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21人の大弁護団と光母子殺害「差し戻し」裁判

広島光母子殺害事件「差し戻し」裁判〖さしもどしさいばん〗

   [2008.04.25追記] 23日、悪名高い大弁護団の団長の安田好弘弁護士が東京高裁で有罪判決を受けた。住専の融資先である不動産会社(顧問弁護士)の「資産隠し、差し押さえ逃れを指導した」ことは法手続きを遵守すべき弁護士として「不当」である、という判断である。弁護士資格剥奪だけは免れたようだが、オーム真理教の麻原彰晃を弁護したり、住専からの差し押さえ逃れを指導したり、余り誉められた弁護活動とは言えない。商売としては、弁護料が高額で旨味が多いだろうとは想像するが、死刑廃止活動者の看板は目眩(くら)ましか、と勘繰られても仕方あるまい。この判決は、司法の陰謀という見方もあるようだが、死刑廃止論者も地に落ちたものである。

   [2008.04.22追記] 今日22日、広島高裁での「差し戻し審」において予想通りの死刑判決が出た。そして、弁護団は即日最高裁へ上告した。今日の「死刑判決」は、最高裁が差し戻した時の経緯(正義:JUSTICEの法理念)から見て十分想定されたもので、明らかに暗に「死刑判決」を要求した「差し戻し」審である。事件の重大性、犯罪の残虐性、社会を恐怖に陥れた犯罪方法などを考慮すれば、個人的には「死刑判決」は妥当と考えるが、そもそも、この最高裁の「差し戻し」判断は、憲法67条2項には抵触しないのか?憲法第67条第3項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律のみ拘束される。」と定めている。第2審において、広島高裁裁判官は「良心に従い、独立してその職権を行使し」て「無期懲役」と判決したと看做すべきであろう。それをまるで「良心に従わず」に無期懲役判決をしたかの如く、「審議不十分」として差し戻した最高裁の判断には割り切れない思いが残っている。わざわざ「差し戻し」しなくとも、今次も「死刑判決」に不服な弁護団が最高裁へ上告したように、「無期懲役」に不服な検察は死刑を求めて最高裁に上告する筈である。差し戻したことによって結果的には最高裁は重複して判断することになる。もしも「差し戻し」判断が裁判員制度を見据えてのこととすれば、下級審の独立性を歪める因ともなりかねないので、じっくりと監視する必要があるだろう。

   [2007.05.25記] 年前に広島県光市で起きた残酷無比極まる母子殺害事件の「差し戻し」審が始まった。最高裁が言外に「無期懲役の判決を死刑判決に変えろ」と高裁に異を唱えたものであるが、死刑廃止論者で構成された21人の大弁護団(団長安田好弘弁護士)が唱えている驚天動地の内容が公(おおやけ)になった。その主張たるや、「弁護士の弁護活動の使命とは何ぞや?」と首を傾げたくなるようなもので、法廷に出席していた彼らの表情に正義を読み取ることは難しく、重大かつ深刻な殺人事件をまるで「六法全書ゲーム」でも楽しんでいるかのようにしか見えなかった。弁護士の質も地に落ちたものだ。弁護団弁護士の方に精神的適格性鑑定が必要に思える。近年、凶悪犯罪が起こると、被害者の人権よりも加害者の人権の方にスポットが当てられる傾向がある。精神異常者であるとか、その時だけ精神が異常であったとか、殺人の意思は無かったとか、犯罪者の適格性能力と犯罪意思の不存在を主張するパターンが大半で、それらを免罪符にして何とか刑を軽くしようと目論む弁護士たちのパフォーマンスばかりが際立つ。被害者が被った経済的精神的ダメージの大きさに比べれば、加害者側利益の過剰保護が多過ぎやしないか?裁判員制度実施を間近にして気になる、「行き過ぎた」弁護士による「行き過ぎた」弁護活動である。

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