裁判員裁判、終わる
裁判員裁判、終わって見えた問題点 2009年08月06日(木)19時22分、歴史上最初の裁判員裁判が終了した。裁判員裁判そのものについては運営方法等に最高裁・検察庁・日本弁護士会による周到な打ち合わせの上に行なわれたことが窺われ、裁判員の事後感想などから判断しても、成功裡に終わったと言えそうである。ただ、この裁判で新たな運営上の問題点がいくつか見えて来た。
⑴裁判員選抜・選任の方法
今回の選抜方法は「先ず100名が選抜され、50人弱が裁判所に呼び出されている。書類質問によって「被告との利害関係の有無」がチェックされ、その後、裁判官による「面接」を経て候補者が確定され、抽選によって6人の裁判員と3人の補助裁判員が選任されているが、裁判員適否の面接判定人が当該裁判の担当裁判官である点は検討の余地があると言えよう。また、50名弱の呼び出しの内、「利害関係人」に該当したのは何名か。裁判官面接で「不適」と判定された人はいたのかいないのか、もしいた場合、その人数は何人で、その「不適理由」は何だったのか。これらの情報は公開する必要があるのではないか。
⑵裁判員に学習効果が期待されないこと
裁判員裁判は年間2000件以上見込まれているそうだが、その都度、今回のような裁判が開かれることになる。多くの裁判員が事後の会見で「個人的には非常に勉強になった」というような感想を述べていたように、個人的には貴重で有意義な経験であり学習であったことは理解できる。しかし、裁判員候補者が一巡するには数百年かかり、この学習効果が次回の裁判に繋がることが無いことが大きな問題である。従って、裁判員と被告人にとっては常に「初めての裁判」が行なわれることになる。裁判員にとって「初めての裁判」ということは量刑結果に一貫性・均等性が損なわれる恐れが大きいことを意味する。言い換えれば、量刑に一貫性・均等性が生まれるということは「裁判官の指導」が行なわれていることを示し、「市民参加裁判」の意味が無くなることを意味する。
⑶量刑判定
16年の求刑に対して15年の判決というのは、これまでの司法界の常識である「求刑の8割(12,3年)」に比べると著しく厳しいものになった。当初から予想されていた通りの結果となったが、これで「市民参加裁判」である以上良しとしなければならない。しかし、裁判の現実としては被告としては判決を不服とし、従来の司法常識の中に在る上級審へ当然の事として控訴することになると思われる。裁判員裁判の判決を権威あるものに出来ればよいが、法的には「判決に不満」という理由での控訴を阻止することは出来ないだろう。となれば上級審は一旦控訴を受けて審議して「控訴棄却」という方法を採ることが考えられる。「市民参加」裁判を「葵紋の印籠」を振りかざして口を封じる水戸黄門の世界が現れることになりかねない。即ち、憲法が保証している「裁判を受ける権利」の侵害が起こる恐れがある。
⑷費用対効果
年間2000件以上の裁判員裁判が予定されているとなると、その経費は莫大なものとなる。裁判員候補者選定から裁判員裁判までに「候補者への連絡」「交通費」「日当」「裁判電子資料作成費用」等少なからぬコストが新たに発生する訳である。公務に対して無駄な経費の発生が云々されている今、費用対効果的に見ると、この裁判員制度は果たしてそれ程の制度だろうかという疑問が湧く。
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