政治家の責任、福田総理の責任
政治家の「責任」観 大臣を筆頭に政治家は、何か事が起こって責任は免れないと見るや、公式の場に出ると、決まって「責任は私にあります」、「責任を痛感しています」などと殊勝な顔をして発言する。巧言令色、美辞麗句、厚顔無恥を絵にしたような政治家が多いだけに「責任」という言葉の大安売りの感は免れ得ない。彼らの口から平然と出て来る「責任」という単語を言葉通りに解釈して聞いている単純な国民はいないだろうと思うが、彼らの言う「責任の取り方」が見え難く理解し難い。「責任を取る」ということは、一般人の感覚では「職を辞する」、「降格も已む無し」といった行為をイメージするが、どうも政治家はそうでないようだ。政治家は「責任を痛感」すると言った後、必ず「二度と・・・(云々)」、「努力する」、「改善するのが私の役目」、「全うする」などといった延命言葉で飾り立てる。中には、自分の言葉に酔い痴れているような風情の大臣もいる。自らの管理統制が不十分であるが為に、即ち早く言えば、謂わば「貴方の無能力の所為で起こっているようなものだから、改善するにも先ず貴方が換わらなければ何も改善される筈がないんだよ」と国民は言っているのだが、古来、国民の声を聞くための耳を持っている政治家は少ない(一説には、国民の声を聞くためではなく、地元選挙民の声を聞くための耳であることが重要)。今も、国民の声が聞き取れない政治家ばかりである。政治家というのは言いたいことばかり言って何かあっても自分の非は絶対に認めようとしない傲慢不遜タイプの人間が多いが、その癖「粛々と・・・」、「真摯に・・・」、「営々と・・・」といった一時代前の美辞言葉を好んで平然と使う癖がある。そして、ポストへの執着・拘りは異常で、何があっても、何が何でも居座ろうとする。政治のポストというのは、その責任の重さに比べて「旨味」が余程大きいのだろう。インド洋の給油艦派遣、日銀総裁の空席、ガソリン暫定税率等々福田総理の失政は数限りなく挙げられるが、福田総理には大して「責任」意識が無いようである。ということは、福田総理の最大の責任は「任期中、解散をせず全うすること」なのであろう。従って、自民党内には、他の事は(責任を)「取るに足らない」程度のことというコンセンサスが存在しているのではないか、と想像している。でなければ、あれ程のスーダラ無責任振りは許されないだろう。(時太山事件に対する日本相撲協会の北の湖理事長の責任観も大差ないように見える。彼なぞは公益法人の理事長よりも政治家の素質の方があるのでは・・・。)
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