加害者の人権
加害者の人権
[2009.6.12追記] 「誰でもよかった」無差別殺人事件や犯人の欲望を満たすためだけの残虐非道の凶悪犯罪、特に何の落ち度もない被害者が殺害された事件の裁判が開かれる度に思うことがある。加害者は事件後、必ずと言ってよい程被害者の家族に対して謝罪の手紙を認める。裁判官の心証を良くするために弁護士が採る弁護の常套手法の一つだろうと思うが、裁判官はこれらの謝罪行為によって判決が左右されることはあるのだろうか?裁判官も人の子である以上個人差があり、冷静かつ客観にして平等であるべき裁判官の心に感情が忍び込み罪刑判定に情状が影響することも無いとは言えないだろう。本来、罪刑の判定基準は事件事実と事件当日の時点において裁かれるべきもので、事件後の事情が判定に加味されてはならない。裁判開始日が遅れれば、如何な重罪犯と言えども何がしかの反省をしないとも限らない。これでは、亡くなって怒りや憤りを発することの出来ない被害者はもとより被害者の家族の気持ちが治まらないのは当然で、凶悪犯罪には「罪を憎み、人を憎まず」と言うような綺麗事は通用しないと考えるべきであろう。このような情状弊害を減らすには事件発生から短期日の内に裁判を開始し、事件当日の犯罪に対して罪刑を判定することが重要である。凶悪犯罪の事例を見る度に、被害者の人権よりも加害者の人権の方が優位に扱われているように思えてならない。裁判官は「もの言えぬ被害者の憤りの声」にもっと耳を傾けるべきで、それで初めて感情的平等に到達したと言えるのではないだろうか。
[2006.12.8記] 2006年8月28日、周南市の徳山工業高専で中谷歩さん殺害事件が起きた。翌日には警察の素早い動きで、同じ学校の同じ学年の19歳の少年が逮捕状を取り指名手配されたが、何故か、名前も写真も公開されなかった。その為に、殺人犯が顔を知られずに一般人の中に紛れ込むこととなった。その理由は容疑者が未成年者であるからだと言う。加害者の人権保護である。しかし、これはおかしいのではないか?容疑者は殺人容疑により指名手配されているのである。国と警察は国民が犯罪に巻き込まれないよう生活権と生存権を保障保護する重要な役目を担っているにも拘らず、被害者になりかねない事態を警察自身が作っていることについて警察は何を考えているのだろうか?
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