「地方分権」の東国原と橋下
知事会は政党の支援団体たり得るか? 陽の東国原、陰の橋下といった観はあるが、「地方分権」を錦の御旗かの如く高々と掲げて東国原知事と橋下知事が国政参加へ異常なくらい意気軒昂である。知事会のマニフェストを「一言一句違えることなく」党のマニフェストに載せた政党を知事会あるいは首長会は「支援する」と述べた。これに先ず引っ掛かったのが自民党の古賀選対委員長(あるいはシナリオライター?)であるが、今では民主党まで巻き込まれている。弱り目にタタリ目の自民党と、何が何でも政権を取りたい民主党の足元を見透かした行動は如何にも政治屋タレントらしく、テーマの採り上げ方もバラエティー的で見事なパフォーマンスと言える。大体、「知事が公に支援政党を決める」という発想はどこから出て来るのだろうか?様々な政党支持者によって成り立っている企業に特定政党に対する政治献金を認めているものと同質の体質を感じる。如何にも隠れ自民党らしい独善的暴言と言わざるを得ない。東国原知事や橋下知事が「知事会として支援政党を決める」という発言が「マヤカシ」であることに気が付かなければならない。しかし、それに踊らされ煽らされているメディアの姿も哀れである。初期の頃は両者とも「県民のため、府民のための地方分権」という大義名分を掲げて声高に唱え、多くの首長たちの賛同を得られたようであるが、ここに来て大分冷め分散し始めているようである。その原因は、地方行政の首長が一政党に操を売るような行為が許されるのかという点と、橋下・東国原両知事の個人的目論見に利用されているだけではないのかという危惧心にあるように見える。彼らの弁は、地方行政は知事の政治的色によって大きな影響を受けているかのように聞こえるが、これは彼らの思い過ごしか意図的過大表現(詐言)であろう。自民党政権下、同じ自民党員の知事でありながら大分県や宮崎県の道路建設が遅れていたことを見ても歴然としている。道路建設は中央集権か地方分権かという問題ではなく、単に派閥や族議員の力の強弱によるものと考えるべきである。道州制を強行したい橋下知事と自らが国政(自民党)に参加したい東国原知事との間にはその思いに若干の違いがあるようだが、彼らの言い分を聞いていると、地方分権のみで国政を牛耳ることができるかのような錯覚に陥りそうな気持ちになる。それだけ彼らの弁が巧いのだろうが、ここはムードに流されることなく冷静に判断する必要がある。二人の「ゴリ押し」的強行姿勢の裏には県民・府民による高い支持率がある(と言うより、高い支持率さえあれば何でも出来るという傲慢心がある。高過ぎることは反って危険)。地方行政というものは中央政権が替わっても県民・府民への行政に極端な変化があってはならない。それが地方自治の原則で、分権制というのは民主主義の上にしか存在し得ない。政権交代によって地方行政が大きく変わるようであれば、それは民主主義と言うより独裁政権的な集権体質そのものであって、「地方自治」以前の問題である。過去に滅茶苦茶な知事が誕生したこともあるが、その知事によって地方行政が一方に偏ったり目茶目茶になったかというと、そんなことはない。行政を裏で支える事務方(いわゆる霞ヶ関型官僚機構)の中立公平の思想が暴走政治屋のブレーキ役を務めていることも忘れてはならない。そのために法律は公務員の政治活動(政治的活動も含む)を禁じているのである。総選挙が近いが、くれぐれも政治は政治屋にだけは任せてはならない。
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