天皇の政治利用
天皇の政治利用 中国の習副主席の来日を機に「天皇の政治利用」問題が突発した。明治政府が作った大日本国憲法では第3条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」と定められ、戦前まで天皇は「現人神」であった。天照大神の子孫だから現人の神様という訳だが、敗戦後、新憲法によって昭和天皇の神格放棄(昭和天皇自ら神格を否定したものではない)、所謂「人間宣言」がなされ国家と国民の「象徴(GHQの要求でもある)」である「人間天皇」が誕生した。ところが、この「人間」というのがなかなかの曲者で、「絶対中立」「絶対平等(非差別)」「絶対平和」という制約が付きまとうことになった。憲法第1条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と、天皇は「象徴天皇」となった。大日本国憲法の「神聖にして侵すべからず」という部分は「天皇の政治利用の禁止」という精神に承継されているが、天皇が「国の象徴」であり「国民の象徴」であるという実に曖昧な観念を作り上げた。今問題となっている「天皇の政治利用」に関する憲法解釈は、第3条の「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」、第4条の「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能(注:権利を主張し行使できる能力)を有しない。」、第7条の「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」、同条第9項の「外国の大使及び公使を接受すること。」に拠るものと考えられる。小沢幹事長の14日の「天皇陛下の国事行為は内閣の助言と承認で行う。何をするにしたって、天皇陛下は、助言と承認で、と憲法に書いてある。それを政治利用だと言われたら、天皇陛下は何もできない。天皇の政治利用との批判はあたらない。」という発言は、第7条の「内閣の助言と承認により」という字面のみに着目した解釈であると思うが、これまでの通説では「天皇の政治的行動(権能)を禁じた」ものとされている筈で、「天皇を政治主導の下に置く」ような思想で書かれた条文でないことは明白である。鳩山総理や小沢幹事長の発言はそれを無視した独善的解釈と評されても仕方なく、もっと丁寧な説明がいる。しかも小沢幹事長が、羽毛田宮内庁長官を「ナントカという役人」呼ばわりしたことは非礼であり、「皇室を掌る宮内庁と雖も省庁の一つに過ぎず、内閣の発言に異を唱えることはケシカラン」、更に「文句があるなら辞めてから言え」という独裁体制下のような高圧的個人攻撃は「長官や現職公務員の発言を封じる」ことを意味する。これは国民の「知る権利」に対しても応えておらず、民主主義国家として極めて問題は大きい。また皇室に対しても「天皇と雖も時の政権の意思によって政治利用してもよい」と明言しているに等しい暴論と言わざるを得ない。政権交代によって、天皇の国事行為までもが大きく振れてよいのか?ほんのこの前、オリンピックの東京招致活動の際に、石原都知事が皇太子夫妻を担ぎ出そうとしたことを思い出すが、独善独断的憲法解釈を押し付けようとするのは如何なものか。民主党が衆院選に大勝してから小沢幹事長と鳩山総理の発言は日を追う毎に独裁制政治体制の臭いがして来た。今日15日で内閣成立後90日となるが、国の行く末は一向に定まらぬままに「危険な臭い」ばかりが漂い始めて来たと感じている国民が増えて来たように見える。これがジリジリと鳩山政権の不支持率を上昇させている理由だろう。民主党がこんな偏向した非民主主義的思想の強い政党だったことが明らかになったことは幸いだが、参院選に勝たせたらトンデモナイことが起きそうだ。と言って、信頼できるこれといった政党がないのも困ったものだ。
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