェック」にコストが掛けられなくなったために、安全コストを負担出来るのは一部の富裕層に限られ、貧困層は安全コストの掛かっていない廉価商品を購入せざるを得ない時代になりつつある。従って「安全」を手に入れようとすれば高くなるという図式が出来上がり、これを利用して「あたかも高額商品が安いかのように見せかけて、安物を高く売ってボロ儲けを企む」詐欺業者が現れる。彼らは、如何にして「良い品」に見せるか、という点に腐心する。「商品」自体は不良なものであるから、「腐心」の実態は消費者に「良い品」と錯覚させるための詐欺行動ということになる。包装とか、広告とか、ブランドとか、宣伝コピーとか、目や耳に快く響く「イメージ戦略」とは彼らにとっては「騙(だま)しのテクニック」以外の何物でもない。本来、規制撤廃や自由化によって競争を激化させるからには、政治としては同時に「チェック機能」も整備しなければならない。輸入段階のチェック、生産段階のチェック、商品品質のチェック、販売段階のチェック、消費者サイドに立ったクーリングオフ制度の確立、内部告発の法制化、個人消費者でも出来る損害賠償訴訟制度の拡充…等々。安倍内閣は公務員を目の敵にして減らそう減らそうとしているが、自由な資本主義の象徴であるアメリカが、正義と安全のためには国家として多くの人員を配して「チェック機能」を整備している点には注目し学ぶべきであろう。高度技術の進化は幻想によって偽装を生み出し、コンプライアンスという幻想は欺瞞を生み出した。わが国はバブル期を境に急激に偽装社会から欺瞞(ぎまん)社会へと進行しているように見える。

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日本年金機構は「グレイピア(Greypia)」!

 「グレイピア」構想Greypiaこうそう〗   安倍内閣は社保庁を解体して民営化し「日本年金機構」なるものを強行採決して作ろうとしているが、それに絡んだ関連法案も強引に成立させられることになる。民営化して日本年金機構になると、これまでは税金で賄われて来た事務運営費が、当然ながら全て国民から徴収した年金保険料で経営されることになる。ということは年金原資が諸経費のみならず給与アップ、賞与、退職金等にも充当されることになる(人件費は当面国が税金で負担するようであるが、それなら何故民営するのか、説得力がない)ことを覚悟しなければならない。そもそも、保険料濫費を象徴するグリーンピア(Greenpia)も、30数年前、運用範囲を広げて年金資金を投資に使用できるように年金法を改正したことに端を発している。日本年金機構の運営に絡む関連法案は、保険料の濫費が社保庁解体の原因であるにもかかわらず、保険料の年金以外使用の範囲を広げようとするもので、まるで「グレイピア(Greypia)構想」としか言えない。小泉元総理の好きな「民営化」や「規制緩和」という言葉は、響きは心地良いが「行政」としてやるべきか、民間の「損得勘定」に乗せた方が良いか、慎重に検討する必要がある。保険料で運営する日本年金機構構想は、年金保険機構にとって「売上」に相当する年金保険料が成立基盤となることを意味する。将来の人口減少が予想される中では「売上」増大策(保険料率アップ、年金加入年齢の切下げ、年金受給年齢の引上げ、年金額の引下げ等々)を採らない限り、今のままでは「売上」の増加が見込めないことは自明の理である。ということは、日本年金機構もグリーンピアの二の舞でいずれ破綻する運命にあると言わざるを得ない。これは年金行政が民営化に不適であることを示している。謂わば、日本年金機構というのは「グリーンピア施設」に代わる「グレイピア」構想にしか見えない。そのような観点から、国民の数十年後の生活を保障する年金を民間に委託するなど以ての外である。社保庁をそのまま存続させるか新たに歳入庁に統合するか、いずれにしても年金については国家が責任を担っていることを明確に表明し続けることが大事である。 

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コムスンとグッドウィル

コムスン事件   またまたコンプライアンスという仮面を被った仮面企業グループの本性が露わになった。介護病人をだしにして介護保険料を詐取していた訪問介護のコムスンであり、その親会社の日雇い労務者派遣業を行なっているグッドウィルである。コムスンは高齢患者を対象とした介護料の不正請求と無資格営業であり、親会社のグッドウィルは派遣した労務者から半ば強制的に「派遣一回当たり200円」を保険料という名目で給与から天引き徴収していたらしい[労基法6条(中間搾取の禁止)、24条(全額払い・控除協定)違反の疑い濃厚]。こちらも弱い者から掠め取るという詐取擬(まが)いの事件である。どちらも数億円に上るらしい。しかも、会長の折口雅博氏は経団連の理事でもあるという。近年、上場という手法で株式を公開して一攫千金の大金を手にする若手経営者が目立つ。このこと自体を否定するつもりはないが、彼らの中に詐欺師紛いの経営者が混在していることが重大問題で、一般投資家のお金を騙し取るような事件が相次いでいる。このような会社では経営者の権利の濫用が目に余り、大抵、労働基準法違反行為が日常化している。労働組合が弱体化し労働者の権利が踏み躙(にじ)られている現状を見ると、経済界の健全な発展のためには上場基準や上場廃止基準に経営者の厳格な倫理基準を設ける必要があるのではなかろうか。そうでもしないと、良い経営者も良い企業も育たないのではないか。昔は東証に上場するというのは厳格な基準をクリアーしなければならず、それだけに東証一部上場というのは経営者にとっても従業員にとっても大変なステイタスであった。当時も企業の不祥事事件はあったが、今ほど酷くはなかった。証券取引所が増え上場基準が相当に甘くなっているところにも原因があるように感じる。

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太宗皇帝の諫議太夫に学べ

諫議太夫〖かんぎたいふ〗   誠の心をもって天子(皇帝)の欠点や政治上の過(あやま)ちを諌め正す役目の官のこと。時代によって諫大夫、諫官、爭臣とも言われた。この制度を創ったのは、人材を登用して善政を敷き、学問・文学を奨励して天下を治めたことで有名な名君、唐の第二代皇帝の太宗皇帝(597~649:李世民)。父高祖李淵を援けて内戦で乱れていた中国を統一した猛将だが、統一後の統治は貞観の治と呼ばれ範とされた。それよりも遥か昔、「自分(威王)の過ちを諫めた者に褒美を与える」と布告をしたところ、王に諌言するために宮門の前に列をなしたが、一年も経つと、諌言しようにも諫める事が全く無くなってしまった、という言い伝えもある。古代中国の皇帝は群臣や民の声に耳を傾け真に謙虚であったようである。それに比べると、わが国の政治家の何と情けないことか。諌めを聞くどころか、諌めようものなら公認も与えないらしい、まさしく強迫統治そのものである。太宗皇帝は正道政治を行なうについて自分自身に揺るぎない自信をもっていたのであろう。為政者と為政者を目指す者は「貞観の治」を大いに見習うべし。

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立法権の専横、国民投票法成立

国民投票法成立〖こくみんとうひょうほうせいりつ〗  514日、参議院で与党の圧倒的多数によって国投法が条文不完全のまま成立した。2010年に発効する。民主党などの要望18項目にわたる付帯決議を付けての成立であるが、これは何か奇怪(おか)しくないか?18項目も付帯決議が付くということは「18項目について審議未了」ということに等しく、審議未了の部分は積み残したままで「不完全な法律」が成立したことになる。これははからずも58時間の審議時間が短すぎることを意味しているのではないか?しかし、自民党議員の中には「発効まで3年あるから、その間に検討すればよい」という見解があるようであるが、「条文に変更を加えたらその時点から3年後に発効する」としなければ整合性があるとは言えないだろう。自民党議員の論法が通るのであれば、圧倒的多数の与党政権の下では、極論すれば、取り敢えず「法律の題目」だけ決めておいて、法律の中味は「施行までに定める」といった無茶苦茶な芸当さえ可能ということになる。これではヒットラーのファッショ政治と何ら変わらない。三権分立下における立法府のあり方としてはちょっと乱暴過ぎやしないか?というより、問題である。司法権の番人である最高裁判所長官は立法府の長である安倍総理に対し「立法権の行使のし方」について異議を唱えるべきではないのか?

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またまた強行採決!国民投票法案

続・強行採決〖きょうこうさいけつ〗   今日は13日の金曜日、まさしく「悪魔の金曜日」となった。ろくすっぽ国会審議もせず、勿論、国民はツンボ桟敷に置いて、教育基本法に続いてまたまた強行採決である。その法案とは「国民投票法」と「在日米軍再編促進法案」である。国民投票法案については数日前にその内容の一部が明らかになっただけだし、在日米軍再編促進法案にいたっては殆ど明らかにされず、まるで一般国民には意図して知らしめないかのようなやり方である。不思議なことにマスコミも積極的に論評していたようにも見えない。安倍晋三氏が総理総裁になったときある程度は危惧していたが、これほどまでのファッショ政治とまでは思い及ばなかった。歴代の総理大臣を見ても、これほど強行採決の好きな総理大臣はいない。特に、国民投票法案については「国民が立法権に直接関わる」重大法律であり、しかも初めての法律であることから考えても、諸外国の事例も参考にし、広く国民の意見を聞いてコンセンサスを得た上で採決すべきではなかったか。与野党審議を尽くして与野党合意レベルぐらいまで練り上げるくらいの緻密さがあって然るべきであろう。安倍政権になってから「主権在民」という大原則が蔑(ないがし)ろにされているのが目に余る。国民はこのことに早く気が付くべきである。さもないと、この国は本当におかしな国になる。

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国民投票法から憲法改正へ

国民投票法〖こくみんとうひょうほう〗   憲法を改正するためにはこの法律が必要。「現憲法下にこの法律が無いことが憲法として不備。従って憲法を改正すべし」というミョウチキリンな論を唱える議員もいるが、もっての外。

憲法第96条     憲法改正は各議院の総議員の三分の二以上の賛成により国会が発議し、国民に提案して特別の国民投票において過半数の賛成を必要とする。

と改正手続きを定めているが、手続法である「国民投票法」が現在無いので、憲法を改正するためには先ずこの法律から作らねばならぬ。投票権資格、投票方法、投票場所とその数、直接投票か間接投票か、等について定めなければならない。国家の根幹である憲法が簡単に変えられるようでは大問題。様々な想定をし、十分にシミュレーションした上で立法化すべきであるので、老若を交えた超党派の有識者委員会を作って時間を掛けて検討すべきである。最近の官僚はタミフル問題に象徴されるように、平気で利害関係者を委員にして問題を起こす傾向があるので、先ず委員会メンバーの選出方法から法制化する必要があるかもしれない。現在、投票権を18歳以上に与える案で検討されているようだが、「広く公論に決すべし」の精神からも十分な審議時間と審議内容の公開が望まれる。官邸主導による強行採決だけは許されない。

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国会議員?それとも国会欺員?

国会議員と議会   都道府県、区市町村、議会のあるところには必ず議員がいる。その中で代表的なのは国会議員である。「先生」と呼ばれる。東京のあるテレビ局が区議会議員の政務調査費の実態を暴露するキャンペーン番組を展開している。言うならば、テレビ・オンブズマンだが、区会議員の政務調査費なるものの実態が明らかになるにつれ、使途の出鱈目振りと不明瞭さが曝け出されるにつれて区民の怒りが爆発し急速に改善されつつあることは喜ばしい。しかし、国会では松岡議員の光熱水道費問題が大問題となっているが、併せて政党助成金と政治資金規正法も大問題である。政党離れが進む世の中にあって政党に所属する国会議員にのみ一人当たり1億円という巨額が政治活動の助成金として国民の税金から支給されている。無所属議員には円である。助成金が欲しいなら「入党(派閥)しろ」という時代錯誤もの。昔は不明朗会計と言えば、クラブの飲み代と政治の金が横綱であった。クラブは明朗会計を掲げて再建を目指したが結局は廃れてしまった。政治も政党離れが進んで無党派層が増え、政党も廃れそうな気配である。昔は「国会員」も多勢いたが、今は国民の税金をくすねる「国会員」ばかりである。狐狸が演じる芝居小屋のような議会も「会」と呼んだ方がよい。狐狸の芝居小屋なら枯葉の「お札」で笑って見ておれるが、現実は正真正銘の現金である。「義員」なれば自ずと先生と呼べるが、こんな出鱈目我利我利亡者議員を「先生」と呼ぶ者も減るだろう。

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日銀の金利政策

金利政策〖きんりせいさく〗   2月の日銀金融政策会合で、公定歩合の0.25%アップが決まって0.5%になった。福井総裁は月の日銀支店長会議の後、利上げを決定する予定だった筈だが、中川幹事長ら自民公明議員らの横槍に屈した格好で終わっていたので、このままであれば日銀の専決権と独自性の侵害を許容した総裁として悪名を残す恐れがあった。少しばかり見直したよ、福井さん!しかし、上がっても0.5%というのは依然として超低金利であることに変わりはない。先進諸国の金利は3.5~4%くらいの水準にある。金利差が大きいということは外為は円安に振れ、海外特にユーロ圏のファンドマネーから見れば株安、不動産安と映り、M&Aや不動産漁りを激化させる恐れがある。国内経済を健全育成しなければならないときに虚業をのさばらせることは再びバブルを呼び込むようなもので、国内実業の回復の芽を摘んでしまう恐れがある。それだけでなく、国内の資金が海外へ流れ、いつまでもデフレ含みの経済環境から脱却できなくなる恐れもある。そういう点から見ても公定歩合を1.5%~2%くらいに早急に戻すべきだろう。

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久間大臣の威勢の良い発言

久間発言〖きゅうまはつげん〗   防衛庁から防衛省に昇格した途端、最もアメリカに近いポストと思われていた防衛大臣の久間章生氏が「イラク戦争」についてブッシュ批判を、更に普天間基地移設について米国に「あんまり偉そうに言ってくれるな」と威勢良くぶち上げた。昇格したばかりの防衛省の存在感を示し、国民からの喝采を期待してのパフォーマンスではなかったかと思うが、チェイニー副大統領を来日させるくらいの効果はあったようである。後は実績次第で、功績を挙げれば「アメリカ批判をした」初代防衛大臣として名が残るだろう。しかし彼の過去の発言を見ると、「そのうち死ぬことが分かっている人に多額の医療費をかけて云々…」、「月1000万円もの医療費を使っている人の殆んどは年以内に死んでいる云々…」などやや国語表現力に難がある。後先考えずに喋って窮地に追い込まれる暴言失言癖(と言うより「語彙力不足」や「表現力の貧しさ」や「気配りの拙さ」に因るもの)の国会議員は多いが、口が仕事の国会議員がよくも務まるものだ。アメリカべったりの防衛大臣も困るが、こんな激情型の人間に軍隊を統治させて良いのだろうか?聊か気になる。

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格差社会、強者の論理

格差社会〖かくさしゃかい〗   賃金格差、所得格差、雇用格差、教育格差、地域間格差、地域内格差、医療格差、民族格差、企業格差、経済格差、業界格差、職業格差、貧富格差、男女格差、官民格差、身分格差、学歴格差、・・・。格差は一面では活力の原動力であることは否定しないが、自由主義・自由競争というオブラートに包まれると、格差は全て許容されるような錯覚に陥る。しかし冷静に考えれば格差とは不平等そのものであり対極関係にある。自由主義・自由経済のわが国においては、個人の権利よりも組織の権利(利益と言い換えた方が分かり易いかもしれない)の方が優先される傾向があるが、憲法第13は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定め、「組織の権利」について「公共の福祉に反しない」限りという言い回しで表現しているに過ぎない。14条には「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定めている。自由主義・自由競争原理の中で許容される格差とは合理的基準(平等な環境・条件)に基づくものでなければならない。夕張問題は新たに行政格差を生もうとしている。政治が一方に有利な政策を実行し、他方に不利を、特に弱者に不利を強いたことによって発生した格差を平等とは言い得ないだろう。本来、行政政策とは「弱者」を基準に「隈なく」行き渡るように樹てられなければならないものだが、最近の行政は強者の論理を肯定し過ぎている。そういう意味で、政治によって発生している現代の格差は、憲法の禁止する差別以外の何物でもないのではないか。「憲法の番人」を自認する福島社民党の頑張りを期待する。

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「もったいない!」

嘉田由紀子〖かだゆきこ〗   20066月の滋賀県知事選挙において自民、公明、民主の推薦を受けた國松前知事を破り、初当選。「献痴事」「嫌恥事」ならぬ賢知事。東海道新幹線新駅「南びわ駅(京都駅から7分程度)」建設に「もったいない」と異を唱え、栗東新駅(南びわ駅)を白紙、凍結。全国に「もったいない」旋風を巻き起こす。大組織を持たない社民党のみの公認でも首長選挙に勝てるという、一般庶民が怒りに目覚めたときの一票の力を見せ付けた象徴的選挙。憲法改正を目前にして個の力を目覚めさせて呉れたことは、喝采。琵琶湖の自然に造詣深い農学博士(京都大学)。生まれながらの滋賀県人ならぬ関東は埼玉生まれの滋賀人、56歳。

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官邸主導

官邸主導〖かんていしゅどう〗   官邸とは、本来、首相公邸のことだが、首相主導の意味で幹事長や官房長官が好んで使う政治用語。「官邸取り巻き」政治。首相方針に反対する者を「抵抗勢力」と詰(なじ)ったり郵政民営化に反対する者を離党させたりといった、生殺与奪の剣を振りかざすようなファッショ的政党運営は小泉政権に端を発するが、安倍政権にいたっては自民党代議士をまるで私兵的感覚で捉えているようで、「首相方針に異論を持つ者は公認しない」と更に激化しそう。小泉首相の言った「自民党をぶっ壊す!」という威勢のいい絶叫は、自民党を首相派閥(森派)一色に塗り替えようと意図したことが判明したし、小泉政治の継承者(森派三代目)である安倍首相も「自民党は総裁の私党」ぐらいの認識しかないようである。こんな有り様では、いずれ自民党が衰退するか日本そのものがおかしくなるだろう。

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教育?それとも狂育?

教育基本法〖きょういくきほんほう〗   憲法改正へ向けての一里塚。ヤラセミーティングで誰の意見を聴いたのか知らないが、20061215日自公民の圧倒的多数で新法が成立した。効果は30年後ぐらいにしか現われない筈だが、安倍総理の最重要政策とのこと。要は「愛国」という文字を何とかうたい込みたいだけである。何の為に?言わずと知れた憲法改正で誕生する軍隊の為にである。「狂育」基本法にならねばよいが・・・。

           →愛国心論争と憲法改正 (#89-0605)

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徘徊する狂師

教師〖きょうし〗   大学院の先生が破廉恥罪で二度も逮捕されたというニュースを聞いて呆れていたら、最近、女生徒に悪戯したり児童の事故死写真を載せた妙なホームページを出したり、といったロクでもない「狂師」までも現われた。何という世の中だ。

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原則を踏む

原則〖げんそく〗   何事にも原則というものがある。ビジネスにおいては、計画は緻密に実行は単純に。政治においては、予測は悲観的に実行は楽観的に。行政においては、情報は密に対策は隈なく、備えは綿密に実施は明快に。全てこれが大原則である。

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皇室典範

皇室典範〖こうしつてんぱん〗   1945年制定。天皇に即位する順位を定めた法律で、男系男子が「皇嗣」とある。側室制度があった戦前ならば男系男子という原則は維持出来たが、皇室典範においては側室制度も廃止されており、男だからどう女だからどうだという論理は合理的とは言えない。結婚年齢も高くなって天皇家と言えども少子化が進み、男子が誕生する確率は極めて低い。又、皇族には養子制度も認められていない。問題点はそれだけにとどまらず、国民が認め崇める天皇であるか否かという点も見逃せないし、将来の天皇がはっきりしないというのも問題である。天皇家直系に跡継ぎが誕生していないのであればともかく、現実に愛子様が居られる以上、愛子様が天皇に即位するのが妥当であろう。200696日秋篠宮家に男子が誕生したが、男系男子の皇族が一名誕生したに過ぎず皇統の存続に懸念があるという現実は殆ど変わっていない。世界の王族承継の流れを見ても、速やかに改正すべきである。

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個人情報

個人情報保護法〖こじんじょうほうほごほう〗   個人情報保護法が施行されてから個人情報の売買取引相場が高くなったようである。何でも保護したり制約を設けたりすると価値が上がる。そして、そこにビジネスチャンスが生まれる。そのビジネスがダーティーでないことを祈るのみ。

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限界集落

限界集落〖げんかいしゅうらく〗   65歳以上の老人が人口の50%以上を占め、過疎化進行により自治化能力を喪った集落。全国に4戸以下の集落が2000以上もあるらしい。いずれ消滅集落となる運命にある。実際は、その数はもっと多い筈だが、市町村の合併が過疎集落の存在の目くらましとなっている。年間の小泉政治が過疎地に自由経済主義と受益者負担思想を持ち込んだことにより急速に過疎化が進行した。いずれ、過疎地廃村地区対策のために莫大な国費が投入される時が来るだろうと危惧しているが、想像以上の速さで進行しているようである。

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警察官?敬札官?

警察官〖けいさつかん〗   数年前までは問題県警と言えば、大阪、兵庫、神奈川と決まっていたようなものだが、最近、日本のあちこちの県警に、お札に弱い「敬札官」が増えて来た。郵便局強盗で先日逮捕された埼玉県警の「敬札官」はその最たる者。のみならず、強盗警官や殺人警官まで多種多様。

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閨閥政治

閨閥政治〖けいばつせいじ〗   明治時代に藩閥政治というのがあった。その影響は現代まで続いている。主に薩長土肥の人間が中央政府の権力を握ったため、それ以外の県の出身者が政府の要職に就くことは稀であった。現代は藩閥が姿を変え、閨閥政治の時代と言える。嫁さん、息子、娘、孫、甥姪などの係累が選挙区を世襲の如く承継したり、させたりする。利益誘導者、利益代弁者として相互に役に立っているのである。そのことから世襲政治とも言う。政界には依然として家柄、学閥等々の門閥意識も残っているようであるが、これらの閥意識は小選挙区制になって益々非道くなった。彼らは単なる利益の代理人であって、憂国の士ではない。政治家ではなく政治屋なのである。従って、適材適所とは程遠く、能力も経験も無い人間がある日突然政治を掌る。閨と閥、どちらも独裁政治を象徴する。代表的なものは宗教であるが、現在の政界の姿は形を変えた独裁制に向かっているのかもしれない。憂慮すべき事態である。

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詭弁とは詐言

詭弁〖きべん〗   詭弁と屁理屈はよく似ている。屁理屈にはユーモラスさを感じることが多いが、詭弁には腹が煮えくり返るような腹立たしさが残る。詭弁とは詐言であり、屁理屈よりもっと低位の最も軽蔑される卑怯な論法である。小泉政権になってから多くの政財界人が平気で口にするようになったように感じる。屁理屈はインテリゼンスの低い人たちに多く、詭弁はインテリ層とインテリと見せ掛けている層に多く見られる。

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狂牛病対策

危険部位〖きけんぶい〗   狂牛病対策の後進国から輸入される牛肉の狂牛病チェックポイント。大きな牛のある一点か二点をチェックすれば正否が分かるというポイント。先進国と思われているアメリカは、狂牛病対策が最も遅れている国の一つである。近い将来、政治の危険部位、組織の危険部位という使い方がされるかも知れない。

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害人?外人?

外人〖がいじん〗

  [2008.8.18追記] 8月中旬、インドネシアから介護士資格取得希望者が来日した。半年間の日本語教育と42時間の介護実習を経て、日本の介護士資格を得るのが目的らしい。一見良さそうな感じを受けるが、日本人でも易しくないと言われる介護士資格がそう簡単に取れるのだろうか?この法律が出来たのが小泉・竹中政権中であったことを思うと、単に「安い労働力」の確保が目的でなかったのか、と穿った見方をしてしまう。資格が取れなかった人は帰国することになるらしいが、資格が取れなかった場合、大金をはたいて夢を追って来た人たちがそう簡単に帰国するだろうか?取れなかった人たちの救済策を用意していないと、新しい「害人」を生み出すことになりかねない。

  [2006.12.7記] 最近、外国人労働者が増えて来た。人口減少が顕著になった今では新たな労働力として見直されて来ると思われるが、それにしても強盗や殺人などの凶悪犯罪を犯す「害」が目に付くようになったのは困ったものである。

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グレーゾーン金利

利息制限法〖りそくせいげんほう〗   グレーゾーン金利が問題になっている法律で、グレー議員共が何とか30%くらいの金利までに抑えようといきまいていたが、世論の攻撃で何とかまともな法律になりつつある。グレー議員ならずとも、グレー色はどんよりと重い北国の雪雲に似て気分を鬱屈させる。

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買害旅行?海外旅行?

海外旅行者〖かいがいりょこうしゃ〗   最近は海外へ出掛けてマリファナや大麻を買って来たり、ピストルを買って来る「買害旅行者」が増えている。反対に、運び屋と称する海外から害を運んで来る買害旅行者も増えた。

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憲法改正

憲法改正〖けんぽうかいせい〗   教育基本法の改正が為って、安倍政権はいよいよ憲法改正へ向けて動き始めた。憲法96条に、「憲法改正は各議院の総議員の3分の2以上の賛成により国会が発議し、国民に提案して特別の国民投票において過半数の賛成を必要とする」と厳しいハードルが課されているが、自公民が改正に賛成なのだから3分の2以上の賛成は簡単に得られるので改正されることは間違いない。ところが、国民投票法という法律が存在してない。従って、先ずこの法律を作ることから始まるので、次の道標は「国民投票法」の成立である。次が憲法改正である。改正の重要な点は、憲法第9条の自衛隊を軍隊化する点と「各議院の総議員の過半数以上の賛成により」とハードルを下げようとしている点である。国民が減少段階に入った中で、軍隊を持つことは徴兵制度が必須となることを銘すべし。膨大な国債残高の解決を積み残したまま軍事化を進めることは財政を破綻に導くようなものである。憲法改正は孫子末代に関わる重大な問題であるので慎重に推敲しなければならない。 

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