カテゴリー「あ行」の67件の記事

ウィニーソフト裁判

ウィニーソフト裁判Winny softさいばん

  [2009.10.23追記] 大阪高裁は10/8、「犯意」の不存在を主たる理由に掲げ逆転無罪の判決を下した。ダイナマイトや核融合反応装置が「犯意」を持って発明されたものであれば、発明者が裁かれても仕方がないが、「犯意」のない人に罪を着せるような思想や風潮は危険である。将来、わが国の産業界は独自技術の開発と発明発見によって発展しなければならない。そのためには様々な特許技術に挑戦しなければならない。こんなことで発明者を犯罪者扱いしていたら、わが国に先端技術は育たず、産業は滅びるだろう。そういう意味からも、大阪高裁の裁判官の見識に、喝采!である。それでも大阪高検は10/21最高裁に上告したようだが、どうしてそれ程まで「検察のメンツ」に拘わりたいのだろうか?検察の言い分が通るなら、裏サイトや闇サイトと呼ばれるものを誕生させたWEB業者やパソコン発明者も犯罪者となる理屈ではないか。

  [2006.12.22記] ファイル交換ソフト「ウィニーソフト」を発明開発した東大大学院生に対し京都地裁が有罪判決を下すという愚を行なった。原子力が歴然と示しているように、平和利用されれば人類に大きな貢献をするものも兵器として利用されれば最悪の凶器となる。どんなものにも表裏二面があるように、発明にも当然二面性がある。にも拘らず、京都地裁が一面の事象のみを取り上げて発明行為に有罪判決を下したことは、現行法理念の「『犯した(既遂)』あるいは『犯そうと企図している(未遂)』者(行為)を処罰する」という原則を歪めることになりはしないか。問題である。

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麻生さんは解散するのか?遂に解散予告

やっと「解散予告」

  [2009.7.13追記] 12日の都議選惨敗を受けていよいよ追い込まれた麻生政権、これからどうなるのだろうか?と思っていたら麻生総理は突如「21日解散、8月30日投票」と予告した。だったら都議選前に予告しておけばよいものを!選りに選って惨敗直後の解散予告とは!誰しもがそう思ったに違いない。予告としては最悪の時期だと思うのだが、想像するに、逆風総選挙の中での公明党の選挙協力は必須であることからしても、都議選前の解散に反対していた太田公明党代表には逆らえなかったのだろう。最初は「14日解散」というテロップが流れたが、その日の内に間を置かず公明党の要望を入れて「21日」に変更されたことがそれを物語っている。麻生首相は常々「解散は私が決定する」「解散はそう遠くない日」と発言していたが、党内政局は日に日に解散阻止の動きを強めるばかりで「解散しようにも出来ない」状況に陥りつつあった。そんな中での「解散予告」だが、自公にとって何かプラスがあるのかと考えてもあるようにも思えない。「麻生降ろし」の風が静まることと麻生氏の「決断の麻生」を主張したい個人的プライドぐらいしか思い浮かばないが、麻生氏はイタリヤで8月末頃迄には、「景気も持ち直しているかも知れぬ」「鳩山代表の「故人献金」問題で民主党に逆風を吹かせることが出来るかも知れぬ」「北朝鮮に絡んだ国防問題に動きが出るかも知れぬ」といった儚い夢を見たのかも知れない。政党再編が動き出せば公明党の選挙協力も怪しくなるが、いずれにしても、賽(さい)は投げられた。

麻生政権に解散なし

  [2009.6.16追記] 鳩山総務大臣更迭によって支持率が急落した。これまでにも何度か解散のタイミングがあったが、麻生総理はまたもやタイミングを失してしまった。全国民の目を郵政社長人事、西川続投の是非問題に釘付けにした最大の功労者は鳩山前総務大臣である。清潔イメージの鳩山邦夫氏が歯切れの良い弁舌と明るい個人的魅力によって麻生政権支持率を向上させ、同時に自民党内に浮遊する「清新」と「汚濁」を対立的に浮かび上がらせてお膳立てが出来、後は主役が登場するだけだったのだが…。世間が小泉政治批判で騒然としている中、西川社長続投の是非問題を選挙の争点とすることによって自民党の自浄化活動をテーマにした「麻生劇場」を演出プロデュースする又と無いチャンスだったのだが…。そうすれば、いくらかは民主党との争点を逸(そ)らしてボケさせ、総選挙を自民党内の嵐とすることが出来たかも知れない。上手く行けば「小泉劇場」の再演となった可能性があった。しかし、鳩山氏を更迭してしまった今となっては「時、既に遅し」である。最早、解散は出来ないだろう。全ては洞察力と決断力の無さが招いた。

  [2009.5.14追記] 政治は「一寸先は闇」あるいは「好事、魔多し」とはよく言ったものだ。小沢氏が辞任して、折角、風向きが麻生さんに吹き始めた矢先だというのに、事もあろうに内閣の中心部からトンデモナイ破廉恥不祥事が暴き出された。新しい議員宿舎に主婦を泊まらせて詫びたばかりの鴻池祥肇官房副長官の飽きない熱海浮気旅行がまたまた週刊誌に素っ破抜かれたのだ。何とも筋が悪く、議員たる資質も資格もないとしか言いようがない。この処置を誤まれば、支持率は間違いなく急降下する。麻生さんも泣くに泣けない思いだろう。このピンチでもチャンスに変える策は一つだけある。それは決断力と危機管理能力を示すことで、鴻池氏を即座に議員辞職させることである。

  [2009.5.10記] 麻生さんという人は強運の星の下に生まれているようだ。普通の政権であれば、予想だにしなかった「100年来の大不況」によってあっという間に転覆していたと思うが、麻生さんはそこらの二世、三世のひ弱な「お坊ちゃま」とは一味違うようで、なかなかのシタタカモノのようである。麻生政権の支持率も、小沢氏の第一秘書逮捕によって下げ止まり、5月の大ゴールデンウィークを迎えるや、定額給付金、1000円高速が国民に大受けして人気も反転した観がある。支持率がひたすら一桁へ向かっていた頃、吹き荒れていた「麻生颪(おろし)」も今は凪(な)ぎ、風の音一つだに聞こえて来なくなった。政権存立基盤の争点を民主党に求めるのではなく、郵政改革に象徴される小泉政権の「改革」路線へのオサラバを明確にすることによって「失われた票」を取り戻そうという戦略のようである(政党再編の匂いが漂って来る)。逓減支持率の下で解散のタイミングを失ったことが却って功を奏したようで、アメリカの株価も日本の株価も上昇傾向を示し始めたし、更に新型インフルエンザによって解散しようにも出来なくなってしまった。麻生さんにとっては、何もかもが幸いしているようである。麻生政権が発足したとき「解散はしないだろう」と予想したが、どうもそうなりそうな雲行きになって来た。麻生さん自身、解散出来なくて「残念!」というより、むしろ内心は「シメ、シメ」という気持ちが偽らざるところだろう。只、「100年来の世界大不況克服のため」「景気回復のため」という大義名分の下、歳入よりも過大な国債を発行する無茶苦茶の補正予算は、折角麻生政権の方へ動き始めた流れを再び民主党の方へ逆流させるかも知れない。国会での与謝野氏らしからぬ詭弁答弁は危うい。

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理念不在のエコ・ポイント

何か奇怪しい、エコ・ポイント   去る5/15からスタートしている環境省の景気対策。貯めたエコ・ポイントが何に使えるかはもう直ぐ7/1に発表される。環境省のホームページによると、正式な名称は「エコ・アクション・ポイント」と言い、「消費者による温暖化対策型の商品・サービスの購入や省エネ行動を経済的インセンティブを付与することにより誘導する仕組みがエコ・アクション・ポイントです」と説明している。何故、今か?ということについては、「地球温暖化を防止するための京都議定書の約束期間が2008年より始まりました。そこで、私たちが家庭において積極的にできる温暖化対策が必要なのです」と説明し、「より多くの消費者の参加を得て家庭部門の温室効果ガスの削減を促すため、ビジネスモデルとして自立発展し普及させるため、という観点により推進します」、そして「既存ポイント市場に埋没しない規模のエコ・アクション・ポイントの拡大を目指します」と広報している。趣旨は分かりやすいし、ポイント制というのも今風で良いし、家電製品が実質負担が少なくて手に入るのは有難い。しかし、地デジTVを例にとると「価格×10%」というポイント制で、実態は「二酸化炭素拡大奨励策」となっている。大型テレビを売りたい販売店が「価格×A%」というポイント制を採るのは分かるが環境省の「総量抑制」趣旨からすれば、むしろ大電力を消費する大型テレビへの買い替えを抑制する「エコ・ポイント制」でなければならない。そのためには「価格×10%」ではなく一律ポイント制とすべきで、35インチぐらいまでは一律3万円くらい、40インチぐらいから上は2万円ぐらいにすれば趣旨に合った購買行動が起こる筈である。「エコ対策」と銘打ってはいるが、税金投入見え見えの業界支援策である。内心腹を立てている業界も多いのではないか。

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菅家さん冤罪、足利事件が教えるもの

足利事件が示すもの、冤罪   6/4、足利幼児殺害事件で服役していた無期懲役の菅家さんが18年振りに釈放された。DNA鑑定によって「無実の重罪」を着せられた菅家さんが同じDNA検査技術の進歩によって無実が証明され冤罪が晴らされたという皮肉な判定である。無実でありながら18年もの間犯罪者に仕立てられた菅家さんの口惜しさは察しても余りある。足利地区は幼児殺害事件が多発しているところだが、菅家さんの誤認逮捕によって真犯人は悠々と時効を迎え何食わぬ顔をしてのうのうと市民生活を送っていることになる。凶悪犯罪なるが故に腹立たしく割り切れぬ思いが残る。菅家さんも言うように、早急に「時効制度」を真剣に見直すべきである。また、この度の決定は、幼児殺害の足利事件に加えて「菅家さん足利冤罪事件」という新しい事件が起こったことを意味するが、この事件が教える最も大事なものは科学的証拠に幻惑されて人間の「疑わしき」判断を失わせたところにある。DNA検査という科学技術を過信したことが、即ち科学技術を「絶対」と思い込んでしまったことが人間の冷静な判断能力を奪ったと想像される。菅家さんは会見の席で、検察と警察の残虐極まりない自白強要によって「無実の人間が自白をさせられた」という発言をしていたが、余程残虐な取調べが行なわれたのであろう。取調べの可視化(DVD記録)も早急に実施すべきである。取調官たちのために百歩譲って善意に考えれば、科警研(科学警察研究所)の結果を絶対視する上司によって取調官たちが恣意的自白(作られた秘密の暴露)調書を作成させられたことも考えられる。あるいは取調官自身が科警研検査を絶対的事実と思い込み、この暗示に掛かり誘導されて、当時第一級の科学捜査であるDNA鑑定の呪縛にはまったのかも知れない。いずれにしても、当時の「自白主義(秘密の暴露)」を最優先していた捜査方法が画期的なDNA検査という科学捜査によって得られた証拠を司法と警察が絶対的証拠と評価してしまったことに依るものだろう。パスカルは「人間は考える葦である」と人間の考える能力を賞賛したが、「考える」ことは即ち「判断する」ことであることを思えば「誤まって考える」ことは誰しにもあることである。司法も警察も「人間は考え過ぎる葦である」「人間は思い込む葦である」「人間は間違える葦である」ということを常に謙虚に認めなければならない。さもないと、裁判員制度の時代を迎えて「推定無罪」判断にも影響する。科警研や科捜研の技術は日進月歩の進歩を遂げており、最近は脳科学に基づいた「脳指紋」検査方法も考えられている。人が人を裁く裁判であるからこそ、常に冷静に謙虚に「考える」能力を放棄してはならない。DNA検査の一致は「容疑者の特定」にはなるが、「犯人」という証拠にはならず、検査結果の不一致は「犯人ではない」証拠になることを忘れてはならない。それにしても、最高裁、高裁、地裁の判断が遅過ぎたことは重大な問題である。

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小沢氏、代表辞任を表明。そして次は?

新代表は鳩山氏[2009.5.16追記]   民主党の両院議員総会において29票の差で鳩山代表が決まった。いよいよ次は総選挙となるが、政権交代がほぼ間違いないと見られている現況下では、民主党としては先ずは創立者でもあり年長者でもあり小沢前代表を支えて来た功労者でもある鳩山氏に花を持たせたのだろう。何となく出来レースのような臭いがしなくもないが、予想通りの結果となった。岡田氏は次だろうと思うが、菅氏に芽があるかとなると、読めない。政権交代すれば鳩山総理が誕生する訳だが、海外から見れば「吉田茂首相の孫」から「鳩山一郎首相の孫」に代わっただけじゃないか、と考える人も多いのではないだろうか。見ようによっては、与党も野党も世襲ばかりで、日本の政界の質の悪さと後進性を露呈しているようなものでもある。かって「経済は一流、政治は三流」と言われた時代には国民も精神的にも物質的にもゆとりがあったが、「経済も三流、政治も三流」となった今こそ、政治の出番であるのだが…。鳩山氏はどこまで応えられるだろうか?

小沢氏の次は?[2009.5.13追記]   代表選挙を16日(土)に行なうことが決まった。鳩山幹事長と岡田元代表の一騎打ちになりそうな気配で、「鳩山では小沢の傀儡(かいらい)だ」とか、「岡田は原理原則主義で堅物過ぎる」とか、メディアが様々な憶測を並べ立てて日に日に賑やかになって来たが、小沢氏が政治的失脚で辞任したものでないことを考えれば、鳩山氏でも岡田氏でも小沢氏の影響を当然受けると理解すべきであろう。仮にどちらかが総理大臣になれば、総理大臣の経験のない小沢氏が巷で言われるような「院政」を敷ける訳はないと考えるべきである。代表選挙について、選挙期間が短いという意見もあるようだが、国会の開会中であることを考慮すると、それは如何なものか?先の自民党総裁選を真似しても仕方があるまい。支持率から見ても、代表選挙を総選挙活動に私したと叩かれるのが落ちであろう。小沢氏の辞任が号外が出るほどのインパクトを与えていることから見ても、今のままで十分メディアは応えて呉れている。それより、彼らの一人が次期総理になる可能性が大であることを考えると、国を代表するだけの適性・適材であるか否かという点が重要な要素となる。総理大臣には毅然として明るい人物を期待するが、民主党代表は歴代何故か暗い。無闇矢鱈にニタニタする必要はないが、二人には何よりも、周りに微笑を招くようなユーモア・ウィット精神を身に付けて欲しいものである。

小沢代表、辞任[2009.5.11記]   4月の末頃、連休明けには何らかの態度表明をしそうな雰囲気はあったものの、今日11()、突然、小沢氏が代表辞任を発表した。3月に西松建設からの政治献金絡みで公設第1秘書が逮捕されたことが、総選挙を間近にしてボディー・ブローのようにジワジワと効いて来たのだろう。更に、不況や新型インフルエンザ等徐々に世の中の雲行きが怪しくなりつつある中で、民主党の中興の祖としての影響力を保持するためには「今」辞めるのが最良という判断なのかも知れない。小沢氏辞任によって政局に細波(さざなみ)が立ちそうだが、民主党が政権を取って霞ヶ関や財界を抑えるためには小沢氏の力の存在を温存し示す必要があるだろう。更に、旧社会党から旧自民党まで幅広いイデオロギーの寄り合い所帯である上に、更に先の参院選挙によって参院第一党となって大所帯になった分、個々の議員の声も大きくなって無視出来なくなっている。この難しい寄り合い所帯を一つにまとめることが出来るのは小沢氏以外に誰かいるのだろうか?そういう意味で、本家本元の民主党は菅氏、岡田氏、鳩山氏、前原氏と一見粒揃いに見えるが、いずれも「帯に短し」の観が強い。小沢氏という対外的にも対内的にも強力な指導者を失うことは糸の切れた凧のようになりはしないか?後任の代表が誰になるかによっては、自民党内部から麻生氏では選挙の顔にならないと騒ぎ始める可能性もある。国会も自公が、天下り法人と基金への膨大な補正予算を強行採決に持ち込めば、麻生政権の支持率が一挙に低落するのは必至である。そうなれば、麻生氏はじっと任期満了を待つしかなく、無理して解散には踏み切らないだろう。それにしても、何と人財のいないことか。二大政党の一方であれば党首には、党首たる者、世界を見、国民を見て、どっしりと構えて日本丸の舵を取るような人物であって欲しいものである。チマチマとしてパフォーマンスばかりが長けた政治家ばかりが目に付く。

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エイプリル・フール

エイプリル・フール   今日4月1日はヨーロッパでは「四月馬鹿の日」とか「萬愚の日」と呼ばれて国民・国家を挙げて大いにユーモアを楽しもうという日である。人を騙し、騙された人を見る快感は、人間共通のものだろう。この快感を敬虔なクリスチャンにも一日だけ与えようというのは、日曜日毎に教会を訪れて司祭や宣教師の説教に耳を傾け、敬虔に日々を過ごすクリスチャンの人々が如何にも考えそうな日である。本場イギリスのBBC放送などは今も積極的に、大金を投じて大掛かりな番組を作成し大々的に放送しているようである。反面、日本では「エイプリル・フール」が輸入されてから随分経つが、全くと言って良いくらい根を下ろしていない。もっとも日本のように、政官財のみならず社会構造からしてあらゆることが偽装塗れで、毎日が「萬愚の日」であるかのように偽装事件が起こっているような国に「エイプリル・フール」が根付く筈がない、とも言えそうだ。この数年、殆ど毎日日本のどこかで、食品偽装、産地偽装、耐震偽装、安全偽装、手抜き偽装、等々の偽装事件が発覚したが、先日は遂に森田健作が、ガチガチの自民党員でありながら「完全無所属」「完全無党派」と連呼して無党派千葉県民を騙し、100万票を超える支持を集めて千葉県知事の椅子を手に入れた。ここに来て西松建設の献金偽装から政党偽装まで出て来たのである。この国の行く末はどうなるのか、世も末と言わざるを得ない。騙す方の論理は「騙される方が悪い」というのが定説だが、そうであれば職の無い折り、日本を良くするために警察や検察の大拡充を図って「JUSTICE」精神の再構築が必要だろう。

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第一公設秘書の起訴を受けての、小沢会見

小沢会見   今日24日、小沢代表の第一公設秘書の大久保が政治資金規正法違反で起訴された。大久保秘書が逮捕されたときから小沢氏は会見することを表明していた。何を喋るのかが注目されていたが、今日の会見は歯切れが悪く、力強さも無く、これまでの主張の繰り返しだけで、特別のものは何もない。この事件の重要な点は二つある。一点は、議員自らが立法した政治資金規正法に違反しているという事実である。議員たちに都合の良い「ザル法」でありながら議員自身がそれすら守ろうとしていない点を地検が咎めたことは正義(Justice)の保障者として至極当然である。自ら立法化した議員に「罪の大小」を主張する資格はあるまい。もう一点は、大久保秘書が公設秘書であるということである。公設秘書というのは国家公務員(特別職として待遇)で、国から少なからぬ俸給を得ている公僕である。当然、国家公務員であるから法律の遵守義務は遥かに高い。でありながら、真面目に職務に従事することなく脱法行為に明け暮れていたことは見逃せない。「ザル法」下では、公設秘書の違法行為の全てを議員の責任にすることは難しいかも知れないが、秘書の中でも公設秘書については「政治家と一心同体と見做し」ても良いのではないか。現行法上、小沢代表は法的責任は問われないかも知れないが、一時の間でも「代表を辞任する」ことが議員としての道義的責任の取り方だろう。「議会制民主主義のために代表を続ける」という表明をそのまま肯定する国民は少ないだろう。国民が政治家に求めているのは清廉と公正であり、民主党が政権交代するためには党としての「潔さ」が必要である。

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麻生氏に神風か?小沢代表の秘書が逮捕

小沢代表の秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕

  小沢氏の釈明会見

    [2009.3.4追記] 9時40分からの小沢氏の会見をNHKで聞いた。予想通り、早く言えば「貰った方は法律に違反していない。呉れた方が違反しているのであれば、政治資金規正法の性格上返却しなければならないが、呉れた方がどういう方か細かく詮索しないのが世間の常識でしょう」といった内容で、政治家特有の「バレモト」体質が諸に出た会見であった。昨日の今日のことであり、この程度の「開き直り」的会見は已むを得ないのかも知れないが、10年間もの付き合いがある西松建設との関係を「世間一般」の話に磨り替えるのは聊か詭弁に聞こえる。特に、検察批判はかっての「豪腕小沢」を髣髴とさせイメージをダウンさせた。逮捕者が西松建設側だけであればその理屈も通るが、小沢氏の公設第1秘書に「逮捕令状」が出たということは、裁判官が「妥当性」を認めたことを意味し、一方から見れば、濃厚な嫌疑事実が存在していると解するのが妥当である。むしろ、いずれ「潔白が証明される」というのであれば、その間、代表職を一時代表代行に預けるくらいの殊勝さ謙虚さを表明する方が一般国民に対しては良かったのではないか。古武士は疑われただけで恥とし腹を切るくらいの美学を持っていた。折角、民主党優勢という政局を築き上げながら、「代表を辞めない」と宣言したことは、更に小沢氏と民主党を一転して劣勢に反転した観がある。しかも、時を追う毎に次から次に出て来る詳細な事実報道と「秘書の逮捕」という現実から判断すれば、小沢氏個人が如何に「正当」だと主張しても、それをそのまま信用する国民はいないだろう。いずれ、何故、秘書の「逮捕」か、という嫌疑内容が明解になると思うが、検察には郵政資産譲渡問題も含めて更なる解明を期待したい。いずれにしても、これで自民・民主に愛想を尽かし投票に行かない人が増えたことだけは間違いないし、民主党の票が減ったことも確かである。

  公設第1秘書が政治資金規正法違反容疑で逮捕

   [2009.3.3記] 定額給付金の基となる補正予算が「3分の2」再議決によって成立する明日を控えた3月3日の昼下がり、「検察庁が、小沢氏の資金管理団体『陸山会』の会計責任者である公設第1秘書(大久保隆規)を逮捕し、陸山会事務所等の家宅捜索に入った」というビッグニュースが飛び込んで来た。海外裏金が発覚した違法政治献金の西松建設の幹部社員が自発的に献金した形式を取った違法献金がバレたのだ。小沢氏らしからぬ何ともお粗末な政治献金を受け取ったものである。公設第1秘書が逮捕されては、如何な小沢氏でも選挙を目前にして、のうのうと民主党の代表に納まっている訳には行くまい。悪くすれば議員辞職まで追い込まれる可能性さえある。献金先は小沢氏だけでなく、森元総理を含め数名の自民党代議士にも配られているという。検察庁は国会議員に容疑が絡む場合、必ず法務大臣を通じて総理大臣に「お伺い」を立てることになっている筈である。ということは、麻生総理も、鳩山総務大臣(前法務大臣)も事前に知っていた訳で、後は「いつ、逮捕するか」のGOサインを出すだけであったことになる。明日の補正予算関連法案再議決を無事に乗り切るために「今日」を選んだのだろう。しかも、森元総理にも渡っていたということは、自動的に「麻生降ろし」の狼煙(のろし)を揚げている一派の動きを牽制することにもなり、また郵政問題絡みでは小泉路線改革一派をも牽制することになる。麻生総理もなかなかシブといと言えるが、選挙を前に自民・民主ともに大打撃であることは否めず、これによって政局が激変する可能性が出て来た。解散は早まったと見てよいだろう。

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麻生政権、ラストチャンス?

麻生総理の挽回チャンス   麻生さんは今日、オバマ大統領の招待を受けワシントンへ旅立ったが、麻生総理の支持率は限り無く一桁へ向かっている。解散するにせよ、任期切れを待つにしろ、このままでは最悪の状態で選挙を迎えなければならないという最悪の事態である。しかし小泉元首相の麻生批判が、誰一人想定していなかった政局を現出した観、無きにしも非ず。最後の切り札とも言える最後のチャンスが生じたと言えないこともない。小泉元総理が「郵政民営化に賛成した議員はいなかった」とポロリと口走った一言は極めて重大な意味を持つ。麻生総理が「余り理解していなかった」と発言したように、郵政民営化は一握りの議員による極めて恣意性の強い改革であったことが暴露された。世界同時不況の引き金となったリーマン・ブラザースの破綻によって、オリックスとメリルリンチが絡む「かんぽの宿」譲渡問題、諸悪の根源となっている市場開放・市場原理主義が招いた経済政策、業種緩和拡大政策が惹起した派遣業法問題と格差拡大、日銀に強要した超低金利政策、未だに解決しない後期高齢者医療制度など小泉・竹中政治が「改革なくして発展なし」という抽象的スローガンを錦の御旗の如く振りかざして強引に極めて具体的な政策を進めて来たことが誤りであったことを多くの国民は学習した。そして多くの国民は、今は政争の時機に非ず、政党を超えて国際的には内外経済の再建、国内的には改革という名の下に行われた行き過ぎた改革を冷静に迅速に見直すべき時機と政治に期待しているように見える。しかし、世界経済と国民生活には目を向けず、政権政争に明け暮れている自公と民主のあり方を苦々しく思っている国民が殆どであろう。これらの状況から考えると、国民を味方に付けたものが勝利する。国民不在の政争の下では、いざ選挙になっても投票率が高くなるとは思えない。低投票率の中ではたとえ支持率は低くても麻生政権としては十分戦えるのではないだろうか。そういう意味で、定額給付金を実現し、小泉政治に強力な見直しを掛けることを国民に宣言することこそが麻生総理と麻生政治を見直させ復権をもたらすことになるだろう。その為には旧改革派と新(見直し)改革派の争いという劇場が用意されなければならない。旧改革派が麻生氏を怒らせる場面が生まれれば、爺サン譲りの「バカヤロー」解散が期待できるのだが…。麻生、鳩山、与謝野という利権色に染まっていない身奇麗な面々という体制も好感できるし、今を逃してはもう二度と解散のチャンスは到来しないだろう。

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オバマ大統領就任演説

オバマ大統領就任演説   2009120日、オバマ氏が44代目の米国大統領に就任した。弱冠47歳、歴史的初の黒人大統領の誕生である。早速、彼の就任演説を読んでみた。ところが、選挙運動中、アメリカを「変える」、「我々にはそれが出来る」という合言葉的キャッチフレーズ、オバマ氏のトレードマークとも言える「CHANGE」は「For the world has changed, and we must change with it.(何故なら世界は変わった。従って我々も変わらなければならないのだ)」という文節に二度現われただけだった。「Yes,we can」という言葉は一度も出て来ない。これは、200810月、突然サブプライム・ローン・バブルが弾けて、Lehman Brothers が破綻し、アメリカを象徴するBIG3さえもが破綻寸前という空前絶後の予期しない状況に陥ったことが理由だろう。この激変を誰が予測しただろうか?「強い」アメリカが、大統領就任直前にして一瞬の内に「弱い」アメリカに一転したのである。これより大きなCHANGE はない。オバマ氏にしてみれば、大統領候補に立候補した頃は「強い」アメリカを「強くて優しい」アメリカにしたいという強い思いがあった筈だが、イスラエル・ガザ紛争や国内外経済などの国際情勢の急激な変化の中で「Yes,we can 」などと悠長なことを言っておられる状況ではなくなった、というのが本音だろう。「やるしかない(We will do)」状況に追い込まれた中での就任演説となった訳で、この難局を乗り越えるために、施政方針は「答えがYES ならやり続け、NO なら止める(Where the answer is yes, we intend to move forward. Where the answer is no, programs will end. )」と明快に述べ、ブッシュ政権の行過ぎた市場原理主義に対しては「注意深く見据える目(watchful eye)」を持たなかった失敗を自戒し、今後、この現実の下で国民と国家に課され要求されるものは「Challenge(挑戦・試練)」と「新たな時代の責任(What is required of us now is a new era of responsibility)」という覚悟である、と述べた。老若男女、全世界の国々への具体的で分かり易い施政方針の発信となったのは已む無きことだろう。多くの人が期待していた美辞美文の歴史に残るような名演説からは程遠くなったが、言葉の端々に保護主義と同盟国への協力要請が垣間見えるのが気になる。些か理想主義的な臭いがしないでもないが、党利党略に明け暮れるわが国の政治家に聞かせたい言葉と理念が随所に現われている良い演説であった。

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麻生総理の求心力と遠心力

求心力   同義語は向心力、中心力。反対語は遠心力。広辞苑によれば、求心力・向心力とは、「物体が円運動をする時、円の中心に向かって物体に働く力」、遠心力とは、「回転運動をしている座標系で見たときに現れる、見掛け上の力。静止物体にも運動物体にも同じように働く。回転軸からの距離と座標系の角速度の2乗との積に比例する」とある。活動しないところには求心力が生じない訳で、麻生総理が動きを見せた途端、皮肉なことに求心力よりも大きな遠心力が渡辺喜美氏に働いた。最近、麻生総理の政策発言が定額給付金から消費税増額論議へと移りつつあり、自民党内部に亀裂が生じかねない様相を呈し始めた。それと同時に、麻生総理への求心力(向心力)が見る見る弱まっているようである。と言うより、遠心力とでも言えるような、麻生総理と距離を置こうとする力が働き始めた。誰がさせたか、麻生氏も、消費税増税発言さえしなければ支持率にはそっぽを向いたままで任期満了まで頑張れたのではないかと思うが、消費税増税発言が麻生政権に「風雲、急を告げる」事態をもたらした観がある。遠心力が「動きに比例して強まる」ことからすれば、近い将来、月が地球から分離して生まれたように、求心力を超えて飛び出す者が出て来そうな気配である。しかし、わが身を月に擬(なぞら)えたいと念ずる者は多いだろうとは思うが、地球の求心力を超えて宇宙の塵となる賭けに挑むような者は左程いないだろう。「旧自民党」と「新自民党」、「旧民主党」と「新民主党」程度の違いを見せての合従連衡くらいは起こるだろうが、残念ながら自民党にも民主党にも現状を打破して「新しい日本」に「CHANGE」するような、オバマ新大統領のような力を期待させる者はいない。寂しく、侘しく、サモしい限りである。

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飯島愛、「金スマ」引退会見。…そして死亡

飯島愛さん、死亡   [2008.12.24] 今日24日の昼下がり、飯島愛さんが自宅居間で死亡しているのが発見されたという臨時ニュースが流れた。自殺か病死であるかは不明だが、事件性は薄いと言う。このニュースを聞いたとき、昨年4月の引退直前のTV番組を見ていて、時々虚ろな眼差しを見せていた彼女の力のない姿に一抹の不安を感じたことを思い出した。見るからにかなり精神的に病んでいるのでは?と感じていた私には、自殺か睡眠薬の飲み過ぎによる事故死ではないか、という思いが過ぎった。飯島愛という女性は、虚飾に塗(まみ)れた芸能界の中で珍しく正直な気持ちや生き様がストレートに伝わって来た数少ない女性の一人だった。早く元気な姿を見せて欲しいと期待していただけに残念である。享年36歳とは早過ぎる。合掌。

飯島愛さん、引退   [2007.4.7記] 4月6日()TBS「金スマ」の飯島愛引退番組を見た。彼女がどのような経歴を持っているタレントかまでは知らないが、私の記憶ではいつの間にかお茶の間の人気タレントになった女性のようなイメージがある。彼女は引退理由の一つとして、「金スマの個々のタレントたちが持っている活花や芝居や歌などの華麗なバックグラウンドに相当するもの(オーラ?なら十分あると思うが…)が、1972年生まれの35歳になる自分には何も無い。ただ、あったのは幸運だけだった。幸運だけで今までやって来れた。これから先、年齢を重ねて行くことを考えたとき、何も無い自分はいずれ芸能界から取り残され消えて行くだろう。そう考えると引退しかない、と決心した」というようなことを、時々溢れ出る涙に抗いながらも明るい微笑みを絶やさずに発言していた。しかし幸運だけで、ファンあってのタレント稼業が長年に亘って務まる訳がない。幸運が続いたことは、得てして虚飾のベールで自分を覆いたがる芸能人の中にあって、地のままの自分自身を曝け出して視聴者に評価を預けている姿勢に、多くの視聴者が飯島愛に偽りの無い誠意と人間愛を共感していたからではないだろうか。金スマを見ていて黄門様のことを思い出した。水戸光圀公も幼少から青年時代までは勉強嫌いで手の施しようの無い不良の「カブキ者」だったそうであるが、ある時を機に無学を恥じて学問に精を出し名君の誉れ高い殿様となった。後に歴史を学ぶことの大切さを後世に知らしめるために「大日本史」を編纂したが、これも光圀の、何事にも徹底を究め天道を過(あやま)たぬ峻厳熾烈な思想(哲学)と性格によるものである。飯島愛という女性も、ひょっとしたら光圀公的性格の人間かも知れない。何かに挑戦し究めようという並々ならぬ意欲を大切に育み、格段の飛躍を期待したい。

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麻生颪(降ろし)、颪は山上から吹く

麻生颪(おろし)   総理就任たった二ヶ月だと言うのに、麻生颪が吹き荒れて来た。関東では「赤城颪」、関西では「伊吹颪」が有名だが、「颪」という風は「秋から冬にかけて、山の上の方から麓に向かって激しく吹き降ろす寒風」を言うそうだが、事もあろうに、季を一にして自民党内から「麻生降ろし」の狼煙(のろし)が上がった。段々、風も強くなって来た。狼煙の主は無所属議員の渡辺喜美(故渡辺美智雄の息子)元行革大臣である。その本音は「麻生では選挙が戦えない」ということのようだが、二ヶ月前に党を挙げて推挙した総理を「選挙が戦えない」から引きずり降ろそうという国が世界のどこにあるだろうか。先進国らしからぬことである。半年くらいは麻生総理を守り立てるくらいの度量が求められる筈だ。むしろ、まともに考えれば、渡辺議員の行動は「離党勧告」ものであろう。それが、誰一人、咎めようともしないというのは、これまでに何度も吹いた「××颪(降ろし)」が「上」の方から吹いている(上の方が吹かせている)と考えるべきなのだろう。自民党というのは、政局が不利になると、決まって「お騒がせ者」と「なだめ役」や「調整役」を登場させ、国民の前では「言いたいことが自由に言える懐の深い政党」かのような「猿芝居」を演じて来た。往々にして、吹かせた人がなだめ役に回るという「マッチ・ポンプ」芝居であったことを突然曝け出し笑わせられることも多いが、今は景気が日に日に酷しさを増しており、見え透いた猿芝居を見物するような気分にはなれないのが国民の気持ちだろう。麻生氏を弁護するつもりはないが、自民党の態度は国民をバカにしている。政局の中を上手く遊泳するのが政治活動と勘違いしている輩が多過ぎる。政治家というのは、真摯に政治に向かってこそ政治家であることを忘れるな!

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麻生氏の命運は?支持率急降下

支持率急降下、麻生政権の命運は?   麻生総理の支持率が20%前半に急落している。最近の総理退任時の支持率を比較してみると、福田康夫18%、安倍晋三25.5%、小泉純一郎43.2%、森喜朗10.8%、に就任2ヶ月足らずで並んでしまった。ある評論家は「立ち枯れ」総理とか「立ち枯れ」内閣と評している。実に、言い得て妙である。麻生支持急落の原因(12/2FNN調査)では「指導力」がない71.9%、「言動」不信が78.4%。麻生さんが自称強い筈の「景気」対策も支持は16.2%、「外交」政策も28.3%しかない。加えて「総理に相応しい度」も麻生氏31.5%、小沢氏32.5%と逆転してしまった。「枯れ木も山の賑わい」という言葉があるが、これは陽差しの強い時のこと、やはり立ち枯れの樹木は黄昏時が似合う。最近の麻生氏は、辛うじて持ち前の「明るさ」だけは保持しているが、日に日に影が薄くなって後姿が寂しそうに見え始めて来た。黄昏の中に消え入る影のような姿は麻生さんには最も不似合いだが、定額給付金も靄(もや)の中に消えてしまいそうな雲行きである。麻生政権発足時、自民党員は麻生氏に「緻密さ」を求めるより「失言」を一番懸念していた筈だが、その通りになってしまったようである。口は禍の元、政治家は「口」が命である。国会での「弁」、国民への「弁」が失われたら「死に体」に等しい。弁の古い字は「辯」と書く。他人にとって辛(から)いことも自分にとって辛(つら)いことも弁じなければならないのである。政治家の「弁」は「辛辣に喋る」くらいで丁度良い。麻生氏のべらんめぇ~調の「辛口」は、一時、国民に「信用してみよう」という気を起こさせた。そして「官僚を上手に使い」こなし、「偽・私・放・奢は国を滅ぼす」と言われるような「偽」人間・「私」人間・「放」人間・「奢」人間を官僚のトップに据えるようなことはないだろうと期待させた。族議員の色に染まった「官僚トップ」を作らぬよう官僚人事を誤らぬことが日本を再生させる。官僚の中にも、「二天一流の兵法(宮本武蔵)に言う「邪心を持たず、幅広い知識を得、様々な機能を知り、利害得失が分かり、本質を見誤らず、細かい注意が払え、役に立たぬことはしない」ような立派な人間は大勢いる。むしろ政治家よりも遥かに多い筈だ。麻生総理の天賦の「明るさ」と「いい加減さ」にそれを期待したが、政権そのものが危うくなった。やはり、麻生氏自身が月刊誌で述べたように首相就任時の所信表明演説後の冒頭で解散するしかなかった。その時であれば、多分、自公が辛勝していた可能性があった。この解散を阻んだ誰かがいる筈だが、解散権は総理の専決権限であり、今となっては他人の所為にすることも出来ない。今、麻生氏にどんな為す術があるだろうか?任期一杯かけて解散の機を賭けるしかないのでは?

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座布団の舞わぬ大相撲

座布団は土俵の華   今九州場所から升席のサイズが縦横15cm大きくなったそうである。座布団も大きくし、更に4枚の座布団を紐で繋いだようである。升席が広くなったことは良いが、座布団4枚を繋いだことには賛成しかねる。日本相撲協会は座布団が力士や砂被り席のお客さんに危険という理由で、投げることが出来ないように紐で繋いだらしいが、横綱が負けたとき、土俵の上に座布団が乱舞するのは華やかなものである。江戸時代から「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるくらい、江戸っ子は華やかさと粋を好んだ。大相撲とは江戸相撲である。相撲の華が座布団の乱舞にもあることは否定できない。座布団の飛ばない土俵というのは想像するだけでも寂しいものがある。中には座布団を投げたくて升席を購入している観客もいるかも知れないし、座布団が舞うのを心密かに期待して来ている観客もいる。失望しているファンも多いことだろう。図らずも今場所初日、早くも横綱白鵬が安美錦に負けた。乱戦模様の場所となりそうな気配だが、協会の意に反して矢張り数枚の座布団が舞った。だけでなく、これまでにはなかった座布団以外の妙な長方形の板のようなものまで投げられた。こっちの方が余程危険に見えた。危険回避が理由であれば、当たっても痛くないような柔らかい素材の座布団に改良すれば良かったと思うのだが…。更に、赤、青、黄等色とりどりの座布団を揃えれば、もっと華やかになると思うのだが…。

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川内氏が亡くなって「おふくろさん」は?…&和解

目出度く和解

   [2008.11.6追記] 故川内康範氏(享年88歳)の遺族代表飯沼春樹氏と森進一氏が和解し、目出度く森氏が「おふくろさん」を歌うことが出来るようになった。2008年4月に川内氏が死去して、今後、「おふくろさん」を聴くことは出来ないのかと心配されたが、2007年2月の騒動勃発から1年9ヶ月にして解決を見たことになる。飯沼氏は故川内氏と前妻との長男で、現在は弁護士をされているらしい。彼の談では、法律的には当事者が死亡しているので「和解した」のではなく、封印した川内氏に代わって「封印を解いた」と言うのが正確であるらしい。当事者が亡くなっている現在、名曲「おふくろさん」を熱望しているファンの気持ちを察して、「紅白」に間に合うようにと率先して行動されたそうであるが、流石は弁護士さんである。歌を「権利」の対象としてではなく、聴きたいファンあっての「存在」であることを会見で表明された。兎角何にでも権利を主張し義務を要求する世相の中にあって、久方振りに「人の心」に触れた爽快感が漂う会見であった。森氏も、故川内氏が「川内康範のおふくろさん」と「森進一のおふくろさん」とを重ね合わせて世の中の普遍的「おふくろさん」イメージを詩にした点については改めて肝に銘じ心して歌わなければならないだろう。紅白の「トリ」を楽しみにしている。

「おふくろさん」はどうなる?

   [2008.4.8記] 46日、川内康範氏が亡くなった。88歳の大往生であった。同じ作詞家でも、国民と歌い手から幅広い支持を得ていた大作詞家阿久悠氏とはまた違った意味での大作詞家と言えよう。晩年は森進一氏に「おふくろさん」を歌わせない、所謂「おふくろさん」騒動を起こして些かヒンシュクを買っていた感があったが、水原弘、城卓矢、青江三奈といった個性的な歌い手を育てたという点では異才の作詞家と言える。彼ら歌い手たちは川内氏の歌詞に巡り合わなければ一世を風靡することはなかったかもしれない。そういう意味では、特異な歌唱力を見出された森進一氏も同じ範疇に入れても良いかもしれない。川内氏が亡くなって、「森進一のおふくろさん」はどうなるのだろうか?心情的には歌う気持ちにはならないだろうが、理屈的には川内氏が亡くなったことによってJASRACは申請者に対しては使用権許諾を与えることになるのだろう。しかし、キチンと話し合って縒()りを戻せなかった森進一氏にすれば、川内氏が急逝されたことでもっと複雑な状況に追い込まれたのではないだろうか。森進一氏が唱う「おふくろさん」を聴きたいファンのためにも、JASRACには、歌手がいるのに「持ち歌」が絶版になったような残酷な事態だけは避けるよう期待している。

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アメリカ大統領選、オバマ氏、圧勝

オバマ氏、圧勝   114日大統領選挙で民主党(Democratic Party)バラク・オバマ氏が共和党(Republican Party)のマケイン候補に圧勝し、8年の長きに渡った自由主義・開放経済を標榜してネオコンを温存して来たブッシュ共和党政権は来年1月で終わる。白人社会の国に黒人大統領が誕生し、今日は歴史に残る日となった。アフリカ系アメリカ人による公民権運動は19501960に活発化し、ケネディ大統領が暗殺された翌1964年に公民権法(Civil Rights Act)が成立し、1968年、キング牧師が暗殺されると全米で暴動が発生した。この公民権法の成立によって、黒人に投票権が与えられた。アメリカに人種差別は存在しないということになっているが、潜在的には今も尚歴然と存在している。そんな逆境の中、オバマ氏は選挙期間中、「I hope ,you chooseCHANGE(変革)」とアメリカ国民に問い掛け続け、法成立から40年にして正しく「アメリカの変革」を成し遂げた。人種差別の国アメリカにアフリカ系アメリカ人大統領が誕生したのである。新しいアメリカの始まりである。1945年に婦人参政権を認めたわが国では63年も経ちながら未だに女性総理大臣が誕生していないことに比べれば大変な違いであるまた、上院議員になって4年目、47歳という若年者を敢えて大統領に選択したのもアメリカ国民のフロンティア・スピリットであり、アメリカン・ドリームの国の持つ活力だろう。アメリカ国民がヒラリーよりオバマを、マケインよりオバマを選択したことは、自国が惹き起こした経済金融危機やハリケーン災害やトルネード(竜巻)災害に対する対策の遅れと、イラン・イラク・アフガンでの「テロと戦い」「新しい戦争」を唱え突き進んだブッシュ共和党の政治を国民が否定したことを意味し、ブッシュへの怒りが黒人大統領を誕生させた。オバマ大統領が誕生して日本への影響はまだ不明だが、かってのクリントン民主党政権時代には、保護主義政策が採られ「自国さえよければ」という政治色が強く表面に出て、日本製品の不買運動なども起きた。民主党政権は国内経営を重視する傾向があり、自由貿易主義を採るブッシュ共和党政権が小泉・竹中経済政権に無理強いして何でもかんでも市場開放を要求して来たような無茶な事はしないと思うが、米国自動車業界ビッグ3のGMの経営危機が起きている今としては、何らかの自動車産業保護政策が採られることは十分考えられる。共和党を支えていたネオコン(neoconservatism)集団が民主党政権誕生を予想して既に暗躍している気配もあるようだし、ジャパン・バッシング(Japan bashing:日本叩き)等が起きなければ良いが…と懸念している。アメリカの社会事情は、日本国民がブッシュの政策を無批判的に受け入れ「格差拡大政策」を採って来た小泉政権の政策を否定している現状によく似ており、日本の政局も同じような道を辿るのではないだろうか。来るべき衆院選挙の行く末を暗示しているように思える。

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麻生所信表明演説と小沢代表質問

所信表明演説と代表質問   9/30、麻生総理の所信表明は「総理として何を語るか」について多くの人が期待していたと思うが、その内容は「小沢民主党への質問」に終始し、これを受けた10/1の小沢民主党代表の代表質問は「折角のご質問なので、私の所信を申し上げ、総理への答弁としたい」という出だしで始まる異例なもので、総理が政治所信を語らず、野党代表は質問を放棄して国民に対してマニフェストを基に政治所信を語るという前代未聞の国会となった。国会が冒頭から政局と化していることも異例であるが、ある意味では歴史に残る所信表明と代表質問であった。所信表明演説とは、内閣総理大臣個人の所信として、国政についての方針や重点課題を説明し、考え(所信)を述べる演説であり、代表質問とは、総理の所信表明演説に対して議席を持つ各会派の代表者が代表質問(一般質問)を行うというものであるこれらのことを百も承知の両氏が旧弊に拘らず全く新しい形の所信表明と代表質問を行なったことは、今度の総選挙を違った意味での期待を抱かせるような気がする。(尚、通常国会の冒頭に内閣総理大臣が内閣全体の方針や重点課題を説明する演説は施政方針演説と呼ばれる。)

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麻生総理、所信表明

麻生総理の所信表明   929日、麻生新総理の所信表明演説が行なわれた。中山元国交大臣の暴言を陳謝して始まった所信表明では、「国民」という言葉に比べ、「私」と「民主党」という言葉がやたらと耳に付いた。総理の所信表明に形式はないかも知れないが、国家という巨大船の船長である総理大臣であれば、船長としてどのような経路を辿って何処の港を目指すのか、乗船客にはどのような船中生活を約束し、港に着いたらどのような喜びと楽しみを提供したいのか、を明確に示すべきであった。ところが今日の所信表明は、目指す港が明確に示されたとは言えず、航海途上の問題点を示そうとしたものに過ぎない。そういう意味では、巨大な客船の船長と言うより、巨艦の船長が乗務員に行う訓辞か檄文という印象で、露骨に総選挙をイメージして麻生自民党が小沢民主党に政権選挙を挑む内容であった。要するに、国民には「こうして民主党に勝ちたい」と述べたに過ぎない内容であったことは寂しい。麻生総理にすれば、先ず当面は総選挙に勝って第二次麻生政権組閣後が本来の所信表明であるという思いがあったのだろうが、国民は目の前に総選挙を控えているだけに尚更のこと、目指す港町での生活の姿をイメージしたかった筈である。「喧嘩麻生」らしい所信表明と言えばそれ迄だが、国民は、麻生総理の所信表明に期待感を抱くことが出来たのだろうか?甚だ疑問であるが、大波に呑まれて漂流、難破しないことを祈る。

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麻生新内閣、組閣から何が見える?

麻生新内閣から見えるもの

   [2008.9.24記] 9/24、首班指名(首相指名とも言う)が終わるといよいよ組閣である。麻生内閣は総選挙対策内閣で、政治を掌る内閣と見ている国民は殆どいないと思うが、組閣の顔触れを見れば、何かが見えて来る。内閣に何か異物が混入していないか、注意深く探索することが必要である。どんな異物かによって、麻生内閣の性格が予想できる。「太郎会」メンバーが名を連ねるのはやむを得ないとしても、先ず感じるのは、よくぞこれ程、二世、三世の世襲議員ばかりを集めたものぞ、である。日本は三流国以下に成り下がってしまったようである。確かに全国会議員の3分の2くらいが二世、三世の世襲議員なのだから、世襲議員を入れないで組閣することは不可能かも知れない。総理に比べれば大臣たちの年齢は若返ったものの、個々に閣僚を見ても、特に大衆に迎合することを目的としたようには見えず、華やかさも話題性も見当たらないが、かっての「青嵐会」関係者の子弟がやたら目に付く。かなりアメリカ寄りの右派政権のようであるが、穿った見方だろうか?そういう意味では、解散総選挙後にもしも麻生政権が誕生すれば、国民の信を背景にタカ派である正体が顔を出し、憲法第9条改正が格好のチャンスとなるかも知れない。小沢氏も改憲論者であるから、「改憲」をキーワードに政界再編の動きが出て来る可能性がある。それだけに返って油断できない内閣であると言えるかも知れない。閣僚メンバーを何度眺めても、内外に問題山積の今の難局を乗り切ることを目的としたようには見えない。むしろ、大臣に据えて、苦戦の総選挙を応援しているのでは、と思える人さえいる。となると、「解散は極めて早い」ということになる。麻生氏の喧嘩速そうな性格から推測すると、国会での民主党との応酬の中で一気に逆転が見込めるような一瞬の政局を捉えて、電撃的に解散するのではないか?サプライズ的に劇場型解散を演出して、流れを自民党に引き寄せる作戦だろう。そのためには「麻生さんらしい」という解散演出が必要となる。祖父吉田茂首相の「バカヤロウ!解散」が思い浮かぶが、まともなことでは逆転しそうもない空気も、小沢氏が暗いだけに、麻生氏の人間的魅力にすり替えることは可能のように思う。しかし、二度の総理辞任によって国民の目は鍛えられて厳しくなっており、麻生氏の情緒に訴えるパフォーマンスが通じるか、極めて疑問である。良いのか悪いのか、発表になったリストは「異物」どころか「小粒揃え」の感が拭えない。小粒でも山椒のような「ピリリ」人材が生まれればよいが・・・。

   細田博之幹事長 二世 父は元衆院議員細田吉蔵氏

     石原伸晃幹事長代理 二世 言わずと知れた石原都知事(元運輸大臣)の長男

     保利耕輔政調会長 二世 衆議院議長保利茂氏の長男

     笹川尭総務会長 二世 元衆議院議員・日本船舶振興会の笹川良一氏の次男

     古賀誠選対委員長 自力で衆議院議員に。

     河村建夫内閣官房長官 二世 父は元山口県議会議員。親韓派らしいので、韓国に評判の悪い麻生氏の防波堤か?

     鳩山邦夫総務大臣 四世 曽祖父は貴族院議員、祖父鳩山一郎は元総理、父鳩山威一郎元外務大臣の次男

     森英介法務大臣 二世 森美秀元環境庁長官 森財閥の一族

     中曽根弘文外務大臣 二世 言わずと知れた中曽根康弘元総理の長男

     中川昭一財務大臣兼金融担当大臣 二世 「北海のひ熊」で有名な元農水大臣中川一郎氏の長男

     塩谷立文部科学大臣 二世 元衆院議員塩谷一夫の子息

     舛添要一厚生労働大臣(再任) 自力で東大助教授から参議院議員に。組閣直前、後期高齢者医療制度の「75才以上」という年齢枠を取り除く発言が紛糾の因となる懸念あり。

   石破茂農林水産大臣 二世 父は元建設事務次官・元鳥取県知事。喫緊の「汚染米問題」に直ちに対応できるだけの知識はあるのか?「今から勉強する」では務まらないだろう。

     二階俊博経済産業大臣 二世 父は元和歌山県議会議員

     中山成彬国土交通大臣 元官僚から自力で。中山恭子元拉致担当大臣の旦那。

     斉藤鉄夫環境大臣(再任公明党)

     浜田靖一防衛大臣 二世 「ハマコー」で有名な武闘派浜田幸一元衆議院議員の長男

     佐藤勉国家公安委員長 自力で間組社員から衆議院議員に。

     与謝野馨経済財政担当大臣(再任)

        小渕優子少子化担当大臣 三世 祖父小渕光平元衆院議員父小渕恵三元総理

     野田聖子消費者行政担当大臣(再任) 三世 祖父が野田卯一元衆議院議員

     甘利明行政改革担当大臣 二世 父は甘利正元衆議院議員

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麻生新総理・新総裁、誕生&総選挙

麻生自民が小沢民主に勝つには?   麻生新総裁が予想通りの圧勝で誕生した。福田総理の放り投げ辞任から20日余りに亘る茶番劇興行の幕が降りた訳だが、福田総理が辞任表明したこの短い間に、世界中を震撼させたリーマン・ブラザースの破綻崩壊、中国のメラミン入りミルク事件、メタミドホスやカビ毒混入の汚染米(事故米)事件が起きた。リーマン事件に対しては日銀の素早い対応が評価できるが、中国のミルク事件と事故米事件については農水事務次官と太田農水大臣が同時に辞任してしまったことは頂けない。所管所轄の指揮官と参謀長が恐れをなして敵前逃亡し戦線離脱してしまったのだから、評価すると「0点」である。総選挙前の一番大事な時季に大失点で、そんな中で誕生した麻生新総裁には同情する。いよいよ麻生総裁は民主党と総選挙を戦うことになるが、麻生自民党が国民の支持を奪還するには「清新自民党」を打ち出すしか術は無いだろう。昨日、再選された小沢氏は猫撫で声で所信表明を述べたが、依然として小沢氏には「猫の仮面を被った猛虎」のような不気味さが漂っているし、国民受けももう一つである。その点、麻生氏は人間的に明るく分かり易くて安心感がある。今、多くの国民が求めているものは政治と生活の両方の「安心」「安全」「透明」である。総選挙で麻生氏が小沢氏に勝つためには、総選挙前の組閣において政治の「清廉潔白」と官僚支配政治からの脱却を国民に誠心誠意訴え印象付けることしかあるまい。「清廉潔白」を打ち出すには、小泉政権以来、安倍・福田政権まで強く臭っている「政治屋」の如き、利権と旧弊のしがらみを拠り所とする二世三世議員を重用する「閨閥政治」の流れを断ち切る英断が必要であるが、これを吉田茂三世の麻生氏に期待するのは無理かも知れない。また、官僚政治からの脱却には族議員と官僚出身議員を内閣に入れない、といった斬新性と覚悟心を具体的な目に見える形で示す必要があるだろう。組閣→解散→総選挙という場面では国会決議を必要とする政策よりも、国民に信頼感を醸成させる「人間力」を訴え期待するしかあるまい。これが出来れば、麻生自民党は総選挙において小沢民主党と互角に戦えるかも知れない。麻生氏には失言に注意し大いに頑張って欲しい。(ちなみに私自身は昔々自民支持、今は無党派)

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エド・はるみ、24時間TVマラソンを完走

エド・はるみ、24時間テレビ113kmマラソン完走   女優からお笑いタレントに転身したエド・はるみさんが、大雨洪水警報の中、「日テレ24時間テレビ 愛は地球を救う」の24時間マラソン113kmに挑戦し、見事完走した。スタート時点の表情には、「何物にも負けないぞ」「恰好良く走るぞ」という芸人特有の気色張った意欲と同時に「この先何が起こるか分からない」という不安の感情が入り混じっていたように見えたが、襲って来た全(あらゆ)る苦難を克服し、自分で設定した目標を成し遂げてゴールに到着したときの、化粧っ気のない爽やかに引き締まった表情は、日頃見る「芸人エド・はるみ」とはまた違った新しい「エド・はるみ」を発見させて呉れ、素晴らしかった。北京五輪で銅メダルを獲った中村礼子嬢がスランプのとき自分に言い聞かせた「頑張るということは、もうだめと思った時が始まり」という言葉が頭の片隅を過ぎったが、極限状態を体験し乗り越えた者だけが手に入れることの出来る悟りみたいなものだろう。中村嬢もエドさんも素晴らしい笑顔だったが、見る者に、世俗を忘れさせ純粋な感情を呼び起こして呉れたのではないだろうか。エドさんが発信した「人は変わることが出来る」というメッセージを大事にしたい。感動をありがとう。

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井上康生の美笑、石井慧の涙

井上康生の美笑、石井慧の涙

  [2008.8.15追記] 北京オリンピック柔道100キロ超級で小兵の石井慧が優勝した。「一本」を取るまでは優勢になっても逃げることなく正々堂々と攻勢を掛け技を掛け続けて得た金メダルは賞賛に値する。日本柔道陣のメダル獲得数は少なかったものの、ひたすら「一本勝ち」を狙った選手諸君らの正々堂々たる真摯な柔道姿勢は世界中の「JUDO」ファンに「勝ち」だけにこだわる「JUDO」とは違って本来の「柔道」の真髄の何たるかを改めて知らしめたことだろう。あらためて、おめでとう。 

  [2008.4.30記] 29日に行なわれた北京五輪の最終選考会となった全日本柔道選手権「100kg超級」では久し振りにスポーツマンらしい爽やかな美笑と涙を見させて貰った。「100kg超級」というのはいつ見ても、驚くほど軽快な身のこなしや豪快な技に重量級独特の迫力があり、思わず息は詰まり手に汗が籠もる。井上康生が準々決勝で高井洋平に破れ、石井慧が巨人鈴木桂治を破って優勝した今回はそれに加え、世代交代の波がヒタヒタと迫り寄せる渚の光景を見る思いがした。明と暗を分けた瞬間の、敗れた畳の上で天井を仰ぎながら見せた敗者井上の満ち足りたような笑みと、優勝しながらも自分の不甲斐無さにボロボロと流した勝者石井の涙に共感を抱いた人は多かったのではないだろうか。ほとばしるように思わず溢れた自分自身への素直な感情が二人から伝わって来て、思わず拍手を送った。特に、「守りに入った勝ち方」を選んで判定勝ちで鈴木を降ろした石井の心には、勝負から逃げた自分の不甲斐無さに自責の念が湧いたようだが、その念も勝ったからこそ生じたようなもので、巨人のような鈴木に「勝つ」と心に決めて勝負に挑んだ石井を責める訳にはいくまい。久し振りに「男の美学」に触れ五月晴れのような快い気分になった。

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「空自のイラク派遣」は違憲

憲法九条違憲判決:航空自衛隊イラク派遣   17日、名古屋高裁青山邦夫裁判長は、航空自衛隊がイラクで活動している一部の活動について明確な違憲判決を下し、憲法前文に掲げる「平和的生存権」についても、「国の武力行使などで個人の生命や自由が侵害される場合は、裁判所に保護や救済を求められる具体的な権利」と認める異例の判断をした。司法による歴史的判決である。このイラク派遣というのは、2004年、所謂「自衛隊の行く所は非戦闘地域」という無茶苦茶な小泉総理と石破防衛庁長官の発言によって多国籍軍(実態は米軍)への協力活動が決まった航空自衛隊の兵站(へいたん)活動である。この政府判断に対して、現役の外交官が「憲法9条違反である」と抗議して退官するという騒ぎも起こった。各所で憲法9条絡みの違憲訴訟が起き、多くの裁判官が明確な司法判断を避ける傾向がある中での初めての勇気ある判決である。青山裁判官(66歳)はこの判決を最後に退官されるらしい。彼のような勇気ある裁判官にはせめて裁判員制度が根付くまでくらいは残っていて欲しいものであるが、残念なことである。後は、この判決が行政不服審判等によって具体化されることを願う。

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イージス艦「あたご」事件を巡る防衛大臣の責任

「あたご」事件を巡る防衛大臣の責任   1988723日、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」が東京湾で観光釣り船「富士丸」と衝突した、所謂「なだしお」事件では時の防衛庁長官の瓦力氏は引責辞任したが、今回のイージス艦「あたご」の漁船との衝突事故については当直仕官と幕僚長だけが厳罰で、石破防衛大臣は「2ヶ月間の給与返上」のみでお茶を濁そうとしている(「あたご」事件の処分は「海上保安庁の捜査発表を待ってから」という発表もあるが、それなら吉川幕僚長の処分は早過ぎる)。石破大臣は「シビリアン・コントロールの役割を担っているのは自分だけだった」と責任転嫁発言をしているようだが、自己保身発言以外の何者でもない。担当大臣として防衛省本省にシビリアン・コントロール機能を持たせなかった責任は問われないのか?しかも、イージス艦艦長の船渡氏については就寝中の事故だったという理由で不問に処し、幕僚長の吉川氏については減給後退任処分とした。福田総理が「給与返上」で、防衛大臣は「辞任」というのであれば分かる。また、就寝中の艦長が不問で、自宅で就寝していた幕僚長が更迭というのでは整合性は取れまい。防衛省と海上自衛隊の一連の不祥事を受けての責任を過去に遡って懲罰したという発表のようだが、インド洋給油艦絡みの不祥事は本来であれば守屋元次官の逮捕時には行なわれていなければならない。何故、今頃になって過去に遡っての懲罰なのか?これらの処罰の決定に自衛隊の最高責任者である福田総理が絡んでいない筈はなく、直感的には、石破氏の防衛大臣としての責任をボヤかして政局にならないように政治判断をしたと推測されても仕方あるまい。もしも、今回の「あたご」事件の犠牲者が二人で、「なだしお」事件の犠牲者が30名の死者17名が重軽傷者という「犠牲者の数」による判断であるとしたら、見逃せない由々しき問題である。それにしても内閣の「責任」に対する感覚は、若手力士を死亡させた責任を部屋親方だけに負わせ理事長の責任を問おうとしない日本相撲協会とソックリなのには驚く。わが国は、残念だが、かっての「組織力の日本」から「個人・利己主義」の国になり下がりつつあるようだ。

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石破大臣の責任:失せ行く「潔さ」文化

石破防衛大臣の責任

  [3/4追記]3日、ベトナム・ホーチミン港で自衛艦「はまゆき」が接触事故を起こしたが、このとき石破大臣への報告は1時間15分掛かった。翌4日、今度は自衛艦「はまゆき」が接触されたが、この事故の報告は大臣秘書官に1分だったと言う。被害報告が1分で報告されたことで、防衛省は「改善された」と自画自賛しているようだが、トンデモナイ。ならば、前日の加害事故報告が1時間15分も掛かっていることはどう説明するのか?自分側に都合の悪いことを隠そうとする点は依然として何も改まっていない、と判断するのが普通だろう。「清徳丸」と「あたご」の衝突事故について石破防衛大臣に引責辞任を求めない世論が50数%という報道がある。情報操作が行なわれているのではないか?俄(にわか)には信じ難い。防衛省・防衛族の賄賂疑惑、背広組(文官組)と制服組(武官組)の意思疎通、シビリアン・コントロールの問題、・・・等々、数多(あまた)山積している改善・改革課題を、そもそも族議員が大臣に居座って防衛省の改革が出来る訳がない。石破大臣が「あたご」事故の責任を取らなければならないのは当然だが、福田総理も本気で防衛省を改革する気があるのであれば、「防衛族」ではない清新な議員と早急に入れ替えるべきである。そうすれば、総理支持率も少しは改善されるだろう。

  [2/22/2008記]イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事件が起こった。今尚、親子二人が生命不明の状況である。船団を組んでいた船長さん方のGPS情報の開示などによって事故当時の状況少しずつ明らかになりつつある。真っ直ぐ直進して来る「あたご」に恐怖感を抱いて右往左往して危険を回避した漁船の慌てふためくハンドル捌(さば)きが目に見えるようである。船団の中へ真っ直ぐ突き進んで避けようとも停まろうともしないというのは、赤信号を無視して通行しているようなもので、海の交通ルールを遵守していないことは明らかである。しかも、漁船でさえあれだけの客観情報を保存しているというのに、最新鋭の情報戦艦「あたご」が客観情報を全く保存していないというのは極めて奇怪(おか)しい(今回は記録されていないとのことだが・・・、自動操舵中の記録が何も無いというのは解せない)。「あたご」が有している「生の情報データ」は速やかに全て開示されるべきであろう。守屋事務次官の後の増田好平事務次官の木で鼻を括ったような談話を聞いていると、防衛庁の「隠蔽」体質が改まったという印象は欠片(かけら)も感じられない。石破防衛大臣は、何故、海上自衛隊レーダーなどの客観的情報を開示させないのだろうか?福田総理は綱紀粛正を石破大臣に指示したようだが、自己保身に走るトップが言ったくらいで官僚や官僚組織が変わる筈がないことは明白である。自ら職を辞する覚悟を示せば、如何な厚顔無恥の防衛省官僚と言えども、また違った行動を示す筈である。食品偽装や菓子偽装などの事件を起こした社長の多くが世間の非難を浴びてその職を辞したことに比べれば、道路特定財源の不適当な使途についてトボける冬柴国交大臣、力士死亡事件の責任を取ろうともしない北の湖理事長等々の意識の低さには嘆かわしいものがある。古来、尊ばれて来た「潔さ」の文化が日本と日本人から失せようとしていることは残念である。

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衝突直後、「あたご」の艦載ボートは何をしていたのか?

イージス艦「あたご」の艦載ボートの不可解   東京湾で釣り船と衝突した「なだしお」事件、ハワイ・オアフ沖での米軍潜水艦と練習船「えひめ丸」の衝突事故など、国防を担う戦艦と民間船の事故は原因解明が公開されることがないために実に分かり難い。今回のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の事故もそうである。特に、一方の当事者が行方不明であるために衝突直前・直後の状況が全く分からない。イージス艦「あたご」が衝突直後にライトを点けたらしいことは僚船の船長たちの談話で明らかになっているが、防衛省からは詳しい発表もない。裂々(きれぎれ)に漏れて来る情報の中に「あたご」の救急ボートが海上に降ろされたというニュースがあったが、そのボートは一隻なのか?何隻なのか?そしてそのボートは、海上でどのような救助活動をしたのか、あるいは捜索活動をしたのか?また、何時から何時まで何人で救助捜索活動を行ったのか?といったことが全く明らかにされていない。一旦、漁場に向かった僚船らが清徳丸の事故を知って急遽連絡を取って救出活動のために引き返したということが船長たちの談話で分かったが、現場に到着したのは2時間後だったらしい。しかし、彼らの談話では「あたご」の乗組員たちは甲板に立っているだけで誰一人救助作業を行なっている様子は見られなったということである。海上自衛隊には「救助作戦」「捜索作戦」といったものがある筈だが、艦長からの作戦命令が出なかったのだろうか?出ていないとすれば、艦長の重大なオペレーション・ミスと言わざるを得ない。事故後2時間以内の、この時間帯の情報は「あたご」と「ボート」しか持っていない。人命救助から見れば、「2時間」というのは余りにも長い「空白」時間である。乗り上げられるようにして真っ二つに切断された清徳丸の残骸から見れば、操舵室部分も暫くは沈没せずに海上に浮いていたと思われるので、衝突直後にボートを降ろして救助・捜索活動をしていれば、漁師親子の生死等何らかの情報が把握出来たのではないだろうか?石破大臣は、取り敢えずでも、知り得た全ての情報を迅速に開示すると漁協役員に約束していたが、「空白の2時間」の情報についても速やかに公開し説明する責任がある。体質的には厚労省も防衛省も大差ないと言える。

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ロス疑惑事件と「一事不再理」

一事不再理〖いちじふさいり〗   「ロス疑惑」の主人公三浦和義氏の突然の逮捕によって「一事不再理」という法律用語がマスコミに頻繁に登場している。「ロス疑惑」事件は、国内では、某女優による「妻一美さんの殴打殺人未遂事件」が某女優とそれを指示した三浦和義氏に有罪判決、その3ヵ月後に起きた本題の「一美さん銃撃殺人事件」が実行犯不詳、実行銃器の不特定等の証拠不十分で無罪判決で結審している。状況証拠的には限りなく「黒」を心証させる凶悪事件であったが、「疑わしきは罰せず」という法理に基づいているわが国の刑法は無罪判決を下した。道義的には割り切れないものが残った判決だが、法治国家としては当然の結末だったと言える。これによって、三浦氏は「余程の証拠」が新しく出ない限り同一の行為についての裁判は二度と行なわれることは無い。これを「一事不再理」と言う。しかし、判決に重大な誤りがあることが判明した場合冤罪(えんざい)が発生することになるので、その救済策として、要件が針の穴に糸を通すよりも遥かに難しいと言われる「再審請求」制度が設けられている。ただ、今回は「事件がロスアンゼルスで起きている」ので、米国にも米国の法律に基づいた裁判権が存在するだけに、やや複雑である。世界の司法界には、「母国で無罪とされた罪状は他国で裁かれることはない」ようにしようという流れがある(元最高検の土本弁護士談)。麻薬国家やテロ国家など法理観の大きく異なる国家間において統一的「一事不再理」思想を確立させるには、まだまだ多くの協議点と十分な時間が必要となると思われるが、そういう情勢の中で、日米犯罪人引渡し条約や刑事共助条約などの関係にある米国が、わが国に何の協議も連絡もなく、逮捕・審理を行なおうとする司法判断は穏やかでない。重大な証拠が現われたのであれば、わが国の「再審」手続きのような段階を踏むことがあってもよさそうである。それらを無視しての「逮捕・審理」ということであれば、裏に政治が絡んでいるのではないかと勘繰りたくなる。

  

  憲法39   何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

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小沢氏留任会見で解ったこと

小沢代表留任会見   716時半、両院議員懇談会が定刻に開会。小沢氏が、思っていたよりも力強い表情であったのにはやや意外な印象を受けた。会見が始まったときはパラパラの拍手であったが、終わりは割れんばかりの拍手で、一見、民主党の結束は回復できたように見えた。小沢氏の表情はニコニコと滅多に見せないくらいの上機嫌な笑顔であったが、気になったのは菅氏と鳩山氏の表情が終始一貫して暗く固かったことである。会見では、大連立については一言触れただけで多くを語らず、ニュアンス的には政策協議体制は否定しなかった。大連立と政策協議は全くの別物ではあるが、政治の現場においては大連立との境が微妙であるだけに、小沢氏の今後の動きには注目を要する。民主党議員を侮辱したことについては「言葉足らずで誤解を招いた」という弁明だけで謝罪の言葉は全くなかった。驚いたのは、フィクサー的言動の多い小沢氏の性格から見て、大連立仕掛けの裏側を明らかにはしないだろうと思っていたが、この騒動の一連の仕掛けを小沢氏は淡々と「断れない筋から」という言葉で表現し明らかにしたことである。「小選挙区制と二大政党制」論の草分けである小沢氏は、小選挙区制において第1党と第2党が大連立したらどうなるか、ぐらい百も承知していることから推測すると、少しは苦汁の決断という面もあったかも知れない。あるいは、一瞬政権に身を置いたわが姿を思い描いたのかも知れぬ。それやこれやが仕掛けの裏を明かす気にさせたのだろうが、再起のためには正解だっただろう。その顔ぶれはほぼ予想通りであった。小沢氏は「?」と個人名は明かしていないが推測すると、自民党側は「?」→中曽根康弘・渡辺恒雄→森喜朗→福田→代理人森喜朗→連絡確認役与謝野馨→小沢と旧中曽根派・旧森派ラインで、民主党側は「?」→中曽根康弘・渡辺恒雄→小沢→(?鳩山・菅)となる。小沢氏は鳩山・菅両氏に明かしたとは言っていないが、二人の表情から察するに、事前に聞いていたのではなかろうか。「大連立」仕掛けは89歳と81歳の国粋主義老人であるが、高齢の老人にそれ程の力があるとは思えない。やはり、本物の仕掛人「?」がいなければならない。迅速にこれだけの政変を起こさせる力を持っているのは、世界のあちこちで政変を画策し実現して来たアメリカの国防省筋以外には考えられない。両院議員懇談会の終了間際に、ガンと闘い明日をも知れない仙谷議員が敢えて「民主党議員」と「小沢代表」と「党三役」に対して「明日の民主党」に備える心構えを淡々と静かに述べた遺言のような言葉には鬼気迫る迫力があり素晴らしいものだった。聞いていた小沢代表以下の真摯な姿は印象に残った。しかし、この騒動で「政治屋小沢」あるいは「選挙屋小沢」の面においては面目躍如だったが、「敗軍の将が兵を語った」ことで小沢氏が総理の器でないことが明らかになった。民主党が政権を獲ったら、リベラルな岡田氏あたりを総裁に据える方が良いかも知れぬ。

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「アベる」と「オザワる」

「アベる」と「オザワる」   NET上で、「アベる」と「オザワる」という言葉が流行っているらしい。「アベる」とは「放り出して辞める」という意味で、「オザワる」とは「初めから引き止められることを見越して辞めると言って居座る」という意味のようである。この伝で「フクダる」という言葉を造ると、意味は「何事もトボケてハッキリさせない」あるいは「ヌラリ、クラリ、柳に風の如く振る舞い喋る」ということにでもなろうか。漢字にすれば、それぞれ「安弁る」、「小座わる」、「福惰る」とでもなるのだろう。さすが、若者たちの感受性には脱帽するのみである。只、只、感心する。

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小沢氏続行、闇に葬られた密談

小沢氏辞意撤回、闇に葬られた密談   6日夜、小沢氏が代表辞意を撤回したらしい。45日の二日に亘って開かれた議員総意のラブコールに応えて「恥を曝すようだが、もう一度頑張ろう」と鳩山幹事長に伝えたらしい。小沢代表の「民主党議員は政権を与るには未だ未熟過ぎる」という内部の恥を曝け出した発言を聞いたとき、6:4で翻意はないだろうと予想していたが見事に外れた。明日の両議院総会での説明会見をじっくり聞いて「この騒動の意図」を探ってみたい。小沢氏は自党議員を「未熟」と評したが、国会議員に最も要求される資質は、「とき」の判断力、「状況」を読む力、「パワー」の発揮力、「正邪」を見分ける力だろう。恐らく、これらの「弱さ」、「甘さ」、「浅さ」、「足りなさ」を「未熟」という一言で表現したのだろうと思う。「未熟」とまで決め付けられても、なお「小沢頼み」というところに議員としての未熟さを感じる。ネクタイを外した姿が土に溶け込むような議員にならなければならない。ところで今回の密談騒動を考えたとき、どうしても納得行かないことがある。それは「何故、二人だけの密談でなければならかったのか?」という一点である。小沢氏は常々「秘密会談は良くない」と公言し、安倍氏は断り、シーファー大使との会談は公開して対応した。この密談は、一応、新テロ特措法を成立させるためということになっているようだが、この時点でテロ特措法の期限は2日しか残っておらず、為す術無きことは明白で、今日明日という切羽詰った状況下にはなかった筈である。また、国会では新テロ特措法の審議(実際は審議に入る前に参考人招致を行なう予定)が始まろうとしていた矢先の、突如としてのこの密談である。更に、31日に予定されていた党首討論を突如中止し、2日には二回の密談である。異常過ぎる。二人のテーマが「大連立」だったことは2日に判ったが、仮に「大連立」ということにしても、何故、1130日に密談しなければならないのか?ということである。「とき」の必然性が全く理解できない。党首討論を中止してまで開かなければならなかった緊急「テーマ」とは何なのか?「大連立」以外にもっと重要なテーマがあったのではなかろうか?残念ながら、福田・小沢両氏によって封印され、「闇」に葬られてしまったのではないか、と疑心が湧く。この密会によって、既に「筋の悪い」政策合意が出来ていることを示したようなものだ。小沢氏の辞意撤回で本当に喜んでいるのは誰だろうか?福田氏と小沢氏によって「政治の闇の入り口」を見せられたような嫌な気分である。

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小沢氏辞意の裏側が見えて来た!?

小沢氏、辞意撤回か?仕掛けの裏がやや見えて来た!?   5日、民主党役員会は小沢代表慰留を決め、小沢氏を説得するようだが、日替わりメニューのような動きで、とても明日のメニューが予想できない。「大連立構想」や「密室会談」というのは、過去の福田氏や小沢氏の言動からは到底想像出来ない不可解さを残している。これには、裏で何か「大きな力」、即ちどうしても拒絶出来ない、あるいは従わざるを得ない仕掛けが企図されていたのではないか、という疑問を拭い切れない。誰一人触れていないが、守屋喚問後に突如飛び出した大事件であるだけに、「防衛省」絡みではないか?という点も気になる。アメリカ側には「油補給」問題の外に、守屋喚問によって戦闘機やMDなどの購入実態があからさまにされては困るという事情がありそうである。一日経ち、福田氏も少しづつ喋り始めた観があり、訥々とした語りの言葉の端々に現われる微妙な言い廻し等から仕掛けの裏側もチラチラと見え始めているように思う。「大連立」や「密室談合会談」は、やはり一時代も二時代も前の自民党政治家らしい発想である。どうも、中曽根康弘氏(191889歳。元総理・元防衛庁長官)と渡辺恒雄氏(192681歳。大物右翼児玉誉士夫とも親交のあった読売新聞元社長)が仕掛け人しい。彼らなら、アメリカ側はキッシンジャー元国務長官(192384歳。ブッシュ政権の外交指南役)ルートからの要請が浮かんで来る。シーファー大使が足繁く動いていたことからしても十分検討に値するだろう。そうなると、福田氏にはアメリカの支援に反対する理由はないが、如何な小沢氏もアメリカ・ルートに楯突くことは難しいだろう。これが安倍総理には断れた「密談」を福田氏には受け入れざるを得なかった理由だろうと思う。「密談」を受け入れれば、当然、最も損な役回りを演じることになることは覚悟していた筈である。もし、この推測が当たっていたら、同情を禁じ得ないが、小沢氏が辞任で収まるとは思われない。案外、意外な二幕目が開くかも知れない。しかし、アメリカ一辺倒に凝り固まっている老害のような存在の二人がTVに登場してフィクサー気取りで跋扈(ばっこ)しているのは知っていたが、未だに手綱を操っていたのには驚く。だから、二時代前の自民党政治、「待合政治(今回は国会内ではあったが…)」紛いに逆戻りしたのだろうと想像しているが、これを断ち切ることが本当の「戦後レジームからの脱却」である。それには政権交代しかあるまい。

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小沢騒動と防衛疑惑解明

小沢騒動と防衛疑惑解明   小沢代表の辞任会見が、自民、公明、民主、社民、国民新、新党日本、共産それに新聞・テレビを巻き込んで世の中が騒々しくなって来た。小沢氏には過去にも様々な騒動を起こして来た前科があり、「自ら蒔いた種子」という面も無きしにあらずだが、全てを「小沢氏の責任」と決め付けているような発言が目に付く。中には国際社会の信用を失った、というような論旨の発言もある。そうであるなら、国会の会期中でもあることだし、小沢氏と福田氏を国会に呼んで尋問してみたらよいだろう。見方によっては、国政を私物化しかねないような大事件であることを考えれば、喚問理由は「二人だけの密室密談で日本の政策を二人に有利な方向へ誘導しようとした疑いがあること」で十分だろう。しかし、小沢氏が激昂していたように、当事者の意見もよく聞かず、思惑と推測だけで発言したり報道するというのは如何なものか?偏向報道や世論誘導的な報道は反省して頂きたい。それにしても同一国会会期中に、安倍総理は突如の辞任で騒がし、今度は福田総理と小沢代表の密談内容の公表騒動である。特に福田氏は「呼び掛けた」張本人でありながら、「幹事長に任せて、私は出ない方が良いだろう」と喋ったようだが、無責任にも程がありはしないか?同席もしていない者が代弁して片が付くような話ではない筈だ。キチンと説明しないと、政局は混乱するばかりだろう。168回国会というのは立法国会ではなく「スキャンダル国会」なのか?そもそも「大連立」なぞ、理論的には成り立つけれども小選挙区制下では成り立つ筈がない。国民の20%か25%の意見が国勢を左右しかねない小選挙区制においては、中選挙区制ならいざ知らず、政党そのものの存立を危うくするだけでなく、立候補自体も危うくし、極論すれば民主政治の崩壊にもつながりかねない。そういう意味で、絶対にあってはならないことである。それはそれとして、防衛省絡みの「山田洋行・日本ミライズ・富士通子会社」等の贈収賄疑惑、守屋前事務次官を廻る様々な疑惑を忘れてはいないでしょうな!徹底して暴いて頂きたい。

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小沢民主党代表の辞任

小沢民主党代表の辞任   「壊し屋小沢」から「お騒がせ小沢」になってしまったのかな?。福田総理との大連立密談が民主党の同意を得られないとなるや、突然、党首を辞めると言う。オドロイタ!。辞任会見を聞いていて、小沢氏得意の民主党議員と党員に対する恫喝パフォーマンスかなと思って見ていたが、どうも本気のようである。民主党幹部は慰留しているようなので、まだ辞任が決まった訳ではないが、小沢氏が、民主党議員は政権を与るには未だ未熟過ぎる、と内部批判をしていることから考えても、恐らく慰留には応じないだろう。しかし、与野党党首が談合紛いの密談をして国政の方向を決めようとするのは不可解であり危険な臭いがする。議会制民主主義を無視しようとするのは大抵与党であるが、野党が与党に乗っかって無視しようとするのは聞いたことがない。大政翼賛会の再来である。こんなことでは、防衛省に「シビリアン・コントロール」が必要であるように、内閣自体にも「議会制民主主義を監視する機関」が必要になる。笑い話みたいなことだが、笑えないことが起きているのである。168回国会が開会した途端、安倍総理が突如辞任し、そして今度は野党第一党の党首が「福田総理に非礼した」ことを辞任理由の一つに挙げて辞任伺いを出した。与党野党の党首がこんな国民無視も甚だしい無茶苦茶な理由で辞任騒動を起こした国会というのは過去にも例がないのではなかろうか。何でこんなことになったのだろう?つらつら考えてみると、要するに「年寄り」たちの頭には、「ねじれ」運営策として昔の「料亭政治」や「密室政治」しか思い浮かばず、「ねじれ」状態の国政運営の「イロハ」が学習出来ていないのであろう。「ねじれ」で始まった168回国会は、その名(168回国会)が示している通り「ねじれのイロハ」が如何に学習出来ていないかを証明したようなものである。であるなら、むしろいっその事、思い切って若手に任せてみては?。とは言うものの、それでは誰が適任か?と見回しても、残念ながら「寸足らず」ばかりで、これはという人財が見当たらない。長期安定政権と小選挙区制が生んだ政治の貧困である。

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赤福、お前もか!そして、その後

赤福、お前もか!

  そして、その後 今日19日の報道によると、インチキは30年以上も昔から行なわれていたらしい。ということは、41年前に本店で買った「赤福」は「その日製造」のものだろう。しかしその後、名古屋に行く度に駅で買った「赤福」は、ひょっとしたらみんな「古い」ものだったのかも知れない?と思うと腹が立って来る。今までせっせ、せっせと赤福を買って近所や親戚に配っていたのは何だったんだろう?社長!全てが無に帰したような虚しい気分になったよ!古いものでも十分美味と思っていたが、恐らく「その日製造の赤福」はもっと美味なんだろうね?40年前の味なんか覚えている訳ないので、もう一度、ちゃんと味わってみたいもんだ。と思っても、無期限製造禁止処分が出てしまっちゃ、それも術無き事になってしまった。名古屋の友人が「最近、評判良くないよ」と言っていたのはこのことだったのだろうな。[10/19追記]

  赤福、お前もか! テレビに映った本店の古びた木造の建物を見て、41年前に伊勢神宮を訪れた際に伊勢市の赤福本店に立ち寄ったことを思い出した。「赤福」は、餅を漉()し餡(あん)で包んだ生菓子で、ちょっと甘過ぎるきらいはあったが意外に爽やかな甘さが独特で、コピーのようによく似ている二見ヶ浦のドッテリした甘さの「御福」よりも遥かに評判が良かった。当時、本店以外では名古屋の駅構内の店とデパートでしか販売していなかったように思う。名古屋のお土産といえば「青柳ういろう」がポピュラーだが、一応、伊勢の「赤福」も名古屋お土産の中に入っていたように思う。しかし、その日に出来たものしか店頭に並べないので、売り切れも多かった。数量が少ないのは、原料にも限りがあり、手作業で物理的にも生産量に限りがあり、名産品の宿命で致し方無かった。それが、45年前名古屋でお土産に赤福を買おうとしたら、名古屋の友人から「今の赤福は評判良くないよ」と他の和菓子を薦められた。「どういうことだろう?」。友人は理由を詳らかにしなかったが、それ以来「赤福」を買ったことはない。今日の「赤福」の製造日偽装事件には驚いたが、名古屋の人たちは既にその頃から赤福に「?」を感じていたのだな、と合点(がてん)した。「赤福」を買うと、店員さんに必ず「生物ですから、出来るだけ今日中に、遅くとも明日までには召し上がってください」と言われた。お客はそれを「老舗の良心」と解釈し感激していたが、今にして思えば、「解凍もの」は日持ちしないから、そう言うように教育されていたのだろうか?勘繰りたくなる。「赤福」という名前は、赤心慶福に由来し、「赤心をもって他人も己れも幸せあれ」と願う伊勢神宮参拝者の心持ちから名付けられたそうだが、先人たちが営々と築いて来た信頼を一瞬にして壊すのは、何代目かに現れたたった一人の「欲心」あるいは「欲呆け」経営トップの軽薄な悪知恵である。売れて来ると店舗を増やして「もっと儲けたい」という欲に駆られ、原料の生産量や味の保証期限などの絶対的条件を超えた生産を行なわせる。無理を通せば道理引っ籠むで、必然的に嘘が生じることになる。北海道の「白い恋人」もそうだし、明石の海で獲れる量は知れているのにアフリカ蛸を「明石蛸」と称して売ったのもそうだし、チェーン店が外国産を国産と謳(うた)って大量販売して利を得ようとするのもそうである。歴史はアイデンティティーを放棄した時に滅びていることを学ぶべきである。[10/12記] 

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瓢箪から駒?小沢「ISAF派遣」発言

小沢「ISAF派遣」発言の効果    小沢民主党代表が「世界」に発表した「ISAF派遣」発言が与野党のみならず国民にも波紋を起こしている。小沢氏の、国連決議や日米安保を憲法に優先させるような論旨を是認することは出来ないが、深謀遠慮の策士であり仕掛け人である小沢氏が、この論文を発表すれば内外に波紋を起こし、ひょっとすれば折角民主党に吹いている風を反転させる恐れがあるくらいのことは十分予見していた筈で、「何故に今?」、「その真意は?」という不可解さは残る。しかし、この小沢論文の良し悪しとは別に、9.11テロ以来、「国連と日米安保と日本国憲法」「個別的自衛権と集団的自衛権」を法律論としてよりも、むしろ「国際世論」、「国際的評判」、「国際貢献」という情感的問題にすり替えて処理して来たことについて、国民がじっくり冷静に考え直すよい機会となることは間違いない。そういう意味で、一億総ノンポリ(non political)化した国民を改めて政治へ目を向けさせ耳を傾けさせた功績は大きく評価できるだろう。高度成長時代、バブル経済時代というのは、「生き馬の目を抜く」と表現されたようにビジネスマンの多くが忙し過ぎて政治に目を向ける余裕がなかった時代である。即物的発想と「目先の損得」に鋭敏な人たちを時代は尊重した。じっくり腰を据えて物事を考えるという訓練と学習の欠けた時代である。小沢論文は、彼らに「本質を見究める」、「本質から考える」ことの大切さを学ばせるだろう。そういう意味では、予期せぬプラス効果を生んだと思う。

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小沢論文:憲法とISAF活動

ISAF(国際治安支援部隊)   小沢民主党代表が9日発売の月刊誌「世界」で発表した「小沢論文」を受けて批判が渦巻き始めた。これを受けて小沢氏は10日、「民主党が政権を奪()ったらISAFへ参加する。これは民主党のマグナカルタ(政策基本方針)で決まっていることだ。嫌なら、離党しろ」と発言したことで、更に民主党内部が混乱し始めている。小沢氏の積極的国際貢献と憲法改正は周知のことだが、民主党代表になってからはかっての「タカ派」振りが影を潜め、むしろテロ特措法や憲法改正には消極的であるかのように思わせる言動を示して来たように思う。ところが突然の急変である。何があったのだろうか?表面的には前原元代表も反対を表明しているように見えるが、所詮、二人は「同じ穴のムジナ」と見て間違いないだろう。既に安倍政権において国民投票法は成立し、油補給活動に賛成する国民世論も50%を超えそうな気配だし、2年後には憲法改正が可能な下地が整いつつあるようである。「小沢論文」の狙いは憲法改正にあり、いよいよ的を絞って動き出したと見るべきだろう。危険な匂いがする。小沢氏は「国連決定があれば現行憲法下でもISAF活動は可能」と述べているが、これを合憲と認める人はいないだろう。これまでも本稿やHP「以久遠氏の…」で何度も述べて来たように、日本国憲法は「憲法は国の最高法規であって…(第98条)」と定め、第9条は自衛の場合を除き如何なる場合も「戦争放棄」「武力行使永久放棄」「戦力不所持」「交戦権否認」を宣言しているように、国連決定であろうと日米安保条約であろうと、国外での「武力」行使は認めていない。従って、「武力」に基づく国際貢献は出来ない。出来るのは治安警察隊が限界であろう。ISAFとは「International Security Assistance Force」の頭文字を採ったもので、「Force」とあるように基本的には軍隊である。その司令権はNATO(北大西洋条約機構)に置かれ、本部はアフガニスタンのカブールにある。司令権がNATOにあるということはISAF活動は軍事活動ということになる。ただ、治安・麻薬・人道支援については現憲法下においてもわが国が参加することは可能であろう。しかし、日本が果たすべき役割は「平和」に対する行動であって「世界から戦争や紛争を無くす」活動であろう。それには先ず、紛争当事者双方から、全ての銃火器を没収する作業から入らなければならない。そうすれば、武器を持っている人間は全てテロリストと看做して逮捕できる(疑われないためには武器を捨てなければならない)。世界からテロや戦争を無くすには、時間はかかるが、平和地をじわじわと拡げて行くより外に方法は無いだろう。現状では、軍需産業大国のアメリカやロシアが「武器を持たせない」戦略に直ちに協調するとも思えないが…。

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「一夜にして麻生、沈没」の真相

総裁選を巡る黒幕の暗躍   「一夜にして麻生が沈没した」。まるでギリシャ神話のアトランティス大陸沈没のような出来事が、遂にわが国の総理総裁選びに起こった。神話の世界にカオス(混沌の世界)は付きもので、神話の世界には必ず「大魔神」が登場する。大魔神が小沢氏なのか森元総理なのか、現時点では判然としないが、小沢民主党の台頭に脅えた安倍総理が神話(カオス)の世界を現出させたことだけは間違いない。当の張本人である安倍総理は、モンゴルの草原に隠れてしまった横綱朝青龍の「解離性障害」ならぬ「(国民や世間や国会議員との)乖離性障害?」を患っているとのことで慶応病院の奥深くに引き籠ったが、予定日(17)になっても出て来ない。「三、四日の入院休養を要す」と診断した主治医の腕を疑う訳ではないが、慶応病院もコケにされたものである。それはさて置き、「一夜にして沈没」の経緯(いきさつ)が徐々に明らかになって来た。地震でも地殻変動でもない、事実はその反対で、あろうことか「地殻が元に戻ってしまった」のである。「安倍総理、辞任」という連絡を受けた森元総理が、13日の夜、急遽フランスから帰国したその足で成田から都内某所に駆け付けて料亭謀議を開いていたらしい。そのメンバーは、森元総理、中川秀直前幹事長、青木元参院幹事長、それにかって「影の総理」と言われた野中広務氏。何故に野中氏がいるのか?勘繰りたくなるが、こうして翌日14日の朝、福田氏が政権所信を表明することなく立候補を表明し8派閥の領袖が一挙に支持に廻って、「一夜にして麻生、沈没」となった次第。理念も所信もへったくれもない派閥力学政治への逆戻りを党を挙げて賛成したことを意味するが、麻生氏とも福田氏とも断定できない「クーデター」説、あるいは「裏切り」の噂の出所とタイミングには確信犯的な悪意を感じる。自民党議員の質も落ちたものである。総裁選挙活動の最中に早々と「裏」の内輪話があからさまになることも珍しい。まともな議員も若干名ながらいるということだろうが、このような無定見政党にわが国の政治を任せてよいのか。

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安倍総理、アッ!と驚く辞任表明。そして今後は?

安倍総理、突如の辞任表明   12日午過ぎ、「安倍首相が与党幹部に辞意を伝える」というテロップが流れた。10日に臨時国会が開会し、安倍総理の所信表明演説によって第二次安倍内閣の政治政策方針が明らかになり、総理自身の決意も表明されたが、中一日置いて代表質問が始まる10数分前、過去に前例を見ない「職責放棄」のサプライズ辞任表明が起こった。[しょくせき]の項で「職責にしがみつくということはない」という意味は、言葉通りに解釈すれば「職責を放り投げる」となる、と書いたが、はからずもその通りになった。勿論、予想した訳ではなく、誰一人、予想だにしないサプライズ政変である。政治的にも経済的にも安定している日本だからこそ日本中が「アリエナ~イサプライズ」とばかりに驚いているだけだが、後進国でこのようなことが起こったら、国家としての信用失墜や信用不安は如何ばかりか、というぐらいの想像を絶する大事件である。一国の総理としてあるまじきことを行なった安倍総理の責任は重大である(同時に、総裁に選んだ自民党と操っていた先輩議員の責任も思い)。しかし、突然の辞任の背景には原因がなければならないが、安倍総理の辞意会見談話の中に「それらしきもの」を見出すことは出来ない。マスコミでは、テロ特措法の継続問題、小沢代表の党首会談拒絶、自民党内からの大反乱、週刊誌で叩かれている私事、腹心と思っていた閣僚の変心、…等々、様々なことが囁かれているが、私には、9日のオーストラリアでのブッシュ会談で「インド洋での給油活動継続」に関して安倍総理が突如として「国際公約であり…当然、職責にしがみつくということはない」と辞意とも開き直りともとれる発言をしたことに、一瞬、脳裏に「?」が閃いたような感じが引っ掛かっている。同盟国の大統領に対してとは言え、総理たる者が「国際公約であり…当然、職責にしがみつくということはない」という「辞意」とも取れる言葉を軽々に発言するとは考え難い。如何な安倍総理でも、そのくらいのことは十分承知している筈で、この発言を引き出したブッシュの詰問に解答が含まれていると考えるのが自然である。ならば、ブッシュの質問は「何」だったのだろうか?私は「憲法改正」に関わることではないかと推測している。もしそうであれば、その原因が明らかになるまでには長い年月を要するだろう。それにしても、今後、臨時国会はどうなるのだろうか?休会にするのか?閉会にするのか?いずれにしても迅速に後任総理総裁を決めて貰わねばならないが、誰が適任だろうか?この難局を乗り越え、人気挽回が期待でき、かつ挙党一致可能な人ということになると、安倍色、小泉色の薄い人の方が新奇性や期待感を呼ぶだろう。人物的には、若さ、明るさ、清新さ、歯切れの良い説明上手、舌禍問題を起こさない、官僚に強い、アバウトながら緻密、といった人となりそうだが、郵政バブルで誕生した小泉チルドレンの大量票が左右しそうな雲行きである。このように見て来ると、アメリカとの関係が緊密でないようなのが難点だが、谷垣氏あたりは案外台風の目になるかも知れぬ(9/14谷垣氏は福田氏支援に回り立候補せず。福田氏の圧勝か?)

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大草原に消えた朝青龍にまたまた新たなスポークスマン登場!

朝青龍は大草原に消え、新たなスポークスマン登場   29日遂に、ゴネていた朝青龍が成田空港でファンの前に姿を見せた。背筋を伸ばして視線を下げ、唯黙々と俯き加減のまま脇目も振らず動く通路を歩いていたが、相も変わらず無言を貫き通して成田からモンゴル・ウランバートルへ飛び立ち、そしてウランバートルの空港に降りた。空港内通路を、背筋を伸ばし真っ直ぐ前を向き天を見上げるようにして歩いていた姿は奇異に映った。やはり、健康そのものでないか!その姿に微かでも「解離性障害」という病人の姿を見出した人は一人もいないのではないか。そして4台の車に分乗し姿を消した。高砂親方は、ウランバートル空港で「車に分乗し朝青龍は真っ直ぐハラホリンのResort & Spa ドリームランドへ直行し、親方は食事をしてから追いかける」ことになっていたことを明かした。成田を出る前からの打合せ通りであったらしい。それにしても、機中映像からは高砂親方朝青龍一行が機内で会話していた様子は無く、ウランバートル空港の逃走劇は指揮官不在のあざやかで見事なものであった。計画の一部始終が事前に朝青龍の頭にインプットされていなければ到底出来ることではない。現在、報道されている情報から判断してアリバイ的には、高砂親方が朝青龍を見たのはウランバートル空港が最後ということになる。そして、新たなスポークスマン(朝青龍の兄)が登場した。ドルジ劇場第2幕「大草原編」の開幕である。厳密には朝青龍が車に乗ったかどうかさえ不明で、ハラホリン(ドリームランド)やホジルト(温泉治療施設)どころか、ひょっとすれば、ウランバートル市内に隠棲しているか、あるいはそのままウランバートル空港から全く別のところへ移動したのかも知れない。それにしても朝青龍が何故隠れていなければならないのかがサッパリ分からない。常識的には、誰かに命を狙われてでもいない限り、高が怪我や病気くらいで、顔も見せられない、居場所も明かせない、なんてことは考えられないのだが…。何もかもが分からないことばかりである。31日の、高砂親方の「35時間のトンボ返り」にも驚いたが、ハイテンションの異常に明るい会見の裏にあるのは何か?同行した話好きらしい本田医師は何故発言しないのか?そして一夜明けた91日には、高砂親方の会見を覆(くつがえ)すような、新たなスポークスマン(朝青龍の兄)が登場し、モンゴル国営テレビで「電話で話したが、朝青龍は3週間モンゴルで治療して日本に帰り、帰ったら自ら会見する」と発言していたのである。確信的発言である「3週間」の根拠が不明であるが、この言葉から推測できるのは「3週間の滞在で朝青龍のモンゴル帰国の目的が達成され、いつでも日本へ戻れる状態になった」ということであろう。様々噂されている目的を特定することは出来ないが、この問題が発生して以来、朝青龍側は、当初から親方や相撲協会の顔を立てない勝手なスポークスマンを入れ替わり立ち代わり登場させ、それぞれに勝手な発言をさせているだけで、相撲協会の処分に対しては反論もせず恭順の意も示さず曖昧模糊の態度である。前述したように、朝青龍の動静についてはウランバートル空港までしか確認されていない。今後も相撲界にいるつもりなら、祖国に帰った時点で速やかに朝青龍自身が国営テレビに顔を見せて会見するべきであろう。直感的に「ドリームランドに朝青龍はいないのではないか?」という強い疑念が湧く。自ら墓穴を掘っているとしか思えない。

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朝青龍は本当に病人なのか?

朝青龍は本当に病気なのか?   またまた今日21日、朝青龍を診断した医師の診断結果が発表された。その病名は「解離性障害」という。一番最初に診断した朝青龍の友人という医者は「神経衰弱気味で、うつ病の一歩手前である(現在、落ち込んではいるが、病気ではない)」と診断し、次に診断した医者は「急性ストレス障害」という病名であった。そして今日は「解離性障害」という病名である。これまで4人か5人の医者が診ていて、診立てが全て「異なる」なんてことがあるのだろうか?医師免許自体を疑いたくなるが、健康な人間に敢えて病名を付けなければならない場合、案外、皆バラバラの診断になるのではないだろうか?その時、誰しも治療だけはしたくないだろう。朝青龍は病人にされてしまったが、本当に病人なのだろうか?診断時、「朝青龍は暗い部屋にいて、殆ど会話をせずにテレビばかり見ていた」と全員の医者が発言している状況から考えると、朝青龍は個々の医者に対して「演技しているのでは?」という疑念が湧いて来る。その理由は、①診立ての医者が多過ぎる、②診立ての病名が全て異なる、③診立てが違うということは処方と薬が違うことを意味するが、そんな誤診めいたことが許されるだろうか?、④「暗い部屋」というのは表情や顔色を悟られないためではないのか?⑤「テレビ」は医者との会話に乗らないためではないのか?といったことによる。また見方を変えれば、全ての医者の診断を信じた場合、「診立てが違えば、処方も薬も違って来る」ほど重要な診断であるにも拘らず、誰一人同一の診立てをしないということは、はからずも「朝青龍は極めて正常である」と証明しているようなものであろう。後日、朝青龍は病気のことを突っ込まれても、マスコミが騒いでいただけで朝青龍自身は何も喋っている訳ではなく、朝青龍が「私は部屋から一歩も出ず、ひたすら謹慎に努めていただけだ」と答えた場合、どういうことになるのだろうか?日本相撲協会も懲罰だけして病気については一切ノーコメントだし、何が何だかさっぱり分からない。

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朝青龍トラブルで喜んでいるのは?

朝青龍トラブルで喜んでいるのは?   朝青龍トラブルで秘かに北叟(ほくそ)笑んでいるのは、案外、自民党や官邸かも知れぬ。参院選大敗北の安倍総理の責任問題がマスコミに毎日々々芸能界のゴシップ記事の如く面白可笑しく採り上げられて国民の茶の間の話題に上るのには衆院選挙を控えた衆院議員には辟易(へきえき)たることだろう。自民党議員であれば、官邸や自民党広報担当議員に火の手を消すべく「ナントカしろ」という要請をしているに違いない。このような状況の中で、参院選大敗北とほぼ時を同じくして発生した朝青龍の「仮病サッカー」トラブルを

天が差しのべて呉れた救いの手」とばかりに諸手を挙げて喜んだ自民党議員は少なからずいたのではなかろうか。朝青龍トラブルの火の手が日に日に大きくなればなるほど、安倍失政と続投批判の目眩(めくら)ましとなり、国民の意識から政治が薄れて行くだろうことぐらい誰の目にも明らかである。このような中で、現職の衆院議員が突然朝青龍の自宅を訪問した訳だが、何故、今、国会議員の登場なのか?安倍政権ではなんとも話題作りの好きな農水大臣がまたもや登場であるが、島村元農水大臣が突然6日朝青龍を訪問したかと思ったら、10日には松浪自民党議員まで訪問した。聞けば、際立って親しいというほどの関係でもなさそうだし、訪問の必然性に「何故?」という疑念が湧く。うがった見方をすれば、煽(あお)るだけ煽って。安倍政権へ向かっていた批判の矛先を朝青龍と相撲協会と高砂親方の方へ向けて嵐を逸らそうとしているかのような意図にさえ見える。彼らの行動が問題の解決に何の役にも立ちそうでないことから考えても、こんな風にでも考えないと彼らの行動が腑に落ちない。

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何故?朝青龍は姿を見せぬ?

朝青龍は何故?姿を見せぬ?   朝青龍の「仮病疑惑・モンゴルサッカー事件」問題について、81日に処分が発表されてほぼ週間が経とうとしているのに、当事者朝青龍の様子がさっぱり見えて来ない。86日になって初めて高砂親方が朝青龍の自宅を訪れ面談したと言うが、部屋を預かっている親方が週間近くも会っていないというのも奇怪(おかし)な話である。大相撲のしきたりから言えば、横綱や大関に対しては相撲協会の申し渡し(処分)は使者が部屋に赴いて為し、親方と朝青龍が同席して処分を受け取るというくらいの礼をもって遇すべきではないかと思うが、相撲協会は伊勢ノ海親方が記者会見で処分内容を発表するという方式を執ったようである。普通に考えれば、朝青龍に弁明や釈明の機会を与えて然るべきだが、表に出したくない余程の確信的な何かがあったためだろうか?それにしても、何故、直接申し渡さないのだろうか?これも不可解である。常識的には、26歳にもなる大人が、しかも大相撲の頂点にいる者が、相撲協会が処分を出したことに対して、申し開きをするか、反省して「謹慎に勉めます」と言うか、いずれにしても北の湖理事長や理事会、高砂親方、大勢の大相撲ファンや朝青龍ファンに対してまるで無視したかのような態度を取って、何らの会見も開かないというのは理解に苦しむ。朝青龍自らが喋るのが本筋であるが、相撲協会も、高砂親方と朝青龍が同席して速やかに会見するよう指導すべきではないか?もし、朝青龍自身が会見を拒否して表に出て来ないのであれば、それは何故か?もし、「誰か」が朝青龍の会見を止めているのであれば、それは誰?で、その理由は何か?明らかにされるべきであろう。このまま会見が開かれない場合、多分、朝青龍は心身症的障害ということになるだろう(徹底した情報管理がされているようで何一つ情報が出て来ない中では「実際は、全く健康そのものではないのか?」という疑惑も捨て切れない)。仮病疑惑の「疲労骨折」であれば、一定の時間と治療で確実に回復し復帰できるが、心身症的障害(ストレス障害)は回復に長期間を要するので恐らく初場所復帰は無理だろう。そうなれば、朝青龍は自ら引退の道を選ばなければならなくなる可能性が大である。朝青龍の方に不利な要因が多いだけに、引退への歯車が動き始めているように感じる。いずれにしろ、今の朝青龍情報はモンゴルのサッカービデオ以外客観的に信用出来るものは皆無である。本当に病気なのか?

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赤城元大臣と横綱朝青龍の絶妙の功績?

赤城徳彦代議士と横綱朝青龍の絶妙の功績?   81日、著名な二人に断が下った。事務所費、コピー領収書の赤城元農水大臣と仮病で巡業をサボった疑惑の朝青龍である。彼ら二人の問題行為、問題発言の数々は全国津々浦々、老若男女、つぶさに報道されており改めて述べることもないので省略するが、実は二人とも思い掛けない功績を挙げたと言えるかも知れぬ。赤城氏の参議院議員選挙期間中と選挙後のパフォーマンスは「見事!」の一言に尽きる。まるで「安倍政権、負けろ!」と言わんばかりの赤城氏の選挙中のパフォーマンスは腐った自民党政権に強烈な浄化剤と大掃除の必要性を全国津々浦々の老若男女に知らしめることとなった。一つは、徹底して事務所費の説明は一切せず、挙句の果てに派手な絆創膏パフォーマンスを行ない、とことん疑惑を煽って「政治と金」問題を国民の意識に強く植え付けたこと。二つは、安倍政権の徹底した赤城援護は赤城農水大臣を護るどころか、反って国民に「護り過ぎ」の疑惑感情を呼び起こし、更に安倍総理の主体性不足と説明不足に疑惑を増幅させ、自民党議員の政治資金の不明朗さを知らしめることとなり、全国的規模での雪崩的自民党批判現象を引き起こすトリガー(撃鉄:切っ掛け)となったこと。当の赤城氏は参院選後、何故か掌を返すようにいともあっけらかんと領収書ファイルを片手に爽やかに辞任してしまった(更迭説もあるが…)。辞任会見には「益々怪?」の一面も見えたが、国民に一票の力を知らしめた功績は大。また、年々ファンは減り続け人気が落ち込む大相撲が、横綱朝青龍の仮病サッカーによってマスコミ話題の中心となっている。兎角、八百長や裏世界との噂が絶えず国民から見放され忘れられつつある衰退一途の大相撲だが、横綱朝青龍の仮病サッカーが、「国技とは?」「力士とは?」「あるべき横綱の姿とは?」「あるべき親方の姿とは?」「巡業とは?」…等々、国技である大相撲と日本相撲協会について全国津々浦々の老若男女に「大相撲」を再認識させた効果は大きい。白鵬が横綱になり、琴光喜が大関になった今、朝青龍の仮病サッカーが、大相撲を忘れ去ろうとしていた人々に新たな刺激を与えた。処罰することは最も容易(たやす)いことである。相撲協会に課せられた最大の課題は、横綱朝青龍が掘り起こして呉れた相撲ファン予備軍を如何にして真のファンに育てるか、ということである。知ってか知らずか、赤城氏も朝青龍関も全国の老若男女の反面教師となって絶妙の貢献したのである。

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安全・安心基準と想定外・多数決

安全・安心基準   安全・安心に絡む事故が起こると必ず表に出て来るのが「想定外」、「多数決」、「業務上過失」という言葉である。「想定外」というのは基準策定時の討議の深度を示し、「多数決」というのは基準値の決定方法を示し、「業務上過失」とは現実に事故が起こった後の責任の所在と範囲を示している。柏崎刈羽原発の安全性の問題点が次々と明らかになるにつれて、安全基準の決め方等各地の原子力発電所そのものの安全性見直しの機運が高まりつつある。実に良いことである。原発に限らず、国民の生命と生活の「安心と安全」を守る基準作りには多数決は採用すべきではない。安全や安心の基準判断は極めて専門性の高い分野であることを認識していれば、「安全」と「安心」が多数決論理に合わないことは誰にも分かる筈だが、往々にして「多数決は民主主義」と勘違いしている人も多く、「安全安心の基準」を多数決で決めるケースが見られる。特に、原発等人類の生存に重大な影響を及ぼすものについては、細心にして最高の安全性が保障されなければならないし、温暖化等の環境問題や資源枯渇問題が地球的規模で問題化している中においては原子力の資源的有利性が認められるとしても、それを実現するために必要な「安全安心を保障する基準」が経済性を超える場合にはどうするか、ということについて真剣に討議する必要がある。多数決は往々にして経済性を優位に置き、経済性に立脚した安全基準を用意することがあるが、これは危険である、というより限り無く誤りに近い。経済的に立脚しないということは、技術の進歩が追いついていないことでもあるので、技術の進歩を待って経済的に成り立つ日が来るまで実行しないというのが大原則でなければならない。それでも実行しなければならないのであれば、警察、消防、査察等による予防の完璧を期して人力に頼るほか無いだろう。「想定外」の条件による事故が発生して生命や財産に損害を与えた場合、「業務上過失××罪」が適用されるが、「業務上過失××」という考え方は、「犯罪には犯罪の意図や認識が存在しなければならない」という基本理念に基づいている。しかし見方を変えれば、「想定条件以上のことが起これば事故が発生する」という認識が既にあったことは確かであるから「未必の故意」概念に相当するとも言える。しかし、安全基準設定に経済性が大きく関与していることを鑑みると「未必の故意」を問うのは酷であろうという意識が働いていることは否定できない。従って、専門家による安全・安心の基準設定討議から経済性を排除することによって専門家の責任、技術の責任、経済性に基づく責任を明確にすることも可能となる。そういう見方をすれば、将来、「想定外」の事故は「業務上過失」ではなく「未必の故意」となる日が来るかもしれない。

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またまた疑惑、赤城大臣には「タコの吸出し」を

赤城農水大臣に「タコの吸出し」を   おできが出来たり直ったり、事務所が移ったり消えたり、政治より身辺の方が慌しい大臣だが、やはり、この前の絆創膏では隠しおおせなかったらしい。またまたチンケな不正が明るみに出て来た。領収書をコピーしての二重計上だそうである。まさか、これは「ルール通り」とはならないだろうと思うが、コピーした領収書を証拠書類として通していた赤城大臣の政治団体には会計の常識というものが全く欠如している。呆れてものも言えないが、こんな体たらくでは、まだまだ何が出て来るか分からない。昔、私達が子供の頃には、おできの膿みを根こそぎ吸い取って呉れる「タコの吸出し」という名膏薬があった。それを貼ると、若干の跡は残るが、大抵のおできは完治したものである。今もあるのか知らん?今もあるのなら、貼って欲しかった松岡大臣がいない今は、赤城大臣には是非貼って上げたい絆創膏である。それも強烈なヤツを。この際、議員個人だけでなく、農林省自身にも。

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「天下り」の反対語は「地上げ」?

天下り〖あまくだり〗   動詞の「天下る」を単純に反対語にすると「地上る」となる。名詞では「天下り」と「地上げ」である。どちらも「転がして」あるいは「転がって」膨大な利益を不当に手に入れる点で相似である。高級官僚と血も涙もない地上げ屋、どちらも「力」を背景にした「不明朗・不健全なお金」が付きまとう。天下って、更に次へと天下りを繰り返して巨大な退職金を手にすることを「渡り」と言う。高級官僚は3回ぐらいの「渡り」が保証されているらしい。勿論、省庁の手配と斡旋である。これは、国家財政資金(国民の血税)をバックに巨大な「斡旋手数料」を手にしていることに等しい。バブル期、地上げ屋が弱者から土地を安く巻き上げて同業者間でキャッチボールをして価格を吊り上げることを「転がし」と言う。「土地転がし」とか「ビル転がし」というように使われ、最後は大手不動産屋に高く売りつけて「斡旋手数料」を手に入れたのは、利権に群がる点において天下り官僚の「渡り」に似ている。しかも、血税が巧妙にマネーローンダリングされて給料や賞与や顧問料や退職金という名前に姿を変えて「天下り」官僚の懐に入るというシステムである。従って、退職金を取り戻すことは極めて難しい。勿論、皆が皆、不良「天下り」という訳ではなく、中には真面目に使命感を持って一所懸命貢献している「天下り」もいることを付言して置こう。

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「親方日の丸」の「親方持ち」

親方日の丸〖おやかたひのまる〗   意味はそのまま「親方は国家である」という意味。安倍総理や腹心の両中川の好きな言葉である。昔は、「倒産する心配がないので、生活が安定していて羨ましい」といったニュアンスで使われたが、国債を発行し過ぎて国家が沈没しそうな現在では、非効率で無駄が多く、その上にグーたらな働き振りの官庁や公務員を攻撃する「いじめ」言葉となっている。公務員の仕事内容と使命をどの程度理解しているのか知らないが、「国家100年の計」と言われる公務員の職務と使命は、せいぜい「3年の計」か長くても「10年の計」でしかない民間企業の仕事と単純に比較するのは愚そのものである。100年の仕事には3年や10年では計れない損得を超越した「ねばならぬ」仕事がある。郵政民営化は大都市以外の過疎化を促進させる引き金となっているし、今騒いでいる社保庁改革は歳入庁まではよいが、解体民営化は年金支給額の低下をもたらし「100年保つ」と言って改正した年金制度そのものをおかしくするだろう。「親方日の丸」の利益を最も享受しているのは、安倍さん、両中川さん、あなたたち国会議員ですぞ。企業や個人から献金を受けながら領収書は不要で、さらに税金から政党補助金まで受けるという「親方持ち」も甚だしい。その上に、赤坂の新宿舎には東京地方区選出の杉村太蔵議員までも入居している。議員宿舎とは本来、地方の自宅と東京の二重生活となる地方議員の国会・委員会活動に資するための施設である筈である。東京や近郊の議員は自分の住居は自前で用意するのが当たり前であろう。何で無茶苦茶安い家賃で高級住居を用意してあげなければならないのか?これこそ、「親方日の丸」の「親方持ち」以外の何物でもない。二重生活者でない議員の新宿舎家賃は市価同等として徴収するか、あるいは現物給与として家賃との差額を課税対象とすべきであろう。

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無償の愛と「しょうも無い」愛

無償の愛〖むしょうのあい〗   おふくろさん騒動以来、「無償の愛」という言葉を時々耳にする。ところが、最近は「しょうも無い愛」が蔓延(はびこ)って愛憎事件ばかり起こっている。そもそも、愛が無償であることは、改めて言うまでのことでも無い。「惜しみなく愛は奪う」と言った有島武郎。「己に倹にして人に倹ならず。是を愛と言う」と言った杉浦重剛。「愛は最高の奉仕だ」と言った太宰治。「どれだけ受け取っても十分でないもの、それは愛。どれだけ与えても十分でないもの、それも愛」と言ったヘンリー・ミラー。一方で、「愛美は偽善の端なり」と卓見した福沢諭吉。愛とは心掛けである。「管子」に「愛者憎之始也、徳者怨之本也、賢者不然(愛は憎しみの始め、徳は怨(うら)みの本なり。ただ、賢者は然(しか)らず)」という言葉があり、凡人の欲を戒めている。愛に何かを期待するのは真の愛ではない。このような思い違いはよくあることで、その心得違いが不善の基因(もと)となる。徳また然り。

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愛国心規定は基本的人権を侵害する

愛国心と人権問題〖あいこくしん&じんけんもんだい〗   愛国心問題は基本的人権を抜いては語れない。人権問題を細かく見れば、個人対個人、個人対法人、個人対国家等々、私レベルから公レベル、国内から国際まで種々の問題がある。個人レベルというのは基本的人権にかかわる問題である。国レベルというのは最大のものは拉致問題であり、水俣病のような生存権に関わる企業対個人の問題である。本来は大問題でありながら、何故か大きく採り上げられない広島、長崎の原爆症問題もある。基本的人権の中身については、憲法第三章の11条~40条に具体的に平等あるいは自由を保障することがこと細かく明記されている。個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利、人種・信条・性別・社会的身分・門地による差別禁止と法の下の平等、奴隷的拘束・苦役からの自由、思想・良心の自由、信教の自由、集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密、…等々、権利侵害と権利保護について定めている。IT時代の到来によって海外交流が簡単に出来るようになり、少しづつ変化が起きているように思うが、政府の動きは「愛国心」問題以来少しづつ後退しているように見える。愛国心を基に国家が国民に国権を発揮すれば、現憲法の下では間違いなく基本的人権の侵害となる。国民は愛国心によって得られる権利も利益も無いにかかわらず、国権の拡大による弊害を受容させられかねない。憲法改正はムードに流されてはならない。

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「いじめ」絶滅

「いじめ」を考える討論会   3月2日の夜、NHK総合テレビで「いじめを考える討論会」を聞いていて思ったこと。「いじめ」について教師が悪い、親が悪い、いじめはからかいである、いじめは無い、いじめはある、…等々双方の認識のズレが目に付き、時には相手をののしるような発言も目についた。概ね理屈っぽい発言の応酬で、聴いていて「為の討論」になっているように聞こえ段々不毛な討論に思えて来た。要は、現在もいじめる児童といじめられる児童がいる、という事実である。いじめを無くすには、苛める側の児童にいじめを止めさせるに尽きる。いじめられる児童のことを云々していても本質的な解決策は生まれない。そのためには苛める側の児童にいじめの代償が如何に厳しいかを徹底的に知らしめる必要があるのではないか。場合によっては、苛められることの苦しみを現実に体感させることも必要であるかもしれない。犯罪者を処罰せずに、「被害者にもスキがあったのでは?」というような被害者に原因を求めるような不毛な討論は意味をなさない。

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政治家の「言い分」と「言い分け」

言い分〖いいぶん〗   「言い分」と書いて通常は「いいぶん」と読む。しかし読みようによっては「いいわけ」とも読める。広辞苑にも、言い分とは「言いたい事柄。言うべき箇条。また、もんく。いいわけ[言い分け・言訳]」とあり、明快ではない。言い訳と言い分はどちらも自己主張であり極めて微妙で紙一重である。しかし、「言い訳」の項に、自分に都合のいいように「言い分け」ることが「言い訳」とあることからも、どちらかと言えば、大義正義に基づいた発言が「言い分」であり、自己保身から出た発言が「言い訳」あるいは「言い分け」と言える。そもそも、自己保身とは自信の無さを顕わしている。従って、自己保身の意識が些かでも働いたとき、本人は言い分のつもりでいても聞き手には「言い訳」としてか伝わらない。この微妙な感情の機微が聞く方の感情に共振現象を起こし、言い分としてでなく言い訳と聞かせてしまうのである。そして、感情が入ると嫌悪感や妬みが生まれる。昔の政治家に比べると、最近の政治家は安倍総理を筆頭に感情的に「言い分け」る人が増えているように思う。自信の無い政治家が増えたのだろうか?それとも己の悪事を突かれた故のことだろうか?選挙民は悪事を企む政治家は無論のこと、空自信の政治家を選んではならない。政治家には大義正義の人を選ばなければ日本は良くならない、と知るべし。

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「おふくろさん」騒動とJASRAC

「おふくろさん」騒動   本州最北端青森出身の川内康範氏と本州最南端鹿児島出身の森進一氏が「おふくろさん」の思いで大騒動が起きている。川内氏が著作権を振り回して歌手をいじめているという図式にも見えるが、10数年前、川内氏の了解を得ず誰かが勝手に歌詞を付加したものを森進一氏が今なお歌っていることが原因のようである。双方の言い分が不明であるので論評は控えるが、著作権に絡む問題であることは間違いないので、「JASRACに登録した歌の使用権」についてJASRAC(日本音楽著作権協会)はもっと主導権をもって介入すべきだろう。作曲家の猪俣公章氏が亡くなっても相続権者がいる筈だし、川内氏の独断でJASRACの登録を抹消することは出来ないだろう。そんなことをすれば作曲家の財産権(著作権)を侵害することになり、また新たな問題が発生する。両者の間に余人には分からない積年の感情的問題も存在しているようだが、ひとつ釈然としないのは関係者が生存中には問題が表面化していないものが、突然、この時期になって何故問題化したのか、ということである。今頃、天国のおふくろさん達が顔を見合わせて「幾つになっても叱られたいのかねぇ」とお互いの息子を嘆いていることだろう。

    →「おふくろさん」騒動の不可解

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院政?陰政?

院政〖いんせい〗   中川秀直幹事長が閣僚に「総理への絶対的忠誠心」を求め、「閣議前の控え室での首相を迎える態度が悪い。そんな心得の悪い閣僚は去れ」と発言した。中川氏は大政翼賛会的発想の持ち主であるようだが、内閣に対して政権与党とは言え一幹事長が差し出がましく兎や角発言するのは如何なものか。まるで、森派が人事権を保持しているかのような口振りで、言外に「安倍政権は森派院政内閣だぞ。内閣改造の祭には首を挿()げ替えるぞ」と脅しているような印象を与える。安倍政権誕生時から森・小泉の両元総理が陰から糸を操るようにして院政を敷くのではないかという噂が流れていたが、はからずも先般の中川秀直自民党幹事長の前代未聞の「異例発言」によって証されたようである。院政(rule by a retired Emperor)という言葉は1086年の白川上皇による政治形態から生まれたが、現代は院政よりも「陰政」という言葉の方がピッタリだろう。となると上皇は森氏か小泉氏ということになるが、両氏の性格から見て、多分、森総理であろう。静かに「陰棲」してればよいものを。閣議の前の控え室は閣議の前の重要な意見交換の場でもあるし目くじら立てる程のことではあるまい。むしろ、出迎えの際の「全員起立」の直立不動姿勢の方が余程異様で薄気味悪く、ヒットラーや金正日を思い起こさせる。あるいは、ひっそりと翼賛体制を目論んででもいるのか?

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ISOそれとも愛想?

ISO〖いそ:あいえすおー〗   International Organization for Standardization (国際標準化機構)の略とされるが、ギリシャ語で「平等」を意味する「isos」という言葉が起源という説もある。工業製品の製造基準から始まり環境・営業・契約等へ拡大中のヨーロッパ生まれの国際基準。狂牛病でお粗末な行政振りを曝した農水省も14001を取得している。製造方法・材質・設計図面を細かく審査し認定することで一定品質の工業製品が出来上がる筈であるという思想に基づく製造基準。にも拘らず、不二家、シンドラー・エレベーター、三菱自動車等々ISO認定取得工場で生産された不良品が長年にわたって市場に出回っているという摩訶不思議が発生し、大問題。今は殆ど聞かなくなったが、食品・菓子等の国内消費品については、出来上がった製品の品質を評価して品質が一定規格の中に入っていることを保障するJIS(日本工業規格)の方が安心かも

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あるある大辞典

あるある大辞典番組〖アルアルだいじてんばんぐみ〗   納豆のダイエット効果を紹介するデタラメ番組を放送したためにマスメディアのプロデュース姿勢が非難を浴びている。製作側の責任もさることながら、納豆があっという間に売り切れるという現象はメディア報道を「信じて疑わない」人が増えていることをよく示している。真っ白い吸い取り紙が澱み無くインクに染まっていくように、無批判、無咀嚼のまま受け入れてしまう、この一因が、自ら「考える」という思考力を衰滅させたHow-To教育と、お金さえ払えば何でも簡単に手に入る飽和社会にあることは否定できない。それだけにメディアには正しい報道姿勢が求められる。かって、大新聞がデタラメ商品や詐欺会社の広告を掲載したことによって被害を増幅させたことを反省し、それらの広告掲載の自粛を表明したことがある(大新聞は「独自の調査によって審査をすることにしたので、今後は当新聞の広告は信頼できます」という発表をしたが、残念ながらその後もそのような気配はない)。メディアは、何よりも先ず、事実をあるがままに報道することが責務である。その上で、事実を冷静に分析し解説して、一般視聴者の判断に委ねることが使命である。世論を形成しようと意図するのであれば、「…を告発する」「…を糾弾する」というように目的と意思を明確に表明しなければならない。さもないと、逆に世論誘導の非難を浴び、折角の報道姿勢が糾弾される。

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美しい国?欝苦しい国?

美しい国〖うつくしいくに〗   この言葉は言わずと知れた安倍総理の掲げる政治目標であるが、政権発足後4ヶ月が経ったにも拘らず、依然として安倍総理は「美しい国」にするためには憲法改正が必要である、と言うだけで、「日本をどのような『美しい国』にしようとしているのか」が全く明らかにならない。彼の言う憲法改正の目的が第9(戦争放棄)の改正にあることは明白であり、「美しい国」とは詰まるところ「戦争のできる軍事国家にする」ことということにならないか?軍事国家がどうして「美しい国」となるのか?むしろ、「欝苦しい国」になるのではないのか?安倍さん、目線を逸らさず分かり易く語って呉れ。美しく改めなければならないのは憲法ではなく、「国民の代表」と称する議員稼業の政治屋であろう。現憲法下で、昔は世界中から「いい国」と羨ましがられていたと思うが・・・。

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経済設計?軽罪設計?

姉歯耐震偽装事件判決あねはたいしんぎそうじけんはんけつ   20061226日耐震偽装事件の判決が出た。姉歯一級建築士の経済設計が引き起こした正に想定外の重大事件。刑の方は被害の規模に比べて意外や意外、180万円の罰金と5年の懲役という軽いものでしかなかった。これではそれこそ「軽罪」設計そのものではないか。近年、ストーカー殺人事件、酒気帯び運転殺傷事件、ごみ屋敷事件、自殺強要いじめ事件、外国人犯罪、ホリエモン村上経済事件、悪質商法詐欺事件など予測を遥かに超える現実事件に法律の罪刑が随いて行ってない象徴的な事件が目に付く。罪刑を重くすればそれで解決する訳ではないが、社会が納得する早急な法整備を期待したい。さもないと「美しい国」どころか、わが国は大道を悪人が大手を振って威張って歩く世界一の「軽罪」国家となり果てる。

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裏金

裏金〖うらがね〗   岐阜県庁の裏金問題が表沙汰になった。その裏金について土本元最高検検事や堀田元検事などがある民放番組で「プールしているだけなら問題は無い」という見解を示していた。しかし、これはおかしい。検察庁の元トップにしてこの程度の認識であるのにも驚いたが、官僚には個人的流用以外は悪事という認識が無いのではなかろうか。官庁は予算制度で運用されているので、県庁の資金は議会において予算承認を経て初めて実際に掛かった費用分を費消出来ることになっている筈である。検察庁も裏金を保有していたのだろう。

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インフラ

インフラ   インフラ・ストラクチャー(infrastructure)の略語。「下部構造・基盤」を意味する。本来は、道路・鉄道・港湾・ダムなど産業の基盤となる社会資本のこと。最近は、生活関連の基盤という見方から、学校・病院・公園・社会福祉施設なども社会資本に含めて言う。インフラ整備を錦の御旗に掲げ、財政的には「?」の公共工事を行なったために市財政を逼迫させている自治体もある。行政上、インフラを整備することは間違いではないが、インフラ設備の効果を維持するためには維持費が不可欠である。言うまでもないことだが、維持費が嵩張るような設計・施工は厳に慎まなければならない。

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イエロー・カード

イエロー・カードyellow card   予め、「一人当たり2回までは違反をやっても良い」という、スポーツ精神に反することが当たり前のように定められているサッカーのルール。イエロー色は警告、注意という意味。2枚で次の試合への出場停止。従って、選手は1枚までは堂々と違反行為を行なうことが出来、監督も1枚までは戦術の一つとして違反行為を戦略に組み込む。

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エスカレーターは乗り物?

エスカレーターescalator   エスカレーターは乗り物だろうか?通路だろうか?「歩行者は右側通行」という交通ルールから判断すれば、登る人たちのための階段として左側に寄って立ち止まり右側を空ける東京人にとってエスカレーターは通路ということになる。となれば、右側を歩いて来てそのまま右側に立ち止まる関西人にとって、エスカレーターは乗り物ということになるのだろう。

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過(而)不過(あやまちて、あやまたず)

過ちあやまち   論語に「過(あやま)ちて改めざる、これを過ちと言う」という有名な言葉がある。しかし、凡庸なる我々は自尊心や自惚れや自己保身等の本能的自己防衛意識や見栄が働いて、過ちを謙虚に自ら認めることはなかなか出来ない。どうしても、「小人(しょうじん)の過つや、必ず文(かざ)る」という言葉のようについつい言い訳をしてしまう。その点、「君子の過ちや、日月の蝕するが如し。過つや、人皆これを見る。更あらたむるや、人皆これを仰ぐ(過ちというのは月の満ち欠けみたいなもので隠したり誤魔化したり出来ないものである。)」と、ありたいものだ。そうして初めて、「過てばすなわち、改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」や「下問(かもん)を恥じず」という言葉が生きて来る。過(あやま)った時の次の行動を過(あやま)たないようよう銘記しなければならないのだ。即ちこれが「過(而)不過(過ちて過たず)」ということである。凡庸なればこそ、広く意見を求めて過ちを改めることが大事なことで、謙虚な行動が返って大きな信頼を得ることにもなる。人間はこの壁を越えることによって更に大きな自信が芽生え、また一段と成長する。

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商いとは「飽きない」こと

商い〖あきない〗   昭和時代まで使われた商売やビジネスの代用語である。「商い」は「飽きない」に通じ、コツコツと「飽きずに」長年のの積み重ねが金儲けの秘訣。直ぐ飽きてしまったり、労せずしてお金を得ることは「商い」ではない。虚業で夢を見てしまったライブドアや村上ファンドの経営者の行く末が示しているように、商いは「飽きない」ことに尽き、コツコツと信用を築き上げ実業を地道に蓄積することが大成に導く。近道はないと心得るべし。

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IT大臣

IT大臣〖アイティーだいじん〗   沖縄サミットで「IT」が話題に上ったが、ドイツのシュレーダー首相は、多分ドイツ語読みで「アイテー」と読んだ筈である。誰も彼もがITに浮かれ、森首相は当時、早速「IT大臣」を作った。「あ、痛ぇ」とならなければよいが…、業者に「逢いてぇ」国会議員が出なければよいが・・・。と懸念していたら、やっぱり案の定、頭文字がIT長者に「逢いてぇ」幹事長や「逢いてぇ」大臣がゾロゾロ現われた。

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イット(IT)革命

IT産業〖アイティーさんぎょう〗   森元総理がITを「イット」と呼んで「イット(IT)革命」と発言したことは有名な話。森元総理が中国を訪問した際、「IT革命」で生まれた携帯電話を電源コードが無いものだから勘違いして「電気エネルギーの要らない電話」と談話したことは語り草。ITとはinformation technologyの頭文字。

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愛国心

愛国心あいこくしん   国民にいわゆる「お国のため」を強制する言葉である。愛国心が最も要求されるのは軍隊である。愛国心を持たない軍隊というのは存在し得ない。そのために、憲法改正派はこの言葉を新「教育基本法」に何とか入れたいと考えているのだろうと思うが、法律は権利を保証すると同時に義務を要求するので、愛国心というような抽象概念を憲法や憲法に類する法律(教育基本法は教育に関する憲法のようなもの)に入れることには問題が多い。抽象概念というのは恣意的解釈を容認することが多いので、将来、良い結果より悪い結果をもたらす確率の方が遥かに高いと知るべし。 

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