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八ッ場ダムが示唆するもの

八ッ場ダムに学べ   ダム建設の妥当性は「有識者・専門家会議」のような第三者機関も関与して決定されている筈だが、今、民主党が行なっているダム建設事業の見直しは「政権交代による国家意思の変更」権の域を超えているように思う。如何に政権交代と雖も革命ではないのだから、反転出来ない国家の意思というのがあって然るべき、と思うのだが?ダム建設のような国家的事業というものは「国家百年の計」事業である。計画から実行・完成までに数十年を要することは当たり前で、国家と住民、国家と地方自治体、国家と建設会社、国家と建設会社の下請け・孫請け業者、等々それぞれの間の信頼関係の上に成り立っていると言える。そのような事業が、日常的政権交代によって国家の意思が覆されて中止になる、というのは問題ではないのか?民主党の「不要、不急」を基準に予算の裁定を行なっているというのは耳障りは良いが、ダムのような「国家百年の計」に関わる大事業を短視的に判断してよいのだろうか、という疑問が湧く。そもそも「中止」の端が、全て「800兆を超える赤字国債」という膨大な借金に発していることは間違いなく、前原氏や民主党が事の是非判断を「無駄使い」に求めたことは、極論すれば正に「貧すれば鈍す」を絵に描いたようなもので、見苦しくもある。今後、二大政党制が根付けば根付くほど、小選挙区制の下では卑近な政策によって政権が交代する事態が増えることが想定され、その度に八ッ場ダムのような大混乱が起こることが十分に考えられる。前原大臣は全てのダム建設を中止としたが、例えば4年後、自民党が政権を奪還した場合、多くのダムが「工事再続行」ということになるのではないのか?こんな滅茶苦茶なことが日常的に起こるようになったら、国家百年の計など「夢のまた夢」で、日本の将来そのものが怪しく危うくなる。そうならないようにするためには、「国家の意思を変転し得る」条件や基準を早急に設けるべきではないだろうか。変えられないことも困るが、変えやすいことが一番困る。治水利水の状況は時代によって変わるかもしれないが、八ッ場ダムのように親子三代に亘って長い時間を掛けて論議が尽くされて実施決定された「世紀事業」が、一時の世相的テーマでコロコロ変わる政権交代によって、さしたる論議もなく覆されるというのには問題がある。当初は全面反対であった水没地域住民が、下流域自治体と住民の福祉と公益のために犠牲を強いられ、渋々ダム建設を了解し古里を放棄したことの重大さを忘れてはならない。古里を離れ、新しいダムという環境の中で新しい生活を設計し構築して新しい「ダムの古里」を作り出そうと懸命に生きて来た住民たちは、後数年すればダム本体も完成するという今、やっと新しい平穏を見つけ出したというのが偽らざる現実であろう。それを、今になって「ダム建設」を中止しようというのは些か乱暴過ぎる。利水にしろ治水にしろ、現在も賛否両論があるということは、このダムが全く不要というものではないことを示している。未着工というのであれば兎も角、むしろ70%近くの工程が完了しているダムを今更中止にすると言うことの方が蓋然性に欠けるだろう。

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