長崎市長銃撃暗殺事件
長崎市長銃撃暗殺事件と銃社会
[2008.5.26追記] 長崎地裁が今日、伊藤市長殺害犯人の城尾容疑者に死刑を宣告した。弁護士は即座に控訴したようだが、市長選の最中に単なる私怨から民間人であり公人である候補者をピストルで暗殺したテロ行為は情状酌量される余地はない。また、犯人が暴力団幹部を自認していること自体が社会正義(JUSTICE)に反する行為であり、安正であるべき市民社会を恐怖に陥れた罪は許し難く、現刑法下で極刑(死刑)に処されるのは当然で、極めて妥当な判決である。
[2007.4.18記] 4月17日、アメリカのバージニア州立工科大学と長崎で銃撃殺人事件が起こった。無防備の学生たちと伊藤長崎市長が拳銃で突然殺害されるという事件である。今朝の朝日新聞の天声人語欄によると、アメリカでは、銃は平和と平等を象徴するものらしい。アメリカでは銃器犯罪は毎年1~2件起きているが、銃所持反対の動きにはならないという徹底した銃社会である。その理由は、平和は銃によって勝ち取って来たという歴史があり、銃は弱者が強者と平等になるための道具である、という意識があるからと言われている。一方、長崎市長銃撃殺人事件の方は「ヤクザの私怨らしい」と報道されているが、果たして動機はそれだけだろうか?過去にも本島長崎市長暗殺未遂事件が起きているし、伊藤市長(県市長会会長)が全国市長会会長に立候補していたことから見ると、報道されている程度の動機で殺人というのは釈然としないものが残る。また、同じ日の夕方、和歌山でも普通の一般人による銃撃事件が起こった。一般人が何故拳銃を所持していたのか、どうやって手に入れたのか、不可解な点もあるが、聞くところによれば、不正所持の銃は10万丁にも上るらしい。単純平均すれば一県当たり2000丁以上の銃が隠れていることになる。和歌山事件はわが国にも徐々に銃社会が到来しつつあることを示唆しているように感じる。銃の不正所持は、現在は「銃刀法違反」程度の軽い罪状で処分されているが、弾丸を所持している場合は「殺人未遂犯」として処断するくらいの姿勢が欲しい。憲法改正を唱える、わが国のアメリカかぶれの為政者もまた「兵器無くして平和無し」という考えが強いようである。そうであるなら、「兵器を持てるだけの経済力を持たない国に平和は無い」ということになるが、軍隊を所持しなかったわが国は60数年間平和であったという事実は厳然として存在している。これをどう説明するのか。憲法改正が現実味を帯びて来たが、今一度、マハトマ・ガンジーの非暴力・平和主義を見直してみる必要があるのではないだろうか。
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