カテゴリー「か行」の80件の記事

官僚依存の鳩山政権

ボロが出て来た鳩山政権   葵の御紋の印籠か錦の御旗の如く高々と「マニフェスト」を掲げて政権を勝ち取ったところまでは良かったが、代表質問の際、谷垣自民党総裁に対して鳩山総理が勝ち誇ったように「あなたがたに言われたくはない」と開き直りとも責任転嫁とも取れる発言をしたのは鳩山氏の真の姿が垣間見えたようで幻滅だった。言いたい気持ちは良く分かるが、それを承知で政権を奪取した筈で、も少し気の利いた言い方がありそうなものだ。情けないことに、予算委員会が始まるや、他の民主党大臣連中が我も我もと真似をする始末である。それに引き換え、加藤紘一氏の気宇壮大にして格調高い質問は氏の面目を躍如とさせるもので、一際光り輝いた。議事堂は一時間以上森として野次も無く、老若男女、与野党、内閣の全員が真剣な表情で耳を澄ませていた。こんな光景はついぞ見たことがない。「流石!」である。それにしても、八ッ場ダム、沖縄普天間基地移転、後期高齢者医療制度、日本年金機構、国債発行、等々国民が最も関心を持っている問題についてのブレが甚だしい。当初、事務次官会議の廃止や予算査定における「脱・官僚依存」振りを見せ付けられて「オッ!なかなかやるじゃないか!」と期待感を抱いたが、日を経るほどに岡田外相は、沖縄米軍基地の県外・外国移転は「公約ではない」と言い出すし、官僚の天下りについても「底抜け」振りを顕わにした。今まで黙って見て来たが、民主党が選挙中に言っていたことはやはり口先だけのパフォーマンスだったと考えるしかないようである。一体、鳩山政権は国民のために何を実行して呉れるのか?

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高速道路の無料化

無料化で地方再生を   財源不足か予算肥大か分からないが、「高速道路無料化」公約が危うくなって来た。高速道路の無料化については私自身も以前から主張していたことで、民主党が公約に掲げたことは高く評価している。しかし、赤字国債を発行してまで行なうべきか、となると疑問であるが、ただ私の主張する無料化の目的は限界集落化防止対策と地域産業の再興隆・再構築にあり、個々人のレクレーション活動推進を意図するものではない。高速道路を無料化することで遠隔地の生鮮品が短時間・低価格で消費地に流通できるようにすることが地方産業の発展と再構築の緒となる筈である。不況下にあっては産業活性のためにも実施は早いほど良い。そのためには、一定条件の下に無料パスから数万円パスを交付する制度化が必要となろう。

     ① 無料化の対象は産業用車両(観光バスも含む)に限定する。

     ② 財源的に完全無料化が当面無理であれば、産業用車両や通勤用車両  には月額5,000円、10,000円、20,000円というような定期パス(ETC利用)を交付する。

     ③ 一般乗用車はCO₂削減の意味からも土日割引制度を止め所定の料金(現行料金の50%くらいか?)負担とする。

     ④ 高速道路特定財源は一般財源に繰り入れ、修繕維持は一般予算で実行する。

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官僚とは?

官僚とは   公務員のことを一般的には総称して「お役人」とか「官吏」と呼ぶが、特に政策決定に影響を与えるような上級公務員の一群、一言で言えば天下りの出来る上級公務員を「官僚」と呼び、彼らの配下で日々黙々と職務に取り組んでいる下級公務員を「官吏」と呼び分けている。江戸風に言えば、官僚は大名か旗本で、官吏は槍持ちや足軽ということになる。「僚」という字で思い浮かぶのは同僚、官僚、幕僚(将軍参謀)、閣僚であるが、一体、この「僚」という字にはどのような意味があるのか、漢字源で調べてみた。「僚」とは、「同僚に連なる仲間」「仲間」という意味で、右側の部分は「柴がずるずると燃える様」を表しており、「前後左右に連なる」意味を持っている、とある。先輩後輩という徒党群の中で、正に「仲間」が「前後左右に連なって」というあたりは「天下り」や「渡り」を髣髴とさせる。「僚」という漢字自体が「天下り」の態様を具現象徴した的確な言葉であったと言える。「官僚」という呼び名によって昔の役人は堂々と自らを「天下りする官吏」として発信していたようなものである。分かり易く、正直と言えば正直と言えるが、政策の立案決定に影響を及ぼし得る立場を利用して不要不急の外郭団体(天下りの受け皿)を作ったり、そのポストの給料や賞与や退職金や福利厚生などを「お手盛り」で決めるなどの目に余る私利私欲振りが昔はあった官僚の権威・尊敬を失墜し、この国を危うくしてしまっていると言える。今度の政権交代は自民党が叩かれたと言うより、官僚が叩かれた結果と見ることも出来るだろう。しかし、昔の官僚は天下りが保証されていたからこそ、「国家興隆」の使命感を持って寝る間を惜しんで一心不乱に政策立案に没頭して来られたが、民主党の今のやり方を見ていると、今後は将来の保証が無いということになれば飛び切り優秀な人材が官僚を目指すだろうか、という心配もある。痛し痒し。

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「子ども手当」は教育均等か、福祉か?

子ども手当の目的  少子化担当大臣になった福島社民党党首は「子ども手当月額26000円」について社民党のマニフェストに拘っているようだが、行政府の長なら連立政権として最良の政策を選択して欲しいものである。行政府に入ったからには国家・国民にとって最良な政策に修整できることが連立政権の利点でもあることを大いに利用すべきである。その方が多くの国民の賛同を得ることが出来るだろう。自党に拘泥して妙な「我」を通そうとするのは良くない。そもそも「こども手当」というのは、手当の額をどうするか、誰に払うかというのが目的ではなく、「子供を生み易い社会」「子供を育て易い社会」「子供の向上心が満足させられる社会」の構築にある筈である。少子化が改善されない原因の一つに、親たちが生まれた子供たちの将来に不安を抱いてしまうところにある。子供たちに教育の機会を提供することは両親の不安の一つを取り除くのに大きな力を持っている。そういう意味では文科大臣も大いに関係している訳で、この問題は「少子化」だけの狭い了見で見るべきではない。世界の中でのわが国の将来のあり方を考えたとき、わが国の目指すべき方向は高度技術化社会の構築にあることは明白で、それに必須のものは国民の教育レベルの高度化にある。そのためには子供が勉強に専念できる環境(ハード面での環境整備と学力向上のソフト面での充実)を整備しなければならない。福島大臣の発言を聞いていると、役職からか、教育制度改革ではなく格差社会を肯定した社会福祉の一環としての制度のように聞こえるが、文科省を巻き込んで格差拡大の世情の中で教育の機会均等を図って、子供たちが等しく学べ等しく夢を見れる環境を作るという教育改革の一環と捉えるべきである。福島氏は子供に直接現金を渡すことに拘泥しているようだが、それには反対である。現金で渡せば、最悪の場合、麻薬購入代金に化けたり、振り込め詐欺の世の中、子供を脅して給付金を巻き上げるトンデモナイ犯罪を呼び込んだり、DV親の遊興費・酒代に消えたり、という恐れもある。また、子供に持たせる小遣いの額を月額、週決め、日額決め等々決めている親は困惑するだろうし、給食費の滞納、修学旅行積立などに困窮している家庭も多い。更に、政権が替わっても存続する制度でなければならない。と考えると、多くの先進国が行なっているように、「揺り籠から大学まで」の学費(受験料・入学金・授業料・給食費・修学旅行費・通学定期代etc)を無料化する制度を考えた方が少子化問題の解決にも向かうだろうし、世界に冠たる知識・知恵の資産を増やすことになるのではないか。

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検察審査会

検察審査会   検察審査会とは、検察官が判断した不起訴処分についての「是非を審査する」機関で、その処分に不服ある者からの申し立てを受けて開かれる。有権者の中から無作為に選ばれた11人の検察審査員によって構成され、県に一箇所もしくは複数個所、全国の地裁または地裁支部の中に全部で165ヶ所置かれている。制度の始まりは昭和23年と古いが、審査結果に拘束力が無く殆ど無意味のものであったが、2004年の司法制度改革を機に「審査結果が拘束力を持つ」ように改正され、今年の521日より施行された。起訴権限は検察官の専決事項となっているために、被疑者を処罰する必要があるかどうかを判断するのは検察官である。従って、様々な事情(指揮権発動等)から起訴しない(不起訴処分)ということもあり得、恣意的な不起訴や起訴猶予といったことも起こりかねない(政治家に対しては概ね甘い)。従って、これを不服とする事態が起こってもこれまでは手の打ちようが無かったが、改正によって審査結果が「起訴相当」とされた場合、裁判官の権限において必ず起訴されることに改められた。一般市民の声が司法に届くようになったことは大歓迎である。審査会における賛成が5/11人以下の場合は「不起訴相当」、67/11人の場合は「不起訴不当」、8/11人以上の場合は「起訴相当」となる。裁判員制度や被害者参加裁判制度など一般市民が強制的に司法権に介入させられることに手放しで賛成は出来ないが、検察審査会法については大歓迎である。これによって警察や検察の初動捜査が厳密になり徹底されることが期待出来、結果として冤罪が減ることも期待できる。今後は逮捕率の向上が課題である。ついでに言えば、「告発審査会」を設けて市民からの告発は捜査を義務付ける制度も欲しい。

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加害者の人権

加害者の人権

  [2009.6.12追記] 「誰でもよかった」無差別殺人事件や犯人の欲望を満たすためだけの残虐非道の凶悪犯罪、特に何の落ち度もない被害者が殺害された事件の裁判が開かれる度に思うことがある。加害者は事件後、必ずと言ってよい程被害者の家族に対して謝罪の手紙を認める。裁判官の心証を良くするために弁護士が採る弁護の常套手法の一つだろうと思うが、裁判官はこれらの謝罪行為によって判決が左右されることはあるのだろうか?裁判官も人の子である以上個人差があり、冷静かつ客観にして平等であるべき裁判官の心に感情が忍び込み罪刑判定に情状が影響することも無いとは言えないだろう。本来、罪刑の判定基準は事件事実と事件当日の時点において裁かれるべきもので、事件後の事情が判定に加味されてはならない。裁判開始日が遅れれば、如何な重罪犯と言えども何がしかの反省をしないとも限らない。これでは、亡くなって怒りや憤りを発することの出来ない被害者はもとより被害者の家族の気持ちが治まらないのは当然で、凶悪犯罪には「罪を憎み、人を憎まず」と言うような綺麗事は通用しないと考えるべきであろう。このような情状弊害を減らすには事件発生から短期日の内に裁判を開始し、事件当日の犯罪に対して罪刑を判定することが重要である。凶悪犯罪の事例を見る度に、被害者の人権よりも加害者の人権の方が優位に扱われているように思えてならない。裁判官は「もの言えぬ被害者の憤りの声」にもっと耳を傾けるべきで、それで初めて感情的平等に到達したと言えるのではないだろうか。

  [2006.12.8記] 2006828日、周南市の徳山工業高専で中谷歩さん殺害事件が起きた。翌日には警察の素早い動きで、同じ学校の同じ学年の19歳の少年が逮捕状を取り指名手配されたが、何故か、名前も写真も公開されなかった。その為に、殺人犯が顔を知られずに一般人の中に紛れ込むこととなった。その理由は容疑者が未成年者であるからだと言う。加害者の人権保護である。しかし、これはおかしいのではないか?容疑者は殺人容疑により指名手配されているのである。国と警察は国民が犯罪に巻き込まれないよう生活権と生存権を保障保護する重要な役目を担っているにも拘らず、被害者になりかねない事態を警察自身が作っていることについて警察は何を考えているのだろうか?

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危険運転致死傷罪と飲酒運転罪-福岡高裁判決

危険運転致死傷罪

   [2009.5.15追記] 今日15日、福岡高裁は、業務上過失致死傷罪とし7年の刑とした一審判決(福岡地裁)を誤まりとして破棄し、危険運転致死傷罪を適用し20年の刑を申し渡した。一審において今林被告の酔っ払い状態を「危険運転」に当たらない程度の状態としたものを、陶山裁判長が「危険運転」に当たると法解釈を改めたことによるものである。福岡地裁の判決に納得が行かなかっただけに、心情的には拍手喝采の気持ちである。しかし裁判員制度の施行を直前に控えて、何ら新しい証拠が提出された訳でもないのに、裁判官の法解釈如何あるいは匙加減によって量刑が大きく左右されるというのは困ったものである。恐らく最高裁へ上告されると思われるので、「危険運転」状態とは何をもって判断するのか、最高裁の判決を待たなければならなくなる。最高裁は速やかに何らかの対策を執らないと、裁判員裁判制度そのものが混乱することが目に見えている。「飲酒」運転による事故には全て「危険運転致死傷罪」を適用するように解釈を統一すべきである。

[2007.12.18] 2006825日、酩酊した今林大被告が被害者大上さん一家の乗っていたRV車に追突して海中に突き落とし、幼児3人を死亡させた衝撃的な飲酒運転による事故の判決を前に今日、福岡地裁が「訴因変更」の命令を出した。危険運転致死傷罪の適用が微妙であるので、飲酒運転罪(具体的には業務上過失致死傷罪)の適用が出来るようにしておかないと、争点が「危険運転致死傷罪」に絞られ裁判所は「無罪」を出さざるを得ないこともあり得る、ということが理由のようである。今林被告は被害者を救助することなく現場から逃走し、さらに友人に水を持って来させてそれをガブ飲みし、アルコール濃度を下げる行動をとった。結果としてこの行為が危険運転致死傷罪の「四ツの構成要件(成立要件:下記太字)」該当を曖昧にし、この法律の適用を難しくしたようである。しかし、飲酒量や酩酊度は店や友人の証言も得られているようだし、「水を飲んだ後のアルコール濃度が構成要件に該当しない」と決め付ける必要も無いように思う。このような悪質な大事故というのは滅多にあることではない。この法律自体、このような極めて悪質な飲酒運転を罰するために多くの国民の要請を受けて出来た法律であることを鑑みれば、「四ツの構成要件」の判定方法に問題があるのであって、むしろ構成要件の方を見直すべきであろう。にもかかわらず、この危険運転致死傷罪が適用できないと言うのでは、この法律を作った意味が無い。飽くまで、この法律は「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させて人を死傷させた場合」という法理に立脚すべきである。

刑法第208条の2

     アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。

2        人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。

      飲酒運転を「故意犯」と位置付けしたこの法律が出来たとき、飲酒運転が原因である犯罪の中に業務上過失罪となる「過失犯」と危険運転罪となる「故意犯」とが混在し、その判断の分かれ目がアルコール濃度や速度や脇見運転などに依ることに一抹の危惧を抱いていた。やはり、「飲酒」運転そのものは、飲酒量の多少等で云々するのではなく、「飲んだら乗るな」の原則に則って無条件に「未必の故意」である「故意犯」として法制化すべきであった。そうすれば、今回のようなことが起こる余地は無かった。この法律が立法化された社会背景からすれば、現状の法律のままでも立法趣旨に沿った「判例」を作れるのではないか。

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高速道路、1000円とETC

高速道路一律1000円という政策   麻生政権の定額給付金に次ぐ目玉政策、「土日祭日の高速道路一律1000円」という制度が今日328()から実施された。一般国民の喜びようは定額給付金に優るだろう。数ヶ月前までは高速道路料金の引き下げやガソリン税の撤廃策は徒に石油消費を増大させ、CO2削減、エコ推進を定めた京都議定書に反すると声高に反対していた自民党が、「1000円料金(差額は税金で補填)」政策については炭酸ガスの「炭」もエコの「エ」の字も語らない。知らん振りの半兵衛を決め込んでいる。どうしてこうも見識の欠落した人間ばかりが自民党には揃っているのだろう。票に結び付くという思いがあるからだろうが、多くの国民は忘れてはいない筈だ。高速道路料金を決定し徴収しているのは、小泉・竹中政治が道路公団を民営化して作った民間会社、高速道路である。これより2年間「正規料金と1000円との差額分」は税金で補充するそうなので、高速道路は棚からボタ餅どころか濡れ手で粟を掴むようなボロモウケである。更に、ETCの普及が伸び悩む中で、この「乗り放題1000円」という政策は機器の「品切れ状態」が続くほどの目論見以上の効果をもたらしている。ETCを普及推進させる役割というのは()道路システム高度化推進機構という国土交通省の「天下り」先の外郭団体で、民間会社である高速道路と手を携えて進めている事業である。政府は、ETC車載器への補助金(税金投入)ばかりでなく広告宣伝マンの役まで担って呉れているのであるから、不況の中、ETC車載器製造企業(10数社)は特需でウハウハの筈である。そもそも、ETC車載器製造メーカーだけが潤うような政策というのも不審だが、対象をETCの普及が遅れている個人乗用車と自動二輪車に限定しているのも実に「アヤシゲ」な意趣を感じる。高速道路は、利用客が増えた分補填金(税金)がそっくり注ぎ込まれて不当利得にも等しい増収増益となる訳で、冷静に考えれば腑に落ちぬ。景気対策の一環とすれば、直接消費者である国民に対しては内需振興策としての効果は見込めるが、今の国内経済にとって最も重要な景気振興策は産業の活性化である。内需振興を支える国内産業の活性化を企図するのであれば、「1000円料金」政策は川下だけでなく川上にも行き渡るものでなくてはならない。今からでも遅くないから、不当利得相当分の増収分を産業用車両料金の引き下げに当てさせて料金体系を見直し、川上から川下まで一貫して活性化する「高速料金」政策を実行すべきである。税金を投入し続けるくらいなら一層のこと無料か年額一万円くらいに設定した方が国内産業や限界集落の活性化に多大の効果がある。

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強い株価と円安基調

株価と外為   期末を控えて株価は強く円は安い。期末に特有の現象ではあるが、3月初旬には日経平均株価は今にも7000円を切りそうな険悪ムードで、円は80円台に突入しそうな円高ムードであったが、二週間足らずの間にいつの間にか、ドルは98-99円という円安基調に落ち着き、日経平均株価は殆ど一本調子に900円ほど上げて8000円に近づき株高ムードに一変している。何が原因だろう、一変させるような何かが起こったのだろうか?アメリカでは依然としてBIG3の不安感は解消されていないし、AIGグループも燻(くすぶ)っている。国内を見ても、株式市場から外資は引き揚げているし、実業面においても生産状況に変化があったとも思えない。要するに、殆ど何一つ経済環境を好転させるような要因はないのである。と言うことはやはり、財務省他の積極的な「買い」が入っているのではないだろうか?即ち、大多数の企業が決算期末を迎える3月末の株価を出来るだけ高くすることによって、また円安基調にすることで為替差損を出来るだけ小さくすることによって、企業に出来るだけ好決算をさせ、低迷している法人税の落ち込みを防止したいという意図が働いているのではないだろうか?為替差損を小さくし、日経平均を高くすることは企業の信用力を増し、銀行の資金力にも余裕が生まれ、法人税の落ち込みも最小限に食い止めることが出来る。となれば、これから3月末までは株価と外為に大きな変化はないだろうと予想出来る。更に、7月くらいまでは定額給付金効果がある程度期待出来るが、それだけに8月ぐらいからの厳しい反動が予想されるので、ここ1、2年は切れ目ない景気対策が求められるだろう。解散する状況は生じないのではないか?

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カルデロン・のり子さん親子の滞在許可問題

カルデロン・のり子さん家族への滞在許可の是非

  [2009.3.14追記] 法務大臣の人道的決断はとうとう最後までなされず、遂にのり子さん親子が、「のり子さんは日本に残り両親は帰国する」という最後の決断をした、というよりさせられた。両親とのり子さんに二者択一的結論を選択せざるを得ないように導いた法務省の、如何にもお役所的やり口には憤りを覚える。児童福祉法を外国人には拡大適用する気もないようである。中学生の育児を放棄させるようなやり口そのものが法務省自ら児童福祉法を否定しているに等しい。日本の政治家は人道主義というものを理解していないのでないか。しかも、「子供の人権を保護する条約」を批准していながらの決定である。法務省は自分自身が行なったことの重大さが分かっているのだろうか?更に、両親から職を奪って放り出し親子の生存基盤まで奪った。果たしてこの世界不況の折り、両親は祖国フィリピンで正業に就けるのだろうか?人道国家にあるまじきもの、と言わざるを得ない。ここまで来れば、法務大臣に残された最後の人道的策は、フィリピン政府に「就労ビザ」を交付させて日本の現在の職場に復帰させることだけしかあるまい。英断すべし。

  [2009.3.9追記] 滞在期限許可を小刻みに延長するだけで結論を出そうとしない森法務大臣の醜態姿は自らの決断力の無さを証明するようなものである。この人の歯切れの悪さも麻生政権支持率低下の片棒を担いでいるのだろうと思うが、小刻みに延長せざるを得ない理由は何なのか?人道的理由なのか?単なる法律的バランスなのか?それとも政治的理由なのか?いずれにしても、何らかの強い理由があるから強制送還処置に逡巡があることだけは間違いないが、殺人を犯した凶悪犯でさえ15年間逃げ延びれば時効によって無罪放免になることに比べれば、不法滞在とは言え、同じ15年間を一市民として誠実に過ごして来た親子に対して人道的特例策を講じても良いのではないだろうか。不法入国、不法滞在という範疇での法的バランスを考えているようであるが、「人道的バランス」を考慮すべきで、バランスの対象を取り違えているように思う。時効によって凶悪殺人犯に社会生活権が授与され、カルデロン・のり子さん親子については家族の絆を切り裂くような命令を出すこの国の人道主義はどこかが奇怪(おか)しいと言わざるを得ない。「日本国籍が無い」という法的な理由もあるかもしれないが、人道主義に国籍の有無は関係がない。

  [2009.2.15記] カルデロン・のり子さん家族への特別滞在許可がなかなか下りない。依然として法務省や外務省の方針は「13歳ののり子さんには滞在を許可するが、両親には退去命令」という方針を変えようとはしていないようである。どうして親子の間を何としてでも引き剥がすような残酷なことをするのだろうか?麻生総理に指示を仰いでみればよいものを。正直麻生さんなら「入国方法に問題はあるが、親御さんたちは入国してからは善良真面目に社会生活を送ってきた人達のようであり、日本で生まれた子供に責任は無い。13歳の子供には扶養保護者が必要なことぐらい、法務省も外務省も分かっている筈だ。両親と子供が滞在できる方法を考えろ」と、ワケなくブレさせるだろう。確かに17年前に偽の旅券で入国した両親が採った不法入国という手段は厳しく処断されるべき犯罪であるが、だからと言って杓子定規に法を適用すれば良いというものでもあるまい。時には凶悪犯にさえ情状酌量を認めるではないか。大麻を吸ったり犯罪を犯したりしながら未だに帰国命令も出ずに滞在している不良外人もいるではないか。むしろ不良の方には甘く、日本社会に溶け込んで真面目な生活を送って来た善良な外国人に厳しいというのでは、わが国の「人道主義」と「平和主義国家」が泣く。理屈一辺倒の原則論も大事だが、それ以上に熱い血の通った個別論も大切である。法治主義とは人道主義の上に立って初めて真の意義がある。どうしても退去命令を実行したいのであれば、のり子さんは国内に残し、一旦、両親だけをフィリピンに帰国させ、直ちに正式な手続きを踏んだ上で再入国させるという方法だって採れる筈だ。不良外人の入国とは意図も意義も全く異なるのだから、人道的処置に反対する国民はいないだろう。見方を変えれば、北朝鮮に拉致された人々のことを知っていながら、なかなか救出に動かなかった国家のやりそうなことである。麻生総理か、鳩山大臣の出番が来たようだ。

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